第9話 処女のあなたには刺激が強すぎる
オリュンピアのギムナシオンは聖域の西側に位置し、両側に19の列柱をもったドーリス様式の回廊が45メートル四方の中庭を囲むような形状で、それぞれの柱廊のうしろには部屋がたくさんあった。
北側にはエルディオテシオンとコニステリオン、選手たちの休憩室が、東側にはボクシングの練習場、南側には跳躍競技用の長い部屋が、西側にはレスリングやパンクラチオンの練習場があった。西と東側の部屋にはどこもベンチがめぐらされていて、観客が選手の練習の様子を見ることができるようになっている。
ギムナシオンの入り口の前に立つと、両側にヘルメスとアポロンの像が出迎えた。入り口のほうへ進もうとしたところで、プラトンがエヴァをみつめて言った。
「エヴァさん。あなたはこの中に入らないほうがいい。処女のあなたには刺激が強すぎる」
セクハラじみたことを面とむかって言われて、エヴァの顔がたちまち赤らんだ。あまりにふいをつかれて、怒っていいのか、恥ずかしがっていいのかわからないようだ。
「おい、プラトン。なんで、こいつが処女だって知っている?」
まともに反応できずにいるエヴァに代わって、マリアがいきりたって言った。
「なにを怒っているんです。だって聖地に入れる女性は、未婚者と子供だけですよ。既婚者はアルフェイオス川の南側で待機しなくてはなりません」
あっけらかんと語るプラトンの説明に納得したのか、マリアが首肯した。いや、しかけた。
「おい、ちょっと待て。プラトン。なんでオレにはエヴァとおなじ括りになってねぇんだ。おまえ、オレを子供扱いしてンじゃねぇだろうな」
そう言うなり、手のひらを上にむけて手の中に黒い雲を呼び出そうとした。手の上で黒い闇が飛び跳ね、稲妻がバチバチと閃く。
だが、その手のひらのうえに、セイが自分の手のひらを重ねて、放出されそうになったパワーを無理やり押し込めると、耳元で囁くように戒めた。
「マリア、騒ぎを起こさないで。オリンピックが中止になったら、元もこもない」
「セイ、一発くらい殴らせろ」
「だめだよ。今、ここは平和の祭典の真っ最中だからね」
「じゃあ、わかった……よ」
セイの説得でマリアはすぐにしおらしくなった。
セイはそれを聞くなり、プラトンににっこりと笑いかけて訊いた。
「さあ、プラトンさん。行きましょう」
と、プラトンがふいに恥じらうように顔を伏せた。
「あ、いや、セイ。オリンピュアのギムナシオンはもしかしたら、女人禁制かもしれない。係員に聞いてくるので、ここで待っていただけないだろうか?」
それだけ言うと、セイの返事も待たずに、そそくさとプラトンはギムナシオンの中へ小走りで入っていった。あまりに突発的な行動で、おいてけぼりをくらった形になったセイたちは、ぽかんとしてプラトンの背中を見送った。
「まぁ、もしかしてマリアさんが怖いことを言うから、逃げられたのかしら……」
エヴァが言った。先ほど『処女』だと指摘されて、顔を赤らめていたのが嘘のようにけろっとしている。マリアがエヴァの変わり身に呆れながら続けた。
「バカ言え。たぶん、セクハラめいたこと言ったのを恥じて逃げたんだよ」
「マリア、エヴァ。失礼だよ。たぶんこの国の人間は入場するのに、特別なルールがあるんじゃないかな。プラトンさんはそれを確認しにいったんだと思うよ」
「は、そうは見えなかったぞ。オレはまるで恋する乙女のような恥じらいを感じたぞ」
「そうですね。さっきの私みたいに、顔が赤らんでましたもの……」
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ギムナシオンの見取り図(すべての部屋の役割はわからないようです)