7 松ぼっくりと梅の花
数日後、仕事にもだいぶ慣れた奏斗はマンションの外で毎日リスや狸たちと戯れていた。
「おぉ、そこじゃ、そこじゃ」
年老いた狸が奏斗に背中を掻いてもらって満足そうに声を上げる。
「じいさん、次がつかえているぜ」
トロトロが順番を促した。言葉の分かる奏斗に自分たちの要望をかなえてもらおうと、奏斗は大人気だった。
「あぁ、僕、幸せ」
リスとじゃれながら奏斗はつぶやいた。イタチには、どうして自然を守りたいのか今一度考えた方がいいと言われたが、こんなにかわいらしい動物たちのため以外に理由が思いつかない。
「ところで何で眼鏡かけてるんだよ? 良くなったんじゃなかったっけ?」
トロトロが新品の眼鏡を差して言った。奏斗はアヤメの瘴気の副産物で近視も治っていたが、すぐに壊れた眼鏡の代わりを買いに行っていた。
「だって、ずっとかけてたから、かけてないと落ちつかないんだよ」
度の入っていない眼鏡を直しながら言う。
ブーブーブー
奏斗のズボンのポケットに入っている携帯電話が振動した。そこには知らない番号が表示されている。
「はい、もしもし」
『もしもし、奏斗くん? 舞だけど』
電話は幼馴染の舞からだった。舞と連絡を取るのは久しぶりのことだ。舞のことはアヤメもよく知っている。アヤメが転入してきた夏休みには、ひとつ年上の舞と3人でよく遊んだものだった。
「マイちゃん? 久しぶり! 元気だった?」
『うん、元気だよ。この前も電話したんだけど気付かなかった? 今、奏斗くんは横須賀にいるんでしょ? 今度横須賀に行く予定があるから電話してみたの』
舞の話に奏斗は顔が輝いた。
「そうなの?! 実はね! こっちにアヤ……」
奏斗は「アヤメさんがいる」と言いかけて言葉を飲み込んだ。アヤメに口止めされていることを思い出したのだ。
電話の向こうで『何?』と不思議そうに聞く舞に、奏斗は「何でもない」と答えた。
『ふぅん。変な奏斗くん。じゃあまた横須賀で会おうね』
舞はそう言うと電話を切った。
「なんだよ、付き合っているのかよ」
トロトロがやらしい目をしながら言った。
「ち、ちがうよ! 舞ちゃんがこっちに用があるんだって。アヤメさんも舞ちゃんに会うか聞いてみよう!」
奏斗はマンションのエレベーターへと走りだした。
「待て待て、郵便受けに何か入っているぞ」
トロトロに言われて、郵便受けを見ると季節外れの梅の枝がはみ出ていた。中をみると小さな松ぼっくりも入っている。これらは動物たちからの手紙だった。この匂いをアヤメが嗅ぐことで彼女はその手紙を読むのだ。
事務所にはいつものようにアヤメが座って仕事をしていた。最初は驚いた窓の外の目も、その正体は見習いの化け狐たちだった。彼らは九重会の仕事を手伝っているが、まだ一人前にはほど遠い。なので奏斗がくるまでアヤメはその仕事のほとんどを一人で請け負っていた。
「急な視察もあるから、来てもらうのは視察の少ない夜がよかったのよ」
彼女は奏斗を夜10時に呼び出した理由をそう語っていた。寝る必要のないアヤメは24時間、休みなく九重会の仕事をこなしている。
「アヤメさん、郵便受けに手紙が入っていたよ」
そう言って松ぼっくりを渡すと目をつぶり、形の良い小さな鼻でその香りを嗅いだ。
「大松山のイタチからだわ。今日大松が切られたそうよ」
その内容に奏斗の表情は沈んだ。しょうがないこととはいえ、あれほど立派な木が切られてしまうのはやっぱり悲しかった。
「そんな顔しないの。菅原は小さいけれど山の自然を残した公園を作るそうよ。大松の種子からまた新しい苗木を育ててそこに植えるらしいわ。そして切られた大松は材木に加工して、子どもたちの遊具を作ることで後世に伝えていくとイタチに約束したみたいよ」
「イタチ先生は大丈夫なの?」
奏斗はイタチの今後のことが心配だった。
「その公園で山に残った動物たちの先生をするって。今まで以上に人間との距離が近くなるから『イタチ先生』は公園にとっても、必要かもしれないわね」
アヤメは松ぼっくりを置くと席を立った。
「アヤメさん、あとこれも入っていたんだけど」
奏斗が慌てて梅の枝を差し出すと、アヤメは露骨に嫌な顔をした。
「それはいらないわ。捨てておいて」
困惑する奏斗を置いて、アヤメは事務所のドアを開いた。
「ちょっと外に出て来る」
そう言って出て行ってしまったが、奏斗にはアヤメに元気がないように映った。
「どうしたんだろう、アヤメさん」
するとトロトロが顔を出して梅の枝を見た。
「こんなもん送るのは蘇芳だろ」
「蘇芳?」
奏斗は初めて聞くその名に嫌な予感がした。
「蘇芳は1尾の狐だ。1尾って言っても能力が低いわけじゃない。10尾分とも言われる大きな美しい尾を持つ蘇芳はアヤメの母ちゃんを上回る力があるらしいぜ」
「九尾の狐を? でもなんでアヤメさんは蘇芳さんからの梅を見ようともしないの?」
トロトロは奏斗を前に言いにくそうに身体をとろとろと動かした。
「そりゃあ……アレだ。蘇芳がキツネ姫の元夫だからだろ?」
「……元夫?」
奏斗の頭の中は舞のことも忘れて「元夫」という言葉だけがぐるぐるぐると渦を巻いていた。
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第壱話 「キツネ姫とイタチ先生」 お読み頂きありがとうございました。
第弐話 「キツネ姫とらいの鳥」に続きます