第60話 わたし、お兄ちゃんと一緒にもどれる?
セイがしたてあげた『刃の要塞』は強固で、なかに閉じこめたサエに傷一つつけることはできなかったが、ウェルキエルはそれを崩そうと『指先の刀』を連撃してきた。なかばムキになっているように感じたが、それでも直撃を受けると刀身が折れ、そこに穴が空いて、ほころびができる。すぐさま別の刀身をあてがって、その隙間をふさいだが、これが続けば、いつかは気力が尽きるのは火を見るよりあきらかだった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんなの?」
ふいになかから声が漏れ聞こえた。
セイは剣の構えを崩さないまま、背後に声をなげかけた。
「あぁ。サエ、ぼくだ。兄のセイだ」
そう声をかけただけで、涙がにじんで涙にむせびそうになる。
「お兄ちゃん。ずいぶん大きくなってる。どうして……?」
「サエ、ごめん。お兄ちゃんだけ、歳……取っちゃった……」
「そう……」
サエはそれだけ言って押し黙った。刀と刀の隙間から、こちらの姿が垣間見えているのだろう。自分とはあまりにも隔たりができてしまった、兄の姿にショックを受けているのは仕方がない。
サエがためらいがちにことばを紡ぎはじめた。
「なんで……、なんでそうなったかわからないけど……」
「お兄ちゃん、カッコいいよ」
たったひと言が、セイの胸を熱くした。
セイにとって、いままでの人生で最高のことばだった。むせび泣きそうになる。セイはあわてて目頭を拭うと、マリアにむかって大声を張った。
「マリア、いっときでいい。ここへ来て、ぼくらの……、ぼくらの盾になれるか!」
マリアはなにも問い返さなかった。その行動はことばを返すより速かった。
どんと床を蹴り出すと、大剣を身の前で掲げて盾にしながら、こちらへ突進してきた。ウェルキエルの攻撃を二、三発、はじき返すと、そのまま床を滑り込むようにして、セイの目の前に陣取った。
「最初に言っておく。長くは持たん。はやくしろ」
「すまない」
セイはそれだけ言うと、『刃の要塞』の刀の一角を、観音開きのようにして開け放った。光がさっと差し込み、刃で覆い隠されていた内部を照らし出す。
すぐ目の前にサエがいた。
「サエ!」
セイはサエのからだを抱きしめた。まだ十歳のときのままの、背が低く、幼ない体つきをしたサエの体温が、肌を通して伝わってきた。いっさいの成長をとめられたまま、月日だけを消費させられた、残酷な仕打ちに、この七年間の思いがせき上げる。
セイがぐっと口元を引き結んだ。
今は感涙にむせんだり、歓喜に破顔してよい場面ではない。
カッコいい、兄なら……なおさらだ……。
「サエ、寂しかったろう」
「ううん。ちっとも。ずっと眠っていたから……」
「眠ってた?」
「うん。今さっき、ひさしぶりに目がさめたの。ここはどこなの?」
「まだ、別世界にいる。時代や場所はちがっているけど……。まだ戻れたわけじゃない」
その時、背後でマリアのうめくような声がした
「セイ、急げ。ちょっと防ぎきれなくなってきた」
セイがあわてて振り向くと、大剣をおおきく振り回しながらウェルキエルの攻撃を受けている、マリアの姿が目に入ってきた。マリアは汗びっしょりで、背中で息をしていて、いまにもへたり込みそうだった。
セイがサエとのほんのささやかな会話の時間を生み出すための、大変な労力がそこに見て取れた。
これ以上マリアに甘えられない——。
セイはサエの目を見つめて言った。
「ごめん、サエ。ちょっと待ってて。お兄ちゃん、あそこにいる悪いヤツを倒さなくちゃいけないんだ」
「倒したら、わたし、お兄ちゃんと一緒にもどれる?」
セイは心引き裂かれるような思いを内に秘めて、思い切り口角をひきあげて言った。
「もちろんに決まっているじゃないか!」
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「かがり。急いで病棟のほうへ来てくれ!」
館内放送で、父、輝雄の切羽詰まったような呼び出しを聞いた瞬間、広瀬かがりの心臓は飛び上がりそうになった。
瞬間的に、セイのヴァイタル・モニタに目をやる。
セイのヴァイタルはすこし上昇カーブを指し示していたが、生命や精神への危機の兆候はまったく見られなかった。
当然だ——。
さっきから何度も見るとはなしに確認しているのだ。急変したとしたら、気づかないはずがない。
あのとき——。
聖が心肺停止になりかけた『ジャンヌ・ダルク』のときのダイブ——。
その時の反省から、かがりはセイがダイブするときは、かならずすぐ近くに待機し、どんな些細な異変も見逃さないようにしてきた。
かがりは、すぐにマリアとエヴァのモニタのほうへ視線を移した。
こちらもなにも問題ない。
申し訳程度に眺めていた彼女たちのモニタは、さきほどすこしだけ心拍や脳波の乱れ、緊張させられたが、緊急を要するほどまでは変化しなかった。
なら、なに?。
かがりはダイブ中の聖のそばから、すこしの間だけでも離席することに一抹の不安を覚えたが、父の呼び出しは喫緊の事態を感じさせる声色を帯びていた。
病棟へ駆け込むと、父、輝雄は夢見・冴のベッドサイドにいた。
「お父さん。冴ちゃんが、どうしたの?」
輝雄はなにも言わずに、冴のヴァイタル・モニタを指さした。かがりはその指先を追いかけるように視線を移した。
そこに信じられないものがあった——。
植物状態となっていたはずの夢見・冴の脳波が動いていた。
脳波だけはずっとフラットのままで、これまでほんの一瞬でも変化らしい変化などなかったはずだ。それを何年間も、毎日、絶望的な思いで見続けてきたのだ。
だが、あり得ないことに今、その脳波計はまるで覚醒しているかのような、乱高下するグラフを刻んでいる。
「お父さん。これ……」
「あぁ、冴ちゃんの脳波がなぜか動き出した。いや、脳波がふいに現れた、と表現したほうがしっくりくるかもしれない」
「現れた?」
「もしかしたら……。聖たちが潜っているその先でなにかが起きているのかもしれない」
「聖ちゃんたちが……?」
「あぁ。もしそうだとしたら『昏睡病』で戻ってこれなくなった人でも、なにかしら『引揚げ』する方法があるのかもしれない」
かがりはそのことばを聞きながら、眠っている冴の顔をまじまじと見つめた。
まったく身動きしない、この七年間見続けた。見知った姿のままだった。
これで脳が『覚醒』していると言われるほうが、不自然なことのように感じた——。