それは出会い②
「……おーばー、……?」
未だに放心状態の恵那は、吸血鬼——「吸血鬼」の言葉を飲み込めずにいた。
だがその恵那に振り返った吸血鬼は、事もなさげに続ける。
「オーバーレェイ。『寝過ぎの吸血鬼』ともよばれます。その界隈では、私達吸血鬼は」
恵那が呆然と見上げる中で吸血鬼が話を続けていると、言葉の途中で吸血鬼の体が真横に吹っ飛ぶ。
メリ、とかバキ、などという生易しい擬音では決して表せない、えげつない程生々しくリアルに物を破壊する音が、その瞬間恵那の鼓膜を叩いていた。
それは家の壁や柱が崩壊する音ではなく、甲冑男が叩きつけた棍棒が吸血鬼の衣服を傷め、受け止めた左腕の肉を破り、骨を破壊する音だった。
吸血鬼に対して振り下ろされた一撃は、吸血鬼ごと壁を破壊し、彼女の体は壁の向こう側へと崩れ落ちる。
「……お、驚きましたよ……貴方がまさかあの、オーバーレイだったなんて……。貴方の血肉を喰らえば、私はより不老不死に近付ける……!」
「………………え」
恵那の眼前に立つのは、口元をべっとりと血で濡らしながらも、笑みを浮かべ、肩で息をする甲冑男。それを見て、恵那はもう一度悲鳴を上げかけた。
……そう、彼は気絶していた訳ではない。
「堅くて重い」という鎧を着込んでいた所為で、自重の所為で、垣根の向こうで動けずにいただけなのだ。
「生命力の波動を頼りに彷徨っていたら……とんでもない御馳走にありつけたものですよ」
破壊されて残った壁を踏み砕きながら、甲冑男は未だに起き上がってこない吸血鬼の元へと歩みを進める。
「あぁ……あぁ。流石に私も同じ人型をした肉を食べるのは嫌なので……全身をくまなく叩き潰して人の原型が無くなった後、いただきますね」
吸血鬼が倒れている場所までゆっくりと移動した後、そう言って、吸血鬼を殴打した棍棒を肩に担ぐ甲冑男。その棍棒は……先程よりも、二周りほど巨大化していた。
「この棍棒は「鬼ノ叩」と言いましてね。鬼が手にする為の武器ではなく、鬼を殺す為のものなんですよ。……なんだか鰹のタタキに名前が似てますね(笑)。その能力は……血を吸う度に巨大化し、威力が増す、というものなのです。膨らむ大きさと能力に限界はありますが、貴方が吐かせてくれた私の血と今しがた得たばかりの貴方の血のお陰で、ほぼほぼマックスの性能を発揮出来ます」
ぐむんっ! ……甲冑男の言葉が終わると同時、棍棒が更に肥大化した。
(……な、何よあれ。絶対に殺されるじゃない……! あの子はなんで逃げないのよ!)
ただ茫然と見ていた恵那は、いよいよ吸血鬼が殺されそう、という所で正気に戻った。
いや……この状態を受け入れつつあるというだけでも、常人としては充分狂気の域に入るのかもしれないが。
だが、変わらず彼女に出来る事は何もない。
(……、…………っ!)
「あぁーれぇー? これじゃあ、一撃で終わっちゃうかもしれませんねぇ。……ま、こびりついた肉片でもぺりぺりと剥がして食べましょうかねぇ。……炊き込みご飯のッ、おこげの様に!」
感情が昂っているのか、甲冑男の口調が変化している。
その歪な笑みを浮かべたまま、棒というよりは丸太の如く肥大化した棍棒を、両手でバットの様に持ち、真上に振り上げる甲冑男。
(……だめっ! ダメよ!)
……そして彼女は、声を上げた。
「な、なんで。なんで……私の家でこんな事をしてるのよ! 貴方達一体何なの⁉︎ なんで私が巻き込まれなきゃいけないのよ!」
無論、自分の命を救ってくれた吸血鬼を殺させまいとする、吸血鬼に向けられた甲冑男の意識を逸らす為の威勢だ。……が、声も震えているし、彼女は未だに自分の足で立つ事もできない。下手をすれば吸血鬼よりも先に自分が死んでしまうかもしれないのだろう。
だが、それでも、勇者でも魔王でもない彼女があの少女に逃げてほしいと下した決断は、間違いなく、今日終わるはずだった恵那の今後の人生を決定づけるものだった。
——ザン。
「意思と生殖能力があるだけのくだらない人類種の分際で、ものを言うのはやめてほし——い?」
恵那に言葉を返そうとして、ゴドン、という音がして、振り向いた甲冑男が自分の足下に視線を落とす。
「……!」
恵那もそこに目を向けると……棍棒と、棍棒を握ったままの甲冑男の腕が床に転がっていた。
「…………う」
気付けば、男の額からは大量の脂汗が噴き出ていた。
「うおおぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉおおおお‼︎⁉︎」
思わず、飛び退る甲冑男。
「なっ、何が⁉︎ 一体……づっ!」
遅れて痛みがやってきたのか、切り落とされた方の肩を押さえる。
「お、お前か⁉︎ ……いや、そんなはずは……!」
わかりきっているであろう事を訊くなど、甲冑男はかなり慌てふためいているが、当然恵那にそんな事が出来るはずもない。
そして、男が戸惑い始めて数秒で——彼の足元から、声が聞こえた。
「……血をすって膨らむって。スポンジじゃないんだから……」
倒れたまま言葉を発した少女は、床に落とされた棍棒を掴み、粉砕する。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「貴女の次の武器は、何?」
話している間も相変わらず左の腕はあらぬ方向に折れ曲がったままで、喋りながらも口からは吐血してしまっている。腹部や足元などは、言うまでもなく血だらけで、吸血鬼がまともに意識を保てている事自体が不気味であった。
……だが。
「はあっ⁉︎ なんで、貴女は立てるのですか! その傷で⁉︎」
その不気味さこそが、甲冑男の吸血鬼に対する怯えを刻みつけていた。
「……強さなんてべつに、いくらでも勝手ににはいってくる」
————ザク。
ゆっくりと獲物を追い詰める蛇のように、吸血鬼はゆらりと立っていた。
(……? あれ……??)
「そのレベルに達した貴女を喰らう事で、私もその領域に……すっっっ⁉︎」
男の左足が、付け根からすっぱりと切り落とされていた。
バランスを崩した彼は、その場に崩れ落ちる。
「違う」
その甲冑男を吸血鬼は見下していた。左手はともかく、血塗れの右腕と血が垂れているだけの手には、何も握られていない。
(……何かおかしい)
「……な、何が違うと」
断じる吸血鬼を、甲冑男はただ見上げていた。
「いきものはいきもの。毒は毒。ひとはひと……わたしはわたし」
そこまで彼女が言って、甲冑男は何に気付いたのか——顔を伏せた。
「……どんなに足掻いても、所詮は我々『下等種』。……っ、——貴女方『上等種』には、手を伸ばせないとッッッ!」
さも悔しそうに顔を卑屈に歪ませ、残っている腕で——床を叩く甲冑男。
しかし、吸血鬼は目の色すら変えずに、それを見下す。
(……そうじゃなくて、この子は吸血鬼だけどそんなにはっきり喋る子じゃなくて——)
「力量——格の違いだよ」
「……ぐっ、うおおぉぉぉぉぉおおお⁉︎」
最期に吸血鬼は、甲冑男の体を思いきり蹴り上げ……天井を突き破り、甲冑男をまるで砲弾の様に夕闇の空へと吹き飛ばした。
「なぜ私はァ! 何故に我々はァ、貴女なんかにィィィィィィィィィイイイィィィィィィィ‼︎」
天高く打ち上げられた男は、そう最期の言葉を残して——その身を爆散させた。
(……あ、そっか。そうだ)
肉体が四散し、鎧から肉や血が溢れているというのに、その真下にいた吸血鬼と恵那には不思議と血飛沫は降りかからない。
「……すみません、お家を汚してしまって。……でも、これで終わ「ちょっと待って」……え?」
「あなた、私と出会った時にこんな事してないよね」
足が竦んでしまい、それまではただ見ているだけだった恵那が血塗れの吸血鬼の手を掴む。
否、その腕は既に血塗れなどではなかった。
……というか、砕けたはずの彼女の左腕も、吹き飛ばされたはずの天井も——
「……な、何を」
動揺した吸血鬼が後退る。その足元にあった大量の流血痕や崩壊した壁の残骸も、既に消えていた。
「……あー、うん。オーバレイじゃ、ないよね」
「……え、えと、なんの事だか……」
噴き出た汗が、吸血鬼の額から頬を伝って流れ落ちていく。
「確かあなた、最初の日は私が家に入れずに一晩外で過ごした筈だし」
ぎくり、と吸血鬼の肩が揺れた。
「自己紹介の時も噛み噛みで、オーバレイ? とかいうのも初めて聞いた。いつ考えたの?」
さらに吸血鬼の肩が揺れた。
「そもそも『村蟹』さんは貴女がうちに住み着いて1ヶ月くらいで初めて会った筈だし、あの人に他人の家に立ち入る勇気があるとは思えないし」
「………………」
「言っておくけど、なんでこんな事をしたのか後でちゃんと聞くから」
「…………はい」
流水の様に滑らかな動きで、フローリングの床に正座する吸血鬼。
それを尻目にしながら、恵那は瞳を閉じた。
……そして、掃除機か何かに吸い込まれる様に恵那の意識は途切れた。