第26話 地下遺跡
この世界にも長い歴史が存在する。
100年前のこの世界の平和を乱したのは魔界の王ヴィドヴニルだが、それよりもはるかに昔。バベル族が誕生するよりも昔。
1万年前か1億年前か、それよりももっと昔かもしれない。
そんな昔にもこの世界を脅かす存在がいた。
その名は邪神ロキフェル。その脅威はヴィドヴニルを超えるものだったらしい。
天界アースガルドで生まれた天神族のロキフェルは、人間界ミズガルドで悪逆の限りを尽くした。
大地を火の海に変え、大気を毒に変え、海を干上がらせた。
地上にもはや人が住める環境は残っておらず、残された人々は地下に逃げ込んだ。
土を掘り、アリの巣のように地底の世界を広げていくことで人々は安寧を得たのだ。
しかし、ロキフェルはその地下世界ですら各地で破壊を行い始めたのだ。
このままではロキフェルが人間を滅ぼしてしまう。そう思った他の天神族たちはロキフェルをこの世界から永久追放した。
人間界からロキフェルの脅威は去ったが、依然ミズガルドは人が生きていける環境ではなくなっていた。
天神族が地上を回復させるまでの数万年の間、人々は地下世界で暮らしていたそうだ。
そして、ミズガルドに遺された数ある地下世界のうちの一つがこの遺跡というわけだ。
「っていうか、本当にこんなことも知らなかったんスか? ゴアクリートではかなり有名な伝承ッスよ」
「……この国には最近来たのよ。無知で悪かったわね」
この遺跡って誰かの別荘なの? と私がパラスに聞いたら信じられないという顔をされながらさっきの説明を聞かせれたのだった。
確かにアタトス村の近くにも地下に続く階段みたいなものがあった気がする。
危ないから絶対に入るなってアテナに釘を刺されたっけ。
あー、またアテナに叱られたい……。
リカ、めっ! って言ってほしい!
……ゴホン。それはともかく、私たちは今地下遺跡に生息するミスト・モスという蛾の魔物を集めに来ていた。
光属性の魔力が込められたランタンを持って階段を降りていく。懐中電灯よりも明るいかもしれない。
道は複雑に入り組んでおり、しっかり道を記憶しておかないと出れなくなりそうである。
「………………」
「………………」
その後お互い無言のまま10分くらい歩き続けた。
別にこいつと仲良くなる気なんて微塵もないけど、ここを出るまでこの空気が続くのも少し耐えられない。
仕方ない。話題を作ってあげますか。
「そういえばあんた、なんでツミカの家に住んでたのよ。行き倒れたとかなんとか言ってたけど、あんたの親はなにしてるのよ」
「パラスの両親はとっくの昔に亡くなってるッス。その後はずっと兄さんとの2人暮らしだったッス」
口調にあまり悲壮感が感じられない。
結構ろくでもない親だったのかしら? まあ興味ないけど。
「あんまり大きな声では言えないッスけど、兄さんは盗みを働いていたッス。そのことを知ったのはつい最近。それまではずっと兄さんのことを賞金稼ぎだと思ってたッス」
あ、ヤバい。自己語りモード入っちゃった。
そんな詳しくあんたのこと聞きたいわけじゃなかったのに……。
まあいいか。暇つぶしに聞いてあげるわ。
「いつも色んな人から金を盗んではパラスのごはんを買ってくれたッス。悪いことして手に入れたお金だけど、それも全部パラスを立派に育ててくれるためだったッス。兄さんが盗賊だって知った後もパラスは知らないフリをし続けたッス。けど、半月ほど前兄さんがとんでもないものを盗んだせいで、兄さんは賞金首にされたッス」
なんか話暗くなってきちゃった。
「兄さんが盗んだのは王都に移送中の神器、守護の左手。100年前世界を救った勇者一行の一人、矛盾の勇者が使っていた神器ッス」
「え、ちょっと待って。それほんとにヤバいやつじゃない。なんであんたの兄さんはそんなもの盗んじゃったのよ」
「兄さんも盗むまでそれが何か知らなかったはずッス。賞金首にされてからの兄さんの顔には後悔の表情しか浮かんでなかったッスから。でも、賞金首の妹ってだけでパラスは国から追及される立場になったッス。妹なら神器の隠し場所を知っているだろうって」
その様子を想像するのは簡単だった。いかにも人間らしい短絡的な考え方だ。
「パーラさんはそんなパラスを庇ってくれたんスよ。ほとぼりが冷めるまでうちに来なさいって」
「そう。……って、じゃあ家の外に出ちゃダメじゃない。いつ役人に目をつけられても知らないわよ」
「もうパラスが問い詰められることは無いから大丈夫ッス。……兄は一昨日ナーゴっていう賞金稼ぎが捕まえたッスから」
「……え?」
意外な名前が出て驚いた。いや、ナーゴはこの辺りで活躍している専業賞金稼ぎだからそこまで不思議なことではないのか。
でも、一昨日? 何か引っかかるような……。
「厳密にはナーゴはただの賞金受取人で、実際は二人の協力者が捕まえたらしいッス。一人はまだ名前を知らないッスけど、もう一人は昨日正体を突き詰めたッス」
一呼吸おいて、パラスは少し声を低めにしてその名を呼んだ。
「イヌイコータ……! 白い鎧を着こんだキザ野郎ッス!」
「……!?」
やっぱりだ。
私が裏路地で気絶させた200万ゴルドの賞金首、ボタン=トリトン。あいつがこのパラスの兄だったんだ。
どうやら、もう一人の協力者が私だってことには気づいてないみたい。
これは少しマズいかもしれない。引き渡しの時結構な数の人間に顔を見られていたはずだし、バレるのも時間の問題だ。
今のうちに始末しておこうかしら? いや、暗い場所で1人になるのは怖いからやめておきましょう。
それにしてもキザ野郎って……。昨日こいつらどんな会話してたのよ。
まあ妥当な評価な気がしないでもないけど。
「ミスト・モスの生息深度はもうすぐッス。リカさん、武器を構えといてください」
「武器なんかないわよ。私は無詠唱の雷使い。エルフ並みの威力をみせてあげるわ」
えーっと、こういう設定だったわよね?
最近普通にバイヤードとして過ごしてるからちょっと忘れかけてたけど。
「……! へー、そうなんスか」
なんか反応薄いわね。無詠唱魔法って世界に5人いるかどうかってくらいのすごい人じゃなかったっけ?
それか信じてないとか? まあ冗談と捉えられてもおかしくはないか。
「来るッス」
パラスは背負っていた三叉槍を手に持ち、赤の宝玉を嵌めた。
ミスト・モスが近くに迫っているのだろう。
私も少し手から放電して電気の流れを良くしておく。
ふいに、視界が白みがかる。
肌に水気がまとわりつき不快感を覚える。これは、霧だ。
事前に聞いてた通り。ミスト・モスが出現する際には大量の霧が発生する。
それはミスト・モスが鱗粉の代わりに霧を噴出する魔物であるためだ。それも、毒素を含んでいるため、霧を吸い続けると命に関わるらしい。
廊下の奥から風が流れてきた。ミスト・モスの羽ばたきで風が生じているのだ。
そして、ランタンの光の中に、彼らは現れた。
「うわっ!?」
ミスト・モスは意外と大きい。羽は手のひらほどの大きさで、胴は握りこぶしほど。
だが、私が驚いたのは大きさではなく数だ。廊下をいっぱいに埋め尽くすほどの大量の蛾は見ている者の正気を奪う。
虫が大嫌いなアテナがここにいたら大変なことになっていただろう。以前も薬草を取っている途中、ブルー・スパイダーの大群に襲われて気絶してたっけ。あの時は私が倒してあげたけど。
「【星の灯火。命の炎。か弱き魂、焼き尽くせ】」
パラスは三叉槍から火を噴き出し、ミスト・モスの群れを焼き払う。
「焼死体は換金できないッス。ある程度数を減らしとくんで、雷で麻痺させてほしいッス」
「そういうことね、わかったわ」
荒れ狂う炎の中に飛び込み、隙間を縫ってこちらに向かう魔物に狙いを定める。
両手を開き、前に突き出す。
「紅ノ雷網!」
10本の指から網目状の雷撃を展開し、残りのミスト・モスを全て捕らえた。
魔物といえど所詮は虫けら。抵抗も逃亡もする間もなく、ミスト・モスは床に落ちた。
パラスの作った焼死体が50匹ほど、私がマヒさせた個体が30匹ほど。
うん、依頼の数は達成してるわね。
「やった! 大量ッス! 早速袋詰めッスよ!」
「あー、キモかった。もうさっさと帰りましょう」
私たちはポーチの中から麻袋を取り出した。この中に大量の蛾を詰めていくのかと思うと吐き気すら覚える。
床にランタンを置き、しゃがんで一匹ずつ手でつかむ。妙に生暖かく柔らかい。
毒耐性の魔防具を着こんでいるとはいえ、この身体の中に毒が詰まっていると言われると慎重にならざるを得ない。
「【崩壊の鐘の音。響け。朽ちろ。堕ちよ】」
唐突にパラスの詠唱が後ろから聞こえた。別の魔物に襲われたのかと思い、振り向いた。
少し離れた場所でパラスが三叉槍を地面に突き刺している姿が目に入る。
周囲に魔物はいないように見えるが、パラスは一体何をしているんだろう?
三叉槍に嵌っている宝玉は茶色。地属性のものだ。
「ねえ、なにしてるのよあんた」
「……リカさん。さっき兄を捕まえたナーゴの協力者の話覚えてるッスか?」
真剣なトーンでパラスがささやく。
その目はどこか虚ろだ。
「イヌイコータの他にも一人協力者がいたッス。そいつの名前は調べてる途中だったんスけど一つだけわかっていたことがあるッス。そいつは、無詠唱の雷魔法が使えるらしいッスよ? しかも、その色は紅。もうパラスの言いたいことがわかるッスよね?」
……まあ別に隠していたわけじゃないし、バレて当然か。
私もゆっくりと立ち上がる。こうなれば人間のフリも必要ないかしら?
「そうよ。私がボタン=トリトンを捕まえたの。それで? どうするの? 私は賞金首を捕まえただけだから、誰も私を咎めることはできないわよ」
「そんなこと当然承知の上ッス。だからさっきパラスの過去を話したッス。あれを聞いて、少しでも罪悪感を覚えるのなら許してあげてもよかったッスけど」
「許す? あんた何様のつもりよ。あんたの身の上話なんか聞かされてもちっとも心動かされなかったわ」
「そうッスか」
もはや、平和的解決は望めそうにない。後々の処理が面倒になりそうだが、ここで始末するしかないだろう。
さあ、右手の人差し指と親指を立て銃の形を取る。
指先をパラスに向け、稲妻を発射する。
「紅ノ雷……」
「遅いッス」
パラスはその場から一歩も動いていない。
私の狙いも正確だった。
なのに、紅ノ雷銃がパラスに命中することはなかった。
「なッ……!?」
バランスを崩し、身体が落ちる。
どこに? ここには階段も穴も無い。ただの廊下のはずなのに。
視界の端にパラスの三叉槍が写る。床に突き刺さり、そこからヒビのようなものが私の立っていた床に広がっていた。
そうか、さっきの詠唱は私の足場を崩すためのもの。
地下世界においては天井も壁も床も、地属性の意のままに操れる。
人間の低出力の魔法であっても、少し亀裂を入れるだけで容易に崩壊を招くことができるということか!
幸い、下の階層が意外と低い場所にあったため落下死は免れた。とはいえ、背中から落ちたためにあちこちに打撲ができた。
痛がってる暇は無い。パラスが次の行動を打ってくる!
「さよならリカさん。来世では先輩の怒りを買わない方が身のためッスよ」
パラスが三叉槍で壁を突き刺す。小さな亀裂が天井まで広がり、私の頭上に大量の瓦礫を生み出した。
圧倒的質量を誇る大量の瓦礫は、重力に従い下へ落ちる。
避けようと思ったが、足に瓦礫が挟まっていて動けない。
あ、これ、ヤバ……。
目の前が真っ暗になった。
瓦礫の山に、私の身体は埋もれてしまった。
その様子を見たパラスは一人笑い出す。
パラスの計画朝から順調すぎるくらいに進んでいた。
防具屋で物理軽減を持たない魔防具を買わせ、宝石商で地属性の宝玉を購入する。
最後に、地下遺跡への依頼を勧めること。ここまで全てパラスの計画通りだった。
「ふふふ……アハハハハ! ボタン兄さんの極刑はもはや免れない。ボタン兄さんを殺したのはお前らッス。お前らが、悪いんスよ! イヌイコータとか言うやつも殺してやるッス! お前らをギルドに案内したナーゴも殺してやるッス! みんな、みんな、みんな! パラスから兄さんを奪ったやつは、殺してやるッス!」
その小柄な体躯に似合わない鬼の形相だった。
その目に宿るのは少女が抱え込むには重すぎる憎しみ。
今の彼女なら、人を殺すことにためらいも持たないだろう。
え、すでに私が死んでるだろうって?
いやいや、勝手に殺さないでほしいんですけど。これでも私この作品のメインヒロインよ。
「ま、人間相手だったらこれで死んでてもおかしくなかったでしょうね」
渾身の力で身体にのしかかった瓦礫を払いのける。上の階層にランタンの明かりが目に入ったので、それ目がけて跳躍をする。
するとパラスの姿が目に入る。パラスは最初憎しみに満ちた表情をしていたが、驚愕に変わり、瞬く間に恐怖の表情になった。
「……え? うわあぁぁぁッ!? なんで!? どうしてここに悪魔族が!?」
悪魔族? って、なんだっけ。なんか聞いたことあるような気がするけど忘れちゃった。
「あ、擬態解除って言うの忘れてた」
潰される直前に怪人態へと変態していた私は、瓦礫の雨を生き残ることができた。
まあ多少痛むけど、小娘一人おしおきする程度わけないわ。
「さーて、楽しいスキンシップを始めましょうか。セ~ンパイっ♡」





