第59話 記憶
前回までのあらすじ。
王都全体を巻き込んだ戦いの果てで、リゼル・バイヤードを遂に討ち取った。
王都に蔓延っていた魔物や怪人たちも手を引き始め、霧果の記憶を取り戻した。
だが、完全勝利というには少し犠牲を出しすぎた。
城下町の死傷者はおよそ3000人にも上り、建物の復興にもまだ時間がかかる。
そして、俺、戌亥浩太は散々忌み嫌っていたバイヤードに身を墜とした。馬の怪人ホース・バイヤード。それが俺の新しい名前だ。
それに関してはいい。別に犠牲だなんて思っていない。
むしろ、いつ不具合が起きて使い物にならなくなるガジェットたちに身を預ける必要がなくなった事に安堵としているくらいだ。
だが、予想外の事態が一つ起きた。
霧果は人間の記憶を取り戻すなり、俺に対して「殺してほしい」と懇願してきたのだ。
その時は酷く混乱したが、考えてみれば当然のことだ。
今のあいつには霧果とリカルメ、その両方の記憶が存在しているのだから。
◇
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ! 許してぇ! 許してぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「リカっ! しっかりして! 大丈夫だから! もう全部終わったんだよ!」
滝のような汗をかきながら霧果は木組みのベッドの上で暴れだした。
心を落ち着けるため眠りにつかせていたが、霧果は常に悪夢にうなされ苦しげな呻きをあげている。かと思えば今のように悲痛な叫び声を上げながら手足を振り回しながら飛び起きるのだ。
記憶が戻ってからはや三日。俺とアテナはずっと付きっきりで霧果を傍で見守っている。
「ぁ、あぁ。夢……じゃない。私は、人を、あんなにたくさんっ……うぉぇぇぇえええええっ!」
口から黄色い液体を吐き出す霧果の背中をアテナが優しく擦る。
この三日間霧果はろくに食事を取っておらず、ただの胃液を何回も吐き出していた。
霧果は記憶を取り戻しただけで身体は依然バイヤードのまま。加えてアテナの治癒魔法もあるので、身体の心配をする必要はないのかもしれないが、それでもこの状況は見ていて痛々しい。
どれだけ身体の健康を維持したところで、心が死にかけでは意味がない。
「霧果。何度も言うけど、あれはリカルメがやったことだ。お前は身体を化け物に乗っ取られていただけ。お前は何も悪くない」
「ごめんなさい、ごめんなさいごめっ、ごめんなさ……!」
毎朝、目が覚めてからしばらくはこの状態が続く。リカルメとして人を殺した悪夢がしばらく脳裏にこびりついているというらしい。
今の霧果には俺やアテナの声も届かない。それよりも強い死者の声が木霊しているのだ。
正直見ていられない。
リカルメにこれまでの悪行を死ぬほど後悔させてやろうと思ったことは何度もある。だからといって、こんな形で叶わなくてもいいだろうに。
「イヌイコータさん、少し休んでください。もうずっと寝てないでしょう?」
「平気だよ。人間辞めたおかげか、眠くならないんだ」
「自分の疲れに気づいてないだけですよ。せめてご飯だけでも食べてください。人間じゃなくても休息は必要です」
「……だけど」
リカと半年以上暮らしていた彼女に確信を持ってそう言われると、こちらも強くは断れない。
それに霧果ばかりに構っているわけにもいかないのだ。霧果の記憶を取り戻すという大目的は達成したが、その過程で被った罪や、王都に潜伏しているリゼルの部下たちは依然そのまま放置している。
罪の方に関してはエリッサが国王を直接説得してくれているらしく、時間が解決してくれる問題ではあるだろう。しかし、結局は自分の問題だ。いつまでも人任せというわけにはいかない。
「わかった。霧果のことは任せる」
そう言うと、アテナは優し気に頷いてリカの介抱を再開した。
俺は辛そうなリカの顔に背を向けて部屋の扉を閉めた。
◇
天神教会。
天界に住まう天神族を祀る多神教の宗教団体である。
女神キーロンの使いであるシオンの紹介で、俺たちはしばらくこの教会に泊めてもらえる事になった。
この教会はキーロン派の信徒が司祭を務めていることもあり、俺たちの素性を知りながらも快く匿ってくれた。
「おはようございます。いい朝ですな」
教会の庭を散歩していると、サンタクロースを連想させる立派な白ひげの老人が話しかけてきた。この人がキーロン派の司祭様だ。
「どうも、毎度騒がしくしてすみません」
「いえいえ、ここには彼女のように心の傷を抱えた信徒も多い。リカさん、でしたかな? 彼女は洗礼を受けていませんが使徒シオン様の客人であれば、信徒でなくとも懺悔を聞き入れましょう」
よっぽどシオンのことを信頼しているのか、それとも器量の大きい人間なのか。
この人は嫌な顔一つせずに霧果のメンタルケアをしてくれている。俺と同じく無宗教の霧果だが、あれだけメンタルが弱っていると神にでも縋らなければ生きていけないだろう。
そのうち本当にここの信者になってしまうかもしれない。あいつの心が治るのなら、それもいいかもしれないが。
「そういえば、シオンはどこに? 最近見かけないんですが」
「ああ、シオン様は魔公爵とバイヤードの残党を探しに王都を巡っております。将の首を取ったとはいえ、まだまだ平穏無事というわけにはいきませんからな」
「バイヤードはわかるけど、魔公爵がまだ王都にいるんですか?」
「ええ、王都は王族の魔力で展開している光の結界により守られています。ですがそれは、魔公爵を閉じ込めえる檻でもある。破壊された形跡が見つからない以上、まだ王都のどこかに潜んでいると考えるのが妥当でしょうな」
そうか、あの時は霧果の記憶を取り戻すのを最優先にしていたから気にも留めていなかった。
魔公爵デュグラス。奴がリゼルと手を組んでいたということは、必然的にあいつはゼドリーと繋がっているという事だ。
ならば、あの時見逃すべきではなかった。拷問してでもゼドリーの居場所を吐かせるべきだった。
霧果の記憶を奪ったリゼルは殺した。なら次は、霧果を化け物に改造したゼドリーを殺す番だ。
「しかし……、もう一方の客人は困ったものですな。盗賊ボタン。懺悔の意思さえあれば我々はどんな重罪人でも受け入れますが、彼の心に反省の意思は欠片もない。隙あらば教会のお布施や金製の像に手を出そうとする。まあ、幸いすべて彼の妹さんが止めているようですが」
あいつ……そんな事をしていたのか。
ボタンを地下牢から救出したのは俺たちだから、少し罪悪感が生まれる。やっぱりあのまま処刑しておけばよかったんじゃないだろうか。
「おっと、そろそろ祈祷会の準備を進めなければ。では私はこれで……」
そう言うと司祭様は教会の中に戻っていった。
姿が見えなくなるのと同時に、俺は背後の木に向かって話しかける。
「テメエ……。俺の妹が大変な時期に何してくれてんだ……? 俺たちまとめて追い出されたらどう落とし前つける気だ? ゴラァ!」
「うぉっ! あぶねっ!」
俺の振りかぶった拳をボタンが間一髪のところで避ける。なんだか無性に殺してやりたくなる。これがバイヤードの殺人衝動ってやつなのだろうか。
「なんかお前性格変わってねえか? 初めて会ったときはやたら正義を振りかざしてたのに、急にチンピラみたいになりやがって」
「ほっとけ、昔に戻っただけだ。俺は元からこんなんなんだよ」
喧嘩に明け暮れていた不良時代を思い出す。
元々荒事には慣れていたので、レヴァンテインに初めて変身した時もそれなりに戦えた。俺が変身者に選ばれたのはそういう事情もあるのかもしれない。
……まあ、怪人に堕ちた今となってはどうでもいいことだが。
「それで、何しに来た? まさか免罪も済んでないのに町に出ようってんじゃないだろうな?」
「ハッ! 元からそんなの期待してねえよ。俺は根っからの盗人だ。あの変態女がなかったことにしようとしてる罪はお前らだけだろうよ」
「……そうか。まあ、お前がどこでとっ捕まろうと俺の知ったことじゃない。ここの居心地が悪いなら勝手に出て行けよ」
「いやいや、そうは行かねえぜ。俺はお前をスカウトしに来たんだからよ」
「……は?」
途端にボタンの雰囲気が変わる。
まるで取引相手にゴマをする商人のように胡散臭い態度だ。
「あんた、リゼルとかいうバイヤードをぶっ倒すだけじゃなく、あの魔公爵を圧倒する力を手に入れたんだろ? その力をちょっと借りたいんだよ。城で報復の右手を盗み出したみたいにさぁ」
「くだらねぇ。これはそんな事のために受け入れた力じゃない」
話を聞く価値もない。そう思って、霧果の部屋に戻ろうとした。
「俺が狙ってる屋敷に、あんたの妹を救えるアイテムがあるとしても、か?」
ボタンのその一言に俺は思わず足を止めた。
振り返るとニヤケ面を晒したボタンが手招きしている。
「……話だけなら聞いてやる」
「そう来なくっちゃな。まず、あんたの妹の状況についてだ。シオンとパラスの会話を盗み聞きして得た情報だが、リカって女は元々人間だった。だけど、怪人になってからは人間の記憶を失い、自分を化け物と思い込み生きてきた。ここまで合ってるか?」
「ああ」
「そして三日前、あんたがリゼルの怪人をぶち殺したせいで人間だった時の記憶が蘇る。いまあの娘の頭には人間だった時の記憶と怪人として人を殺していた時の記憶が混在して、精神がぶっ壊れている。そうだよな?」
「……ああ」
そう。人間の記憶さえ取り戻せば、全部解決すると思い込んでいた。
だが、俺は結果的に人殺しの業を霧果に背負わせてしまったのだ。あいつは何度も何度も自殺まがいの事をする。リカルメの犯した罪が大きすぎて、それから逃れようとしているのだ。
「だったら話は簡単だ。今度は逆に、あんたの妹から怪人だった時の記憶を無くしちまえばいい。罪の記憶に耐えられないなら罪の記憶を捨てればいいのさ」
「なるほどな。だが、残念ながら霧果はお前みたいに開き直れるほど恥知らずじゃない。そうそう罪の意識なんて消せるかよ」
「違う違う。消すのは意識じゃない。記憶だ。怪人になった時と同じように、あの娘の記憶を操作すればいいって言ってるんだよ」
「そんなもの出来るわけがないだろ。記憶操作が出来るリゼルは俺がこの手で殺した。リゼルが生きてれば、どんな手を使ってでもさせていたがな」
「それが出来るんだよ。忘却薬を使えばな」
頭上に疑問符を浮かべた俺に対して、ボタンは忘却薬の説明を始めた。
忘却薬とは裏ルートで取引されている禁止薬物の一つ。
その名の通り、効能は記憶の消去。闇属性の魔力が込められて作られた、魔道具の一種だ。
従順な奴隷を育てるため、攫われる前の記憶を消したり、敵に捕まったスパイが情報を吐かないように自らの頭を空にするために使われているらしい。
確かにそんな薬があれば、霧果を苦しみから解放できるかもしれない。
「その薬、本当にお前の獲物の屋敷にあるんだろうな?」
「ああ、間違いねえ。実は昔から狙ってた場所なんだ。下調べは十分にしてある」
いいだろう。俺はこの身体を手に入れると同時に正義を捨てた。
霧果を助けるためなら、盗みだろうが殺しだろうがなんでもやってやる。
「へへ、いい顔してんじゃねえか。近いうちに決行するから、お前もここを出る言い訳考えとけよ」
そう言ってボタンは姿をくらました。辺りを見回しても奴の背中はどこにも見えない。
存在を操作するのが上手い奴だ。伊達に盗みで食ってないってことか。
「……さて。そろそろ霧果の様子も落ち着いた頃だろう」
俺は再び霧果の部屋へと足を運んだ。





