第57話 正義に人は殺せない
リゼル・バイヤードの三つの能力。
念動力、瞬間移動、精神感応。
第三の能力、精神感応を応用することで奴は味方の都合の悪い記憶を消去し、ゼドリーに準ずるよう仕向けていたのだ。
おそらく先の撤退後、リゼルはリカの記憶を消しなおしたのだ。リカに俺たちと戦わせるために。
「アテナどいて。そいつ殺せない」
右手に紅い稲妻を溜めながらリカがこちらを睨む。
その表情に迷いは無い。躊躇いもなく俺を殺すことだろう。
「どかないし殺させない。どうしてもっていうなら、力ずくでどかしてみてよ」
アテナの挑発に乗せられたのか小さく「擬態解除」とつぶやいたリカは、触手を纏った紅い怪人、リカルメ・バイヤードへと変貌する。
「はぁ。リゼル」
リカが奴の名前を呼んだ瞬間、リカの姿が目の前から消えた。
リゼルの左目はリカが立っていた場所に向いており、瞬間移動を使われたのだと理解した。
「紅ノ雷砲!」
反対側からリカの声が聞こえて再び紅い閃光が迫ってくる。
現在メルカバーフォームウォールモード。避ける速度は持ち合わせていないが、攻撃を受け止める耐久力はある。
今度は俺が盾になる番だと防御姿勢を取るが、アテナは俺の背後から飛び出し、右手に持った天界神器:報復の右手を突き出してこう唱えた。
「紅ノ雷砲」
すると、報復の右手の槍先が紅く放電しはじめ、稲妻の砲撃がリカに向かって放たれた。
「……!?」
双方から放たれた紅ノ雷砲が激突し、爆音を轟かせながら霧散していく。
怪人態のため表情は読めないが、心中取り乱しているに違いない。
「いまのは私の……? どうしてアテナがバイヤードの技を使えるのよ!」
「人間の姿に戻って、改心したら教えてあげる」
報復の右手を構えなおし、今度は白い冷気を槍に纏わせ始めた。
リカは警戒して触手を周囲に展開する。
「ほう、これが噂に聞く報復の右手の再現能力ですか。いやはや、なかなか面白い技をお持ちで」
リゼルはニヤニヤ笑いながらアテナを見る。こいつはこの国の大臣に擬態していたのだ。勇者の能力について一通り知っていてもおかしくないな。
俺はアテナ本人から聞いたのだが、報復の右手の能力は『脅威の再現』だ。
守護の左手で吸収した『脅威』は守護の左手内に保存される。そして、神器使いの肉体を媒介して『脅威』を報復の右手に転送し、槍先から再現された『脅威』を相手に放つ。
これが守護の左手と報復の右手。
攻防一体のこの戦術こそが矛盾の勇者アテナ=グラウコピスの真骨頂だ。
「真相はシオンから聞かせてもらった。リゼル、お前を倒して霧果を開放させてもらう……!」
重たい足音を響かせながらリゼルの目の前まで歩を進める。
一歩も退かず、眼鏡越しに俺の目を見据えるリゼル。
ユリ博士が開発してくれた新必殺技、ディメンションクラッシュ。こいつを一発当ててすべてを終わらせる。
《-----DIMENSION CRASH----》
《-----Ver. MERKABAH ----》
鉛のように重たくなった右拳をリゼルの顔面向けて振るう。
「擬態――」
拳が頬を掠める僅か一瞬、リゼルの肉体が消失した。
「――解除」
リゼルが紫の怪人態となって顕現した時には拳は虚空を殴り抜けた後だった。次の瞬間、目の前にアテナが現れる。
「!?」
否、俺がリゼルに瞬間移動で飛ばされたのだ。このままでは振りぬかれた拳がアテナに衝突してしまう。
しかし、この程度の事は想定内。
事前に打ち合わせた通り、アテナは冷静に守護の左手を前に突き出した。
俺もさらに勢いをつけて殴りつける。
金属同士がぶつかっているのに、音がしない。俺の攻撃そのものが消去されているのだから、それも当然のこと。
アテナは即座に守護の左手で受け止めた『脅威』を報復の右手で再現し始めた。
「ディメンションクラッシュ!」
報復の右手の槍先が歪な力場でとぐろを巻く。
アテナは重たそうに報復の右手をリゼルに向かって投擲した。
予想外の反撃にリゼルは避ける動作も間に合っていない。
報復の右手とリゼルの距離は目と鼻の先だ。
「小賢しい真似を……!」
周囲の瓦礫が宙に浮きリゼルを守るように石の壁が造り上げられた。
報復の右手の槍先が壁に触れると、ディメンションクラッシュの爆縮反応により、巨大な石の塊がビー玉のような大きさに圧縮されてしまった。
だが待て、今の挙動何かがおかしい。
瞬間移動を使われたのなら、瓦礫が一瞬で間に現れるはずだ。なのに、地面から一直線に宙を漂い、あまつさえ壁の形を維持しているだと。
そんな真似、念動力を使わなければ不可能だ。
だけど、それを使うための右腕はグランレンドが跡形もなく消し飛ばしたはずだ。今の現象はいったい誰が……?
「やれやれ、出来ればもう少し隠しておきたかったんですがね」
「お前、なんだよそれ……!」
リゼルの右肩からは、子どものように短く細い手が生えていた。その手のひらにもまた、小さくつぶらな眼球がこちらを見ている。
治癒魔法で無くなった腕を再生するのは不可能だとアテナは言った。リゼルが腕を取り戻すことなんてあってはならないはずなのだ。
「お忘れですか? 私だってこの世界に来て覚醒したバイヤードの一人です。……残念ながら身体能力は大して上昇しませんでしたが、新たに第四の能力、再生を身に着けたのですよ。形はまだ拙いものの、念動力が使えるレベルまで回復できれば十分です」
また面倒事が増えてしまった。精神感応と瞬間移動の二種だけならなんとか俺一人でも対応できると思ったのだが、念動力が復活しているうえに新しい能力まで覚醒していたなんて。
いや、弱気なことは言ってる場合じゃない。しっかりしろ俺!
奴の右腕を見る限り再生の速度はそれほど早くない。つまり、ディメンションクラッシュの一撃で倒してしまえばそれで終わり。やるべき事は何一つ変わってない。
念動力にしたって、あの腕じゃ大した出力にはならないだろう。レヴァンテインの動きを止めるほどの力は無いはずだ。
「ユリ博士、空中戦の準備を頼む」
『ドクターリリィだ。わかった。旋風車輪起動!』
かつて地球でリゼルと戦った時は『赤』のエーテルディスクを使った。
レヴァンテイン フェニックスフォーム。人工翼を展開し、高速で空を舞う飛行形態。
奴は力を発動するのに対象を目で追う必要がある。ならば、目にもとまらぬ速さで空を駆け抜ければリゼルの攻撃は当たらない。
だが、いま手元に赤のディスクは存在しない。黄のメルカバーフォームだって地上戦に特化した形態だ。
だけど、「出来ない」なんて理由でヒーローが諦めるわけにはいかないんだ!
『離陸!』
両肩の旋風車輪が地面を向き、そのまま回転駆動を始める。
竜巻のような風を地面に押し当てることで浮力が発生し、まるでヘリコプターのように俺の身体は空へと浮かんだ。
かなり無茶な使い方だ。ユリ博士に細かい操縦を任せていなければ俺はあられもない方角に吹き飛んでいたことだろう。
だからその分俺は戦闘に集中しなければいけない。
地上のリゼルを目視で確認。緑のエーテルディスクをレヴァンスラッシャーに装填。
《----Disk Set Ready----》
《----GANDR DESTRUCTION SLASH----》
緑のエーテル光が刀身を通して斬撃へと変わる。
はるか上空から、ライフルの狙撃のように緻密な閃光がリゼルの元に放たれた。
リゼルは斬撃が直撃する寸前に瞬間移動でその場を離脱。
そして、レヴァンテインの背後まで一瞬で駆け付けた。
「そんな戦法が何度も通じると思わないことですね。それにここまで近づけばこんな腕でも装甲ごと握りつぶすことだって……!」
「本当に、お前は人の背中を取るのが好きだな」
リゼルは俺の声が聞こえた方角、すなわち下を向いた。
奴の目の前でメルカバーフォームの黄色い装甲がバイクに変形していく。素体である俺自身は一足先に落下中だ。
剣に装填したエーテルディスクを手動で回転させる。
《----Disk Set Ready----》
《----GANDR DESTRUCTION SLASH----》
胴を捻り、突きの斬撃を上空に放つ。緑の閃光が一直線に奴の左手の甲を貫いた。
「ぐぁァッ!?」
心臓を狙ったつもりだったが、落下しながら撃ったせいで少し狙いが逸れたらしい。
もう一発撃ち直すか? いや、そろそろ落下の衝撃に備えないと。
「エーテルチェンジ!」
《-----Complete LÆVATEINN SHOGGOTH FORM-----》
青のエーテルディスクをレイバックルに装填し、物理遮断のショゴスフォームに変身する。
全身の物質を流動護謨に変換。
地面と衝突し、身体がバラバラに飛び散った。すぐに寄り集まり、頭から人型を形成していく。さながら水たまりから這い上がる人間のように。
《-----Complete LÆVATEINN GANDR FORM-----》
エーテルディスクを黄から緑に入れ替えガンドルフォームに変身。
落下してくるリゼルに照準を定め、弾丸を射出。
リゼルは幼子のような右手を前に突きだし、念動力の防壁を展開。奴に放った弾の軌道がズラされた。
《-----Complete LÆVATEINN GENESIS FORM-----》
今度はディスクを白に変更。ゲネシスフォームだ。
跳躍補助装置で横にステップ。リゼルが地面に着地したのと同時に、必殺技ボタンを3回押す。
《----OVER DRIVE----》
奴はまだ左手の負傷を再生出来ていない。いまなら瞬間移動で逃げられることも無いだろう。
ディメンションクラッシュで終わらせる!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
背面のブースターを起動しリゼルに跳び蹴りを放つ。
これで、終わりだ!
《----Low battery. The remaing 0%----》
だけど、それは無慈悲に告げられた。
《----Form Release----》
「……ッ!」
リゼルに足が当たる一歩手前、そこでバッテリーが切れたのだ。
わかっていた。リカが離脱し、充電が受けられない状況で、レイバックルの破損。そして自己修復機能をフル稼働させていた影響でバッテリーは著しく消耗していた。どうやらここでタイムオーバーらしい。
だからどうした。
地面に身体を叩きつけられ、その衝撃で手持ちのエーテルディスクをぶちまけてしまう。
全部拾ってる暇は無い。黄だ。黄のディスクを探せ!
足元に落ちている黄のディスクを拾い上げ、レヴァンスラッシャーに装填。
《----Disk Set Ready----》
レヴァンスラッシャーから待機音が流れる。
まさか、また生身でディストラクションスラッシュを撃つ時がくるなんて。
ゲネシスの時でも腕にはかなりの負担がかかっていた。メルカバーの斬撃なんて放ったら、一撃で腕が引き千切れるかもしれない。
「止めときなさいな。いくら私が負傷中とはいえ、そんな攻撃当たりませんよ」
「五月蠅い。俺はなんとしてでもお前を倒さなきゃいけないんだ。リカの、霧果の洗脳を解くためにッ!」
「洗脳? あなた何か勘違いしていませんか?」
俺の言葉を聞いたリゼルは嘲笑しながら続けた。
「私がしたのはあくまで人間だった頃の記憶の消去。その後彼女がゼドリー様に忠誠を誓ったのも、人間を大量に虐殺したのも、全部彼女自身の意思なのです」
「適当なこと言うんじゃねえ」
「いえいえ、確かにゼドリー様はそう言った命令を下しましたがね? リカルメさんは初の殺人も躊躇いなく実行しましたよ。この私ですら初めての殺人は手が震えたというのに、リカルメさんはとても楽しそうに人を殺すんです。よほど人間に恨みを抱いていたんでしょうねぇ」
「黙れッ!」
惑わされるな。本当に霧果が根っからの快楽殺人者だったなら、わざわざリゼルが記憶を消す必要なんてない。
記憶を消した上で、新しい価値観を植え付ける。これは立派な洗脳だ。
レヴァンスラッシャーを掲げて、引き金に指をかける。
「ディストラクション……!」
「いやぁっ!?」
剣を振るう手が一瞬止まってしまった。一瞬のうちにリゼルが腕の中に逃げ遅れた女性を抱えていたからだ。
フッと手が軽くなった。
見ると、俺の手からレヴァンスラッシャーが消えている。そして、リゼルの手には黒い剣が握られていた。
「フハハハハハハッ! やはり人間ごと私を斬るのは躊躇いがありますか? 正義を名乗る以上、人質は無視できませんよねぇ?」
左手に付けた傷はそんなに深いものじゃない。もうすでに瞬間移動を使えるレベルに再生されたのか。
よく見ると幼児のようだった右腕の方もほぼ回復済だ。
リゼルがレヴァンスラッシャーから黄のディスクを引き抜くと待機音が鳴りやんだ。
「お返ししますよ。ついでに散らかっているのも拾ってあげましょうか」
白緑青黄、4枚のエーテルディスクが宙に固定され、その場で回転し始めた。
「まずッ……!」
避けようと思った時にはもう手遅れだった。
リゼルの念動力でカッターと化した4枚のエーテルディスクが俺に突き刺さった。
服と皮膚を裂き、肉を切り、血を掻きまわし、骨を削る。
言葉にならない痛みが全身を蝕んだ。
「……ッァ!」
「イヌイコータさんッ!」
「よそ見しないで!」
アテナが治癒の杖で駆け寄ろうとするが、リカがそれを阻止する。
左腕の付け根に一枚,、右脚に一枚、どてっ腹に二枚ディスクがめり込んでいる。おそらく内臓もいくつかやられているだろう。
力が入らない。立っていられない。
膝から崩れ落ち、右手を地に付ける。
「嫌……助けて……!」
「ああ、貴女はもう用済みです。レヴァンテインはもう無力化したのでね」
「や……めっ……!」
ろ、と発する前にリゼルは人質の女性の首をへし折った。
支えを無くした女性の頭が首元からダランとぶら下がっている。
「あ、ああ、あああああああああ!」
リゼルが女性の身体を俺の傍に投げ捨てた。その表情は恐怖で歪み、手足はあらぬ方向をむいている。
腕の中に人質がいたとはいえ、リゼルの首元はがら空きだった。
縦ではなく、横に剣を振ればリゼルを倒せていたはずなのだ。
巻き込んでしまうかもしれないという恐怖が、俺の手を止めさせた。
「安心してくださいな。あなたの妹さんの面倒はこれからずっと私たちがみてあげますよ。いずれ天界をも滅ぼす最強の兵器に仕立てあげましょう。神話級の殺戮者になる霧果ちゃんをあの世で応援してあげてくださいね?」
いや、そもそも巻き込んででも斬るべきだったのかもしれない。
手を止めたところで、結局あの娘も殺されているじゃないか。だったら霧果や町の人たちのために、リゼルを倒す、いや殺すことを最優先にするべきだった。
だが、今更後悔したところですべて手遅れだ。
無慈悲にもリゼルはレヴァンスラッシャーを俺の首目がけて振り下ろした。
◇
俺が正義を名乗り始めたのはいつからだ?
そうだ、あれは人生で二回目にレヴァンテインに変身した時だ。
あの頃俺は怪人だろうと命を奪う事に抵抗があった。だから、それを正当化する建て前が欲しかった。
レヴァンテインは俺が子どもの頃に見ていた番組のヒーローにそっくりだった。
怪人を殺す戦士でなく、悪を滅ぼすヒーローならやっていける気がした。
俺にとって正義とは、戦いの恐怖から逃げるための隠れ蓑にすぎなかった。
俺は命を傷つける事が怖かった。
だから、バイヤードを命あるものと思わないことにした。
正義という曖昧な概念に縋ることで、俺はここまで戦うことができた。
でも、その正義のせいでこんな状況になってしまった。
リゼルに付けた傷も時間を置けば完治してしまう。
このまま2対1になればアテナの身も危ない。「
霧果の記憶も取り戻せない。
俺が正義にこだわっていたから?
俺が手を汚すことを恐れていたから?
悪に染まることを恐れていたから?
「じゃあ、正義なんて捨ててやるよ」
視界が真っ白に染まった。
酷く濁った、邪悪な白に。
◇
「……え?」
リゼルは目の前の光景が信じられないという表情をしている。
俺は負傷した左手でレヴァンスラッシャーを受け止めた。刀身を掴んでいるにも関わらず血が一滴も出ていない。
カラカラ、と音がした。俺の身体に潜っていたエーテルディスクが体外に吐き出されたのだ。
何故か4枚とも白色だった。俺の目がおかしくなったのか、それとも、色を失ったのか。
「馬鹿な、なんで動ける……? なぜ傷が塞がっている!?」
ジリジリと退くリゼルに俺は一歩ずつ詰め寄った。
今度は間違わない。どんな犠牲を払おうとも、悪は殺す。
たとえ、俺自身が悪に染まったとしても。
「確か、お前達はこう言うんだったよな?」
身体を巡るエネルギーが、俺の感情に合わせて変質していくのを感じた。
そうか、こんなに気持ちのいいものだったのか。人間を超えるという事は。
「擬態解除」





