第64話 セイ、もう、打つ手はないのか……
「マリア、もう大丈夫だ」
まだ心配げに自分をみつめているマリアにむかって、セイは力強く宣言した。
「セイ、おまえが立ち直ったことは信じる。だが勝てる可能性があったのはさっきまでだ。あれを見ろ。もうかわせるレベルじゃない」
広間の空間という空間に張り巡らされていくウェルキエルの罠を見ながら言った。
「そう思うなら、きみこそエヴァのあとを追ってくれないか?」
「いやだ。おまえひとりに押しつけて逃げるわけにはいかない。この状況になればなおさらだ」
「マリア。きみは充分大変な目にあってきた。あとはボクにまかせて」
マリアがぎゅっと握りこぶしにぎゅっと力をこめた。
「セイ、これはオレのプライドだ。『ダイバー・オブ・ゴッド』のエリートダイバーとして、ここでひくわけにはいかない。おまえの援護くらいはできる」
マリアが不退転の覚悟をしたのがセイにもわかっていた。先ほどこちらにむけていた目には、そんな決意がこもっているのが見て取れた。
「マリア、わかった。ぼくがウェルキエルの攻撃を全部受けとめる。キミはあいつの首を刎ねろ。そしたらこちらの勝ちだ」
「全部受けるだと?。そんなことが……」
マリアはセイのことばに疑義を呈したが、セイはそれを無視したまま手のひらを前に突き出した。広間の中央に散らばっていた刀剣が、ばらばらと浮きあがりはじめた。
さきほど、妹のサエを守り通した刀剣——。
ウェルキエルの攻撃を辛くもしのいでくれた刀剣たちだったが、もうひと働きしてもらうしかなかった。
いや……。この数では足りない。
セイは手のひらを上にむけて、新たな刀剣を空間から呼び出した。精神力が続く限り、『未練の思い』が切れない限り、いくらでも武器は産み出せる。
空中からさきほど同様に鞘もない剥き身の刀身が現れはじめた。五本、、六本……と数える間もなく、セイの頭上の空間に刀が次々と出現してくる。
「セイ、おまえ、何本出すつもりだ!」
マリアが思わず叫んだ声にハッとして、セイは天井をみあげた。
天井が見えなかった——。広間の中空はセイの呼び出した刀剣に、びっしりと覆い尽くされていた。
セイが手のひらを下に降ろすと、空中に出現した夥しい数の刀剣が、ゆっくりと下へ降りてきた。セイとマリアの周りを取り囲むような位置でとまった。セイとマリアの周りの空間全部、上から下までほぼ等間隔に、刀剣が配置された。
その中心にいるふたりですら、迂闊には動けないほどの密集体形。
「ちょ、ちょっと待て、セイ。これ全部をどうやって操るつもりだ」
セイは無言のまま、自分の手に持った剣を自分のからだの前でふり立てた。と同時に、それに呼応して、数百本もの剣が刃を閃かせて各々の方向へ剣をむけた。まるで数百人の剣士がひとりひとり剣を構えているような陣形を築いている。
「ハ、なにをするかと眺めていたら……。数には数か?。まったく浅はかだな、人間とは」
ウェルキエルがセイに侮蔑のことばを投げかけた。
だが、セイはそれにはなにも言い返さなかった。相手は悪魔なのだ。
威勢の良い減らず口や皮肉を叩いていい相手ではない。
ウェルキエルの切断された手から延びていた、無数の指先の動きがとまった。『クモの糸』のように広間の四方八方に張り巡らされた指先は、すべてセイとマリアに照準をあわせていた。どんなに楽観的な想像をしたとしても、そのうちの数十はふたりのからだを切り裂くか、穴を穿つだろう。
セイとマリアは精神を研ぎ澄ませて、ウェルキエルの一斉攻撃のタイミングを待ち受けた。
その瞬間は広間が無音で満たされた、まさにそのときもたらされた。無数の指先が、無数の刃となって、一斉にセイとマリアに襲いかかってきた。
セイとマリアの周囲を取り囲んでいた刀剣群が自動で動きだすと、ウェルキエルの指先の刃群を迎え撃つ。いたるところで刃と刃が噛みあう「キン」という甲高い音が広間の中に鳴り響いた。
セイの日本刀がウェルキエルの指先の剣を、うまく受け流して跳ね返していく。
「ほう、さすがにうまいな。避けるのだけは」
ウェルキエルは右腕上腕部を前に突き出したままで言った。
上腕部の先から伸びる無数の指の先の刃は一度後退したかと思うと、すぐに角度を変えてセイの日本刀にむかって『力』づくで剣をふり降ろしていく。
ふたたび鋼と鋼がぶつかる音。
セイの日本刀は剣をいなして跳ね返すが、ウェルキエルは剣をふるう指を緩めようとしない。やがて、大きく太い剣を受け流しそこねた細身の日本刀が、その剣圧に耐えきれず、折れはじめた。折れた刀身が床にガチャガチャと音をたてて落ちていく。
マリアは自分の大剣でウェルキエルの剣をはじきとばしていたが、次々と折られていくセイの刀身を見ながら叫んだ。
「セイ、こりゃ、何本だしても、きりがねぇぞ」
間断なく仕かけられる剣の攻撃に息切れしはじめている。
セイは怒濤の攻撃を仕掛けられて、マリアに返事している余裕がなかった。集中力を切らしては、その刃を受けきれなくなる。
片手を天にむけて突き上げ、さらに空中から日本刀を呼びだした。空中から現れるやいなや、セイとマリアの周りに展開し、折れた剣の代わりをつとめはじめる。
と、ふいにウェルキエルの攻撃が止んだ。
セイは刀を構えたまま、ウェルキエルを睨みつけた。
「これでは確かにきりがないな。おまえたちが剣でも挑んできたから剣で相手したが、そろそろ本気を出すことにしよう」
ウェルキエルが不敵な笑いを浮かべたまま言った。
「どうした。量より質で勝負するかい?」
セイはそう軽口を叩いてみせたが、息も絶え絶えでうまくことばがでてこなかった。
「セイ、おまえ、怪我をしているぞ」
その背後でハァハァという荒い呼気の下からマリア指摘してきた。
セイは言われるがまま、自分のからだを見回すと、確かにいつのまにかいろいろな所を斬られていた。額と頬は血が滲み、肩口と左腕からは血が流れていた。特に左腕の傷はまだ流れでる血がとまっていない。
マリアがうつむいたまま、悔しそうに顔をゆがめた。
「セイ、悔しいが力の差が……ありすぎる」
「あぁ、強すぎる。このままでは、ふたりとも共倒れになる……」
「やっぱり、黄道十二宮の悪魔……なんかに、人類ごときが勝てるわけがねぇ」
「だったら、マリア、きみは元の世界に戻ってくれ。帰りたいって願うだけで戻れる」
「バ、バカか、きさまは。オレがそんなことを願えるわけねぇだろ。悪魔を目の前に逃げ帰ったら、ローマ法王様に顔むけできねぇ」
「相手は黄道十二宮のひとりだ。だれもきみを責めたりしないよ」
「さて、人間。これで終わりだ」
ウェルキエルがそう言うと、左腕から生えている無数の指が、するすると空中を這い回りはじめた。その先っぽが、剣から弾丸に変化しはじめる。
「指の弾丸でそのからだを蜂の巣にしてやろう」
ウェルキエルの指が、広間の空間に張り巡らされていく。まるで潜入防止のレーザー・トラップが室内を埋め尽くしているようにみえた。
「セイ、もう、打つ手はないのか……」
マリアがおもわず呟いた。そのことばのなかに、『セイ、なんとかしてくれ』、という満身からの思いの丈が込められているような気がした。そんな切なる願いを託されては、なんとかしてみせるしかない。
「ダメ元かもしれないけど、『切り札』を使う」