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依頼人

——次の日

朝、目を覚ます。

なぜか、朝が来たというだけで軽く絶望感を感じる。

しかし、どんなに疲れていても同じ時間に目が覚めるのは我ながら感心する。

いっそのこと遅刻するぐらいに寝坊できたら何も考えることがなく動けるのに、そう思いながらも体は布団から動かない。

いつも通り、しばらくぼんやりした後、ダラダラと起き上がる。

昨日の再放送かと思うぐらい、同じように準備をして朝ごはんを食べ、準備をして仕事に向かう。

今日も、スマホで音楽を聞く。

イヤホンからスローテンポのバラード曲が流れてくる。

なかなか良い出だしだと思ったが、今度は眠くなってきた。今日は昨日よりは晴れていなくて、薄く雲が出てる。

目を擦りながら駅に向かう。今日は猫には会えなかった。

欠伸を抑えながら、今日が休みならなと今日も思う。

ちなみに俺の会社は、基本的に週休二日制だ。でも休日出勤も多い。殺しに曜日は関係ない。むしろ休日に油断しているところを狙うことも多いから、よく休みが潰れる。

今週はそんなことがないようにと祈りつつ、電車に乗った。

今日も電車は混んでいる、毎回どこからこんなに湧いてくるんだろうと思いながら。いつも通りカバンを抱えて、背中を丸め携帯でゲームを始める。

最近は電車の痴漢冤罪が増えているらしい。それを聞いてから両手を前にして何もしてませんアピールをしつつゲームをするようになった。

何もやましいことをしていないのに、なんでこんなに気を使わなければならないのかと、思わずため息が出た。何もしていない、真っ当に生きている人間の方がいつも割を食う。

会社に着き朝のミーティングが終わると、今日も仕事は外だ。

今日は昼飯はちゃんと食べれるかな、と思いながら会社を出る。

ちなみに、今日も昨日と同じ後輩と一緒に行動だった。

いつも通り、順々に仕事を片付ける。なんとか昼も普通に食べられそうだ。

そう思った矢先、上司から連絡があった。


『次の依頼人と会って、詳しい打ち合わせをしてほしい』

「え?なんで俺が?」


俺は基本的に殺しの実働班だ、そして依頼人との打ち合わせは、営業の人間がすることになっている。

俺は人と話すのが苦手だ、だからいきなり言われて思わず嫌そうな声が出た。


『そう言うなよ、予定では明日のはずだったんだが、先方の予定が変わってな。一番近くて、動けそうなのがお前しかいないんだ。やり方は知ってるだろ』

「いや、まあ。なんとなくですけど……」


確かに、大分昔に研修でやり方は習ったし。何度かこう言うことがあって経験はある。しかし大分遠い記憶の上に、喋りがぎこちなくて上手くできなくて散々だった記憶しかない。


『資料はそっちで受け取れるようにしておく。時間は三時だ。それまでに資料に目を通しておいてくれ』

「わかりました」


電話を切って、一つため息をつく。

最悪だ、今日の予定がこれで大幅に変わってしまう。

頭をかいて、後輩を呼び寄せ予定の変更を伝える。

後輩はほかの仕事に向かわせ。俺は先に資料を読むために、時間より早く依頼人の打ち合わせ場所に向かう。

そこは、街中の大きなカフェだった。人もいるから賑やかだ。こんなところで殺しの相談なんて向いてなさそうだが、人の話し声が大きい方が変に聞かれたりしないものなのだ。

資料を読みつつ昼食を済ませたところで、依頼人が来た。


「お待たせして、すいません」


やってきた依頼人は、申し訳なさそうにそう言った。

俺は慌てて立ち上がり、挨拶をする。

変に緊張する、人見知りなのもあるが依頼人が女子高生なのも問題だ。

世代が違いすぎるし、デリケートな年頃だから、どう接していいかわからない。しかもこれから殺しの打ち合わせなのだ、状況が未知数すぎて何がおこるかわからない。


「いえ、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


俺はそう答えて、改めてその子を見る。その子は随分と綺麗な子だった、膝丈のスカートに紺色のブレザーを崩すことなくきちんと着ている。一見すると清楚な普通の女子高生に見える。

俺は、大人しそうだなと思って少し安心する。

とはいえ、殺しの依頼をするくらいだから、そんなにまともでもなさそうだけど。

俺は、精一杯の営業スマイルを作り「どうぞ、お座りください」と席を勧めた。


「急に予定を変えてしまって、すいません」


女子高生はもう一度申し訳なさそうに謝った。随分丁寧だなと感心する。

「いえ、いえ。大丈夫ですよ。こちらこそ、貴重なお時間いただきありがとうございます」

俺はそう言って「早速ですが、今後の打ち合わせをさせていただきます」と資料に目を落とす。

女子高生の名前はサキ、殺して欲しい人物は彼女の母親だ。母親と言っても血は繋がっていない、本当の母親はサキが幼いころに病死したらしい、今の母親は義理の母親だ。

よくある話で、サキと後妻は折り合いが悪く上手くいかなかったようだ。

しかし、それだけだったらまだ良かったのだが、最近サキの父親が死んでしまった。

サキの父親は資産家で、会社も経営していた。

そして死んだことによって、当然かなりの遺産が残される。

遺産は後妻と娘に分配されるのが法律で決まっている。しかし、サキは未成年でお金は受け取れるのはかなり先

しかも義母が後継人になったので、義母が全てを使える立場になってしまったのだ。それだけならまだしも父親が経営していた会社も、妻だったからと社長の座につき乗っ取って好き放題しているのだとか。

サキにとっては、赤の他人に全てを奪われたも同然だ。それでも未成年のサキには何も出来ない。

だから、殺しを依頼しにきたのだ。


「私としては、成人したら遺産を分けてもらって。二度と関わりあいにならないでおこうと思っていたのですが……母は父の残したお金で家の内装を全て変えたり。会社の経営もおざなりで毎日散財を繰り返しているんです」


そう言ってサキは悔しそうに視線を落とした。


「そうだったんですね……お気の毒に……」

「このままじゃ父親の残してくれたものも無くしてしまいそうで……でも、法律的には何も出来なくて……ですのであなたの会社にお願いしようと……」


サキの言葉は続かず、目には涙が滲んでいる。


「なるほど」

「今回の依頼を受けていただき、ありがとうございます。いっそのこと自分で手を下してしまおうかとも思っていたので。プロの方にお願いできるなら、心強いです」


サキはそう言って、涙をにじませながらも嬉しそうに微笑んだ。

俺も思わず、微笑み返す。こう言う時はやはりやりがいを感じる。


「それでは、一応こちらが用意したプランと見積りの説明をさせていただきます。もし何か要望や変更したいことなどあればおっしゃって下さい。そちらの予定などもあるでしょうから、その場合は要相談でプランの変更をさせていただきます」


俺は、そう言って具体的な打ち合わせを始めた。


「——以上でよろしいでしょうか?」


一通り説明が終わり、そう言うとサキは頷く。


「はい。それでよろしくお願いします」


そう言って、今回の打ち合わせは終了する。サキはさらに丁寧にそう言ってお辞儀をした。

若いのに本当に礼儀正しくて感心する。俺も頷く。

最初はどうなることかと思ったが、終わってみたら杞憂だったとホッとする。

こんな、仕事内容だからタチの悪い客は多い。注文をつけるだけつけて最後に値段を値切ってきたり。打ち合わせの時に恨みつらみを延々こちらにぶつけてきたりするのだ。

それに比べてサキは変な注文もなく、シンプルに証拠なく殺して欲しいと言う要望だった。金額もこちらの言い値で納得してくれた。交渉もスムーズにに終わったから予定より早く終わりそうだ。

これなら、今日の仕事の遅れも少ないだろう。

一息つくために、だいぶ冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。サキもホッとしたような顔をして、注文した紅茶に口を付けた。


「……そうだ。あなたは、死にたいと思ったことはありますか?」


少し沈黙が流れた後、サキが不意にそう言った。


「はい?……えっと……死にたいですか……」


いきなりで戸惑う。この質問は、どういう意図があるのだろうか。


「すいません、いきなり変な事を聞いて」

「ああ、もしかして。自殺をお考えですか?」

「え?」


俺は納得する、サキの複雑な家庭環境を鑑みればその可能性は高い。

サキが思春期なのも加わると、むしろそんなことを考えてないことの方が不思議な状況だ。社会に出て、ぼんやり死んだ方が楽なのでは?と思っている俺がいるくらいだからおかしくない。


「ご安心ください、我が社では自殺の幇助も請け負っております。自殺が怖い場合や、事故死に偽装したい場合など、ご要望にお答えしたプランもあります」


打ち合わせが順調に進んで気が楽になったことも手伝って、俺は快調に営業を始めた。


「……はあ」

「料金も殺しよりお安くなっております。もちろん途中で怖くなったりやめたくなった場合も対応させていただいています。結構躊躇される方は多いんですよ。ただし、キャンセル料金をいただくことになります。でもご安心ください、その後にまたご利用していただけた時は、値段は半額にさせていただきます」

「へえ、そんなこともされてるんですね」


少し呆気にとられてような顔をしたサキは俺の話を聞きながら頷きそう言った。


「自殺でも殺人ということに変わりありませんから、専門の我々に任せていただければ失敗することはありません、そして、どんな死に方も対応しております。特に死体の処理に関しては実績があります、完璧に消して行方不明者とすることも、美しい死体に仕立てることも可能です」


俺は営業用の笑顔を全力で顔に貼り付け、マニュアル通りの説明を喋る。

人見知りの俺にしては上手く出来たとホッとして、またコーヒーを一口飲んだ。

サキは俺が渡したパンフレットを眺め感心したように頷いている。


「なるほど。そう言われると多少お金がかかっても、お願いした方が安心できますね」

「ありがとうございます、そうなんです。例えば、賃貸の家で自殺をすれば家主に迷惑がかかるし。衝動的に線路に飛び込んだりすると、電車を止めたことによる賠償金は下手をすると何千万もします、それに比べるとご依頼いただいた方が格段にお安くすみます」


素直で、理解も早いサキに俺も気分が良くなる。このサービスは最近始まったもので、やる事は同じなのだからという理由だけの軽い理由で始まったものだ。

しかし、最初の予想とは逆に意外なことにこのサービスは人気が出て、今や重要な収入源になってしまった。下手をするとこちらの依頼の方が多い月まである。

俺が言うのもなんだが、なんとも世知辛い世の中になったものだ。


「それにしても、殺し屋さんがこんな方だとは思っていませんでした」


サキは少し笑ってそう言った。


「そうですか?」

「ええ、もっと寡黙で眉毛が太くて怖いイメージでした」


それを聞いて俺は苦笑する。


「それは、漫画のイメージがかなり強いですね……まあ、そう言う感じの人はいなくはないですよ。殺し屋にも色々いますので」


そう言うと、サキは感心したように頷く。


「そうなんですね。でも、優しそうな方で安心しました。私は未成年ですしもし断られたらどうしようと思っていたんです」

「なるほど。ご安心ください、今後もなにかありましたら、是非またご依頼お願いします」


そろそろ、営業用の笑顔が辛くなってきたなと思いながらそう言って、説明を終わる。

今日はなかなかいい仕事をできたと満足しながら、コーヒーを一口飲む。

俺は、腕時計にちらりと目線を写し、そろそろ終われるかなと考える。

これが、終わった後のスケジュールを思い出して気が重くなる。今日の仕事はまだまだ終わりそうにない。

そう思った時、また不意にサキが言った。


「もう一つ質問があるんですけど」

「はい、なんでしょうか?」

「なんで人を殺してはいけないんですか?」

「は?」


さっきまで人を殺す話をしていたのに、何を言ってるんだろうと思い、思わずそう聞き返してしまった。


「いや、こんな依頼をしておいて、何を言っているんだって感じですよね。でも世間一般、いや世界的にも人は殺してはいけないことだって言われているじゃないですか」

「ああ。まあ、そうですね」

「私もずっとそれが常識として生きてきました。でも、今回のことがあって改めて考えたら、不思議だと思ったんです。何で人を殺したら駄目なんだろうって。殺し屋さんはどう思いますか?」


——サキはまっすぐな瞳でこちらを見て、そう言った。


仕事がひと段落ついて、俺たちは街の片隅のガードレールに寄りかかり、次の仕事まで待機していた。


「お疲れ」


そう言って俺は二人の後輩に自販機の缶コーヒーを街の渡す。


「あ、先輩。あーざーっす」

「いだたきます」

「おう、缶コーヒーで悪いけど」

「それにしても、今日はなかなかきつかったっすね」


後輩は疲れた顔でそう言った。

打ち合わせが終わり、後輩達と合流した後ずっとバタバタ仕事を進め、やっと休憩に入ったのだ。

ガードレールに寄りかかってコーヒーを飲む。甘味が脳にしみる。

次の予定の事を考えた方がいいのだが、疲れて何も考えたくない。

そうして、ふと思い出して後輩に質問する。


「なんで、人を殺したら駄目なんだと思う?」

「はぁ?」

「いや、そうなるよな……」


俺は本気で意味が分からんという顔をした後輩に、今日依頼人に言われたことを説明する。


「へえ、そんな事を聞かれたんですか」

「そう、お前はどう思う?」


あの後、俺は苦笑いして適当にごまかして打ち合わせを終わらせた。正直、殺し屋にそんな事言われても困る。

しかし、後輩は迷いなく答えた。


「そりゃ、禁止されているからこそ殺しが楽しくなるからですよ。駄目だからこそ、楽しさが倍増するんっす。むしろ禁止されない殺しという行為をすることの意味がわからないっす」

「お前はいつもナチュラルにひどいな」


爽やかな笑顔を浮かべてそう言う後輩に、呆れながらそう言った。


「お前は?」


俺は寡黙な方の後輩にも聞く。そいつは少し考えた後。


「人殺しが駄目なのは、国の法律で禁止されているからです。国家は人がいて成り立つものですから、国として禁止するのは当然です。でも外交や国家間で紛争が起これば許されますし、正義になります。死刑制度もありますしね。結局のところ国の都合で変わるんです。だから、厳密に言えば人を殺すことは駄目ではないと思います。そう思わされているだけです」


真面目な顔をして、理路整然と一番物騒なことを言う後輩。


「ああ……まあ理屈はわかるけど、乱暴だな……」

「先輩はどう思うんですか?」


そう返されて悩む、サキに聞かれたときも思ったが、考えたこともなかったし、改めて考えてみても、明確な理由を言えない。


「まあ、単純に考えて動物の本能として、同族を殺すことに嫌悪があるからなんじゃないかと思うけど……動物は同族でナワバリなんかで争うことはあるけど、殺すまでは行かないからな」


でも、動物の中にもたまに例外的に同族を殺したりする種もいるから。あんまり当てはまらない気もする。


「え?そうなんですか?」


そう言うと、後輩がそう聞いた。


「ああ、ライオンとか群のリーダが変わると、その群れにいる子供は新しいリーダに殺されるんだ」

「うわ、それは残酷っすね」

「お前にそう言われたら、ライオンも心外だろうな。まあ、ライオンは早く自分の子孫を残すためにそうするらしいけどな。子供が死ねば雌を妊娠させられるから、殺すらしい」

「ああ、なるほど。それも本能なんっすね」

「そうなんだよ、だから動物の本能っていうのもいまいち納得できる答えでもないんだよな……」


缶コーヒーを最後まで飲み、ぼんやりとそう言った。考えれば考えるほどしっくりくる答えが見つからない。

ふと見ると、寡黙な方の後輩はまた本を読んでいた。こいつはこいつでマイペースだなと思った。


「今日は、何読んでるんだ?」


考えるのが面倒くさくなって、気をそらせるために聞いてみる。


「ドストエフスキーの『罪と罰』です」


後輩はそう言って表紙を見せてくれた。


「うわ、また難しそうなの読んでんな。有名な本なのか?」


そう言ったのはもう一人の後輩だ。俺はそれに答える。


「一応世界的に名作とされてる本だぞ。俺も大学の時、授業で読まされた。内容はほとんど忘れたけど……」


そう言いながら思い出す。読んでレポートを書かなくてはいけなかったのだが、なかなか読み進められなくて、苦労した思い出しかない。


「っていうか、『罪と罰』って人を殺した主人公が最後には行いを反省する内容じゃなかったか?」


なんとなく内容を思い出しながらそう言った。


「どんな話しなんですか?」

「あーたしか主人公が悪どい質屋を殺すんだけど、思いあまって他の人間も殺してしまうんだ。それで俺は偉大なことをするから人を殺すのはそのために必要なことだ、とか中二病みたいなことをいうくせに、警察に追いつめられたら簡単に自首して。刑務所に入るんだけど、優しい女の子に諭されてやっと最後に自分の考えは間違ってたって反省する話だったと思う」


とものすごく大雑把に説明する。


「まあ、概ねそんな話しです。でも俺、好きなんですよねこの話」


寡黙な後輩はそう言った。


「いや、でもさっきも言ったけど主人公は最後に反省してるじゃん。さっき言ってたことと矛盾しないか?」


俺は疑問に思ってそう聞いた。


「俺は、主人公が最初に主張してたことは間違いじゃないと思うんです。ただやりかたが悪いというか実行した本人が間抜けすぎて証明できなかっただけなんです。それに主人公は殺しに関しては反省してませんし」


後輩はキッパリとした口調でそう言った。


「……まあ、確かにそうだった。しかも殺しの手際も悪かったよな」


そう言いながら、微かに残った記憶を探る。

確か本当に行き当たりばったりで人を殺してしまっていた、そこら辺に置いてあった斧を使って雑に撲殺してるし。そのせいでもう一人殺す羽目になってしまった。

その後は、運良く偶然に違う人間が疑われてしばらく逃げられたが、それがなかったらすぐに捕まっていたはずだ。計画性のけの字もなかった。

当時の俺でも杜撰だなと思った気がする、今思うと本当にただの馬鹿にしか見えないし、殺し屋からしたら逆に見ていられない。


「そうなんですよ、主張することは正当性があったのに、本人がそれに値しない人間だったのが全ての原因だと思ってるんです。俺ならもっと上手くやれたし。主張の正当性も証明できます」

後輩は真面目な顔で、世界の名作を全否定した。


「本当にお前は、何気に物騒なことを言うな」


俺は呆れてそう言った。


「何か実行するにしても、仕事を片付けてからにしてくれよ……」


いつかなにかしそうなので、一応注意しておく。後輩はわかっているのかわからないが、はいと敬礼でもしそうな顔で言った。


「どっちにしろ、俺には読めそうにもないっす。っていうかさっきの話だとそんなに長い話でもなさそうなのに、上下巻あるんすね」


聞いていた後輩は顔を顰めてそう言った。俺は苦笑する。


「まあ、確かに。どうでもいい話がかなり挟まってたし。しかも主人公が同じようなことで何回も悩んだりしてて、そこが読むのが辛くなる一番の要因だった気がする」


主人公はどうやら鬱病のようで、躁と鬱を繰り返し同じ展開を何度もしていた。


「細かい内容はほとんど覚えてないな……あ……でもポチンコフって名前の奴が出てきたのが面白かったのを覚えてる」


それを聞いた後輩が吹き出す。


「なんっすかそれ、本当に名作なんっすか?」

「確か、出てたよな?ロシア人の名前だから別に下ネタじゃないんだけど」


そう言って寡黙な後輩に聞くと、後輩は頷く。


「いますよ、名前しか出てないですけど」

「マジかよ」


それを聞いて、後輩はとうとうゲラゲラ笑いだす。


「内容謎だし、下ネタじゃないっすか。逆に読んでみたくなったっす」


笑いながら言うそれを見て俺もつられるように笑ってしまう、覚えていたのがそれだけって言うのがまた間抜けだ。

結局話が逸れすぎて、ただの馬鹿話で終わってしまった。スマホで時間を確認すると次の仕事の時間が迫っていた。


「そろそろ次の仕事だな……行くぞ」


俺はそう言って休憩を終わらせ、缶をゴミ箱に捨てて立ち上がる。今日はスケジュールが狂ったせいでただでさえ押しているのだ。

俺はため息をつきつつ、次の仕事に向かった。

——その日は、少し遅くなったものの仕事はなんとか終わらせられた。

やっと終わったと思いながら、社に戻ると、帰り仕度をして出ようとした。

今日はなんの弁当にしようかと考えていると、そこに上司がやってきて飲みに行こうと言った。たまにこうやって上司に飲みに誘われる。断る理由もないので行かなくてはいけない。出来れば帰りたいと思いつつ「じゃあ、皆んなで……」と言おうとして周りを見たが誰もいなかった。


「あいつら……」


後輩達はとっくに帰ってしまっていた。空気を察してすぐ帰ったのだろう。

仕方なく一人で付いていく。

とは言え、上司と飲むのは嫌いではない、奢ってもらえるし。ただ長くなるので疲れるのだ。

いつも行く居酒屋に行き、とりあえず生でおつかれ様と言い合う。

上司とは付き合いも長い。しかし、最初の研修のトラウマからどうしても逆らえない。

いつものように飲み始めると仕事になる。


「今日の打ち合わせはどうだった?悪かったな急に入れて」

「いや、大丈夫です。打ち合わせは普通に進められましたよ。相手のからの注文も少なくて、こちらの見積もりも納得してもらえましたし。久しぶりにまともなお客さんで、ラッキーでした」

「この依頼をしてる時点でまともじゃないと思うがな。まあ、それなら順調に進みそうだな、明日からでも具体的に進めてくれ」

「はい、わかりました。いつも通りあの後輩達とで進めていいですか?」

「ああ、それでいい。そういえばどうだあいつら、そろそろ一人でやらせても大丈夫そうか?」


それを聞いて俺は考える。


「ううん、少し心配なところはありますが、一人でできる実力は二人ともあると思いますよ」


そう言うと、上司は難しい顔をして「少し心配なのか……」と呟く。


「一人はやる気がありすぎて暴走しがちで、一人は真面目すぎて応用がきかない感じなんですよね……」


俺はそう言って、ビールをぐびっと飲む。二人とも我が強いから何をするか読めないところがあるのだ。

人に何か教えるのは難しい。人によって性格が違うから、絶対と言える教え方はない。


「とりあえず、いきなり一人でやらせるのは心配なので。次ぐらいの仕事から、二人でやらせてみてもいいかもしれません」


そう言うと上司は頷く「まあ、それが確実だな……しかし、人手不足だからな……早いこと使えるようになって欲しいもんだけどな」そう言って頭を掻いた。

そんな話をしていると料理もそろい、飲みも進む。

酔いが回ってくると、今度は話はプライベートにも及んでいく。


「そういえば、お前相変わらず彼女もいないのか?だから男が好きなんじゃないかって言われるんだぞ」


上司にまでそんな事を言われて、思わず顔が歪む。


「勘弁してくださいよ、そんなこと言われても、出会いもないんですから無理ですよ」


俺は苦笑しながらそう答える。


「こんなことなら、前の彼女と結婚しちまえばよかったのに。なんで駄目だったんだよ」

「いや……あれは」


この話題は苦手だ、言葉を濁しつつどう答えるべきか迷う。


「仕事のことを言いずらいからか?ダミーの会社はいくらでも作れるしそれ用の名前も用意できるんだから問題ないだろ?」

「まあ……そうなんですけどね……」


そう言いながら、俺は元カノの顔を思い出す。

理由については正直はっきりと説明できる気がしない、俺自身が明確になにが原因だったのかよくわかっていないからだ。

彼女とは長かったから、そうなってもおかしくなかったのだが、結果として別れた。


「煮え切らねーな。結婚はいいぞ、少なくともいい経験にはなる」


上司はそうしみじみと言う。酔うといつもこの話になる。


「そういえば、娘さんはおいくつになったんですか?」


思い出して俺はそう言った。上司には娘がいる。やはり可愛いらしく、よく自慢げに写真を見せられたりする。

しかし、珍しくそれを聞いた上司の顔が曇った。


「高校生になった。実は、最近反抗期らしくてな……」

「ああ……」


まあ、年齢を考えればはよくある話だ。それでも上司にとってはかなりのショックだったようで「話しかけても無視されるし、お父さんの入った後にお風呂に入りたくないとか言われて……」と泣きそうな顔で話す。

仕事では怖い上司だが、娘に弱いようだ。


「いや、まあいずれは治るんじゃないですか?どうせいつかは子離れしないといけないでしょうし。それが来たと思って諦めるしかないんじゃないですか?」

「……それは、わかってる。妻にも言われた……しかし、嫌なものは嫌なんだ!」


上司はそう言ってとうとうテーブルにつっぷしてしまう。

その後も上司のそのグチは続き、それを聞いていたら、結局帰れたのは終電ギリギリだった。

家に帰りつくと、どっと疲れが出る。

酔っているせいでいつもより頭がぼんやりしている、せめてシャワー入りたいがそれすら面倒くさくなってきた。

しかし、明日も仕事だ。しかしこの状態では流石に仕事には行きたくない。

手早くすまそうと思って入ったが、結局気がついたらシャワーを浴びながら半分寝ていてかなりの時間がかかってしまった。

半分目が閉じた状態で、なんとか風呂場から出る。眠いのを我慢しながら髪を乾かし、歯を磨いた。適当に磨き終わったら、すぐさまベッドにはいる。

やっと眠れる、と思ったがいつものようにベッドに入ったら入ったで、いつものようになかなか眠れない。

仕方なく、明日の仕事のことを考えることに。しかし、頭がぼんやりして考えるのが面倒になる。

そのうち、上司の話に出た元カノのことを思い出した。

そういえば彼女といる時。そんな気もないのに、もし彼女を殺すならどのタイミングがいいかな、なんてぼんやり考えていたことも連動して思い出した。仕事の癖で、人を見ると、そんな事を考えるようになってしまった。

これは一種の職業病だ、と寝返りを打ちながら苦笑する。

彼女を一昨日見かけた時、彼女は仕事中だったのかスーツを着て早歩きで歩いていっていた。真面目な顔をして早歩きで歩いていたのが、なんだか面白かった。

喋ることも目を合わすこともなかったが、元気そうで何よりだと思った。

彼女とは三年くらい付き合っていたと思う、当時は好きだったから結婚も考えたし、事実その方向で話も進んでいたのだ。でも上司と話していた通り結局別れてしまった。理由は一つではないし、ハッキリこれといったことは無いのだが、一つ思いつくとしたら、彼女に言われた「仕事って何してるの?」という言葉だ。

嘘をついて適当な職業を言うことはできた。上司が言ったようにダミーの会社で偽装もできる、同僚の何人かはそうやって誤魔化して結婚している、だから別れる必要はなかった。

しかも仕事的にも結婚した方がよかった、その方が社会的に見て安定しているように見えるから都合が良のだ。例えば夜出歩いて不審がられても、結婚しているのとしていないのとでは大違いだ。だから上司も事あるごとにこの話を持ち出すのだ。

でもあの時、何故かあの質問で、なんとなく気が削がれてしまった。

そしてそのまま、何となくだんだんと彼女とも距離ができ、そのまま自然消滅してしまった。それ以来、彼女も作っていない。

別に結婚したくないわけじゃない、かといって何が何でもしたいとも思っていない。したいことが何も定まらずフラフラしている。

俺の人生は流されるばっかりで、行き先も決めてないのだ。わかっているのはこの先にぼんやりと死があることだけ。

いつだったかテレビで見た海に漂うクラゲに、やけに癒された。なんでだろうとおもったら、クラゲという生き物はほとんど泳ぐ力が無く海に流れにまかせて漂っているだけで、浜辺に打ち上げられたらそれでお終いというあらゆる意味で流れに流された生物らしい。

癒されたのは自分と似ていたからだろうと、何となく納得した。

将来に対する漠然とした不安はある。このままでいいのだろうか?とか結婚はやっぱりした方がいいのかとか。

しかし、結局何もする気が起きず、結局面倒くさいという結論に至ってしまう。そうして時間だけが過ぎていくのだ。

いっそのことレールが敷かれたような人生だったらもっと楽だったんじゃないかとさえ思う。

決められた職につき決められた相手と結婚、しかるべき時に子供を育てて定年になったら退職して老後。誰かが全てお膳立てしてくれたらいいのに。

まあ、レールに敷かれた人生だったらそれはそれで文句を言いそうだけど……

いっそのこと映画の殺し屋らしく、不遇な過去や悲惨な経験があったり、親を殺した宿敵を殺すために殺し屋になるなんて人生だったら簡単だったのにと思う、きっとこんなこと考えもしなかっただろう。

しかし、俺は普通の家庭に生まれて何不自由なく暮らしていたし、普通にちょっと反抗期があった後、大学を出てそのままこの仕事についた。

ちなみに親は今も健在だ、そしてたまに実家に帰ると彼女はいないのか結婚はまだかと言われる。

横になったまま目を開ける、部屋は真っ暗だが、そこかしこに置いてある電化製品の小さなあかりが光っている。目をすがめると、都会の夜空みたいに見えた。

そう思って、なんかいい事言った感じだったが別にそうでもなかったなと自分で自分に突っ込む。

相変わらず眠れない。

何気なくスマホを開く、SNSではみんな元気に囀っている。

ついでに、元カノが今何をしているのか検索してみた、確か本名で登録するSNSをしていた筈だ。

酔っているせいで、いつもならしないようなことをしてみる。

元カノは苗字が変わっていた。


「………痛っ!」


動揺して手が滑り、スマホが顔面に落ちてきた。

酔いが完全に覚めてしまった、今日は寝られそうにない。

俺は諦め、せめて体は休ませないとと思ってスマホを枕の下に差し込み、今度こそ目を閉じた。

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