第17話 黒騎士
目の前にあるのは半開きの扉。私が部屋を出るとき確かに閉めたはずの扉。
中へ戻ろうとする私を引き留めたのは部屋の中から聞こえてくる物音。
いる、中に誰かいる。
浩太が起きて荷物をいじっているだけ、という可能性は無い。なぜなら、物音と同時に浩太の寝息も聞こえてくるからだ。つまり、今部屋の中には浩太とは別の人物がいる。
このまま素直に部屋に戻るのは危険だ。そう思った私は扉の隙間から中をのぞき込む。
やはりいた。暗くてよく見えにくいが長身の男が浩太のベッド周辺を漁っている。盗賊だろうか? ならばナーゴを呼びに行こう。人間なら私一人でも十分だが、後の処理が面倒だ。
そう思い部屋から目を離そうと思った瞬間、雲が晴れ月明りが部屋を照らした。
光は侵入者の正体を暴く。
私は困惑した。今まさに呼び出そうと思った人物が目の前に現れたのだから。
な、なんであいつがここにいるのよ……?
「クソッ……どこに隠しやがった……!」
ナーゴの表情は昼間とはうって変わって険しいものだった。憎しみに満ちた目を光らせて、部屋の隅々まで何かを探している。
さらに、その手には刃渡り15㎝ほどのナイフを構えている。護身用だろうか。万が一、私か浩太が目を覚ました時対処するための。
わからない。一体ナーゴがなにをしようとしているのか。
まさか、お金? 私と浩太に分け前として取られた計10万ゴルドを盗もうとしているの?
だとしたらなんてコスい人間なんだろう。賞金稼ぎだなんだと言って賞金首とやってることが変わらないじゃない。
あーあ、どんなにイケメンでも所詮人間ね。根本の汚い部分は変わりないわ。
まあいいわ。せっかくだし浩太に恩を着せてやりましょう。
段取りはこうよ。
まず、ナーゴが浩太の5万ゴルドを見つけたところで私が大きな音を立て中に突入する。
すると、音で浩太が目を覚ます。
ナイフで抵抗しようとするナーゴを私が稲妻で気絶させる。
混乱する浩太にナーゴが私たちのお金を盗み来たという衝撃の真実を話す。
身を挺して生活費を守った私に浩太は感謝感激雨あられ。
そして浩太は泣きながら5万ゴルドを私に差し出し、ついでにナーゴの10万ゴルドもゲットしてハッピーエンド。
うん、完璧ね!
確か、浩太はお金をベッドの下に隠してたはず。さあ、早くみつけなさい盗っ人ナーゴ!
「ここか……?」
ナーゴがベッドの下に手を突っ込んだ! そうよ! そこよ!
そして、麻袋を手に取るナーゴ、中の金貨が月の光を反射してキラキラ光っている。
キターーーーーーッ!
さあ、覚悟を決めなさい! このリカ様が直々にお縄を……!
「なんだ金か」
そう言ってナーゴは麻袋をベッドの下に戻した。
あ、あれ? お金を探していたんじゃないの? 思わずずっこけそうになる。
私の天才的でパーフェクトな段取りが前提から崩されてしまった。
お金目当てじゃないならいったい何を探してるっていうのよ……。
ま、まさか浩太の下着とか探してるんじゃないでしょうね!?
……まあそれならどうでもいっか。
別に浩太が誰に掘られようと知ったこっちゃないわ。
それからしばらく周辺を漁ってたけど収穫がなかったのか、ため息を一つ吐く。
「チッ……まあいい。なら、今日はリカルメの方を優先させてもらう」
そう言うと、ナーゴは足音を立てないように私のベッドに近づきはじめる。
ちょ、ちょっと! まさか、私の下着を盗むつもり!? 守備範囲広すぎでしょナーゴ!
さすがに自分のものが狙われているとなるとなりふり構っていられない。このまま部屋に突入してやる!
……あれ? 何か変だ。
なんだか今のナーゴの言葉に違和感を感じた。ゲイなのかノンケなのかハッキリしろよ! とかそういうことではなく。たぶん、問題は思ったより深刻だ。
ナーゴは右手に持っていたナイフを逆手に持ち替える。
今、あいつは私のことをなんて呼んだ?
音も無く跳躍しナイフを構えた右手を大きく振りかぶる。
私は、いや、一緒にいた浩太だって一度たりとも私の幹部名を喋っちゃいない。ナーゴは私のことをリカだと思っていなければおかしいのだ。
だから、知っているはずがないのだ。私がリカルメ・バイヤードであることを。
ナーゴが全体重を右手に乗せてナイフをベッドに突き立てた。私がそこで寝ていたとしたら、ナイフはちょうど心臓の位置に突き刺さっている。
「……え?」
あれだけ激しい動きをしたのに部屋の中は静まりかえっている。ナーゴは受け身をとって静かに床に着地する。
いくらバイヤードとはいえ、人間態はかなり脆弱だ。人が死ぬことをされれば死んでしまう。つまり、私がトイレで目覚めなければ、私の命はこの夜に終わっていたというのだろうか?
ナーゴが血の付いていないナイフを見つめる。私を仕留め損ねたことに気づいたのだろう。そして、ゆっくりと扉の方向、つまり、私が今立っている場所に視線を動かす。
虚ろな目が私を捕らえた。
今、ハッキリとわかることが一つある。
ああ、また私、人間に恐怖しているんだ。
◇
「ハァ……ハァ……ッ!」
気がついたら私は無我夢中で駆け出していた。
宿を出て、ダルトスの町を駆け回る。
ここは王都からやや離れた田舎町だから街灯も存在しない暗い夜道。
視界もあやふやなまま私は走る。途中、壁にぶつかったり段差につまずいたりした。
知ったことではない。今、私は足を止めちゃいけないんだ。
背後から殺気が迫ってくる。おそらくナーゴが宿から私を追ってきたのだ。
なんで、なんで私がバイヤードだとバレたの?
ナーゴの前で擬態は解いていないはず。であれば、ナーゴがバイヤードだという可能性は?
私はこの世界に来てから擬態元を一回も変えていない。それはアテナと一緒に過ごしたこの姿を捨てたくないという私のわがままというか意地のようなものだけど、そのせいでスパイダーには私の正体が見破られた。
ナーゴの正体ががバイヤードであるなら、スパイダーと同じ理由で私がリカルメだと見破ることは容易なはずだ。
だけど、もしそうだとしたら根本的な疑問が一つ残る。
なんのためにナーゴは私を殺す?
スパイダーたちのように私が明確な敵意を向けていたならともかく、ナーゴには最低限友好的な態度を取っていたはずだ。
そうでなくとも私はバイヤード四天王の一人。
よっぽどのことが無い限り並みのバイヤードが私に牙をむくなどあり得ない。
レヴァンテインと共に旅をしていることが裏切りだと思われたのだろうか?
私は過去にもレヴァンテインに接触しスパイ活動を行っていたことはだいたいのメンバーには周知の事実だったはずだが……。そもそもレヴァンテインより私を優先して殺そうとしたことも腑に落ちない。
ダメだ。考えれば考えるほど、ナーゴがバイヤードだとは思えない。
私を殺す際に怪人化しなかったのも違和感がある。人間態よりも怪人態の方が腕力があるのだから、そっちの方が確実に私を殺せるはずなのに。
仮にもバイヤード四天王の私を暗殺するのに慢心するバイヤードなんていない。
ならば私はただの人間に恐怖しているというのか?
レヴァンテインのようなヒーローでも、ユリ博士のような天才でもないただの人間に?
確かに、この世界の人間は前の世界の人間と比べて身体能力が高い。だが、バイヤードの私から見れば誤差レベルだ。人間態の私になら勝てるかもしれないが、真の姿で戦えば負ける気はしない。
そうだ、この脆弱な人間態が恐怖の原因だ。
バカバカしい。そうとわかればもう逃げる必要は無い。
背後から迫ってくる存在に真の恐怖というものを思い知らせてやる。
私は逃げ足を止め、クルリと振り返る。
追ってくる気配も立ち止まる。暗くて相手の姿もよく見えないが、私の様子をうかがっているのだろう。
だが、私に怪人化の時間を与えたことがお前の敗因だ……!
「擬態、解除ッ!」
紅い稲妻が私の身体を包み込む。体の芯まで痺れる感覚と共に、力が満ちるのを実感する。
頼りない人間の殻を破り、屈強な、バイヤードとしての肉体が形成される。
ハットを深く被ったような形状の頭部。
背中から生える無数の触手。
全体的に淡い紅色の透き通った皮膚。
そのクラゲのような容姿から、リカルメという幹部名を頂く前はゼリーフィッシュ・バイヤードと名乗っていた。
「あーあ、さっき嫌なこと思い出してたとはいえ人間相手にここまで無様な姿を見せていたなんて、我ながら嫌になるわ」
この屈辱を晴らす方法はただ一つ。
ナーゴを、目の前の暗殺者をできるだけ惨たらしく殺すことだ。
怪人態に変貌した瞬間からナーゴに対する殺意が内側から溢れ出してくる。これが浩太の言う殺人衝動ってやつなのかしら? まあどうでもいいわ。
さあ、劣等種。今度は私が鬼になる番だ。全力で逃げてみろ。
ゆっくりと私は暗殺者に歩み寄る。私の真の姿を見ても動揺する様子が無いのは感心する。
だけど、いつまでその余裕が保てるかしら?
私は右手の親指と人差し指をまっすぐ伸ばし銃の形を作り暗殺者に向ける。
「喰らいなさい、紅ノ雷銃!」
人差し指から稲妻を凝縮した紅い弾丸が放たれる。人間相手に雷砲を使うまでもない。雷銃で十分だ。
弾丸はまっすぐ暗殺者の胸へと放たれ、避ける間も与えず命中した。
心臓に電気の塊をぶち込んだのだ。もう奴の命は果てたも同然だろう。意外と呆気ない結末だった。
しかし、弾丸が暗殺者に命中する直前、私は奇妙なものを見た。
稲妻の光に照らされた暗殺者の全身像である。
一瞬しか見えなかったが、その身体は黒い鎧のようなもので覆われていた。
騎士のようにも見えるがゴアクリート王国の鎧じゃない。そもそも奴は剣を持っていない。
というか、私をここまで追いかけてきた暗殺者はナーゴではなかったのか? 私に現場を目撃されてから今に至るまで鎧を着る時間などなかったはずだ。ということは、この黒騎士はナーゴの仲間?
いずれにせよ、鎧程度で防げるほど私の稲妻はやわじゃないわ。おそらくナーゴも少し離れた場所でこっちを見てるはず。逃げられる前に見つけ出す。
黒騎士の横を通り過ぎようとした時、私の腕が何かに掴まれた。
ギョッとして私は反射的に自分の腕を見る。私の紅い腕を掴んでいたのは黒い鉄の手。すなわち、黒騎士の手だった。
「どこへ行く? あの程度の静電気で私から逃げられると思うな」
そのまま腕を引っ張られ、黒騎士の文字通り鉄拳をみぞおちに喰らった。
「がッ……ハァ……!」
お腹に穴が開いたと錯覚させられるほどの鈍痛を覚える。痛い。
……痛い? なぜ私が、バイヤードである私が人間の拳でダメージを喰らっている? 見たところ魔法のようなものを使った素振りは見せていない。
いや、そもそもそれ以前の問題だ。
なぜこいつは生きている? 手加減したとはいえ、怪人態の私が放った電撃を人間が受けて無事で済むはずがない。
鎧の金属を伝わって稲妻が分散したのだろうか……? まあいい、だったら今度は手加減なしだ。
黒騎士から距離を取りつつ背中の触手を右腕に掻き集める。
大砲を形作り、その砲身を黒騎士に向ける。
「紅ノ雷砲!」
右腕が紅く発光し、次の瞬間、轟音と共に腕から雷が放たれる。
黒騎士は胸の前で腕をクロスし、防御の姿勢を取った。バカめ、そんな程度で防ぎきれるはずがないだろう。
眩い光に黒騎士は包まれる。バイヤードでも消し炭になるほどの稲妻、ちょっと武装した程度の人間なら灰すら残らないはず。
そう、思っていた。
しかし、感じる、気配を。
雷光の中、一歩ずつこっちに歩み寄ってくる殺気の塊を。
「な、なんなのよあんたはッ!?」
「それはこっちのセリフだ。なぜそんなにも弱いんだ貴様は?」
紅い光の中から黒騎士が飛び出してきた。
徒手空拳のまま私の懐まで潜り込み、その拳が私の眼前まで迫る。咄嗟に左手で受け止めたが、受けた箇所が痺れるように痛い。
やはりこの攻撃力、只者ではない。
「リカルメ・バイヤード。貴様は約半年前にユグドラシルに転移していたはずだ。この半年間この世界で過ごしているというのに、なぜ貴様は覚醒していないのだ?」
「知らッ……ないわよそんなこと!」
後ろに飛び退き、再び距離をとる。
ユグドラシルだの転移だの、何の話をしているのよこいつは。でも、一つだけ聞いたことのある単語が混じっていた。
覚醒。アタトス村で遭遇したバット・スパイダー・スコーピオンは皆、四天王の私よりも強くなっていた。アテナがスコーピオンの毒をまき散らしていなければ私たちに勝機はなかっただろう。
「私が今まで殺してきたバイヤードは全て覚醒していた。どういう訳か、ユグドラシルの空気を吸ったバイヤードは身体能力が格段に向上し、新たな能力を身に着けるものもいる様だ。四天王の一人であるお前はどれほどの化け物に変貌しているのかと身構えていたのだが、この程度とは拍子抜けだな」
「さっきからごちゃごちゃ五月蠅いわね! なんで見ず知らずの人間から落胆されなくちゃいけないのよ!」
待って。それよりも今、こいつはなんて言った?
私が今まで殺してきたバイヤードは全て覚醒していた?
つまりこいつは幹部レベルの力を持つバイヤードに勝ち続けてきたってこと……?
浩太以外に、レヴァンテイン以外にそんな奴が存在するの?
「そうだ、一緒にいたお前なら知っているかもしれないな」
そう口にすると同時に黒騎士は一瞬で間合いを詰めてきた。
本当に一瞬、瞬きすらする暇もないほどに。
首元に冷たい感触がする。
黒騎士の手刀が当てられているのだ。
「グランセイバーはどこにある? 5秒以内に答えろ」
ぐ、グランセイバー? なにそれ、知らない……。
で、でも知らないなんて言ったら殺される!
きっと逃げられない、なにか考えなきゃ!
「5、4、3……」
グラン……えっと確か大きいとか壮大って意味よね? そしてセイバー……救済者?
ということは『大きい救済者』ね!
ってなによそれ! 意味わかんないわよ!
「2、1……」
だ、ダメよ……。ゼドリー様に会えずに死ぬのは嫌!
アテナとこのまま別れたままなんて嫌よ!
逃げなきゃいけない。でも、身体が動かない。
逃げたところで追いつかれる。否、逃げる前に殺される。
「0。では死んでもらうか」
誰か、誰か助けて。
ゼドリー様、アテナ……!
「反逆の刃の錆となれ」
黒騎士の右腕が上がる。解放されたわけじゃない。鎧の中から私の首への視線を感じる。
私の命が尽きるまで、もう1秒もかからない。
そんな時、なぜか私の頭の中にあいつの顔が浮かんだ。
ゼドリー様でもアテナでもない、私の宿敵の顔が。
遠くから足音が聞こえてくる。私を迎えに来た死神の音?
いや、違う。死神はあんなダサいベルトを巻いて走ってはこないだろう。
「変身っ!」
あれは、怪人の宿敵、ヒーローだ。





