20 始まりの扉
「姐さんたち、あれから芥山行ったんですよね? どうでした? 何か変わっていました?」
愛美が行きよりも大きく膨らんだリュックを背負いながら奏斗とアヤメに話しかける。帰路につくその荷物の大半は土産のお菓子だった。支所の場所が反対方向なので帰りの新幹線は愛美と月白だけが乗車することになり、2人はその見送りに来ていた。
「うん、それがちょっと予想外なことがあったんだ」
奏斗は嬉しそうに芥山のことを話した。アヤメと2人で芥山を訪れるとそこは以前と雰囲気が変わっていた。ゴミ捨て場の裏にあった獣道は雑草が抜き取られ、石も敷き詰められて人が通れるくらいの道ができていた。そしてその先にある祠もきれいに修理されていた。
「あら、またあなたたち?」
後ろから声をかけてきたのは、前に来た時にゴミ捨て場を掃除していた女性だった。
「すみません、道ができていたので気になって」
「なぁに? 知らないなんて、新婚旅行でも行っていたの? 回覧板抜かされちゃったのかしら。町内会入ってないのなら自治会長の田中さんに言った方がいいかしらね、それとも本田さん?」
2人が夫婦で近くの新興住宅街に引っ越してきたと思っている女性は独り言のようにブツブツと話していた。
「おかまいなく、転勤でまた引っ越すことになっちゃったんです。引っ越す前にここが気になって」
アヤメが笑顔でフォローすると、女性は残念そうに眉毛を下げた。
「あらぁ、残念。ここはね、ゴミを漁るカラスを追いかけたら偶然見つけたのよ。だいぶ古くて壊れかけていたし、御神体もなくてね。でもそのままになんてできないでしょ? それで辺りをきれいにしていたら古い鴉天狗の像が出てきたのよ。だから町内会で修繕してお祀りしようって決まったの」
「そうなんですか」
奏斗が嬉しそうに言うとカァーカァーというカラスの群れの鳴き声がした。その声に人間を嫌うような響きはなかった。
「捨てる神あれば拾う神ありってとこか! まぁ、どっちも人間だったわけだけど」
奏斗の話を聞いた愛美も嬉しそうだった。そしてくせになっているように寝ている月白をぽんぽんと撫でる。月白は相変わらず寝たままだった。奏斗は自分が寝ている間、月白とは沢山の話をした気がしていた。しかし話した内容は何も覚えてはいない。ただ月白の人情味ある人柄だけが奏斗の心には残っていた。
「月白さんに直接お礼が言いたかったな」
そう呟く奏斗を愛美はキョトンとした顔で見ていた。
「師匠寝てただけだけどね!」
「僕は月白さんに助けられたし、愛美さんのこともちゃんと守ってくれていたんだよ」
「そりゃあ、そんな気はしてたけどさー、でも姐さんみたいにわかりやすく助けてほしいじゃん」
愛美はそう言いながら気持ちよさそうに寝ている月白を見るとムムッと眉間に皺を寄せた。
「あれ? 師匠ったら今日は一段と気持ちよさそうに寝てるなぁ。いつもは寝ててももうちょっとシュッとしてる気がするんだよね」
愛美の言葉にアヤメは笑みをこぼす。
「そうね、実際にほっとしているのかも。月白は漆黒の後継者だったから橡と青鈍をずっと気にかけていたのよ」
奏斗も頷く。
「うん、月白さんはとても愛情深い妖狐だと思う」
アヤメは奏斗を甘く睨んだ。
(それを言うならあなたもでしょう? 2人のために身体を放り出して心を差し出すなんて)
「どうしたの? アヤメさん」
「なんでもない。いつもと同じよ。愛情深いのはいいことだけど、そういう人はもっと自分にも愛情をかけて欲しいと思っただけ」
自分のことを言われているとわかった奏斗がエヘヘと笑う。その顔は前と何も変わっていない。しかし奏斗の魂は以前の彼とどこか違うことは確かだった。アヤメは奏斗が目覚めないことを青鈍に問い質した時のことを思い出した。
青鈍が目を覚ましたと聞き、アヤメは苛立つ気持ちを抑えながらすぐに彼女の元へと行った。
「そうか、まだ起きておらぬか。じゃがその男は確かに自分の身体に帰っていった」
「じゃあ何故目覚めないというの?」
苛立ちながら聞くと青鈍は天井を見たまま言う。
「姫、あの男は普通の人間ではないな?」
「青鈍、今質問をしてるのは私よ」
アヤメは鋭く尖った犬歯をのぞかせて青鈍を牽制する。力の弱い妖狐であれば、尻尾を巻いて逃げるほどの迫力だった。しかし青鈍は全く動じていなかった。
「姫はあの男のこととなると冷静さを欠く。それは彼らも気にされていることじゃ」
その言葉にアヤメは口をつぐんだ。青鈍は天井を見上げながら話を続ける。
「長い眠りは変化に伴うものやもしれぬ。橡は完全な妖狐になるのに100年はかかった。その間、一度眠りにつけば1月起きないことも珍しくはなかった。それ故にわたくしは姫がどこまであの男の変化を把握しているのか聞いておるだけじゃ」
アヤメは青鈍を警戒しながら睨む。
「奏斗が私の力に強く影響されて普通の人間よりも力を得ているのは確かよ」
アヤメの返答に青鈍は意地悪く口角を上げた。
「回りくどい言い方じゃの。姫が新たな世界で生きていくためにあの男に力を分け与えていたことを彼らが気付かぬわけがなかろう。じゃがあの男は自らの黒いモノを手懐け、わたくしの中に本体ごと乗り込み、わたくしの中にいた黒いモノたちを解放した。姫の力の影響だけで出来ることではない」
アヤメは顔をしかめた。
「何が言いたいのよ」
「あの男は自ら人間でない者に変わろうとしておる。蝶に蛹の頃があるように奴の身体は変貌を遂げようとしているのじゃ」
「奏斗が自ら変わろうとしているってこと?」
アヤメは青ざめてつぶやいた。
「そうじゃな。こうなってしまっては事は動きだすじゃろう」
「まさか始まると言うの? 奏斗はただの人間よ! 彼が少しの妖力を得たところで何をそんなに焦ることがあるというのよ!」
感情が昂ったアヤメの身体を金色の瘴気が覆いだす。アヤメはハッとして自分の身体を見た。
「変わっているのは人間だけではない。姫君は神をも超える精神力で黒い心を消化し、此度の一件で姫君は天狗の神力を得た。人間が前世の記憶を取り戻せば姫が心変わりをおこしても不思議ではない。つまり脅威は人間の男だけでないということじゃ」
「私が寝返ると思っているのね」
青鈍の目が微かにアヤメの方に動く。
「全ては彼らが判断されることじゃ」
ふたりの会話はそれ以上かわされることはなかった。
「奏斗っち、何もなくても連絡してね。美しい姐さんの隠し撮りとか、師匠のチョコレートフォンデュ動画とかいつでも待ってるから」
愛美は急に寂しさが込み上げてきたのかグスグスと泣き出していた。奏斗のポケットの中でトロトロは面倒そうな顔をしていた。
「愛美さんも何かあったらすぐに電話してね。ね、アヤメさん」
奏斗は愛美の涙と鼻水をティッシュで拭いてあげながらアヤメに笑いかける。
「ええ、愛美、あなたは1人じゃない。自分を信じて仲間と協力するのよ。私もあなたを頼りにしているわ」
アヤメが愛美に肩に手を置くと彼女は口をきゅっと真一文字に結んだ。
「姐さん! 道なき道を突き進む時はあたしを呼んでくださいね! 体力だけが取り柄っすから!」
泣きながら力こぶを作る愛美にアヤメが笑う。しかし奏斗はアヤメの様子にどこか引っかかりを覚えていた。
「おい、そろそろ時間だぞ」
トロトロがまわりを気にしながらこっそりと声をかける。愛美が月白とともに歩き出す。途中振り返った愛美に奏斗が手を振ると愛美も身体全体で手をふり返した。愛美に揺らされながら月白がうすく目を開く。
(青年よ、時は近いぞ)
愛美は月白が目を覚ましていることに気づいてはいなかった。奏斗を見つめる瞳には九重会の事務所の扉が映り込んでいた。
お読みいただきありがとうございます。狐姫と黒いモノたち完結です。
次は第七話「狐姫と眠る猫」です。眠り猫ではなく眠る猫です。また書き溜めて投稿します。8話でお話完結すると思います。
では今後ともよろしくお願いします。