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ぼくらは前世の記憶にダイブして、世界の歴史を書き換える 〜サイコ・ダイバーズ 〜  作者: 多比良栄一
ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜
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第14話 ソクラテスとヒッピアスとの問答

 アリストパネスは床に降ろされると、ほうほうの体でその場を出ていった。

 その去り際になにやら、汚らしい暴言を吐いていたが、回廊の壁に反射してよく聞こえなかった。

 セイはスピロの少々強引なやり方に言いたいこともあったが、まずはタルディスという選手を見つけることが先決と考え、とくにスピロには口をださなかった。その代わりにゾーイにそっと耳打ちした。

「きみのお姉……、お兄さんはいつもあんななのかい」

「いつも?。まぁ、力仕事はこっちに丸投げってぇんだったら、いつも通りさぁ。ひとひとり持ちあげるってぇのが、どんだけ重労働かてんでわかってねぇから、人使いがあらったらないのさ」

 ゾーイは前を行くスピロに聞こえないように(ささや)き声で愚痴ったが、耳ざとくマリアが聞きつけて大声で言った。

「うはは。あれはキツイな。ゾーイ。よくわかるぜ。オレたちは自分自身のからだや、自分で呼び出したものを操るのは造作もないが、こっちの世界の人や物を手で触れずに動かすってなると、相当に精神力を使うからな」

「ほんと、よく持ちあげられましたわね。私は非力ですから、がんばっても、壺ひとつくらいが精いっぱいですわ」

 エヴァが感心しきりでゾーイを称賛したが、マリアがそれを一笑にふした。

「エヴァ、よく言うな。もしその壺ンなかにたんまりと金貨がはいってたら、おまえは軽々と空中にもちあげるんじゃあねぇのか?」


「あら、それなら話は別ですわ。命懸けでやりますから」


 セイたちは西側のレスリングの練習所から移動し、南側の跳躍競技用の長い部屋がある回廊を抜けていくことにした。そこには中庭が眺められるように、いくつかの石のベンチが(しつら)えられていたが、角を曲がるなり誰かが言い争っているような声が聞こえてきた。

 その声を聞くなりプラトンが足をとめ、うしろに続くセイたちに小声で言った。

「老師がいらっしゃいました」


 ソクラテス(69歳)は隣に座っている誰かと言い争っているところだった。

 老人は教科書にでてくる塑像の写真そのままに、髪の毛がそのまま顎髭と一体化した、いかにも哲学者然とした風貌をしていた。でーんと横に広がったおおきな鼻が中央に鎮座しているせいで全体的に大作りに感じるが、目は小さく、少々後退気味の額のせいで、一見しただけなら、ただの好々爺(こうこうや)という印象が先にたつ。


「ヒッピアスと論争をしているようです」

 柱廊の陰から顔をのぞかせるようにして、その様子を見ながらプラトンが言った。

 ヒッピアス(40歳)はソクラテスよりもかなり若い男だった。だがセイが注目したのはその姿だった。ソクラテスはプラトンとおなじようにくたびれたヒマティオン一枚という姿であったが、ヒッピアスはなかに美しい光沢のある服を着ており、その上に濃い紫色のヒマティオンを羽織っていた。門外漢であるセイがみても、お金持ちなのだろうと察しがつく出立ちで、たしかにその高貴さが垣間見える顔立ちをしている。

「ヒッピアス……。試験に出たかなぁ……」

 セイが呟くと横からスピロが(ささや)いた。

「ヒッピアスはありとあらゆる学問に通じた『博学多才(はくがくたさい)』の天才です。数学では『円積曲線』を発見しましたし、どんなことも記憶する能力を開発したことで、現在でも『記憶術の父』と呼んでいる心理学者がいるほどです」

 セイはもう一度ヒッピアスを見つめた。どちらかと言えば、武官に思えるほどりりしい顔立ちをしているのに、それだけの知性派であることに驚かされる。髪の毛や顎髭は神経質なほど入念に整えてみえる、もしかしたらナルシストなのかもしれない。


 だが、その知性をもってしても、ソクラテスにかなわないらしい。

 ヒッピアスはソクラテスからの執拗な質問に、やり込められているように見えた。すでに顔には余裕がなく、いくぶん興奮気味に声高になっていた。それに対して、ソクラテスはあくまで冷静そのもので、鷹揚(おうよう)な仕草でその返答を切り返している。

 ふいに、先ほどの印象とちがって、ソクラテスがまわりにベールをまとっているような印象を受けた。眉間に刻みつけた思慮深さと、目の奥に(たた)えた洞察力、世の(ことわ)りへの見識から創られた『知』というベール。


 そんな男が、己の凶暴なほどの英知を振りかざしていた——。


 セイたちが近づくにつれ、ソクラテスとヒッピアスの会話の内容が聞こえてきた。

「ソクラテス、わたしは弁論術(レトリケ)を専門とする『弁論家(ソフィスト)』であり、祖国エリスを代表する外交官でもあるのですよ」

「このような場で演説を披瀝(ひれき)するのが『真実の人』と言えるかね。ヒッピアス」

「ソクラテス、わたしにはオリンピック競技のたびに、祖国から演示(エピデイクシス)の場が用意されている。しかもその場で与えられた演題に即興で演説をし、どんな質問にだって受け答えしてみせている。オリンピックに参加して、このわたしより勝っている者には一度たりとも会ったことはない。当然だろう。わたしはあらゆる学問に通じた『真実の人』なのだからね」

「ほう、ヒッピアス。きみはたいした『魂』の持ち主のようだ。肉体を鍛え上げて競技に参加する選手たちの誰よりも優れていると言いたげだ。だが、それほどの『知』を持てるものこそ『偽りの人』でもあるのだよ」

「ソクラテス、あなたたち『哲学者(フィロソフォス)』こそ『偽りの人』ではないのかね。あなたはみなにこう説いています。哲学を祖国のために使い、真正の政治的活動をおこなってきた者は、オリンピックの勝者以上に栄誉ある人物だ、とね。でも、そのことこそ『偽り』ではないですか」

「またここでも弁論術(レトリケ)を駆使するかね、ヒッピアス。まったくアブデラのプロタゴラスは『弁論家(ソフィスト)』なる、ろくでもない連中を生み出してくれたものじゃ」

「なにをおっしゃいます。プロタゴラスは『人間は万物の尺度である』と説き、絶対的な知識、道徳、価値の存在を否定した哲学者でもあったのですよ」

「それが間違いなのじゃ。『人間』そのものが自分がなにを知らないかを知らない無知の存在なのじゃ。神のように世界の根源・究極性を知ることなどない人間ごときを尺度にするなどはおこがましい」

「だが、プロタゴラスは『弁論家(ソフィスト)』の術を、一個の職業として確立した立派な方です。あなたのようにお金にもならないことをしているわけではない」

「そうかね。では尋ねよう。

 きみらソフィストは『徳を教える』と言って、立派な人柄に子供を育てたいと考える富裕層の人々に取り入ったが、その実、きみらは『徳』がいったい何であるかを問題にすることがない。おそらくきみら自身も『徳』とは何かがわからなかったのであろうな。だから、きみらソフィストの思想を『徳』として押し付けて、お金をとっているのではないかね。

 だが、それは目に見えない論理の力で、無理やりに相手を打ち負かす詭弁術であって、自分たちの道理をきみらの流儀で、強弁したものに過ぎないのであろう」


 ヒッピアスはソクラテスになにひとつ言い返せなかった。

 『弁論家(ソフィスト)』とは思えないほど、うろたえて見えた。

 その様子に満足したのか、ソクラテスはゆっくりと立ちあがり、数歩あるきだしたところで、歩をとめてふり返った。

「ヒッピアス。お主は自分が自称するように、政治や数学や天文学、そのほかのどんな学問についても充分な知識をもつ権威者だ。それは認めよう。だがその『知恵』と『能力』を持ち合わせる者こそが、故意にその反対を成すことができるのだ。つまり、『真実の人』と『偽りの人』は同一でもあるのだよ。だが黒を白と言いくるめる詭弁術でお金をとる行為は『真実の人』とは思えんな」


 ソクラテスがヒッピアスとの問答をきりあげ、こちらに向かってきたので、プラトンは柱の陰から、急いで走り出た。ソクラテスはプラトンを見つけるなり声をあげた。


「おう、プラトン。どこへ行っておった」

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