珈琲・アヴェンジャー
フィルターをセットして、お気に入りの豆を入れる。
暖かい昼下がり。これでもかというように窓から太陽の光が降り注いでくる。何もなければこれ以上ないほどの良い環境だが、締め切りが近づいた俺に言わせると悪魔の嵐だ。
波状攻撃のように睡魔が襲ってくると、俺の疲れた脳みそは早々に白旗を上げて、いやそんな旗上げる力もなく動きを止めようとしていた。そうなってくるともう応援を呼ぶしかない。
コーヒーメーカーのスイッチを入れる。すぐに上部から湯気がシュンシュンと吹き上がる。反撃の狼煙だ。早く来てくれ。
待ってる間にも眠気はとどまることがない。冷蔵庫から買っておいたケーキを取り出し、カップと一緒にテーブルに準備する。
椅子に座ったところで、ふっと一瞬、意識が飛んだ。
「ポン!」
何かの音がした気がして、目を開けると、準備したコーヒーメーカーの隣に、何かある。
「なんだこれ……? 人形? ……痛っ!」
出した手に痛みが走る。
「無礼者! 私に触れるな!」
人形が……喋った。痛みと共に目も覚めた。
そこにはティーカップほどの大きさの女の子がいた。白い着物を紐でたすきがけにして、刀のような物を俺に向けて構えている。
「何これ……」触ろうとすると、その刀をヒュッと振り下ろす。危ない。
「またお前! 私も容赦しないぞ!」
どうやらさっきもこれでやられたらしい。だが、手を見ると少し赤くなっているだけだった。刀のようだが、切れる物ではないようだ。
ぷんすかと古い擬音が聞こえるほどの怒りようだが、その顔にも後ろで結った長い髪にも覚えはない。
「すみません……。ところで、君は?」
「私はお前に復讐に来た! 大人しくその首をよこせ!」
ヒュッ。言うなりまた俺に向かって振りぬく。
話になるような雰囲気ではないが、このままだとコーヒーをゆっくりは飲めなそうだ。ケーキの横に置いてあるフォークで刀を受ける。
ガツッと音がして、刀が上手くフォークの又の間に入った。
「う……ぬっ! お前……なかなかやるな!」渾身の力だろうか、真っ赤な顔でフォークを刀の鍔で押し返し、それから連続で刀を繰り出す。
「えいっ! たぁっ! この……ええぃっ!」
フォークからたまに火花が散る。ふむ、なかなかの攻撃だ。
苦戦させているところ悪いのだが、俺はあまりフォークに力は入れていない。丁度良く拮抗するように調節しながら、しばらくこの様子を見ることにした。コーヒーはもう3分はかかるだろう。
「なかなか……やる……な」
しばらくして、肩で息をしながら小さな剣士が座り込んだ。どうやら体力を使い果たしたらしい。丁度コーヒーもできたようだ。
興味本位で、フォークの先にケーキを少し載せ、彼女の顔の近くに持っていく。
恐る恐る指で触ってから、匂いで食べ物だと気づいたのか、口に入れた。
お腹が空いていたのだろうか。あっという間にフォークの上のを食べつくす。追加で持っていく。食べる。追加する。食べる。
なんとなく鳥のヒナに餌をあげている気分だ。
それを見ながらコーヒーを一杯飲んだ辺りで、ポンと音を立てて消えた。
「なんだったんだ、今の……」
夢でも見ていたのかもしれないが、皿の上のケーキはやはり一口分くらい無くなっている。
「締め切り近すぎて頭がおかしくなったのかもしれん……」ゆっくり考えてもよかったが、とりあえず仕事が終わってからだ。
次の日も、コーヒーを淹れるとポンと音がして、またあの剣士が出現した。
「お前! 今日こそ復讐してやる!」
また来たのか……と思いつつ、適当にフォークで応戦すると、次第に疲れ、またケーキを食べたら消えた。
そしてまた今日も現れた。
「お前!」
「お前じゃなくて、俺はイズミって言うんだけど」
「イズミ! お前に復讐する!」
素直な子みたいだが、やはり復讐は止められないらしい。フォークで刀を受けながら、何か悪いことでもしたかと思い出そうとしたが、生憎虫も殺せない性格だ。これほどまでに復讐される覚えは無い。
手の振動が消えたので、ふと見ると、刀を構えたままじっと俺を見ている。
あまりに適当に相手をしていたので、怒ったのだろうか。と思ったが、どうやらチラチラ横目で俺の手元を見ている。
「お。これか」
フォークにケーキを載せて持っていくと、一心不乱に食べだした。
「ふむ……」
わからない。こいつはなんなんだ。食べ終わるとまたふっと消えた。
しかし、休み時間のこれが良い気分転換になったのか、仕事は思ったより早く終わりそうだ。明日には会社に提出できるだろう。
カップを片付けたところで俺の電話が鳴った。表示にはナツオ先輩の名前が出ている。
1年先輩で、何かと俺のことを世話してくれる、少し変だが良い先輩だ。おそらく仕事の進み具合の確認だろう。
「はい、もしもし」
『お、イズミ君元気? ちゃんと進んでる?』
俺は変わらず元気だが、この先輩はいつも元気過ぎて電話越しでもまるで隣にいるようだ。
「もうすぐ終わりますよ。なんとか順調です」少し耳から離してこたえる。
『おお~、いいねぇいいねぇ。私が念を送ったおかげだね!』
なんだそれは。そんなんで仕事が進むならいくらでも送ってほしいが。
……と、なんだかそれが少し引っ掛かった。
「先輩って、ケーキ好きですか?」
『大好き大好き! 毎日でも食べるよ』
「先輩って今復讐したい人います?」
えっ、……と電話の先が少し静かになった。
『イズミ君、私なんかオーラ出てた?』
「いるんですね」
『あはは、ちょっと課長にこの前の仕返ししたくて。しないけど! 気持ちだけ!』
なるほど。
「仕事が捗ったのはやっぱり先輩のおかげかもしれないです」
そして一つアドバイスを付ける。
「復讐したいなら、刃物はやめた方がいいですよ」
そんな危ないことしないってー、とかなんとか言いながら電話が切れる。
先輩に話しても信じてはくれないだろうけど。会社に行くときにケーキでも買っていこう。
それから……。
片付けたテーブルの上を見る。
それから、今度は日持ちするお菓子でも準備しておこうか、と思った。