第60話 勇者の弟子
そこは朝方とは打って変わって静かな空間だった。
窓から差し込む太陽の光。それに照らされた霧果は上体だけをベッドから起こし、ぶつぶつとうわごとを繰り返している。
それだけが、この部屋に響いている音だった。
「…………」
扉の軋む音に反応し、一瞬だけ霧果は俺の姿を捉える。が、すぐに視線を下に戻す。
刹那合った瞳には光が宿っておらず、まるで等身大の操り人形だ。
こういう時、一人にさせておくのが最善なのはわかっているが、自害の危険性を加味すると誰か一人は見張ってないといけない。
ここに来た初日は大変だった。
机に置いてあった果物ナイフを見つけた霧果が、何の躊躇いもなく自分の手首を切ったのだ。みんなで霧果を取り押さえて、案内をしてくれたシスターさんも悲鳴を上げ、ちょっとした騒ぎが起きた。以来この部屋には刃物の持ち込みを禁止している。
アテナの治癒魔法が無かったらと思うとゾッとする。
「……ねえ、お兄ちゃん。なんで私を殺してくれないの?」
ぽつりと漏らしたその言葉が胸に刺さり、言葉に表せない感情が渦巻く。
「今まで何度も何度も何度も、私を殺そうとしてきたじゃない。大学の時も、森で戦った時も、地下遺跡の時も。なのに、なんで今さら私を生かそうとするの?」
「それは……」
「お兄ちゃん、ヒーローになったんでしょ? だったら数え切れないほどの人間を殺したリカルメ・バイヤードを倒しなさいよ! 身内を贔屓するのが、お兄ちゃんの正義なの?」
「……お前はリカルメじゃない。霧果だ。お前は誰も殺してないし、これからも殺させない。それでいいんだ」
「よくないわよ! 今でもハッキリ思い出せるわ。内臓の色、焦げた肉の臭い、骨を折る感触、この記憶は私が人を殺した何よりの証拠じゃない! 私はもう戌亥霧果じゃない。リカルメなのよ……!」
霧果は両手で顔を抑える。既に涙は枯れており、泣く体力も残されていない。
このままでは埒が明かない。心の自然回復を待つには、リカルメの犯した罪があまりにも大きすぎる。
違法な薬に手を染めるのは不本意だが、忘却薬の話は渡りに船というものだ。
「とにかくだ、俺はお前を殺さない。少し出かけてくるから、その間に頭冷やせ」
そう言い残して、部屋を後にしようとした時、霧果の右手が紅く光った。
バチバチと激しい音を立てながら、稲光を纏った手を自分の胸に当てようとしている。
雷撃を心臓に流し、意図的に心臓麻痺を起こそうとしているのか!
「やめて! リカ!」
「っ! 『暴食球体』!」
右手に流動護謨を丸めた野球ボール大の物体を形成。それを霧果の右手に投げつける。
暴食球体が霧果の右手に触れた途端、球体に圧縮されていた流動護謨が大きく弾けて、右手から放出されていた稲妻をすべて飲み込んだ。
青色の粘液に包まれた霧果の右腕はそのまま壁に張り付き、身動きが取れなくなる。
人間態で作り出したものだから大した拘束力はないが、弱った霧果を押さえつけるには十分だ。
「いい加減にしろ」
自分でも驚くほどに怒気の含まれた声が出る。
霧果はビクリと肩を震わせ目を伏せた。
「お前がこの世界に来てそのボロボロだった命を救ったのは誰だ? 俺がこの世界に来るまでの半年間、お前は誰の世話になってきた? お前、自分がリカルメでもあると言ったな。なら、恩人の前で命を絶つなんてふざけた真似をするんじゃねえ!」
「……ごめんなさい」
霧果は意外とあっさりと自分の非を認めた。
こいつは俺と違って賢いやつだ。だからこそ、リカルメの業の深さを嫌というほど理解してしまう。
記憶の中にリカルメが居座っている限り、霧果は幸せになれない。一刻も早く、忘却薬を手に入れなくては。
◇
気晴らしと下準備を兼ねて街を練り歩くことにした。
最寄りの賞金稼ぎギルドに立ち寄り、酒場の一席に腰掛ける。
バイヤードになってから聴覚も少し鋭くなった。テーブルから聞こえる会話に耳を傾けて、有力な情報が無いか探り出す。
『何でこんなことに……! 私がいったい何をしたというんだ……!』
『ようし! お前ら飲め飲め! 今日は俺様の奢りだぁ!』
『復興作業の依頼のおかげでボロ儲けだぜ。バイヤード様様だな』
『ああ……家も無くなってこれからどうすれば……』
『いよっ! 今日も芸が冴えてるねぇ!』
先日の王都動乱で被害を受けた者の嘆きと、逆に騒ぎを利用して利潤を得た者の笑い声。ほとんどが歯牙にもかけない無意味な会話ばかりだ。
王都の復興作業は専門の建築師が執り行っているのだが、王都の四分の一が壊滅状態とあれば、どうしても人手が足りない。
そのため、多種多様な技術や魔法を有する賞金稼ぎたちにも声がかかる。
一から建築しなおす必要のある建物の完全破壊。怪我人の治癒。残党怪人、魔物の駆除など、依頼の数は山ほどある。
悲嘆と歓喜の山をかき分けて、俺は一つの会話にたどり着いた。
隅のテーブルで話している一組の男女。少年は耳長のエルフであり、少女は室内にも関わらず真っ黒なフードで頭を覆い隠している。
『つまり、北の村の領主の屋敷が薬の出どころなんだな』
『そ、そうだけど……。やっぱり辞めようよ。いくらなんでも相手が悪すぎるよ』
『なんだよ。怖気づいたのか? ならすぐにフーティアに帰れ。必殺の勇者は俺が継ぐからよ』
屋敷から流出する薬、おそらく忘却薬の話だ。
このハンター達からはなにか有力な情報が得られるかもしれない。もう少し盗み聞きさせてもらおう。
『修行の内容は100人の賞金首を生け捕りにすることでしょ? 捕まえる人の指定は無いし、あのリセルトを相手にしたら殺す気で挑んだって敵いっこないよ!』
『バッカ野郎! 俺はいずれあの魔王ヴィドヴニルを相手に戦う男だぜ? リセルト程度の壁は乗り越えてなんぼだぜ!』
うん。いまいち話の大筋がつかめない。
忘却薬の屋敷に関する話をしているのに、どうして魔王の名が出てくるんだ? それにこの男、必殺の勇者を継ぐって言ったか?
確か、100年前に世界を救った勇者の一人。ベルセウス、アテナ、キーロン、そして必殺の勇者ディーノ。
名前と異名をアテナから聞いただけで、具体的な情報は何も持っていない。だが、それを継ぐと言ったと言うことは、おそらくディーノの子孫、あるいは弟子にあたる存在か。
だとすれば彼らは弟子なのだろう。勇者一行にエルフはアテナだけだったはずだから、子孫というのはまずあり得ない。
それにエルフは長寿だから100年前に没した勇者の弟子であっても矛盾はない。
『とにかく! 俺はやってやるぜ! あの魔公爵リセルトを生け捕りに出来たら俺はもう霊翔弓の使い手として認められるはずだ!』
『ジャックくんまだ75人しか捕まえてないでしょ……。いくら魔公爵でも先生は1人としてカウントすると思うな』
二人の口から飛び出した単語に俺は驚愕する。
忘却薬流通に関わっているのはあのデュグラスと同じ魔公爵だというらしい。
確かにそんな奴がいる屋敷ならボタン一人では手が余る。というか、少しは懲りてほしいものだ。なぜ自ら魔人に関わりに行くんだ。
『う、うるせえ! ヤーチルだってまだ80人じゃねえか! どうせ普通のゴロツキ100人捕まえたところで、他の奴らがもっとすげえ悪人捕まえてたら意味がねえ! だったら俺がリセルト捕まえるしかねーじゃねーか!』
『うーん……。でも確かに私たちいずれ魔王と戦うんだよね……。よし、わかった! 私も行く!』
『お、さすが「蛮勇ヤーチル」だぜ! 俺の足手まといにだけはなるなよ?』
『それはジャックくんに付き合わされたせいでついたあだ名でしょ!?』
エルフの少年とフードの少女が席を立ちギルドを去っていく。
おそらく近日中に彼らは屋敷の主を捕らえに行くのだろう。現場で鉢合わせたら面倒だ。襲撃のタイミングをズラすために、もう少し彼らから情報を引き出そう。
珈琲の支払いを済ませて彼らの足取りを追った。
ギルドを出てすぐ彼らは別行動に出た。少年は宿に戻り、少女は切らした宝玉を買い足しに行くらしい。
どちらを追うか迷ったが、少女の方を尾行することにした。なんとなくだが、ジャックという少年よりしっかりした印象だったので、こちらから得られる情報の方が多いと思った。
ギルド近辺の宝石商は先日の被害を受けて復興途中のため、行商の集まる市へと彼女は向かった。
「暑い……。死んじゃう……」
少女はフラフラした足取りで道を彷徨う。しかしそれも無理はない。今日は一段と日差しが強く、少し走っただけで服の内側がじんわり汗で滲むような気温だ。そんな中で彼女は黒のフードに膝裏まで伸びる大きなマント、両腕を覆う手袋と、かなりの厚着をしている。
最初は単なる寒がりかと思っていたが、あの様子をみるとどうやら違うらしい。
その弱弱しい素振りを見ていると、確かに魔公爵に挑むのは無謀と言えるだろう。
屋敷どころか、市にたどり着くまでに熱中症で倒れるんじゃないか、そんな心配が脳裏をよぎった時である。
裏路地に通じる道から赤く、硬質な皮膚を持つ怪人が現れた。
突如として現れた怪人に人々はパニックを起こし逃げ惑う。
「クソッ! リゼル様は死んじまうし、リカルメ様は行方不明になっちまうし……! どうなってるんだ畜生!」
蟹の怪人、クラブ・バイヤード。
赤い皮膚と、両腕の巨大な鋏が特徴的な怪人だ。だが、皮膚が赤いのにはもう一つの理由がある。
彼の鋏に絡まっている腸の管。そして、地面に残される血の足跡。こいつは手あたり次第に街の人間を殺して八つ当たりをしているのだ。
だが、彼らにしてみればリカルメとリゼル、二人の司令塔を一日で失って混乱状態にあるのだ。自暴自棄になるのも無理はない。加えて、バイヤードには驚異的な身体能力と、騒ぎを起こした後身を潜めるための擬態能力を有している。
こうして前触れもなく、白昼堂々虐殺を行うのは珍しい事ではない。
「あ、ば、バイヤード! 確か王都に潜伏中の全バイヤードにも賞金がかかっていた筈……よし!」
少女は背中から丸い空洞が目立つ弓をクラブに向ける。
そして矢を力いっぱい引き絞り呪文を唱え始めた。
「天と地を繋ぐ不可視の領域。彼の暴君を穿つ一筋の刃と成せ。猪突瞬風!」
弓から放たれた矢は真っすぐにクラブの膝を捉えた。クラブが反応する間もなく、矢は怪人の足を貫き、動きを奪うことだろう。
これが、魔法を纏った攻撃であったのなら。
「あ……」
と、少女は声を漏らす。弾かれた弓を見て、宝玉が嵌っていなかった事に気づいたのだ。
いま彼女が放ったのは何の変哲もない普通の矢だ。相手が人間ならば効果覿面だろうが、甲殻を全身に纏うクラブ・バイヤードにはなんのダメージも与えられない。
甲殻と矢じりがぶつかり、空しい金属音が周囲に響く。
クラブが振り向くと弓を構えたフードの少女を視線を送る。明らかな敵対行為、こうなっては周囲に紛れて逃げ惑うことも難しいだろう。
「なんだお前。一人か? 弓兵ってガラじゃねえし、賞金稼ぎか?」
「あわわわわ……! いま宝玉切れてるんだったぁ! どうしようどうしよう!?」
慌てる少女は道端に落ちた石ころをクラブに向かって投げつける。
だが、矢の通らない甲殻に石をぶつけたところで状況は何も変わらない。
「えい! えい! え~~~~いっ!」
「はっはっは! そんなもん投げられたって痛くもかゆくも……え?」
余裕を見せていたクラブの声色が恐怖で濁った。
周囲の石を投げつくした少女が、石造りの道に乗り捨てられていた馬車の荷台を軽々と投げつけてきたからだ。
クラブの足元が大きな影ですっぽり覆われる。見ると荷台には大量の小麦粉がまだ載せられており、その質量はおよそ1トンを超えるものだ。
「ま、マジかよ!? うおぉ!?」
クラブは横に跳び荷台との衝突を避けた。しかし一息つく間も無く次の攻撃が遅いかかる。
ポプラのような街路樹を見つけた少女はその幹に抱き着く。すると少女は力ずくで街路樹を根こそぎ引っこ抜いた。地面には亀裂が入り、舞い散った土が彼女の服を汚している。明らかに人間の力ではない。
ここで俺はある可能性に思い至る。この少女もおそらくバイヤードなのではないだろうか?
力のあるバイヤードであれば、人間態でもある程度身体能力を引き出すことが可能だ。先ほど俺が彼女たちの会話を盗み聞きしたように。
だが、なぜ彼女が怪人態にならないのかがわからない。
すでに周囲に人はおらず、俺も物陰から観察しているだけだ。正体がバレる危険性もないのに、人間態にこだわる理由はなんだ?
いや、そもそもなんでバイヤード同士で争う? 司令塔が消えたからといって、ここまで混乱するものか?
「わかったぞテメエ! 記憶が戻ったバイヤードだな! リゼル様が死んだことで記憶が蘇った口か!?」
クラブの言葉で得心がいった。
そうだ。リゼルに記憶を操作されていたのは霧果だけじゃない。きっと他にも大勢のバイヤードが人間としての記憶を失っていたはずだ。
そんな人たちが人間の記憶、心を取り戻したというなら、怪人やゼドリーに歯向かう者が出てきてもおかしくない。
それは一種の革命だ。
もはやバイヤードを単なる悪の怪人集団とまとめることは出来なくなる。善も悪も混濁した一つの種族の誕生だ。
少女は返答代わりに街路樹を振り下ろし、クラブのいた道を抉り取る。
紙一重でそれを避けたクラブは少女の元へと走り抜ける。振り下ろすのは一瞬だが、再びこれだけの質量を持ち上げるには時間がかかる。それを見越しての行動だろう。
「怪人態には抵抗があるか? だけど、それがお前の敗因だ!」
「きゃああああっ!」
クラブの鋏が少女の胴を掴む。その際にフードがめくれて少女の顔が露わになった。
ウェーブのかかったセミロングの青髪。赤い瞳。純白の肌。
美しい顔だ。と素直に思った。しかし、そんなのんきな事を考えている場合じゃない。
すぐに助けに行かなければ!
……助けに?
いや、必要ない。俺はもうヒーローじゃないんだ。人助けなんてする意味がない。
バイヤードは人間だ。それを何人も殺してまわった俺はただの人殺し。今さら力を振りかぶって善人ぶるなんて虫が良すぎる。
第一、襲われている側だってバイヤードだ。俺が出ていかなくても自力でなんとか出来るだろう。
「ゃ……だぁ! 誰かぁ!」
「こんな女に化けてた奴いたっけな? まあいいや。このまま挽き潰して終わりだ」
「助けて……死にたくな……ゔっ!」
本当に嫌になるぜこの身体は。
か細く弱い悲鳴なのに、耳元で叫ばれてるみたいによく聞こえる。
「……呪射撃」
右腕を怪人化させ、人差し指と親指で銃の形を作る。
指先に緑色のエネルギーが集まり、釘のような形の弾を形成、そして射出した。
音もなく迫る弾にクラブは気づかず、無防備な首を緑の弾が貫いた。
「ぴょ?」
喉笛を撃ち抜かれ、笛のような奇妙な声を上げるクラブ。
困惑している間に、五発の弾を脳天に穿つ。堅牢な外骨格に囲まれた頭だったが三発目でヒビが入り、残りの二発で奴の脳漿をかき回すことに成功した。
「ぁ……ぶぇ……!」
クラブは俺の存在に気付くことなく絶命し、その場に倒れ伏した。
恐ろしいほど簡単な作業だった。レヴァンテインの力がちっぽけに思えるほど。
しかし、結局助けてしまった。そう簡単に人は変われないということだろうか。
唯一変わったことがあるとすれば、人間を救うことそのものに喜びを見いだせないというところだろうか。
レヴァンテインとして人の命を救ったときは心の内側から喜びの感情があふれ出したものだ。襲われてた人が生きている事がなにより嬉しかった。
だけど今は逆だ。
なんで人間なんか助けてしまったんだ。という後悔の念が溢れる。あんなゴキブリみたいなおぞましい生き物を。姿かたちが似ているだけの下等生物、忌まわしい劣等種を――――
「あ、違う。あいつ確かバイヤードだったんだ」
そのことに気づいた瞬間。心に渦巻いていた負の感情がスッと引いていった。
青髪の少女は地面に倒れこみ赤い瞳で俺を見つめる。
「あ、貴方は……」
「レヴァンテインに助けられるとは思わなかったか? あいにく、俺も今は人間じゃないからな」
「レヴァン……? なんのことかわかりませんが、一つお願いを聞いてもらえませんか?」
なにか妙だ。レヴァンテインを知らない? そんなはずはない。この世界のバイヤードは全て俺がディメンションバニッシュで転移してきているのだから。
それとも、この少女はバイヤードじゃないのか?
だけど、人間じゃないのは間違いない。ただの人間に、荷台をなげたり、大木を振り回す怪力が備わっているはずもないのだから。
すると、日に照られた少女の白い肌に異変が起きた。
純白の肌は色を失い、表面から粉を吹き荒れていく。否、粉ではない。これは灰だ。
彼女の身体はどんどん灰と化して崩れていく。服で覆われている部分はなんともないが、日の当たっている部分の崩壊速度は尋常じゃない。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「お願いです……。私を日陰に運んでください……。それと、」
次の言葉を紡ぐ彼女の口内に、俺は人間のものでないソレを見つけてしまった。皮膚も肉も突き破れる、立派な牙だ。
牙、日を浴びて崩れる身体、人間離れした怪力。
ファンタジーに疎い俺でも彼女の正体が容易に推察できた。
「貴方の血を、飲ませてください……!」
彼女の種族は吸血鬼だ。





