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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第陸話 キツネ姫と黒いモノたち
79/84

17 導き

「ちょちょちょ、何がどうなっちゃってるんすか? もしかしてあたしたち来るの遅すぎたとか……?」

 アヤメたちの元へ着いた愛美は目の前の光景に青ざめていた。足元には橡が作った八咫烏の残骸が散らばり、意識なく横たわる奏斗のそばにはアヤメが祈るようにその手を握っていた。その少し離れた場所には橡が青鈍に捕まり放心している。そして天狗の形をした黒い陰がブツブツと呟きながらゆらゆらと揺れていた。健太郎は状況を整理しようと考え込んでいた。

「見たところ橡と橘くんは心を奪われ意識ごと青鈍の中にいるのでしょう。状況としては最悪ですね」

「何を言う。青鈍様はとうとう愛する妹君の苦しむ心をお救いなさったのだ」

 少し先に着いていた零は感極まりその目を潤ませていた。青鈍の元へ向かおうとする零の腕を愛美は両手で掴んだ。

「零! やっぱりあんたおかしいよ! 嫌がる相手の心を取って救われるわけがない。いい加減自分が洗脳されているって気付いてよ!」

「嫌がる? 俺は自ら差し出したんだ。俺の中ですらも居場所のなかった心を青鈍様は受け入れてくれた。お前はどうだ? 結局俺を見捨てた偽善者じゃないか」

 愛美は何も言えなかった。先に零を拒絶したのは愛美の方だった。

「俺はお前ではなく青鈍様に救われたんだ」

 零は掴んだ手を乱暴に振りほどこうとしたが愛美は強く掴んで離さなかった。

「そうだけど、そうだからこそあたしはもう零のこと離さないって決めたんだ」

 零はさらに強く愛美を振り払う。バランスを崩し倒れそうになる彼女を支えたのはアヤメだった。

「やめなさい」

 アヤメは零を真っ直ぐ見つめていた。

「あなたたちにとって青鈍は唯一の逃げ場だったのかもしれない。でも青鈍は救いの手を差し伸べてはくれない。あなたを本当に救うのはあなたが振り解こうとしているこの手よ」

 零はアヤメを睨みつける。

「あんたも偽善者だ。青鈍様は俺たちを認め受け入れてくださった。俺たちにとっては居場所があるだけで救いなんだ。それに引きかえあなたは力がありながら1人の人間しか救おうとしない傲慢な妖狐だ」

 零の言葉を聞いて愛美は掴んでいる手が震えた。

「零! やめてよ! 姐さんにまでそんなひどいこと言わないで!」

「いいのよ。彼の言っていることは合っている。私は奏斗だけなら救えると傲慢だった。でも奏斗はそれを必要としていなかった。奏斗は光よ。闇に差す一筋の光は彼らを導く道筋となるわ」

 その時、零掴む愛美の手の温かさがじんわりと彼の腕に染み込んでいく感覚がした。

「これは……」

 零はその温もりに明らかに狼狽えていた。霧のかかった辺りがぼんやりと光りだす。その光は青鈍の目から放たれていた。



「橡、信じておくれ。私はお前が愛しい。愛しいから憎いのじゃ」

 青鈍の心の中で彼女は幼児のよう泣きながら橡を抱きしめていた。橡は青鈍の背に手を回し、その背を撫でる。

「分かってる。私たちにはお互いしかいない。だからここにいる黒いモノは姉様にはいらないんだよ」

「いらない? いらないじゃと?」

 聞き返した青鈍は先ほどとは別人のように怒り狂っていた。抱きしめていた手は橡の首へかけられぎりぎりと締め付ける。

「これは全てわたくしのモノじゃ! 誰にも渡さぬ!」

「他人の黒い心を自分の心に住まわせることで姉様の心にも負担がかかっている。姉様の感情の起伏が激しいのはそのせいだ」

 橡が言うと黒いモノたちがモゾモゾと怯えながら動く気配がした。

「私は元の姉様に戻ってほしい。穏やかな姉様に」

「橡……お前は私の本性を見てもなお、そのようなことを言うのか?」

「姉様といた日々が幸せだったから私はここにいるんだよ」

 首を絞めていた青鈍の手が緩まり青鈍は再び泣き始めた。

「あのモノらは主に捨てられた可哀想な子たちじゃ。わたくしと同じ、愛されていないこの子たちを元の場所へ返すなど可哀想なことはできぬ」

 小さく泣き崩れる青鈍を今度は橡が抱き締めた。

「それなら心配ないよ。そのために彼を連れてきたんだ。彼ならちゃんと導いてくれる」

 それは奏斗のことだった。奏斗の優しい温かな光に黒いモノたちは恐れ、それと同時に強く惹きつけられていた。橡は奏斗に微笑む。

「さぁ、あんたはここにいるモノたちを連れて外に出なよ。安心して。私がいる限り姉様はもう他人の心を奪ったりしない」

「橡さんはここから出て行かないつもりだったんだね」

 橡は何も答えなかった。奏斗は拳を握りしめた。

「僕はあなたも救いたい。橡さんと青鈍さん二人を救うまでは僕もここにいる」

 青鈍は冷たい目で奏斗を見た。

「だから人間は愚かなのじゃ。わたくしたちは二人だけの姉妹。わたくしたちを愛するものはお互いしかいない。誰もわたくしたちを救うことなどできぬのじゃ」

 姉妹は孤独に耐えるように抱き合う。奏斗はたまらずに大きく腕を広げ二人を抱きしめた。

「そんなことを言わないで。本当に君たちは二人きりだった? 僕にはわかったよ。君たちにはそのままでもちゃんと愛してくれた人たちがいたじゃないか」

 奏斗の温かさが2人に染み渡っていく。どこか懐かしい柔らかな温かさを2人はよく知っていた。


 橡は病床での両親を思い出した。

『橡、私はお前という娘の父であることを誇りに思うよ』

 橡の手を握る父の隣には母がいた。漆黒は目を潤ませ、橡の頬を慈しむように撫でる。

『寂しくなんてありません。母はいつまでもあなたと共にあるのですから』

 そのもう片方の手には父の作った人形が胸に握られていた。それは余命少ない娘へ向けた母の嘘偽りない言葉だった。

 奏斗は自分の心が伝わるように橡に触れる手に想いを込めた。

「これからも生きていく限り君たちを愛してくれる人は現れる。その人たちにとって黒い心も大切な魂の一部なんだ。だから橡さんはここにいちゃいけないんだ」


 青鈍は雪を思い出していた。青鈍の側にはずっと変わらずに雪がいた。

『青鈍様、橡様を探しだしたいお気持ちは分かりますが、力の使いすぎはお身体に障ります』

 力を使い過ぎて動けなくなった青鈍の腕を雪が優しくさする。

『橡様は必ず雪が探し出してみせます』

 その言葉通り、雪は自らの力で橡を探し出してきた。青鈍は母の優しさや厳しさを知らない。しかし雪のならばよく知っていた。

 奏斗は青鈍にも同じように触れる手に想いを込める。

「青鈍さん、あなたは孤独じゃなかった。ずっとあなたを想う人に支えられいたんだ。橡さんだって長い間、側にいなくても心の底であなたを想っていた。一緒にいなくても心はあなたと共にあったんだ」

 奏斗たちの話を聞いていた黒いモノたちは奏斗に触れたわけでもないのにその温かさを感じ、懐かしいぬくもりを思いだしていた。その温もりは光となり他の黒いモノたちにも伝染していく。輝き出した黒いモノたちによって青鈍の外へと出る道が照らし出された。彼らはその道をゆっくりと歩き出す。その中には零の黒いモノの姿もあった。零の光の先には愛美が笑っていた。



「来るな! お前の居場所はここにはない!」

 外の世界では零が突然叫び出していた。青鈍の目から放たれる光は強さを増していた。

「ちょっと零! 大丈夫?!」

「きっと奏斗が黒いモノたちを解放したんだわ」

「奏斗っちが? 青鈍の目が車のヘッドライトみたいになってるの奏斗っちがやったんですか?」

「ええ、きっと。黒いモノたちがあの光の道筋を通って元の場所へと戻るのよ」

「やめろ! 来るな!」

 零は拒絶して暴れたが愛美はその手をまだ掴んでいた。青鈍の目から解き放たれた光から黒い狐たちが無数に飛び出し、空目指して駆け上がって行く。


 黒いモノから逃げようともがく零を愛美は全体重をかけて引き止めた。

「いいよ! 戻ってきて! 私は待ってるから!」

「クソ! 離せ! 俺はあんな心いらないんだ!」

「嫌だ! 絶対離さない! あんたがいらなくてもあたしはいるの! 性格の悪い心だろうと陰湿な心だろうと構わないよ! 零が拒絶しても零の心はあたしが全部肯定してあげるから!」

 愛美は大声で叫んだ。するとその声に呼ばれるように1匹の黒い狐が零の瞳に吸い込まれていった。零の瞳には生気が戻り、ぴたりと抵抗するのをやめ膝から崩れた。

「零! 大丈夫!? 生きてる!?」

「本当にバカ力だな」

 零は下を向いたままボソリと答えた。それは先ほどまでとは明らかに違う。感情のこもった声だった。

「零! 零! 元に戻ったの!? 零! ねぇ何で下を向いてるの? 具合悪いの? ねぇ零!」

 零は顔を背けた。愛美と自分は住む世界がちがう。零は自分が愛美の疫病神のように感じていた。

 親に辛く当たられ、周りの大人たちが見て見ぬふりをしても愛美だけは変わらずに自分と接してくれた。零はそれが嬉しく、希望のない毎日の中で愛美の笑顔を見ることが生きる意味になっていた。しかし、友人に囲まれ、自分との関係を追求されている彼女を見た時、自分が彼女を不幸にしてしまう存在であることに気づいた。

 零は彼女の手を振り払い決別したが、心はそうはいかなかった。彼女への執着が零を苦しめた。そして愛美への執着に苦しむ零を楽にしたのは青鈍だった。しかし心が戻ってきた今、彼女が自分を呼ぶ声は耐えようもなく心を揺さぶった。


「零! 聞いているの!? 零! あたしのことをみてくれるまで何度だってあんたのこと呼ぶからね!」

「うるさいな。離せよ。俺といたらまたお前が嫌な思いをするんだぞ」

「あんたがそれを言うの?」

 愛美は唇を噛んだ。そして次の瞬間には掴みかかって零に馬乗りになった。愛美はぐしゃぐしゃに泣きながら零の胸ぐらを掴んでいた。いつもヘラヘラ笑っている彼女のそんな姿を見るのは初めてだった。

「愛美?」

「あんたに避けられることほど辛いことない! あんたが辛そうなのを見ていることほど嫌なことなんてないよ!」

 愛美はドンドンと零の胸を叩く。その度に重い痛みが胸に走る。全身で零を求める愛美の心が痛いくらいに伝わってきた。零はたまらず自分の顔を腕で隠した。そして愛美は叩く手を止めた。

「零、泣いているの?」

「ちがう……どんな顔すればいいのか分からないんだよ」

 愛美は顔を隠す零の手を握ると顔からその手を引き離す。

「おかえり」

 そう言った愛美は満面の笑みだった。零は腕の隙間から困り顔で愛美を見上げると小さな声で「ただいま」と返した。



 しばらくすると青鈍の目の光は閉ざされ黒い狐たちが出て来ることもなくなった。健太郎は眉間に皺を寄せその光景を見ていた。

「花菖蒲さん、何かおかしいと思いませんか? 桂川君の黒い心は戻ってきたのに橡や橘君、天狗や更紗に変化がありません。青鈍の目から出ていた光ももう消えかけている。あの光が解放の道標なら彼らはまだ青鈍の中に取り残されたままです」

 アヤメも厳しい顔で頷いた。

「そうね、零、青鈍の中で彼らに会わなかったの?」

 逃げ出さないように愛美にガッチリ掴まれている零は首を横に振った。


「青鈍様の心の中は何も見えないほどに真っ暗なんだ。どこに誰がいるかも分からない中で突然柔らかな光が現れた。そのどこか懐かしい光を見た黒いモノたちは自分たちのいるべき場所へ帰りたい衝動に駆られた。そしてかすかな光と温かさを頼りに外へ出ただけだ」

 零の話を聞く健太郎の胸に不安がよぎる。

「自分たちがいるべき場所……そうだとすれば橡は戻ってこないでしょうね」

「何? また勘とか言うの?!」

「いえ、これは勘ではなく憶測です。橡は青鈍への情を捨て切れていません。つまり橡の捨てたい心は青鈍を慕う心です」

「え! あんなに嫌っているのに?」

「橡は1人を好み、他人に執着しません。その彼女が唯一避けているのが青鈍です。橡は青鈍が絡むと途端に人間臭くなります。彼女は青鈍に対して負の感情と同じだけ情愛も抱いていました。普通ならば負の感情をひた隠しにしますが橡の場合は負が表となり、情愛を捨てようとしてきたのです。姉を想う彼女の心は青鈍の心こそが自分のいるべき場所と考えるでしょう」

「健太郎……」

 愛美は健太郎の心中を察した。もしそれが本当なら健太郎はもう二度と橡にはあえなくなってしまう。哀しそうな愛美の隣では零が訝しい顔をしていた。

「何故お前はそんなことがわかる? 人間如きに妖狐の気持ちが分かるとは思えない」

「他の妖狐のことはわかりません。でも橡のことは初めて会った時に分かったんです。冷酷なフリをしているだけで、本当の彼女は家族想いで、自己犠牲を厭わない優しい女性だと。きっと前世で関わりがあったのでしょう。記憶をなくしても魂には刻まれているんです。これは俺に限ったことじゃない。彼もそうですよね?」

 健太郎の言う彼は奏斗のことを指していた。健太郎の姿と奏斗の姿が被って見える。アヤメは気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした。


「そうね。可能性は否定できないわ。でももう一つ気になることがあるのよ」

 アヤメは今も自分が何者か探し求め続けている天狗の陰を見た。

「天狗ですか?」

「ええ、彼は不可思議な存在だわ。通常、黒い心を奪われたなら零のように青鈍に操られているような状態になるはず。しかし彼は心を奪われた更紗が彼を否定するまでカラスとして青鈍から何の干渉も受けず暮らした。そして更紗はまるで天狗を避けるように天狗探しを拒否していたわね。主人を助けようとしないなんて、神の眷属にはありえないこと。きっと天狗の心が奪われたことに更紗が関係しているんだわ。そして奏斗は橡や青鈍も全員を救うつもりなのよ」

 愛美は驚き、奏斗見た。

「奏斗っち、仏様みたい」

「そうですね、すべては彼の救済にかかっています」

 アヤメは祈るような気持ちで彼の額に触れた。奏斗はまるで微笑んでいるように穏やかに眠っていた。







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