第61話 それが兄の本懐だ
セイは『刃の要塞』を外から完全に見えなくなるよう閉じた。その様子を見ていたマリアが苦しい息の下からセイに声をかけてきた。
「セイ……、妹さんは……助けられるのか?」
セイはマリアの横に並んで、刀を構えてから言った。
「助けてみせる!」
「あいつを……、ウェルキエルを倒せる……っていうのか?」
「倒さなければ妹を助けられないのなら、どんな困難があったとしても無理を通す……」
セイはウェルキエルを睨みつけて言った。
「それが兄の本懐だ」
セイがそう高らかに宣言したとたん、あれほど執拗にしかけられてきていた攻撃がぱたりとやんだ。
「つまらんな……」
ウェルキエルが見下げるような目をむけると、本当に飽き飽きしたような表情でひとこと言った。
「アガレス。もうその女は用済みだ。下げろ」
マリアが息を飲んだ。
「アガレス?……だとぉ」
その瞬間、『刃の要塞』が内側から、ぶわんと膨らんだ。サエのまわりを取り囲んでいた刀が、その膨張の影響をうけて、勢いよく外へ弾かれて跳ね飛んだ。その何本かがセイとマリアの頭の上をかすめる。
要塞の異変にセイがあわてて、うしろを振り向いた。一分の隙もなく固められていたはずの『刃の要塞』の内部から、黒く妖しい光が漏れでていた。
セイはすぐに要塞のたもとに滑り込み、刃ごしに叫んだ。
「サエ!。大丈夫かぁ」
なかからサエのせっぱ詰まった声が聞こえてきた。
「おにいちゃん。またあの男の人が……」
「男の人……、どういうことだ」
「あの顔のない男の人が……」
そのとたん、セイはギリッと奥歯を噛みしめた。
あのとき、タイタニックの甲板でサエに手をかけた顔が見えない男——。いっときたりとも忘れたとこがない。セイはうしろを振り向きもせずマリアに言った。
「マリア。ぼくの背中を守ってくれ」
「どうするつもりだ?」
「この刀をどかしてサエをなかから助け出す」
「狙い撃ちになるぞ!」
「撃たせてたまるか」
そう大声で宣言すると同時に、セイはサエの周りを囲っていた日本刀の壁を一気に外にはじき飛ばした。あたりへ剥き身のままの日本刀が四散し、派手な音をたてて大理石の床に転がる。そのうちの数本はエヴァとスポルスの足元まで滑っていった。
空間から剣がなくなると、ふたたびサエの全身が広間に現れた。
「おにいちゃん!」
だが、サエのからだはどす黒い光に取り囲まれていた。そしてその暗闇のなかにサエ以外のなにかがいるのがわかった。
「ウェルキエル、悪魔使いが荒いな」
その暗闇から聞こえてきた声に、セイは瞬時にして髪が逆立った。動物の断末魔の悲鳴、機械めいた音、世の中に存在するあらゆる不快な雑音。それらを想起させる声。
あのとき、サエを奪っていった顔無しの男——。
そして、ジャンヌ・ダルク救出を邪魔してきた男——。
「きさまぁぁぁぁぁぁ」
怒りに声が震える。セイは暗闇にむかって一気に刀をふるった。
が、男とサエを包み込んでいた黒い光が、ぶわんと膨れ上がり、その剣先をはね飛ばした。黒い風に煽られ、セイのからだがうしろに押し出された。
「ちくしょう」
「セイ、まずいぞ。アガレスは『ソロモンの72柱』の悪魔……。
ヤツは『時』を操る!」
瞬時にセイはマリアが言っている事態を飲み込んだ。
連れて行かれる——。
次の瞬間、セイは日本刀をふりかざして、おおきく宙に身を踊らせていた。広間の真ん中でサエのからだを包み込んだ黒い光の球体にむけて剣をふるう。
セイがふりおろした日本刀の刃から、目も眩むような光が閃く。満腔にやどった『リグレット』を一気に解放した渾身の一撃——。
が、その剣は空を切った。
破裂しそうなほど大きく膨らんだ黒い球体は、セイの切っ先をまるで避けるかのように目の前で一気にしぼんだ。たちの悪いことに、出現してきたときよりもそのスピードは速かった。セイはとっさに剣先を軌道修正して、横に振り抜いたが間に合わなかった。その球体にかすることもできない。
広間をおおきく占有していたはずの球体が、あっと言う間にサッカーボールほどのおおきさにまで収斂していた。
「おにいぃちゃぁぁぁん」
そのちいさな、ちいさな黒い球体から、助けを乞うかぼそいサエの声が漏れ聞こえた。セイは床に降りたつやいなや、縮んだ球体に駆け寄った。セイが必死に手をのばす。
なんとかそれを掴んで……、掴みさえすれば……。
頼む、掴ませてくれ……。
だが、叶わなかった——。
広げたセイの指がぎゅっと握られると同時にその球体はその場で雲散霧消した。
邪悪とたくらみの残り滓が、その場にどす黒い霞となってたゆたう。
セイはがっくりとその場で膝を折った。歯を渾身の力で食いしばる。そうしなければ、無念の思いが胸をしめつけて、その場で突っ伏して泣きわめいてしまいそうだった。
だが、セイはそれを必死にこらえた。
ここで泣いては、悲しんでは、悔しがっては……。
悪魔の思うつぼだ——。
涙を見せてなんてやるものか——————!。