第45話 マキナ大臣
エリッサが常に身に着けている方眼鏡。これは世界各地から集めた魔道具の一つらしい。
遠くを見渡せるようにしたり、一度見たものを写真のように記録したり、様々な能力を秘めているが、その中でも重要なのが「視たモノの偽りを破る力」だ。
今日俺が変身を解いた状態で訪ねて来たにも関わらず、レヴァンテインだと一目でわかったのはすでに昨日方眼鏡を通して俺の姿を知っていたかららしい。
時はおよそ一ヶ月前に遡る。
その時エリッサはゴアクリート王国第一王女としてとある会議に参加していた。
議題は「女神キーロンの預言」について。世界を脅かす魔王ヴィドヴニルの封印が近い未来に壊されるという神託を受け、宮廷は大騒ぎだったという。
連合騎士団の再結成、封印の強化、新しい勇者の選定、唯一の現役勇者アテナ=グラウコピスの召喚。
様々な対策案が卓上を飛び交う中、エリッサの注目はある人物に集中していた。
その人物の名はマキナ=カザリウス。ゴアクリート王国の大臣にあたる人物であり国王ミカーゴの右腕とも呼ぶべき存在だ。
エリッサも彼のことは慕っていた。マキナ大臣はエリッサの珍品蒐集癖にも理解を示しており、他国で仕入れた珍しいモノをお土産としていつも持ち帰ってきてくれたらしい。エリッサが常に身に着けている片眼鏡もその一つだ。
だが、その日のマキナ大臣はなにか様子がおかしかった。喋り方も立ち振る舞いもいつもと変わらない。外面だけは完全にいつものマキナ大臣だったが、中身が全くの別人だった。
片眼鏡を通して、エリッサはマキナの皮を被った化け物の正体を見てしまったのだ。
王都全域は強大な光魔法の結界によって護られている。故に、魔物や魔人族は城どころか城下町を訪れることすらできないはずだ。
しかし、その化け物は確かにそこにいた。誰もそれを不審がらず、むしろ気づいてしまった自分がおかしいのだと言われているようだった。
めずらしいもの、事柄に詳しいエリッサには化け物の正体が一発でわかった。人間に成りすまし、悪事を働く怪人「バイヤード」。
エリッサはマキナ大臣がすでにこの世を去っていることを悟った。
◇
エリッサの語る王国の現状は俺の想像を超えた危険なものだった。
国の中核を担う人物がすでにバイヤードの手に落ちていたとなれば、この国が瓦解するのも時間の問題だ。
「それだけではない。ここ数日バイヤードの数がどんどん増えておるのじゃ。爵位を持つ貴族から、無名の騎士団員まで。少しずつではあるが確実にこの国は征服されておる」
「バイヤードめ、まさかここまで侵略を進めていたなんて」
今までこの世界で出会ったバイヤードはゼドリーの支配から抜けて各々自由に生活していた。
辺境の村でスローライフを過ごす者。山賊を率いて弱者をいたぶる者。町の住人に成り代わる者。
しかし今回は明らかに何かが違う。王国という巨大組織への侵入。そして明らかに組織の影を感じさせる。
『バイヤード』という組織もまだ生きているのかもしれない。
「この事はもう誰かに話したのか?」
「いいや。この事を知っているのは妾とミギアとレフト、そしてお主だけじゃ」
「ヴィドヴニルの復活が預言され、いま国は混乱状態にあります。そんな中、国の中枢にバイヤードが紛れ込んでいると広まれば我が国は内側から崩壊します」
「間違いなく、魔王が復活する前に内部戦争がおきるだろうネ」
なるほど。皮肉にも、バイヤードの擬態能力が高いおかげで国の内政は保たれているというわけか。表面上は。
「かといって、いつまでも奴らを野放しにしておくわけにも行かぬ。連合騎士団もすでに結成され、アテナ=グラウコピスの召喚も果たされた。もはや奴らを生かしておく理由もない」
「奴らのリーダーは誰に化けているかわかるか? 先に司令塔を潰せればそれに越したことはない」
「リーダーかどうか確証は持てぬが、成り代わられた人物の中で最も爵位が高いのはマキナ大臣じゃ。顔を見せてやろう」
そう言ってエリッサは机に一枚の鏡を取り出した。彼女が手をかざすと中にぼんやりと映像が浮かび上がる。
「これは……?」
「合わせ鏡じゃ。他の場所に仕掛けた同じ鏡に映る像を覗き見ることができる」
要は、監視カメラのようなものか。
合わせ鏡に映ったのは広い間取りと高い天井を持つ部屋だった。
白の基調に金色の装飾。部屋の左右からは国旗のようなものが何本もぶら下がっており、部屋の奥には荘厳な身なりをした白髪の男が椅子に座っている。
左右に列を成す兵士達。そしてその真ん中で跪いているエルフの女性が一人。アテナだ。
ということはこの場所は謁見の間。椅子に座っている男はこの国の王か。
「国王の隣に立っているこの男がマキナ大臣じゃ」
鏡に映るその男は紫色の衣服に身を包み、木で出来た杖をついていた。とても穏やかな顔をしており、エリッサの情報がなければただの優しそうなおじさんにしか見えない。
「あれ、アテナが守護の左手をつけていない。さっきまで左腕につけていたのに」
「謁見の間には王族と護衛の騎士以外の者は武器になるものを持ち込めない決まりじゃ。盾の神器であったといても、殴ることくらいはできるしの」
理屈は通っているが、この状況では不安要素にしかならない。つまりアテナは今無防備な姿をバイヤードの前に晒しているということじゃないか。
鏡の中でアテナと国王が言葉を交わしている。音までは拾えないようなので会話の内容まではわからない。
その時、騎士の一人が一本の槍を持って現れた。
パラスの持つ三叉槍とは違い、先端が一つに鋭く尖っている針のような片手槍。
全体を見ても宝玉を嵌めるような穴が存在していない。
「あの槍はなんだ?」
「あれは報復の右手。100年前勇者アテナが使っていたもう一つの神器じゃ」
「え、じゃあアテナは二つの神器を使っていたってことか?」
「うむ。それが矛盾の勇者と呼ばれる所以じゃ」
守護の左手だけでも凄まじい防御力を誇っていたのに、攻撃用の神器まで扱えるなんて。
「魔王を封印し、役目を終えた勇者の神器たちは各国の神殿にて保管されておった。じゃが、ヴィドヴニル復活に対抗するため、急遽王都に取り寄せるように勅命が下ったのじゃ」
ということは守護の左手がボタンに盗まれたのも神殿から運び出された直後ということか。無事に本人の手に渡ってよかった。
「次のバイヤードの説明に移るぞ。次は騎士団の……」
「ちょっと待て! 謁見の様子がおかしい!」
鏡に映る映像から不穏な空気を感じ取った俺は映像を切り替えようとするエリッサの手を遮った。
アテナの動きがおかしい。さっきまで跪いていたのに今はすっと立ち上がり王の顔を見ている。
周囲の騎士たちが警戒していることから、王が立てと命令した訳でもないみたいだ。
次の瞬間、アテナは信じられない行動を取った。
近くにいた護衛の騎士の手に蹴りを放つ。呆気に取られた騎士は抵抗もむなしくその場に転ぶ。
すかさずアテナはその騎士から剣を奪い取り、玉座に駆け出した。
「な、なにをしておるのじゃ!」
「やめろ! アテナァァァッ!!」
ここから叫んだところでアテナに声は届かない。故に、アテナの足も止まらない。
剣を構え切っ先を玉座に向けて振りかぶる。
しかし、剣が王に届くことは無かった。
周りにいた護衛の騎士たちが壁となって立ちはだかり、アテナを数人がかりで抑え込んだ。
縄が部屋に持ち込まれ、アテナの身体を縛っていく。そして王達はすぐにその場を避難した。
何が起こっているのか、俺にもわからない。でも、だからこそ、確かめに行かなくては!
「おい! どこへ行くのじゃイヌイコータ!」
エリッサの制止を振り払い、部屋を飛び出した。
廊下の左側は入り口だ。なら、謁見の間は右側にあるはず。
そうして、駆け出したところで俺の視界が90度下に傾いた。
「なっ……ガッ!」
顔面を石の床に叩きつけられ鈍痛が頭を揺さぶる。
なにかに躓いてころんだのか? こんな時に!
両手を床につき上体を起こそうとする。しかし、力が上手く入らず中々立ち上がることが出来ない。
いや、違う。力が入らないんじゃない。力は目いっぱい込めているんだ最初から。
俺がいま起き上がれないのは、それを上回る力で体を抑えつけられているからだ。
誰かに手で押されてるわけじゃない。のしかかられている訳でもない。
俺は、この力を過去に一度経験している。
これは、この念動力は……!
「マキナ大臣……。なぜお主がここにおるのじゃ!」
扉の方向からエリッサの驚く声が聞こえる。
なんとか頭だけ上に向けるとそこには合わせ鏡でさっきまで見張っていた紫の衣服に身を包んだ男、マキナ大臣が立っていた。
ここから謁見の間までの距離はわからないが、先ほどの騒ぎからものの数秒で駆けつけられるような近さではないことは確かだ。
それこそ、瞬間移動でも使わない限り。
「これはこれは、ご無事だったようでなによりですよエリッサ。先ほど謁見に訪れた勇者アテナが国王に刃を向けるという凶行にでましてね。彼女の従者であるイヌイコータとかいう男も姫様の命を狙っているのでは無いかと心配して駆けつけた次第です。いやぁ、間に合って本当によかった」
マキナ大臣はわざとらしい笑みを浮かべてそう言った。
その直後、あっという間に大勢の騎士たちが押し寄せて俺は成す術も無く廊下の奥へと引き摺られていく。
「おいやめろお前達! その男は妾の客人じゃ! 乱暴はゆるさん!」
「ダメですよ姫様、お下がりください。あの男は危険です。親衛隊、姫様を部屋の中へ」
「……ハッ」
「…………」
マキナ大臣はバイヤード。個体によっては、俺がレヴァンテインであることも知っている可能性がある。
いや、この個体は知っているだろう。俺も今までの状況から、こいつがどの個体かというのもだいたい検討がついている。
――お前は、リゼル・バイヤードだな!
マキナ大臣を睨んだまま、心の中でそう叫んだ。
聞こえるはずのない問いかけ。しかし、やつはそれに答えた。
『ええ、お久しぶりですね。レヴァンテイン。二か月前、貴方のディメンションバニッシュを受けて以来ですか』
精神感応。他者と心を繋ぎ、会話する能力。
三つの超能力を操る。バイヤード四天王の一人。
――アテナになにをした? アテナがあんな行動を取ったのもお前の仕業か!
『ええ。謁見の最中、この精神感応で彼女に私の正体を教えてあげたのです。そして「今から国王を殺す」と宣言致しました。すると面白いことに、それを阻止するために護衛から剣を奪って私に斬りかかったのです。いやぁ、びっくりしましたよ。神器が無くとも勇者というのは恐ろしいものですねぇ』
そうか、アテナが狙っていたのは国王ではなく、その隣に立っていたマキナ大臣……いや、リゼルか!
『念動力で今すぐ殺してあげてもいいのですが、貴方にはいくつか聞きたいことがあります。また地下牢でお逢いしましょう』
そう言ってマキナ大臣は廊下の奥に姿を消した。
「待て! リゼルゥゥゥゥッ!」
俺の声は騎士団の鎧の音に紛れて、虚しく散った。
◇
三方の壁と一枚の鉄格子に囲まれた薄暗い牢屋。
一本の廊下を挟んで左右に四部屋ずつ、合計八部屋。俺とアテナはそのうちの一部屋に閉じ込められていた。
「すみませんでした。イヌイコータさん。私があんなことしたせいで、巻き込んでしまって……」
俺の顔を見た途端、アテナはそう平謝りをした。
見たところ暴行の類は受けていないようだが、酷く心を痛めている。
「冷静になって考えれば、他にももっとまともなやり方もあったはずなのに、あんな軽率な行動を……! 私は勇者失格です!」
「咄嗟のことだったみたいだし仕方ないよ。むしろあの行動力は誇るべきだ」
とはいえ、この状況はかなりマズイ。
俺もアテナも国家転覆の容疑をかけられている上、武器の類も没収された。
レイバックルとエーテルディスクは武器の見た目をしてないから大丈夫だと思っていたが、いつの間にか無くなっていた。
おそらくリゼルの指示で取り上げられたのだろう。
「とにかく、ここから脱出しないと。このままじゃこの国はバイヤードに支配されてしまう」
牢屋を隅々まで見渡すが、抜け穴になりそうな場所は見当たらない。
床や壁を隈なく調べる。這いつくばって、砂を掻き分けて、脱出のカギになりそうなものを探す。
「ククク……。アッハッハッハ! 新入りがぶち込まれて来たかと思えば、随分愉快な動きを見せてくれるじゃねえか」
声が聞こえたのは向かいの牢屋だ。鉄格子の面は廊下を挟んで向かい合っているので正面の牢の様子は全て筒抜けである。プライバシーなどあったものじゃない。
「笑いたければ笑ってればいい。俺たちは今それどころじゃないんだ」
「つれないねぇ。お互い全くの知らない仲ってわけじゃないだろうに」
「なに?」
向かいの牢屋に捕らわれている男をよく見ると、そいつは確かに俺の知っている人物だった。
初めて奴の顔を見たのはダルトスの町。そして、つい最近にも王都の噴水広場で見た顔が、俺の向かいに座っていた。
「あの時はよくも俺を捕まえてくれやがったな? 賞金稼ぎサマよぉ!?」
そこにいたのはボタン=トリトン。
勇者の神器守護の左手を盗んだ罪で賞金をかけられた盗賊だった。





