第30話
カイがリィンに買い与えたのはアイリッシュ・ハープのような楽器だ。大きいので普段はカイが収納している。リィンは楽譜の読み方と楽器のチューニング方法、弾き方などを楽器店の人に聞いて一生懸命練習していた。リィンは元は切り裂き人形。それほど器用な性質には作られていないようなのである。それでも何度も何度も練習するうちに形になり、ラクシェの王都イリトに着く頃にはかなり達者に弾けるようになっていた。人形だと思うから上達速度が遅いと思うのであり、人間でこの上達速度だったら天才である。行く先々の宿の食堂ではリィンのハープの音色が響き、ラクシェの人たちは感嘆の溜息をついていた。
「リィンは素晴らしいな!リィンの奏でるハープの音色は心が洗われる様に美しい。」
リュート様からもお褒めの言葉をいただいた。
「カイ殿の人形は皆このように多芸なのか?」
「……。」
カイは今日はどことなくぼんやりとしている。夜抱きしめられて眠っているけど、昨晩はやたら体温が高かったように思う。熱があるのかもしれない。
「カイ?体調悪い?部屋で休む?」
「うん…」
カイは立ち上がって部屋へ移動しようとしたところで転倒した。
「カイっ!」
慌ててカイの傍に寄る。
「サトコ…傍に来ないで…病気かも…」
こんな時まで私の心配をしている。
「リィン、カイを部屋に運んで?カント、お医者様を呼んできて!」
カントが駆け出す。
リィンがカイを持ちあげ、ベッドに運んだ。もしかしたら病気かもしれない、と言うことでリィンと部屋をチェンジして一人部屋に横になってもらう。
カントはすぐ戻ってきた。でもお医者さんは連れてない。
「なんか大変なことになってるみたいです。治癒院に病人が詰めかけてます。医師の診断では『ユルハ病』の大流行ではないかとのことです。1週間くらい前からじわじわ流行りだしたみたいで。」
「ユルハ病だと!?」
キサラが驚愕の声を漏らす。
「どんな病気なの?」
「ユルハ病ではまず熱が出る。これがすごい高熱でここで死んでしまう人間が既に1割いる。それから咳が出る。激しい咳で血を吐くこともある。血を吐き始めたら最終段階の一歩手前だ。徐々に臓器が傷んでいき、最終的には内臓が腐って死ぬ。」
「く、薬とかは!?」
「初期段階で投薬すれば治る可能性は高いが、使われている薬草が、人工栽培できる時代が来たら奇跡に違いないという究極の希少植物で、しかも夏のほんの一時にしか葉をつけない。この薬は酷く傷みやすい薬で徹底的な温度管理をしていないと駄目なうえに、そこまで管理しても1年ももたない。カイ殿がどれほどの富豪であっても、金を出せば薬を買えると言うわけではない。医師もさすがにない袖は振れないからな。」
私は目の前が真っ暗になった。とりあえず患者は隔離しないとならない、と言うことで、カイは治癒院の臨時施設に運ばれた。そこにはユルハ病の患者が沢山寝ている。激しい咳をして血を吐くものもいる。私は感染する可能性があるから、と中に入れてもらえなかった。リィンは自らが病気に感染する恐れの無い人形であることを告白し、カイの介護についた。
私は毎日カイの回復を祈っていた。
「サトコ様、きちんと食べて眠らなくてはカイ様もリィンもきっと心配されます。」
無表情なヴィランに諭されてしまった。食事は機械的に何とか取ることが出来たが、夜が眠れない。カイが心配すぎて気がおかしくなりそうなのだ。
祈り続けて2週間後、ヴィランが無表情に告げてきた。
「カイ様が血を吐かれたそうです。カイ様が亡くなれば私どもは魔力の供給源を絶たれ、止まってしまいます。一生をお世話できずに申し訳ありません。こちらはカイ様がサトコ様に託された魔法袋です。カイ様が今持ちうる財貨と換金できる宝飾品などが詰まっているそうです。サトコ様が一生豪遊するのに困らない分あるとのことです。カイ様はサトコ様に『死んでも、魂だけの存在になっても、サトコを愛している』と伝えてくれと仰ってました。」
私は受け取ったポーチを握りしめた。カイが死ぬ?カイが死んでも私は生きるの?それは際限のない地獄に思えた。
「私、カイの所に行くから!」
「サトコ様、危険でございます。」
「カイがいないのに生きてたって何の意味もない!」
私は治癒院の臨時施設に行った。私を目にしたリィンが表情を険しくした。
「サトコ、何故来たのです?カイのお気持ちを無駄にするつもりですか?」
「リィン…私の事を心配してくれる気持ちは嬉しいよ。でもね、カイもリィンもいない世界じゃ、私の心は生きていけないの。心が死んで身体だけ生きてたって意味はないの。私、病気うつされてもいい。ここでカイと死にに来たの。カイはどこに行くのも私を連れて行ってくれなきゃ駄目。天国にも。」
リィンは泣きそうな顔をした。
「サトコ……それでもわたくしはサトコに生きていて欲しいです…」
「ごめんね、リィン。それは聞けないお願いだよ。私は病気をうつされなくてもカイが死んだら後を追うつもり。それならいっそ最後くらい一緒に居させて。」
「…仕方の無い人ですね。」
リィンは諦めてくれた。私はカイのベッドに行った。カイは憔悴しきって目の下にはクマがあり、頬がこけ、青白くなっていた。見る影もなく弱弱しく視線は虚ろだ。
「カイ!」
カイは茫洋としていた視線を私に留めた。
「サトコ…?だめだよ。こんなとこにいちゃ…」
私は首を振った。
「私を置いて行ったら駄目だよ。例え行き先が天国でも。」
カイは力ない顔で笑った。
「オレの場合行き先は地獄かなあ……本当に一緒に行ってくれる?」
「うん。」
カイが私に手を伸ばしたのでその手を取って頬に触れさせる。
「ごめんね。もしかしたらサトコがそう言ってくれるかもしれないって期待してた…死んでも傍にいて欲しいんだ…」
「いるよ。どこまでもカイと一緒だよ。」
カイのカサカサの手が私の頬を撫でた。カイ、好きだよ。どこまでも一緒にいるよ。
カイが激しく咳きこんだ。こぱっと血を吐く。背を撫で布で血を拭う。
「カイ。病気、私にもうつして。」
カイの唇に口付けた。血の味がする。
カイは本当に色々な物を私に与えてくれた。それは化粧水だったりイヤリングだったりドレスだったりと言った形あるものから、リィンのような友達だったり、カイに抱いている愛情だったり、かけがえのない幸福だったりと形ないものまで。でも私はカイに何も返せてない。愛こそ捧げはしても、まだカイを幸福にしてあげられていないし、物質的なものではカフスしかあげてない。貰ったものに対して返せるものが少なすぎる。私の天秤は釣り合わない。それが酷く辛い。もし私の天秤が釣り合うほどにカイに色んなものを与えてあげられていたら…涙がはらはら出る。カイが血にまみれた手で私の涙を拭ってくれる。
私にも光の守護者のようなすごい治癒の能力があれば良かった。どうして私は何のスキルもない闇の守護者なんだろう。光の守護者だったらカイを救ってあげられたのに…私も、私は、私の、スキルってナニ…?
意識した途端ぐんっと体中の血が逆流するような感覚を覚える。身体がバラバラになって砕けちゃいそうだ。
「あぐっ…!」
急にもがきだした私を、カイが慌てて抱きしめてくれる。
「サトコ!?どうしたの!?…げほっ」
身体がバラバラになってぐちゃぐちゃになって砕け散ってしまいそう…
バラバラのぐちゃぐちゃのどろどろになった身体の先端から新しい身体が生まれて行くような感覚を覚える。満ち溢れるように力の張った私の身体。全身が生まれ変わった時、私は初めて私のスキルを知った。
私のスキルは『我儘な天秤』。功に釣り合う賞を、罪に釣り合う罰を対象に与える能力。しかしその釣り合い、と言うのは全て私の心が基準となっている。他人から見てどう考えても不釣り合いだろうが、私自身が釣り合っていると感じればその基準が通るのだ。『我儘な』天秤なのである。そもそも何にとっての功なのかと言うのからして『私に尽くしてくれた功』もしくは『私の価値観に沿った功』なのである。我儘過ぎる。しかしこれは当然私にとって嬉しいことだ。
私は早速、私の目にだけ映っていると思われる黄金の天秤に、カイの功に見合う賞として『ユルハ病の治癒』を乗せてみた。天秤はまだ傾いたままだ。ならば、と『カイの身体が今後病気をしない』を賞として乗せてみた。まだ釣り合わない。それだけ私がカイから貰ったものが多いと感じていると言うことだけど…
私が困った顔をしていると、口元の血を拭ったカイが尋ねてきた。
「サトコ、もう苦しくない?」
「うん。」
「突然どうしたの?」
「スキルに目覚めた。」
「へえ。」
カイはどんなスキルなのか聞いてこない。そう言えば他人に持っているスキルの詮索をしてはいけないんだったね。私はあえて明かそう、その上でカイは何を賞として貰ったら嬉しいか聞いてみよう。
「私のスキルは『我儘な天秤』って言って…」
スキルの説明をして、『ユルハ病の治癒』と『カイの身体が今後病気をしない』を賞として乗せてみたけどまだ釣り合わない旨伝えて、何を賞として欲しいか聞いてみた。
「何でもいいの?」
「使ったことないからわかんないけど多分。」
「じゃあ『サトコの身体が今後病気をしない』を賞として乗せてくれる?オレだけ健康でも意味ないから。サトコと一緒に天寿を全うしたいの。」
「わ、わかった。」
真剣なカイに頬を染めつつ『ユルハ病の治癒』『カイの身体が今後病気をしない』『サトコの身体が今後病気をしない』を乗せると黄金の天秤はぴたりと釣り合った。私はスキルの力を解放する。ぱああっとカイと私の身体が黄金に輝き、光が治まって見てみると、目に見えてカイの顔色が良くなっていた。
「カイ、どう?」
「すごい調子いい。呼吸も楽になったし。」
私は嬉しくなってカイに抱きついた。
「サトコ…一応ここ病室なんだけど。」
慌てて離れた。他の患者さんたちが私たちの方を見ている。
「す、すみません…」
「いや、元気になったんだな。良かったな、小僧。げほげほっ…」
壮年のおじさんが微笑んでくれる。この状況でカイだけ病気が良くなったら妬み、恨み事を吐きそうなもんだけど、そんなことはしない。おじさんだけじゃない。声が聞こえてたみんなは窶れた顔に喜ばしそうな笑みを浮かべている。これがラクシェの国民性と言うやつなんだろうか。勿論悪人がいない国なんて存在しないだろうけど、ラクシェの人々は優しい人が多い。私のイヤリングも探してくれたし、初対面同然の少女の為に自らの技量を尽くした女性達も、この病室で自分は病気なのに健康になったカイを祝福してくれるみんなも、『私の価値観に見合った功』があるはず。私は試しに対象を『ラクシェに住まう人々』と広く取ってみた。私の功の天秤は傾いている。そこに『ユルハ病の治癒』を乗せるとぴたりと釣り合った。私はスキルを解放する。ぱああっと病人たちの身体が黄金に輝いた。
「お加減はどうですか?」
おじさんに聞いてみる。
「す、すごく良い…が、なんでだ?俺は別に『お嬢ちゃんに対する功績』なんてないぞ?」
スキルの話を聞いていたらしい。
「私に対する功績はないですけど『私の価値観に沿った功』はあります。あの状況でカイだけが健康になっても責めず、祝福してくれたじゃないですか。私にとってそれは『功』です。」
「そう…なのか?いや、ありがたいが…そんな大層な事してないのにいいのかな?」
「全ての判断基準は『私の心』ですから、それで良いんです。」
「は…はは…ありがたい。ありがとう!心から感謝する。」
「功に賞を与えるだけの能力なのでお礼は必要ないですよ。あなたに…ラクシェに住まう人々に、それだけの功があったのです。因みに罪に罰を与える能力も有してますのでお気をつけて。」
「それでも礼を言わせてくれ。ありがとう。」
医者がぶっ飛んできた。
「い、いったい何が!?患者が急に金色の光に包まれて回復して…」
扉側にいた一人の男性が私のスキルの事を説明している。
「功に合わせた賞と罪に合わせた罰!?」
医者は必死にずり落ちる眼鏡の位置を直しつつ聞いてきた。
「その通りなので『功がないのに賞をよこせ』と言う要望は受け付けられませんけど。」
「そんなこと言う人間いないでしょう?」
…医者もラクシェ人だ…
そんなこと言う人間がわんさといるのが普通の国だよ。
きりがわるいー
因みに以前キサラが言っていた闇の守護者の能力は
魔物を従える能力→テイマー系の能力
疫病を操る能力→起きてしまった疫病を操り、終息の方向へ導ける。流行らせることもできるけど。
って感じです。字面は良くないけど結構普通の能力でした。サトコちゃんの能力も本人にとっては便利な能力ですし。
次でラストです。




