第1話 最悪の再会
少女は悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
それはそうだ。全長1.5メートルはあるであろう巨体に、全身真っ青な毒々しい色合い。そんな一目でヤバイと確信できる化け物十数匹に追い回されれば俺だって危機感を感じる。
あの蜘蛛はいったいなんだ? 見た感じ怪人ではない。
いや、あの青蜘蛛の正体なんてどうでもいい!
とにかくあの子を助けなければ!
俺はポケットから直径10cmほどの『白い』円盤、エーテルディスクを取り出した。
ディスクをベルト型変身装置『レイバックル』の上部装填口にセットし、右側のレバーを倒す。
「変身!」
《----Complete LÆVATEINN GENESIS FORM----》
レイバックルの中で『白』のエーテルディスクが回転して周囲に光の粒子が放出される。
粒子が全身を覆い白いスーツを形成し、その上から装甲を装着。
ここまでわずか数秒でレヴァンテインの初期形態、ゲネシスフォームへの『変身』が完了した。
この白い姿は先ほどの最終形態とは違い、目立った特殊能力もない徒手空拳の戦闘フォームだ。
正直に言って一番最弱のフォームなのだが、緊急事態だったのでディスクの色を選ぶ余裕がなかったのだ。
だが、出力が抑えめであるが故に燃費がよく、使いやすい形態でもある。
基本的には雑魚狩り専門のフォームだが、リカルメという幹部バイヤードを倒した実績もある。こんな、ただデカいだけの蜘蛛に、遅れは取らない!
「ハァッ!」
まずは一匹、少女に一番近づいていた青蜘蛛の横腹を殴り飛ばす。
吹き飛ばされた青蜘蛛はそのまま木の幹にぶつかり、青い体液をまき散らしながら動かなくなった。
「……え?」
俺の姿を見て少女がさらに困惑した表情を浮かべる。
「怪我は無いか? すぐに全部倒すから、そこでじっとしててくれ」
改めて、少女の姿を確認する。
肩まで伸びるサラサラの金髪に真っ白な肌、そして緑色の民族的な衣服をまとっている。
耳がやたら尖っているようにもみえるが、あれはつけ耳だろうか?
と、少女の耳に気を取られていると、また一匹青蜘蛛が襲い掛かって来た。
少女は恐怖からか目を瞑る。
上から跳びかかってくる蜘蛛足を両手で一本ずつ掴む。
「フンッ!」
そのまま左右に勢いよく引っ張ることで蜘蛛の胴体を真っ二つに裂いてやった。中からは内臓や青い体液がぼとぼとと滴り落ちる。
もっとスマートに倒してやりたいのは山々だが、あいにくレヴァンテインのスーツに殺虫剤は装備されていない。
「かといって、このまま一匹ずつ潰していってもキリが無いな……」
こうなったら必殺技を使うしかない。
レイバックル左側のボタンを押して、右側のレバーを倒す。
最期の決戦でも使用した、手慣れた手順だ。
《-----GENESIS Ready----》
《-----DIMENSION BANISH----》
レイバックルから白いエネルギーが放出されて、その全てが右足に収束する。
青蜘蛛たちは本能で危険を感じ取ったのか俺から距離を取り始めた。
そのまま口から糸を吐き出し、俺の両腕に付着させる。
だけど、所詮は虫の浅知恵だ。このまま拘束して逃げればいいものを、奴ら自分の方へと引き寄せている。
腕を封じたところで意味なんてない。俺の必殺技はキックだからな!
「ディメンション、バニッシュッ!」
両腕に絡みついた糸に引き寄せられるまま、蜘蛛の群れへと飛び込んだ。
ついでに背中のブースターを点火して、さらに勢いをつける。白のエネルギーが群れに直撃すると、エネルギーは十数匹いた青蜘蛛を全て取り込んだ。
光が消えると、青い蜘蛛は一匹残らず消滅していた。この場に残っているのは俺と背後で震えている少女だけ。
それを確認した俺はエーテルディスクを抜き出しレイバックルのレバーとボタンを同時に操作する。これが変身解除の手順だ。
《----Form Release----》
レイバックルから変身解除音声が聞こえると同時に、体に風を感じた。
スーツが粒子化して再びベルトに収納される。
正義のヒーローレヴァンテインから人間戌亥浩太に戻ったのだ。
「姿が、変わった……? あなたはいったい……」
「危ないところだったね。大丈夫かい? 一人で立てる?」
俺は少女に手を差し伸べる。
少女はその手を取るべきかどうか迷っている。あんな戦い方をしたせいで警戒されているのだろうか?
「わ、私は大丈夫なんですけど、あなたこそ大丈夫なんですか? すごい怪我ですよ?」
「へ?」
言われて自分の身体を見るとあちこちから血が噴き出し、差し伸べた手は貧血と打撲で真っ青になっていた。
そうだ。俺、ゼドリーとの戦、いで、お、おけが、を…………。
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
視界が90度傾いている。そうか、今俺倒れているのか。
きっとさっきはアドレナリンでも出ていたのだろう。今さらになって痛みを感じてきた。
ああ、いつもこうだ。正義を実行している時は周りが見えなくなる。
奇跡的にあの廃工場から生き延びたっていうのに、二度目の死を迎えるのか。
まあ、その結果この子を助けられたのならよかったか。
「【大地に芽吹く生命の源よ。我、ここに命ず。彼の者の傷を癒したまえ】」
その時、少女が何か不思議な言葉を唱えた。
彼女の手には杖のようなものが握られている。杖の先端には橙色の宝石ががついており、そこから淡い橙色の光が発せられている。
光は瞬く間に俺の身体を包み込んだ。俺はいま楕円形の光のドーム内にいる。
「なに、を……?」
「じっとしていてください。すぐに終わるので」
正体不明のむずがゆい感覚が身体中を走る。この不気味な感覚から逃げ出したくなったが、俺は徐々に怪我の痛みが引いていくことに気づいた。
いつの間にか出血が止まっていて、右手も死にかけの青色から健康的な肌色に戻っている。
まさか、この光が俺の怪我を治してるのか……?
「はい、できました!」
少女がそう言うと同時に光が消えた。
そして驚くことに、俺の怪我がすべて治癒されていたのだ。
全身を蝕む痛みも、打撲の痣も、体を濡らしていた赤い血もすべて消えている。
「……信じられない。いったい、何が起こっているんだ?」
俺は少女に問いかける。
「えっと、治癒魔法をかけました。かなり危ない状態でしたが、もう自力で歩けるレベルには回復したはずです」
確かに、指を動かすのも億劫なくらい身体が言うことを聞かなかったのに、今では背筋を伸ばし、二本の足で大地を踏みしめている。
しかし、俺がいま聞きたいのはそこではない。
「魔法って……君は、いったい何者なんだ?」
「魔法を見たことが無いんですか? というか、あなたも今奇妙な魔法を使っていませんでしたか?」
奇妙な魔法?
ああ、レヴァンテインへの変身のことか。確かに何も知らない人から見ればあれは魔法に見えるかもしれない。
「あ、助けてもらったのに自己紹介もまだしてなかったですね。危ないところに駆けつけて来てくれてありがとうございました。私はアテナって言います。すぐ下のアタトス村で暮らしているエルフです」
エルフ。いま彼女は確かにそう言った。
あまりファンタジーには詳しくないけど、エルフというのは空想上の亜人族とかだったはず。なぜそれが日本の森奥に存在しているんだ?
いや待て、そもそもここは本当に日本なのか? それにしてはあまりにも静かだ。
車の音も工事の音も聞こえない。飛行機の一つも見ていない気がする。
「なあアテナ。日本という国は知っているか?」
「二ホン? さあ、聞いたことないですね」
「じゃあなぜ君は日本語を喋っているんだ? なぜ俺の言葉が伝わるんだ?」
「え、何を言っているんですか? 神々が統治するこの世界で人と人の意思が通じないわけないじゃないですか。言葉の通じない種族なんて、神への反逆を企てたバベル族くらいですよ」
神……だと……?
頭のおかしい子に出会ってしまった。普段の俺ならそう考えるだろう。
しかし、さっきの治癒魔法とやらは本物だ。それに彼女の態度見る限りふざけているようには見えない。
俺は黒いエーテルディスクの暴走のせいで、見知らぬ世界にでも飛ばされたっていうのか?
落ち着け俺。非常識な経験をするのはこれが初めてってわけじゃないだろう。落ち着いて、とりあえず情報を集めていこう。
「あー、助けてもらったのに変なことばかり聞いて悪かった。俺は戌亥浩太。大学生だ」
「イヌイコータ、さんですか。珍しい名前ですね。学生ってことは、王都からきたんでしょうか? ……でもそれにしては常識を知らなすぎるような」
少し失礼なことが聞こえたが、まあ流そう。っていうか、発音的に苗字と名前がごっちゃになってないか?
王都。そう断言するってことはこの周囲にはそこにしか学び舎が存在しないってことなのかな。
とりあえず彼女の言うことに合わせてみよう。そうしなければ話が進まない。
「東の果ての二ホンっていう国から来たんだ。この国と二ホンではだいぶ教え方が違うみたいだね。よければこの国についていろいろ教えてもらってもいいかな?」
「そういうことでしたか。もちろんいいですよ! よければ私の村で話しましょう」
なんとか辻褄は合わせられたかな?
アテナの言うことが嘘か真か。彼女の村についていけばわかるだろう。
「あれ、イヌイコータさん。そのベルト何か光ってますよ?」
「えっと、戌亥は苗字で……って何!?」
手に持ったレイバックルを見ると、確かに赤いランプが点滅していた。
これは装置のバッテリー残量が不足していることのサインだ。
まずいな、この状態ではあと一回しか変身できない。
バイヤードみたいな怪人はいなくても、さっきみたいな魔物とやらがうじゃうじゃいるとなると、自衛の手段は失いたくない。
「とにかく、君の村に案内してくれ。さっきの力はそう何度も使えるものじゃないんだ」
「わかりました! 案内するのでついてきてください」
そうして俺たちは森を抜けるべく歩き出した。
しばらくあるいていると開けた場所にたどり着く。木製の建物がいくつも並んだ集落が
「着きましたよイヌイコータさん。ここがアタトス村です」
アタトス村。人口およそ百人ほどの小さな村。
薬草が採れる森が近くにあるため、薬の生産地として有名らしい。
エルフはアテナ一人だけらしく、残りの村人はほとんど人間なのだそうだ。
アテナが村長に俺を紹介してくれたおかげでスムーズに情報が手に入りそうだ。
俺が村長の家に呼ばれると、アテナはどこかに消えてしまったが。
「大変でしたな旅のお方。異国の学生とのことでしたが、やはり目的地は王都ですかな?」
村長は白髪のおじいさんで、強い目つきのわりに優しい喋り方なのが印象的だった。
きっとこれが人望につながっているのだろう。
「まあ、そんなところです。食事を頂いた上に寝どころを用意してもらい助かりました。ちょうどお金を切らしていたところで」
日本円なら懐にいくらかあるのだが、この世界で使えるはずもない。
「いえいえ、わが村のアテナを助けていただいたのです。このくらいは当然のこと。バベルの奴隷もいない貧しい村ではありますが、ゆっくり休養なさってくだされ」
「奴隷……ですか」
「ええ、王都では言葉の通じぬバベル族を洗脳魔法で使役していると聞きます。洗脳魔法の使い手も、奴隷を買う金も無いこの村には関係のない話ですがね」
「なるほどそれがこの世界……じゃなかった。この国の文化なのですね」
奴隷という概念が一般的というのは、ヒーローとして少し見過ごせない点ではある。
諸々の整理がついたら、一度王都とやらに出向き、助けに行こう。場合によっては俺とこの世界の戦争になるかもしれない。きっと俺の使命はこの世界の奴隷を解放することだ。
まずは魔法について調べてみよう。異世界とはいえ、ここに住む人々も人間だ。なにか相手を傷つけず、無力化するような力があれば身に着けたい。
怪人や魔物だったら倒せばいいけど、人相手ならそうもいかない。
アテナなら魔法にも詳しいだろうか?
使えるのは回復だけ、とのことだったが魔法に関する知識なら彼女に尋ねるのが早いかもしれない。
「アテナに会いたいのですが、今どこにいるのかご存じですか?」
「ああ、アテナならイヌイコータ殿の寝床を整えに空き家に向かいましたぞ」
その名前定着しちゃったか……まあいいけど。
「もし、空き家に向かうのでしたらこのイエロベリーを持って行ってくだされ。アテナとリカの大好物ですじゃ」
そういって村長はかごに入った黄色い果実を手渡してきた。
「リカ? 誰ですかそれ」
「ああ、半年ほど前に村にやって来た人間の娘です。今はアテナと一緒に暮らしている、いわば親友ですな。リカにも空き家の整理を手伝わせていますじゃ」
リカ……。その名前、どこかで聞いたような気がする。
知り合いにそんな名前の奴がいたような気がするんだが、思い出せない。
まあしかし、そいつのことを思い出せたとしても、アテナの知るリカと俺の知るリカが同一人物なわけないか。
いろいろお世話になりっ放しだな。いずれ恩を返せればいいのだが。
変身できるのはあと一回だけ。その一回はこの村が危機に陥った時、助けるために取っておこう。
「わかりました。いろいろありがとうございます」
◇
村長に教えてもらった通り、村の奥にその家はあった。
少し前に魔物に襲われて亡くなった村人の家らしい。取り壊すのにも手間がかかるのでそのままにしておいたそうだ。
「あ、イヌイコータさん!」
さっそく入口にてアテナが出迎えてくれた。
中を覗いてみたがしばらく放置されてた空き家とは思えないくらい綺麗になっていた。
「手入れありがとうな。これ村長から差し入れだよ。確かイエロなんとか」
「イエロベリー! ありがとうございます。これリカの大好物なんですよ。いま奥の部屋にいると思うので紹介しますね」
アテナに案内され家の奥に入っていく。どうやらリカさんがいるのは寝室のようで、ベッドシーツを整えている後姿が目に入った。
紅い服に肩まで伸びる短いツインテールだ。
身長は俺より頭一個分くらい低い。17歳くらいだろうか?
「リカー、イヌイコータさんきたよー!」
アテナに呼ばれてリカさんがこちらを振り向く。
「あ、こんにちは。今日はアテナを助けてくれて本当にありが…………ッ!?」
リカさんは俺の姿を見た途端硬直した。いや、リカさんだけじゃない。俺もだ。
反射的にベルトに手をかけ、いつでも変身できるように構える。
「戌亥浩太! なんであんたがここにいるの!?」
「そ、それはこっちのセリフだ!」
ああ、そうだ。思い出した。
俺が知っているリカのことを。
リカというのはオープンキャンパスで俺の大学を見学しに来た女子高生だ。妹と同じ高校に通っているということから知り合いになり、よく研究室でユリ博士と三人で過ごしていた。
でも、彼女とはすぐに別れることとなったんだ。
「この村で何を企んでいるリカ! ……いや、リカルメッ!」
なぜなら彼女の正体は、バイヤードの女幹部、リカルメ・バイヤードだったからだ。