第19話 オリンピックは1200年間一度も中止されてない
その夜、セイたちはタルディスが泊まる『レオニダイオン』にとまり込みで護衛することにした。オリンピック大会に出させまいとする何者かの力が働いたのであれば、朝まで待たず夜襲をかけてきても不思議はない。
セイたちは交代交代で寝ずの番をした。少年少女が入れ替わり立ち替わりタルディスの部屋の前で、剣を、力を、銃を持って仁王立ちしている様子は、異様な光景であったろう。
幸い、誰にも咎められることもなく、無用な騒乱は避けられたが、夜が明けてからも注長を払うべきことはいくらでもあった。スピ口の証言では、二回目は朝方、酔客に刺されたというのだから、むしろここからのほうが本番かもしれない。
早朝、タルディスが体をほぐすためギムナシオンに行きたいと言いだしたので、セイたち一行は全員で赴くことにした。
セイはタルディスの真正面で盾になるように位置取り、日本刀を帯刀した。その横に大きな刃の剣を背負ったマリア、反対側にはマチェットを手元でこねくりまわしているゾーイ。タルディスの背後を固めるのは、儀式ばったかぶり物に大仰な装飾品を飾ったスピロだった。スピロはその装飾品のなかに投げナイフを忍ばせている。
そしてその集団の数歩うしろから、エヴァがマシンガンを構えてつき従っていた。すこし遠くから異変を察知するために、すこし離れた場所に配置したが、実際にぶっ放してはオリンピックそのものが中止になりかねない。
セイはエヴァに絶対に銃を使わないように念を押していた。
宿舎から外にでたセイたちは、宴のあとにうんざりさせられることになった。昨日は誰もが寝所を確保するため場所取りをしていたはずなのに、今、この聖地にはありとあらゆる場所に無造作に人々が寝ころがっていた。英雄を祭った塑像の下であろうと、通路であろうと所かまわずといった感じであった。夜通し飲み明かしていた酔客が正体をうしなって、そこここに沈没しているのだ。
なかには通路に寝ていた者に蹴躓いたまま、折り重なるよう倒れている者もいれば、あまりの暑さに耐えきれず、オリンピックの選手よろしく全裸になって転がっているものもいる。昼になったら大会がはじまろうかというのに、死屍累々というありさまにゾーイが注意を促してきた。
「みんな、注意しておくれよ。前回はこんな状況に油断していて、突然襲われちまったからね」
「あぁ、おまえたちの失敗を、オレたちがなぞるわけにはいかんからな」
マリアが目だけをあたりに忙しなく這わせながら言った。
「それにしても、この臭気。さわやかな朝だというのに……」
エヴァが顔しかめながら言うと、スピロが理路整然とした調子で言った。
「しかたありませんわ。そこらに酔客が反吐を吐きまくっているようですからね」
「ーったく、どこが『聖地』なんだか」
マリアが悪態をついたところで、物々しい警備の渦中にいるタルディスが口を開いた。
「きみたちの世界では、こういう大会はないのかい?」
「ありますよ」
セイがうしろを振り向きもせず言った。
「まさにおなじ名前のオリンピックがね」
「じゃあ、オリンピックの期間中は戦争は中止になるのかな」
「ええ、もちろんですわ。オリンピックは平和の祭典と呼ばれて……」
エヴァが説明しかけたが、スピロがその話の腰を折るように断じた。
「いいえ。この古代オリンピックほどではありませんわ」
「そうなのかい。それは残念だね。ぼくらのオリンピックはもう400年近く、一度も中止されることなく開催されているんだけどね」
「タルディス様、この時代では約400年でしょうが、このあともずっと続き、最終的には1200年間一度も中止されずに開催され続けるのですよ」
「本当ですか?。そんなに長いあいだ、オリンピックは開催され続けるのですね」
「1200年もの間、オリンピック期間中には、戦争は中止され、訴訟は棚上げされ、おいはぎですら大人しくしていました。違反者は身分を問わず重い罰金が課せられましたからね。あのアレキサンダー大王ですら、部下がオリュンピアへむかう旅人から略奪したことで、賠償金を払わされたというほど徹底していたそうです」
「はぁ、わたしたち現代人は失格ですね。近代オリンピックはたった100年の間に何回も中止になっていますわ」
エヴァがため息まじりに言った。
そのとき、セイは前方の道をふさいでいる酔っぱらいのひとりがふいに寝返りをうったのに気づいた。
「気をつけて!」
タルディスを護衛していた全員が、瞬時に身構えた。
全員が行く手を阻むように足元に横たわる酔客たちに目を馳せる。が、セイのすぐ脇にうつ伏せに倒れていた男が、その屈強な腕をセイの足首に伸ばしてきた。
「セイさん」
ゾーイの警告にセイが飛び上がって、掴みかかってきた手を避けた。そしてそのまま、その手の甲の上に飛び乗る。
「痛い!!」
うつぶせになったまま男が大声をあげた。その声に驚いたのか、あたりで倒れていた数人の男たちが寝ぼけ眼のまま、上半身をおこした。緊張がはしる。
セイは片手を横につき出して、タルディスの盾になるような体勢で立ちはだかると、全員にすばやく目配せした。すぐさまマリアは大剣を引き抜き、ゾーイはマチェットを持ち直し、スピロは頭の飾りの中の投げナイフに手をかけた。エヴァだけは言いつけ通り、端から身構える様子はない。
そのとき、セイが踏みつけていた手の主が言った。
「セイさん。あんまりですよ」
プラトンだった。