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ぼくらは前世の記憶にダイブして、世界の歴史を書き換える 〜サイコ・ダイバーズ 〜  作者: 多比良栄一
ダイブ3 クォ=ヴァディスの巻 〜 暴君ネロ 編 〜
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第70話 ありがとう、スポルス……

 セイとマリアがネロの寝所に駆け込んだ瞬間、もんどり打ってネロが倒れる光景が、セイの目に飛込んできた。すばやく反対側に目を転じると、倒れたスポルスを抱き起こすようにして、エヴァが自動小銃を構えていた。スポルスの顔色は真っ青で、まだ命があるのかわからないように見えた。

 マリアがエヴァのほうへ駆け出そうとする。しかし、すぐさまセイはマリアの腕をつかんでそれを制した。マリアが驚いてセイのほうに目をむけた。

「マリア、ゆっくりでいい。どうか、エヴァについていてあげてくれないか?」

「エヴァに?。どうみても死にかけているのはスポルスのほうだぞ」

「だからさ」

 マリアが怪訝(けげん)そうな表情をした。

「たぶん、エヴァはスポルスを守れなかったことに、責任を感じているはずだ。それを慰めてやれるのは、ぼくよりきみのほうが適任だと思う」

「どうやって?。オレだって……」

「エヴァを褒めてやって欲しい」

「しかし、スポルスは……」

「スポルスは自分の手でネロを討つことができた。よくやってくれたと思う」

 とまどっているマリアにセイはやさしく言った。

「マリア、スポルスはもう二千年前に死んでいる人間だ。気にしなくていいんだ……。スポルスの未練は果たせた。おかげで、あのイタリアの少女、モニカは助かる……」

 セイが満足そうな笑みを浮かべてみせた。

「あぁ、そうだな。任務は果たしているな……」

「うん。すごい手柄だ」

 マリアがセイの意図することを汲み取って言った。

「わかった。セイ、エヴァはまかせてくれ……」


「で、おまえはなにを?」


------------------------------------------------------------

  

 ネロはごろりと仰向けに転がったまま、身動きしていなかった。


 セイが上から覗き込むと、ゆっくりと目を開いてセイを睨みつけてきた。最後まで、皇帝らしい、為政者(いせいしゃ)らしい、威厳を保とうとしていた。


「未来……から来たとか、ウソをついている連中の仲間だな……」

「ウソはついてないけどね」

「いや、あの小娘は、ワシの作品は一編も後世に残ってないと言った。ウソだ……」

 セイはネロのかたわらに膝をついて、ネロの手をとった。

「そのとおりです。あなたの作品はなにも残ってません……」


「それは焼かれたからです」


 ネロの目がおどろきのあまり大きく見開かれた。

「そうなのか。あの娘は、ペテロニウスやセネカのものは残っているが、ワシのものは残っていないと……」

「彼らの作品を焼き払いたくなるほど嫉妬(しっと)する人が、どれだけいると思いますか?」

 セイの力強いことばに、ネロのくちびるはわなわなと震えた。目から涙がこぼれ落ちる。

「おぉ、おぉ……。そうか、そうだろう……」

 ネロはボロボロと涙を流しながら、セイに訴えかけるように問うた。

「セイ……。ワシの作品は後世の者を嫉妬させたのだな……。ホメロスの詩のように……」

 セイはなにも言わなかった。これ以上、嘘を重ねる必要もなかった。ただ、こくりとおおきく頷いただけだった。

 ネロは満足そうな笑みを浮かべた。

「だが悔しいのぉ……」

 ネロがおおきく嘆息した。

「あぁ……、なんとすぐれた芸術家がワシとともに消え去ることか……」


 それが皇帝ネロのさいごのことばだった。

 セイはネロが息をひきとったことを確認すると、ゆっくりとスポルス、マリア、エヴァたちのいる場所へむかった。



 スポルスは床に横たわっていた。その横でエヴァとマリアが沈欝な表情で、立ったまま彼女を見おろしていた。セイが近づいてくると、エヴァがなにかを言いいかけたが、セイは手を前にだして、それを制した。今、エヴァの口から漏れでることばは、お詫びや言い訳の類いしかない。マリアがいくら骨を折って、エヴァを説得したとしても、一度自分のなかに生じた負い目は簡単に消えるものではない。

 だから、あえてそんなことは重要なことではない、という突き放した態度をセイはとった。

 セイはスポルスのかたわらに膝をついて、スポルスの手を握って声をかけた。


「スポルス、スポルス……」

 スポルスがうっすらと目を開いた。自分の手をにぎりしめているセイに気づいて、ゆっくりと口を開いた。

「セイ……、私……、ネロを憎みきれなかった……」

「それが人間だと思うよ」

「ネロは死んだのですか?」

「あぁ。死んだよ。きみがネロを討った」

 スポルスが安心したような表情を浮かべたが、すぐにセイのほうに向き直って訊いた。

「セイ。わたし、どうすればいい?」

 セイはスポルスの右手の甲のうえから自分の右手を重ねた。スポルスの手をうしろから被うようにすると、セイは自分の指をスポルスの指に(から)め、ぎゅっと握りしめた。

「スポルス……。キミはネロを(ゆる)してあげられるかい?」

「はい、今なら……。あの人は哀れな人だった……。若くして皇帝に即位し、その重責に他人の痛みや悲しみを思いやれる余裕がもてなかった……」

 スポルスの目から涙が伝っていた。セイは左手の指先でその涙をやさしく拭ってやりながら尋ねた。

「スポルス。きみはネロがきみにしたむごい仕打ちを(ゆる)せるかい?」

「はい。神の御名において、わたしは……あの人の罪を……(ゆる)します」

 ゆっくりと噛みしめるように(ゆる)しのことばを口にした、もう一点の迷いもないのだとセイは感じた。

 そのとき、スポルスのからだが光を放ちはじめた。現世で眠り続けているイタリアの少女、モニカの魂が、スポルスのからだのなかからゆっくりと抜け出してくる。

「ありがとう、スポルス……」

 セイが絡めた指にやさしく力をこめた。


「きみはとても男らしかったよ」


 スポルスがうれしそうにほほえんだ。その笑みにはもう力強さは残っていなかったが、こころの底から満足した表情にみえた。

「セイ、ありがとう……」


 スポルスは眠るように息をひきとった。とたんにそのからだから、少女モニカのからだが浮きあがった。精気が光となって、モニカのからだの周りをおおいはじめる、解放されたモニタの魂がゆっくりと天井へのぼっていく。


「マリア、エヴァ。もうぼくらも戻ろう」 

 セイはそう言うと、手のひらを上にむけた。ふっとからだが浮きはじめる。マリアとエヴァもおなじようにしてセイに続く。

 ふいにエヴァがセイに尋ねた。


「聖さん、あなたはネロのそばにいかれて何をされていたのです?」

「ネロと語っていた。そして彼を慰めてあげていた……」

 マリアがセイを睨みつけた。エヴァの表情もさっとかき曇る。

「おい、唾を吐きかけるならまだしも、どういうことだ、セイ!」

「そうですわ。あんな男に口をきくのなら、スポルスさんにもっと……」


「十七歳だったんだ……」

 聖はぼそりと呟いた。


「十七歳?」

 エヴァが虚を突かれて、おもわず反芻(はんすう)した。

「ネロがあの強大なローマ帝国の皇帝になったのは十七歳だったんだ。信じられるかい。あの時代は、ローマ帝国こそが世界そのものだった。その最高権力者についたのは、ぼくらとおなじ十七歳だったんだ。

 そんなの、だれだって、勘違いするし、(おご)り高ぶるし、間違いもおかす……。等身大の彼は、芸術家や戦車競走の騎手に憧れた、ただの哀れな愚か者だったんだ……」



「おなじ立場に置かれれば、もしかしたら、ぼくらも同じ過ちをおかしたかもしれない……」

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