第42話 317
酒場に並ぶ円卓の一つに、奇妙な五人組が座っていた。
アテナ、パラス、シオン、リカ、そして俺。
一触即発を免れないほど因縁深い面々であるにも関わらず、俺たちが大人しく食事を出来るのは目の前にいる少女のおかげだ。
話によればアテナは道中、偶然にもシオンとパラスに出会い、共に目的地である王都まで同行していたらしい。
パラスの呪いに関する話もアテナから話された。地下遺跡で見せたパラスの不可解な言動。あれは魔公爵デュグラスという魔人がかけた洗脳魔法のようなものだという。
現在パラスは退魔の結晶を首から下げており、呪いの影響は受けていないようだ。
そのせいか、ダルトスの町で会った時のような毒々しい態度はなく、素直で大人しい少女と化していた。
ダルトスの地下遺跡での騒ぎは自分でも大いに猛省しているようで、俺はパラスから直々に謝罪を受けた。
しかし、彼女の兄であるボタン=トリトンの処刑を止めるという目論みは依然捨てていないらしい。
ここで、シオンもといグランレンドが二日にわたって公開処刑を妨害した理由が明らかになってくる。シオンとパラスに何らかの繋がりがあると分かった以上、パラスの目的はシオンの目的に直結する。
シオンは、この少女の兄を助けるために戦っていたということだ。
それがいいことなのか悪いことなのか、判断が難しいところではある。その行いの結果、パラス=トリトンという一人の少女の笑顔を取り戻すことが出来るかもしれないが、同時に大勢の人間を傷つける可能性もあった。
ボタン=トリトンという人間が罪を背負った人間であることに変わりは無い。
法の裁きにヒーローが介入することはあってはならない。
法で裁けない怪物を倒すのがヒーローの役目なのだから。
「しかし、ちょっと待て。肝心な部分が一つ抜けていないか?」
アテナの語りからはある大前提が一つ抜け落ちている。俺はそれを指摘した。
「そもそもどうしてアテナが旅なんてしているんだ? 君はアタトス村でリカの帰りを待っていたはずじゃないか?」
ギクリ、といった風にアテナが肩を震わせた。
シオンは「そんなこともわからないのか?」と言いたげなあきれ顔をされて、パラスはもぐもぐとパンを食し、リカは泣き止みはしたもののショックから立ち直れずずっと俯いている。
「……まあ、この世界を巡っていたらいずれバレてしまうことですね」
観念したようにアテナは手にある物を取り出した。
それは盾だ。しかしただの盾ではない。俺が地下遺跡でパラスと戦った際に持ち出された神器守護の左手。パラスの手に付けられていないと思ったら、アテナが持っていたのか。
「改めて自己紹介します。私の名前はアテナ=グラウコピス。100年前に魔王ヴィドヴニルを封印した勇者の一人、矛盾の勇者です」
「勇者……?」
その単語には聞き覚えがある。かつてこの世界を破滅から救った英雄たちのことも知っている。
その勇者の一人がアテナだって……? 確かに、アタトス村の一件ではただの村娘とは思えない強い精神を垣間見たが、しかし、勇者だったなんて誰が想像出来る?
「イヌイコータさん達が村を去った後に、私の元にある勅命が届きました。詳しいことは私も明日伺う予定なので、皆さんに話せることはまだありません」
「…………。…………? …………!? えええええええええええええ!?」
ようやく隣でぼそぼそとスープを舐めていたリカが顔を上げた。
流石のリカにもこれは衝撃の事実だったらしい。というか、半年以上も一緒に生活していたにも関わらず、そんな重大なことも知らなかったのか。
「い、いやちょっと待って。おかしいわ。100年前に魔王を封印したって……。それならなんでアテナはこの時代にいるのよ。長生きしていたとしても、100歳越えのおばあちゃんになってもおかしくないじゃない!」
「……私、この間の誕生日で317歳になったんだけど」
「「え?」」
ムスッと頬を膨らませたアテナの声にはわずかながら怒気が含まれており、俺とリカが発した間抜けな声には困惑の意が込められていた。
「ちょっと会わないうちに私の歳も忘れちゃうなんて! リカのバカ! 信じられない!」
「……え? いやいや、17歳だよね? たしかに、そういう冗談も言われたような気がするけど」
「じゅ、17歳!? そんなわけないでしょ。リカ、こんな時にふざけないで。私は真面目な話をしてるんだから」
「ふざけてるのはアテナの方でしょ! どうみてもアテナは十代の女の子じゃない! 多めに見積もっても二十代がいいところよ!」
「……ッ! もういい! リカなんてもう知らない!」
アテナは呆気に取られた俺たちを置いて部屋に戻ってしまった。
沈黙が場を支配し、皆の視線はリカに集中する。
「……え? わ、私なにか変なこと言った? な、なにか間違ったこと言ってたかな?」
混乱した顔でリカが俺に問いただしてくる。
安心しろ俺も意味が分からないし、リカは正しいことを言ったと思っている。
真面目な話をしている時に実は300歳越えのおばあちゃんでした。なんて冗談を言う方がおかしいのだ。
珍しくお前は正論を言った。数少ないまともな言動を誇るべきだ。そう言おうと口を開く前に、パラスに先を越されてしまった。
「間違いだらけッスよ。いくら地下遺跡での失礼があるとはいえ、アテナ様に対する今の侮辱は許せないッス」
そう言ったパラスの声にも怒気が含まれていた。
「劣等種が私に楯突くなんていい度胸ね。だいたい今の何が侮辱だって言うのよ」
「エルフの女性を十代の女の子扱いすることッスよ! あんな暴言今どきスラムでも聞かないッス!」
「はぁ? アテナはどうみても十代のかわいい女の子じゃない! 劣等種のガキンチョはそんなこともわからないのかしら?」
ガキンチョて。
きょうび聞かねえぞその罵倒。
「そっちこそ何を言ってるんすか? アテナ様はどう見ても頼れるお姉さまッス! あの大人の色香を理解できないとかどうかしてるッス!」
「アテナを熟女扱いする気かこの劣等種……! その方が断然侮辱じゃない! アテナは時折見せる無邪気さやあどけなさが最高にかわいいのよ! 出会って数日程度のあんたにはわからないでしょうけどね!」
「『時折』なんて言ってる時点でベースが大人びているのを認めているようなものッス! というかそろそろアテナ様を呼び捨てにするのをやめるッス!」
え、何。この世界の女性ってみんなアテナ大好きなの? いや、リカは地球出身だけど。
この二人の論争はあまり関わりたくないので、席を移動してシオンの隣まで来た。
「で、実際なんでアテナはあんなに怒っていたんだ?」
「エルフというのは長寿の種族だ。基本的に寿命という概念が存在せず、理論上は半永久的に生き続けられる奇跡の亜人。老いという概念が無い彼女たちにとって生き永らえてきた時間はそのまま誇りに繋がる。リカルメはその誇りをたった今穢したということだ」
「じゃあ317歳って言ってたのは……」
「当然真実だ。私の支援者である女神キーロンからも裏をとってある」
アテナを疑うわけじゃないが、あまりの情報量に頭が追い付かない。
不老不死、なんてものが実在したなんて。いや、歳を取らないってだけで不死ではないんだろうけど。
「貴様、リゼルのことを憶えているか?」
シオンは唐突にそう言った。
忘れるはずもない。バイヤード四天王の一人だ。
リカルメはクラゲ、オクシオンはバッタの怪人であるのに対し、リゼル・バイヤードはキツネの怪人だった。
念動力、瞬間移動、精神感応の三つの超能力を操る妖狐だ。
そして、裏切り者オクシオンに引導を渡したゼドリーの忠臣。シオンにとってはリカルメよりも因縁深い相手である。
「私の標的は当分の間リゼルになる。今度こそ、邪魔をするなよ」
「リゼルが、王都にいるのか?」
「さあな。奴は瞬間移動の使い手だ。居場所など特定したところで意味は無いだろう」
それもそうだ。俺がリゼルを倒した時は奴の方から俺に仕掛けてきた。
もしあの時リゼルが逃げに徹していれば俺はあの怪人を野放しにしざるを得なかったかもしれない。
「リカは、どうするんだ?」
「殺そうとすればどうせ貴様がまた邪魔をするのだろうが。それに、今はアテナ=グラウコピスと協力関係にある。彼女の知人であるリカルメを目の前で殺すわけにはいかない。当分は保留にしておいてやろう」
それを聞いて俺は胸をなで下ろした。
よかった。それなら今のところグランレンドと戦う理由も無い。
「それよりも、そのリカルメが衝動を抑えきれずにいるようだがそれは貴様的に大丈夫なのか?」
「へ?」
見ると先ほどから繰り返されていたアテナ論争がヒートアップして、リカとパラスの間には火花が散っていた。
いや、火花じゃない。紅い。これはリカの放電だ。
まさか、こんなことで擬態解除するわけはないはずだ。いくらアテナ絡みとはいえ、相手は無防備な少女であり、なによりも公衆の面前だ。
流石にリカだって、そろそろ常識というものを学んでいるはず……。
「擬態か……」
「解除すんな馬鹿ッ!」
「あ痛っ!?」
リカの全身を紅い稲妻が覆う直前に頭を平手で叩いた。
稲妻に手を突っ込んだせいで俺の右手もやや痺れている。
妹の頭をはたくのは少し抵抗があったが、流石にこの状況では仕方なかった。
このままでは面倒なことになると判断した俺たちはリカとパラスを引きずって部屋に戻ったのだった。
◇
部屋に戻ってから数分経った。その間リカはベッドに膝立ちして壁に耳を当てている。
隣の部屋はアテナ達の部屋だ。
「いい加減そういうストーカーみたいな行動やめなさい。アテナのことが気になるなら直接会いに行けばいいだろ?」
「バカ言うんじゃないわよ。あと一度でもアテナのお叱りを受けたら私の心はもう立ち直れなくなるわ」
「情けない台詞を堂々と言うな」
そうしてリカは再び壁に耳を付けて動かなくなる。
結局、あちらの三人組とは現状報告をし合っただけでそれ以上の建設的な話は出来ていない。
アテナが古の勇者その人だと事実には驚愕したし、興味もある。しかし、それ以上に引っかかるのが、彼女が勇者として王都に呼び出された理由だ。
詳細は話してもらえなかったが、勇者というのは確か魔王を封印した英雄だ。ならば、今回のことはその魔王関連の可能性がある。
魔王という存在について俺はそこまで詳しくないが、かつてはこの世界を滅ぼしかけたというからには相当の巨悪であることは間違いない。ゼドリーと同等、場合によってはそれ以上という可能性がある。
アテナには傷を癒し、この世界を案内してくれた恩がある。もし、彼女が助けを必要としていたら真っ先に立候補してやらなきゃな。
アテナのためだったら、きっとリカだって協力してくれるはずだ。それをきっかけに正義の心を身につけ、リカルメから霧果へ戻ることが出来るかもしれない。
そう言えば、アテナは明日城に伺うと言っていた。そして、俺もあの道化師みたいな姫様から城への招待状をもらっている。
上手くいけば付き人として一緒に話を聞けるんじゃないだろうか?
そうと決まれば、早速約束を取り付けに行こう。
壁に耳を当て、寂しそうにしているリカは放っておいて俺は隣の部屋を訪れた。
すると防具を外してラフな格好になっているシオンが出てきた。
「なんだ貴様。この部屋になにか用か?」
「そっちも男女同室なのかよ……。いや、アテナとちょっと話があるんだけど、呼んでもらえないか?」
「生憎いまの彼女は私の言葉に応じられるような様子ではない。入っていいから貴様が直接呼びかけろ」
そう言えばアテナはリカに17歳呼ばわりされて怒っている最中だった。
エルフの感性というのはよくわからないけど、さっきのリカの発言はこの世界ではセクハラみたいなものに当たるのかな? 俺も気を付けないと。
しかし、シオンが話しかけるのを躊躇うほどに激怒しているアテナに、俺が声をかけることなんてできるだろうか?
そんな心配をしながら部屋に足を踏み入れたが、彼女の姿を見た途端それが杞憂だったことを知る。
そこには壁に長い耳をピッタリくっつけて隣の部屋の様子を不安そうに伺うアテナの姿があった。当然、隣の部屋とは俺とリカの部屋である。
半年以上一緒に暮らしていただけあって、脅威のシンクロ率だった。
「アテナ、ちょっといいか?」
「あー、やっちゃった……。リカの世界にエルフ族がいないなんてことわかってたのに私はリカにあんな態度取っちゃって……! バカ! 私のバカ!」
「おーい、アテナさーん?」
「り、リカに嫌われちゃったらどうしよう? 今からでも謝りに行って……でもどんな顔して会いに行けば……ってイヌイコータさん!? な、なにかご用でしたか?」
ようやくアテナが俺の存在に気付いた。
今の今まで俺たちの部屋に聞き耳を立てることに集中していたらしい。
「まあ、そうなんだけど……、その前にやることが出来たな」
俺は壁の向こうにある隣部屋を指さした。
「仲介役、いる?」
「……お願いします」
アテナを隣部屋に連れていき、リカに会わせた。
わざわざ心配してたのがアホらしくなるほど2人はあっさりと仲直りし、俺は翌日の約束を取り付けたのだった。





