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ハム助が刺客に襲われたと姫が知ったのは、翌日の朝になってからの事だった。他所の村から来た鼠族がぜひ姫にと献上した芋餅を焼き、ニコニコと頬張っている時に山寝から聞いたのだ。
「うへー、じゃからあの釜は買い換えようって言ったではないかー」
「うーん、ちゃんとお供えとかもしてたんだけどねー」
「ほう、そんな事をやっとったのか」
「そうだよー、妖魔のお肉とかお供えしてたー」
「……それのせいでより悪化したのでは?」
「そうかもー?」
山寝が芋餅を頬張り、あっ、これ美味しい、と思わず言葉をこぼした。姫も同意するように頷き、芋餅を持ってきた鼠族は誇らしげに胸をはっている。
「醤油を濃いめにつけて焼けば、これは中々に酒に合うな」
「朝からお酒を飲むのはどうかと思うんですが……」
「酒には穢れを払う力がある。これにより、妖魔を狩りやすくしているわけだな」
月華は一瞬だけ納得しそうになったが、酒を飲み恍惚とした表情をしているアケハを見て直ぐ様それが嘘だと気づいた。
(一瞬でも信じた自分が恥ずかしい……)
酒精でとろんとした目のアケハとは真逆の冷たい目で、月華は目の前の食客を見据えた。
「でねー、一個減ったし、ちょうど人も増えてきたから追加の釜を買う事になったのー」
「ほーん、美歯も奮発したのー。それだけ儲けとるのかの?」
「んー、たぶん? 最近は欲しいの言ったらすぐ買ってくれるー」
「じゃ、妾も何かねだろうかのー」
「無駄遣いはいけませんよ、姫様。山寝殿の場合はこの迷宮商売に必要だから買って貰えたんですよ」
月華も茶を啜りながら姫を嗜めた。手には南瓜を使った芋餅を持っている。
「その南瓜の奴、美味しゅうない? 素朴な甘さがたまらぬ……」
「これ、良いですよねー……えっと、枯草村のちゅうざぶろうさんでしたっけ? これってお高いんですかね」
「それほどでもー。これ、ハム助さんがお店出してくれるって言ってたから、そこで買うと良いかもー」
「おお、アヤツ……この激務かつ刺客に襲われとる中でも金儲けの匂いには敏感じゃのぅ……。まぁ、それほど大した儲けにはならんじゃろうけど」
嗚呼、そういえばとアケハが盃を手にしたまま、思い出したように言った。
「ハム助を狙った刺客、緑色の鎌を持っていたらしいが……話しだけを聞くとまるで緑鬼鎌のようだな」
「りょくきかま?」
「知らんか」
コクリコクリとアケハ以外の全員が頷いた。
「私も噂で聞いただけだが、緑鬼と呼ばれる鬼の体から取った鬼鉄で作られたらしくてな。限られた者にしか使えないが、鉄をまるで水のように裂くと聞いた。だが、それを作り、持っていた沢三白は8年ほど前に釜で煮られて死んだ」
「へー……」
沢三泊。この言葉を聞いて、姫にどこかで聞いたことがあるような、ないようなという微妙な感覚が浮かび上がった。ちらりと月華を見ると、月華も同じように頬に手を当てて何か考えている素振りをみせている。
「残っているはずの緑鬼鎌を探しても見つからず、恐らくは沢三白の娘がそれを持っているのだろうと言われているが……その二人の娘は死んだとも、将軍家に復讐する機会を伺っているとも聞く」
「では、ハム助さんが狙われたのは牛頭家が将軍家に与すると思われたからということですか?」
「ん? 嗚呼、もしも襲ってきた奴が沢三白の娘ならばそうかもしれんが……あくまでも噂だ。実際どうなのかは知らん。それに……」
それに? と姫と月華が首を傾げた。
「緑鬼鎌を扱うには、相当な神気と素養、それに術を操る技量が必要と聞く。それほどの相手ならば、鼠族のハム助は一瞬で殺されていただろうさ。襲ってきたのは別人だろう」
―――――――――
迷宮の二層にて、巨大な鎌を構えたガシャ髑髏が何かを咀嚼している。蛸蝿だ。肉塊と呼ぶに相応しい触腕で蛸蝿を叩き落とし、そのまま鎌で殺したのだ。
釜の化物は、いつのまにかその姿を大きく変えていた。釜に手足が生えただけだったようなその体はいつのまにやら死神を思わせる風貌と化し、ローブの下から大量の触手を生やしている。
その化物が、何か矮小な存在が近づいてくるのに気づき、咀嚼を止め、気配を感じる方向へと意識を向ける。ハム助だ。
「う、うげぇ!? なんかめっちゃ強そうになってるでござる!?」
化物が観察するようにハム助をジロリと見た。その左目は再生しきっておらず、未だイトミミズのような触手に包まれていたが、右目は薄暗い緑色の光を宿している。
ハム助は知る由もなかったが、この眼の前の存在こそ緑鬼と呼ばれる鬼であった。――鬼、明確な定義こそないが、知恵を持ち、人に仇なす超常の存在をそのように呼ぶ。
鬼が一匹出ただけで、小国ならば屋台骨が揺らぐ事がある。それが今ハム助の眼の前で肉塊を蠢きさせながら彼を観察していた。
「なんだ。何かと思えばさっきの鼠か」
そう言って、足下の触腕でハム助を薙ぎ払う。小さく鬱陶しい蟲を潰す時のように、その行為には何の感慨もない。ハム助はそれを避けたが、それもどうでも良い。ただ鬱陶しいから追い払っただけだ。先程の攻撃で怯え、逃げ去るだろうと考えた。
誤算があるとすれば、その鼠が歯を向けて襲いかかってきた事である。
「お主の中身に尋問したき事があるのと、お主めっちゃ危険そう故ごめん!」
この時点で、迷宮を降りながら捕食を続けた緑鬼の体躯はハム助の数十倍である。それほどの体躯差があれば、どの生物でもするように、緑鬼は自らの触腕を数本使い彼を叩き潰そうとした。
地面を強く叩く音が迷宮に響く。粉塵が舞う。粉塵より、紅い煌きが緑鬼の緑色の眼光目掛けて飛んできた。だが、空中では人は動くことが出来ない。緑鬼が鎌を持っていない左手で鼠をはたき落とした。
「……うぜぇなおい」
その左手が、砕けていた。釜の鉄を骨格とし、後から肉を付け、己の本体とも言える緑鬼鎌を取り込んだ。その鉄で出来ているはずの鉄の骨が手首からねじ切られている。
叩き落としたはずの鼠が、彼の足である触手を蹴りながら彼の顔面へと迫る。触手から使わる振動でわかる。この鼠はどういうわけか、重い。
「クソが! 舐めんじゃねぇぞ! いくら復活したてで万全じゃねぇにしても鼠如きにゃ負けねぇよ!!」
緑鬼が、その名を知らしめる事となったその武器。巨大な緑色の鎌をハム助に振るった。今まで幾多もの神族を、武士を屠ってきたその一振りは、鼠族程度が避けれるものではない。
緑色の一閃と、紅い一閃が重なり合った。――緑鬼、その名を世界に轟かせる武士ならば誰もが聞いた事がある鬼、恐ろしく精巧な幻術を用いて相手を惑わし、自らの姿を霧のように隠して、死角から防げぬ一撃を繰り出す死神。十数年前に討伐されるまで、青龍の地を恐怖に陥れた恐怖の象徴。
「マジかよ」
その鬼が振るう、鋼鉄さえ裂く鎌が今砕け散っていた。緑色の金属片が雪の如く宙に舞い、破片の一部がハム助の頬を幾らか裂いた。
鎌を砕いたそれは、朽ち果てた棒きれのように見えた。紅く錆びた棒の持ち手に、荒縄を巻いて無理やり振れるようにした、それ。武器とも思えぬそれの正体に緑鬼が気づいた時には、彼の頭は粉々に砕かれていた。