ブラック企業の社長は殺してもいい法案が可決されました。
「あー意識がーかゆーうまー」
真夜中23時の会社は真っ暗だった。
机のスタンドライトだけが力なく光り、オレはゾンビのような声ならぬ声をあげる。
仕事自体は終わっている気がする。しかし、帰れない。
もう正確なところは覚えていないが、二ヶ月くらいは家に帰っていない。
たぶん70連勤くらいだろう。
70連勤というのは、その名のとおり70日連続で出勤することをいう。
しかも、家ではなく会社の休憩室に寝泊りしている。
ありえないと思うかもしれないが、本当のことだった。
この頃になると、もはや家は恋しくなくなってくる。
今になって思い返せば、会社は住宅手当を出してくれたが、それが罠だった。
用意された家は郊外にある安アパートだし、通勤には行きと帰りあわせて4時間くらいかかる。
朝は当然のように満員電車。会社に着く頃にはフラフラになっている。
それよりかは、休憩室で寝泊りしたほうがまだ時間を有意義に使えるってものだ。
しかし、不思議なことに――、体力的には問題ないはずなのに、仕事のクオリティは下がる一方だった。
おそらく、精神的な何かが削れていっているのだろう。
オレは今日も社長に罵倒された。
いや、罵倒なんてものじゃないな。ただの公開処刑だ。
理由はオレが些細なミスをしたせいだった。
クライアントの会議に出席したオレは、作ったはずの資料を会社においてきてしまったんだ。
オレはみんなの前で土下座をさせられた。
いや、一言も土下座をしろとか謝れとかいわれたわけではない。
ただ、社長のお気に入りの社員が何人かいて、そいつらが、束になってそういう空気感を作り出す。
「お前、どっか頭おかしいんじゃないの?」
「足ひっぱるなよ」
「会社の業績落ちたらお前の責任だぞ」
「やめるなんていうなよ。五千万円くらいの損害でてるんじゃねーの」
「こいつに損害賠償請求しましょうよ」
オレは屈服した。
だから、土下座をした。
ハラワタが煮えくり返る想いと、自分の不甲斐なさが交互に心のなかに生じて、子どものように涙が落ちるのが止まらなかった。
いいから立って仕事をしろと、部長に言われて立ち上がるときに、たまたま社長の顔が見えた。
すると奴の顔はこれ以上なく歪んでいた。ただひたすらにオレが打ちのめされることを楽しんでいた。
資料を忘れたのはオレのせいだったが、精神的に余裕がない状況を作り出したのは社長だ。
こんなブラック企業やめてやるとは思うものの、次の仕事を探す暇もない。
いっそ殺してくれ。
そんなことを思う日々だ。
あー、意識が混濁するー。IQ下がるー。
どうでもいいけど、IQとファッキューって似てるよな。
社長ファッキュー。
「おい。そういえば知ってるか?」
オレに話しかけてきたのは、隣の席に座っている同期の松崎だった。
松崎はオレと同じく目の下に青たんのようなクマをつくり、今にも死にそうな深い呼吸をしていたが、しかし瞳の奥の毛細血管だけはやけに血走っていた。
「どうした?」
「やっぱり知らないみたいだな。聞いて驚くなよ。今日な、ブラック企業の社長は殺してもいい法案が可決されたんだよ」
「は? なんだそれ」
「おまえ知らないのか? ニュースとか見ないのか」
「ニュースとか見る暇ないだろ」
「ちょっとは世の中の流れについていったほうがいいんじゃないか」
「まあそうだけどな。会社の仕事をこなすのに精一杯だろ」
「だから、こんなところにいるんだろうけどな俺たち」
「そうだな……」
しんみりした気分になる。
で、松崎の言ったことを脳内で反芻してみる。
おいおいなにいってんだ。
ブラック企業の社長は殺してもいいだって?
それこそなんのブラックジョークだって話だ。
「本当だよ。ニュースサイトみてみろって」
松崎が自前のノートパソコンの画面を見せてきた。
政府の広報ページのようだ。
次々とページを変えていく。
ブラック会社の社長を殺してもいい法案が可決――社会への影響はどうなるのか。
朝まで討論。嫌な上司は殺してもいい。
これは抑止力であり実際に殺害に至ったケースはいまだ0件である。
ブラック企業ホワイト企業に転換する例多数。
ブラック企業の社長が緊急ボーナスを支給、社員の殺意をかわすのが目的か。
5chのスレッドもたくさんあがっていた。
一応、自分のノートパソコンでも検索してみる。
『ブラック企業の社長を殺してもいい法案』
検索。
松崎が見せてくれたのと同じページが確認できた。
どうやら本当らしい。
いったい何なんだ。この国は。狂ってしまったのか。
「この国もそろそろ少子高齢化とか人口減とかでヤバイからな。生産性をあげるためにはひとりあたりのGDPをあげなきゃいけない。けれど無茶を通せば、当然、怨みも溜まる。だから、ガス抜きにこんな法律が通ってわけさ」
松崎の言ってることと、同じような趣旨が、政府のページにも書いていた。
「しかし、そんなことをしたら、上のお偉いさんも殺されてしまうんじゃないか」
「そこは、当然の権利のように、公務員は別ってことになってる。公務員には社長っていう概念がないからな」
「まあ確かにな」
法律の条文は長ったらしくて、わかりにくくて、連勤状態の頭の働いていないオレにはよくわからなかったが、但し書きとして
『殺害対象として公務員は除く』
とされていた。公務員は殺してはいけないらしい。実に公務員らしいお役所仕事と言えた。
それと、『ブラック企業の社長を殺してもいい法案』というのは、いわゆる俗名で、本当は『組織内における世帯間格差と権力構造の是正により多数者にとっての秩序を維持するための法律』という名前の法律らしかった。
「まあ、よくわからない名前だけど、簡単なことだよ。30名だ」
「30名?」
「そう。法律っていうのは恣意的だからな。なぜ30名なのかはわからない。だけどな。要するに――」
松崎が底冷えする声を出して言う。
「30名の同意があれば殺してもいいんだよ」
「30名……」
「そうだ。30名の同意さえあれば、刑法199条の殺人罪に問われなくなる」
「しかし、それって私闘なのでは?」
「なにいってるんだ。そうだよ。この法律は私闘を許可しているんだよ」
「道徳的にまずくないか」
「道徳的といえば――、ブラック企業の社長は当然、悪人ということになるわけだが、悪人をのさばらせておくのは道徳的だといえるのかという問題がある」
「しかし、ブラック企業だとしても、人を殺したわけじゃないだろう」
「おいおい。前田が3ヶ月前に電車に轢かれた話は聞いただろう。そいつは会社に殺されたって言わないのか? いや、社長に殺されたんじゃないのか」
「それは……」
「なあ。お前も今日土下座させられて辛かっただろう。助けてやれなくてごめんな」
「いや……いいよ」
松崎もオレと同じく不遇の立場にいた。
なにが気に食わないのか、特に理由らしい理由もなく、社長はオレたちをいじめていた。
今日の土下座なんてまだいいほうで、松崎は何かの罰でトイレ掃除をさせられ、キレイになったかの確認のために便器をなめさせられたらしい。
「松崎……」
「おう」
「殺すのか。社長を」
「そのつもり」
松崎は言ってる内容とはまったく反対の軽い声をあげた。
「実をいうとさ。あとはお前がサインしてくれるだけでいいんだ」
松崎がA4用紙くらいの紙を見せる。
身分証とかにも使われる電子コピーを禁止する公文書用紙で、松崎も入れた29名分の署名と捺印があった。
「ん。これ……一番上にあるのって部長じゃないか」
部長は社長に金魚の糞みたいにつきしたがっているというイメージがある。
ずんぐりむっくりとした体型と傲岸不遜な態度が目につくが、社長にはヘコヘコしている。
陰口ではポチと言われている。
そんなやつが筆頭というところに、どこか権力闘争めいたきなくさいものを感じる。
ただの私怨なら、まだわかる気がする。
社長のただの気まぐれでズタズタにプライドを破壊されたオレたちが社長をぶっ殺すというのならわかる。
けれど、部長は――果たして、本当に私怨だといえるのだろうか。
「なあ。松崎……」
「ああ、部長のことだろ」
「そうだ。なんで部長がここに名前書いてるんだ」
「あの人だって、社長に従いたくて従ってるわけじゃないんだよ。家族のため。会社の存続のため。しかたなくやってたんだ」
「だが――、これじゃただのクーデターみたいなもんじゃないか」
部長の印鑑を筆頭に、その下に続く印鑑は、ほとんど部長の派閥の人間だった。
そいつらの印鑑はことごとく部長の印鑑にお辞儀をするように、軽く斜めに押されていた。
「部長はオレたちの不遇を知ってくれてるからな。社長よりは悪くしないだろう」
松崎は軽く頭を下げた。
オレに同意してくれるよう懇願していた。
きっと、彼も不安なのだろう。人を殺すことがいくら法律上認められたからといって、本当に良いことなのかわかるはずもない。
「そうだな」
オレは半ばあきらめの境地で、サインした。
印鑑はお辞儀しなかった。
★
決行の日は案外早く訪れた。といっても一年くらいはかかったがな。
法律というのは可決され、施行されるまでだいたい半年から一年くらいはかかる。
その間、オレたちは耐え忍んだ。
しかし、これは社長に対する最後の慈悲でもあった。
社長がもし心変わりするのであれば、殺すのはとりやめよう――。
そういう話になった。
しかし――、そうはならなかった。
社長はあいかわらずオレたちをいじめつづけたし、同志のうち何人かは過労で死んだ。
死んでも、遺書がある場合は有効らしく、計画は続行となった。
普通なら、人を殺すような、犯罪めいた行為は夜の暗がりの中でおこなわれるものだが、今回はれっきとした合法の行為である。
誰の目にもはばかることなくおこなうことができる。
むしろ不審死になっては困るんだ。
だから――それは何の変哲もない平日の真昼間におこなわれた。
「社長」
「ん?」
最初に声をかけたのは部長だ。
社長がノートパソコンから少し目を離して、わずかな視線だけで会話する。
ガコッ。
そんな音が響いた気がした。
部長のいつも持ち歩いているノートパソコンが、社長の側頭部にぶちあたった音だった。
社長はよろめき倒れるが、急所を避けたのか、まだ息があった。
オレたち以外の、つまり同志以外の人間は、部長の凶行にあっけにとられ、それから、壊れたスピーカーのようにわめき出した。
「なにしてるんです。部長。気でも狂ったんですか」
「ケーサツ。ケーサツ呼べ!」
「殺人鬼。殺人鬼よ! 助けてー!」
「だまれえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
部長が大喝する。
まんまるい巨躯から放たれた怒号は社内を震わした。
ハァハァと息が荒く、そして今にも人を殺しそうな――実際にその行為に及ぼうとしているわけだが、そんな雰囲気に周りは押し黙るほかない。
そこで、松崎が声をあげる。
「ブラック企業の社長は殺してもいい法案が施行された。すでに執行手続に入っている!」
「天誅だ! 天誅!」
「人をゴミみたいに扱いやがって、死ねクソ社長」
「おまえらも同罪だぞ! さんざん人をこきつかいやがって!」
「自由を返せ!」
ブラック企業の社長を殺してもいい法律は、30名も同意がなければ執行できない。
今回の場合、社長の部下の分まで社長の同意をとっているわけではなかったが、しかし、社長のお気に入りは数名しかいない。当然だ。権力とは寡頭であるがらこそ意味があるのだから。
30名の社員が次々と立ち上がり、社長派の数名を押し囲む。
オレもそのうちのひとりとして立ちふさがっていたのだが、騒動の最中に立ち上がるくらい回復したらしい社長は、恐怖のためか逆に薄ら笑いを浮かべたまま、社内を出ようとしていた。
まずい。
そう思ったオレはたまたま、人が少ない場所で、かつ扉の近くにいたので、社長を追いかけることにする。
後ろから部長が追いかけてきていたが、大きな身体のせいか、既に息があがっていた。
「ああ。君」
「はい」
「わたしの代わりに社長を殺してくれないかね」
「部長は社長を殺して、社長に成り代わりたいんですか」
「いや、違う。わたしは権力なんてこりごりだ」
「わかりました」
いずれにしろ、オレはもう殺人に同意してしまっている。
いまさら部長の真意を問いただしたところで無意味だ。
部長からゴルフクラブを受け取り、社長を追いかける。
オレが追いついてきたのをみて、社長はギョッとした。
エレベータに乗られたら逃げられたかもしれないが、幸いなことにまだ来ていないらしかった。
これなら追いつける。
社長は非常口の扉を開けて、階段で下に逃げるつもりらしい。
「社長! 死んでくだしあ!」
「いやだ。死にたくない。死んだら死んでしまうじゃないか!」
「ご覚悟を」
どったんばったん螺旋構造の階段を駆け下りる。
「あ!」
そして、社長が足をすべらせた。
数秒後には社長のそばまで駆けつけることができたが、社長は変なふうに落下してしまったらしく、首が変なふうに曲がっていた。
あっけない最期だ。
一瞬のことだった。殺意もクソもない。
これでは事故で死んだみたいで、復讐の結実であるとはいえないかもしれない。
だが――、死は死。
死んでしまえば、どんな悪人だろうとそれ以上悪いことはできない。
社長の茫洋とした瞳が、オレを非難しているように見えたが、それはオレ自身が社長を殺したことを完全には受け入れていないからだろう。
★
三年後。
オレは部長に昇進していた。部下もたくさんできた。
といっても、別にあくどいことをやってるわけではない。
オレたちはブラック企業がどんなところか知っている。
誰よりも謙虚にならないといけないことを知っている。
だから、人には優しくしているつもりだ。
あれから部長は社長になった。
持ち株比率的には、株式は当然相続されたらしいが、社長の親族は社長が法にのっとって殺されたことを知ると、恐怖のためか株を手放したそうだ。
部長は今のところ、社長のようにはなっていない。
社員は定時で帰らせるし、残業させる場合きちんと残業代がでる。
セクハラやパワハラの対策もホットラインを構築し、今のところは特に目立った問題は発生していない。
松崎はオレと同じく違う部の部長になっていた。
部署が違ってしまったので、顔を合わせることも少なくなってしまったが、同期としての絆は残っていると思いたい。
「部長」
「ん?」
声をかけてきたのは今年入社した新人OLの新井さんだった。
「どうしたんだい?」
「あの……部長」
「はっきり言ってくれないかな?」
「死んでくださいませんか?」
「え?」
オレの胸には、料理教室で使うような鋭い刺身包丁が突き刺さっていた。
熱い。
傷跡が猛烈に熱い。
痛みを越えて――。
「なぜ?」
「部長のそういうねっとりとした言い方。セクハラですよ。気持ち悪い」
部下達が次々立ち上がり、オレを罵倒しはじめる。
「お茶をいれてくれって言われた。セクハラだよ」
「行きたくもない呑み屋につれていきやがって。いつの時代だよ」
「タバコ臭いんですよ。殺したいくらい」
「説教くさいんだよ。いつもいつも」
「わたし、残業代狙ってたのに早く帰れって言われたら困るんです」
「部長は前社長を殺して、社長にとりいったんですよね? ひどくないですか?」
「僕の顔を見て、笑ったでしょ」
「隣歩いているときに鞄が当たったんだけど謝りもしない」
「人間のクズ」
「死ね!」
「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」
みんなの声が大合唱になる。
なんだよ。それ。
オレはみんなのことを思って……。できるだけ傲慢にならないように、前社長のようにならないように、心を砕いてきた。そんなオレの想いなんてまったく伝わっていなかったというのか。
クソ……。
血が流れすぎて意識が朦朧としてくる。
かすむ視界の端に悠然と歩いてくる見知った姿があった。
「よう。元気か。って言っても死にかけか」
「ま……、松崎。どうして」
「どうしてって、おまえ、そりゃ。オレも30人の中のひとりだからな」
「法律……社長じゃないと……殺せないはずじゃ」
「いや別に社長じゃなくてもいい。公務員でなければ、権力者であれば、30人の同意があれば誰でも殺せるんだ」
「なぜオレが殺されなければならない」
「しらねーよ。誰だって誰かに怨みは買ってるだろうさ。今回はたまたまお前だったってだけのこと」
こいつの部署とオレの部署を比べると、オレの部署のほうが少しだけ売り上げが多かった。
だから、松崎にとってオレは邪魔ものになったのかもしれない。
松崎にとって、オレは邪魔者になったということなのかもしれない。
「おまえも……いつか殺されるぞ」
「そうだな。でもそんなのは昔からそうじゃないか。オレはもっとうまくやるよ」
もはや声も出なかった。
人が人を扱う以上、それはどうしようもなく罪なのかもしれない。
どれだけ心を砕いても。
どれだけ相手のことを思いやっても。
「権力者は死んでください」
灰色の視界の中に女性の柔らかな声が響く。
オレはそういえば、と思い出す。
確か、確かそうだ。
死んだ社長の名前は「新井」だった。
そうか……。
だったら。しかたないのかもしれないなぁ。
胸の奥にストンと収まった気がして、オレはオレの死を受け入れた。
着想2分。
執筆時間2時間くらい。
もっとかわいくて面白い作品を書くべきなのではないかと思ったりもする今日このごろ。




