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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第陸話 キツネ姫と黒いモノたち
64/84

2 己を忘れたモノ

 新幹線の窓から見える景色はまるでテレビでも見ているように無機質で空調の匂いが落ち着かない。奏斗は久々に乗る新幹線に居心地の悪さを感じていた。

 だがそれも無理はない。いつもアヤメは奏斗を乗せて山を飛び越えるように疾走していく。彼女の背で見る景色は活き活きとして風も心地が良かった。気高い妖狐は本来、人を背には乗せない。新幹線のグリーン車両が居心地が悪いなど贅沢な悩みなのだ。


 キイィィィン

 そして奏斗を悩ませるもう一つの理由は長いトンネルにあった。トンネルに入ると不快な耳鳴りとともに不気味な唸り声が聞こえた。

『……ううぅ……返せ……を……返せ……』

 初めは気のせいかとも思っていたが、それは車両がトンネルに入るたびに聞こえては奏斗の心に重くのしかかる。しかも声は一つではなく幾重にも重なり合って奏斗の耳を襲う。車両の中では子連れ客の楽しそうな笑い声がした。禍々しいその声は奏斗にしか聞こえていないようだった。


「あー、誰かと新幹線乗るって楽しいな~! 行きは鹿児島から神奈川までめっちゃヒマだったんだよね! 飛行機じゃ師匠ペット扱いだから新幹線乗るのはしょうがないんだけど」

 奏斗の隣の席では愛美が慣れた手つきで駅弁とお茶を広げてくつろいでいた。

「ねぇ、奏斗ッちおやつにしない? 奏斗ッちは甘いのとしょっぱいのどっちがいい?」

 そう言って自分のリュックをまさぐりポッキーとせんべいを取り出す。愛美は新幹線に乗っている間中、この調子でずっと元気にしゃべり続けていた。奏斗は最初こそ話に付き合っていたが度重なるトンネルの声の重さに今は相槌を打つのが精いっぱいだった。その相槌さえも出なくなるとさすがに愛美は奏斗を心配した。


「奏斗ッち顔色悪くない? 酔った?」

「ううん、酔ったわけじゃないんだ。あの……愛美さんは大丈夫なの?」

 愛美は奏斗の問いにきょとんとしてみせたがすぐに納得して手をポンと打った。

「あぁ、さすが奏斗ッち! 奏斗ッちも姐さんと同じで新幹線ダメ系?」

「アヤメさんと同じ?」


 奏斗は通路を挟んだ向こうの席にいるアヤメをちらりと見た。アヤメは新幹線に乗ってから自分の気配を消すように静かに目を閉じていた。真っ白で血の気がないその顔はまるで美しい人形のようだ。奏斗はアヤメがどうして新幹線が苦手なのかを知らない。愛美も身を乗り出してアヤメを見た。

「姐さんはああやって遮断しているみたいだよ。普通の人間は鈍感だから大丈夫なんだけど。やっぱり私だけ新幹線の方が良かったのかな」

 しょんぼりとしながら愛美は言う。しかし新幹線を手配したのはアヤメだった。



 数時間前、出雲支所行きが決まるとアヤメはすぐに使いの狐にチケットを人数分頼んだ。

「姐さんたちは先に行っちゃってもいいっすよ。あたしは師匠と新幹線に乗って後から追いかけるんで」

 愛美はそう言ったがアヤメは首を横に振った。

「月白はいつ起きるかはわからないし、橡を相手にするならば出来るだけ別行動は避けるべきだわ。奴のことだから無防備なあなたに何らかの妨害をしてくる可能性だってあるし」

「あたし会ったことないからわかんないんすけど橡ってそんなに厄介者なんすかね? 仮にも九重会の妖狐なのに」

「橡が九重会に入ったのは組織をかき乱すためよ。あいつは自分に与えられたものすべてを拒絶して生きている。そして特に妖狐を毛嫌いしているの。九重会が右と言えば左を向き、右に行くものを阻止するような奴よ」

「うへぇ~ひねくれ者っすね」


 アヤメは頷き形の良い顎に細長い指を添える。その目は鋭く光っていた。

「厄介なのは橡の能力よ……橡は触れた者が一番望んでいるモノを具現化できるわ。一番の望みは一番の弱みにもなる。あいつに触られた時点で弱みを握られているようなものなのよ」

 橡と面識のない愛美は橡の能力を聞くとぶるっと震えた。

「……あたしのためにすみません」

 情けない顔をする愛美にアヤメが微笑む。

「気にすることなんてないわ。それに良い機会だと思っているのよ」

「良い機会?」

「あなたには奏斗と仲良くなってほしいの。特殊なこの組織の中で仲間は大切よ。この先、人間同士協力し合わなければならない時もある。あなたなら信頼できるわ」

「姐さん!」

 愛美は目を潤ませてまたアヤメに飛びついていた。



 長いトンネルを抜けて辺りが明るくなると奏斗のポケットがもぞもぞっと動き茶色の塊がゆっくりと這い出して来た。

「トロトロも辛そうだね」

「まあな、トンネルの間中あんな声を聞かせられれば俺だって滅入るさ」

「やっぱりトロトロにも聞えていたんだ」

 辛さを分かち合うふたりを愛美は心なしか羨ましそうに見つめる。

「なんかふたりだけずるい」

 トロトロは呆れてため息をつく。

「知らない方が幸せなこともあるのにバカだなぁ」

「ひどー! 先輩の意地悪! 奏斗ッちだったら教えてくれるよね! ねっ?」


 奏斗はうーんと思い出したくもないうめき声を思い出す。

「……その声は重くて暗くて頭の深いところまで響きわたるんだ。胸が締め付けられるくらい哀しくて寂しくて……辛い。そしてその声に耳を傾けすぎると自分が誰か分からなくなりそうで怖くなるんだ」

 トロトロはうんうんと頷く。

「奏斗、初めて聞いたにしてはなかなかいい線いっているぞ」

「トロトロ、あれは誰の声なの?」

「あれはかつて神と崇められたモノの声だ。昔の人間はどんな地にも神が宿ると信じてきた。でも今はちがうだろ。人間は利便性のためにどこでも穴を開け、コンクリートで道を作っちまった。それが神のなかってことにも気づかずにな」

「そうか、トンネルは彼らの内を通っているからあんなにダイレクトに感情が伝わるんだ。彼らは何かを返して欲しいみたいだった。何を返して欲しいんだろう?」

「それは……『自己』だな」

「自己?」

「神だったモノは人間が崇めなくなると自分が何者なのかわからなっちまうのさ」


 奏斗と愛美は顔を見合う。

「人間のせいで?」

「人間は名のないモノを勝手に崇めて彼らに『神』というアイデンティティを与えた。それなのに人間は時とともに彼らを忘れ、その存在を拒否するようになっただろ。そんな人間に対する戸惑い、寂しさ、怒りが悲痛な叫びになってトンネルに響いているんだよ。だが哀しいかな、普通の人間にその叫びは聞こえない。妖力が強ければ強いほど声を感知しやすくなるんだ」

「じゃあアヤメさんは—―」

「あの声を俺たちよりも強く感じているだろうな。だから姫は意識を遮断しないとやるせなくなるんだろ」

 トンネルを抜けてもアヤメはピクリとも動かない。たしかにそれは眠っているというよりもバリアを張っているような張り詰めた空気をまとっていた。


「そっか。姐さん大変そう。先輩は弱い妖怪で良かったっすね!」

 軽い調子で言う愛美をトロトロはむっとして睨む。

「失礼な奴だな。俺はメンタルが強いんだよ。姫は聞き流せないから辛いんだ。他人の恨み言に耳を貸すような奴らじゃなければ気にもならないってことさ」

「確かに師匠はあの通りいつでも爆睡しているんで気にせずガンガン乗ってたっす」

 アヤメの隣ではペット用のゲージに入った月白がすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。

「姫が優しすぎるんだよ」

 トロトロの言葉に奏斗の口から重いため息がこぼれる。

「僕はまだまだアヤメさんのことを知らないみたいだ」

「誰かの全てを知るなんて無理さ。それに姫自身がそれを望まないだろうよ」

「僕が頼りないから……」

 奏斗が俯くとトロトロは分かっていないと首を振る。

「お前といる時くらい普通の女でいたいんだろ」

 トロトロの言葉を理解するのに時間がかかったが、意味を考えるほどに奏斗の体温は上がり耳まで熱くなった。茹で上がる奏斗をよそに愛美がしおらしく目を潤ませていた。


「一緒だ……」

「愛美さん?」

 愛美は奏斗と目が合うと涙をごまかすようにアハっと笑った。

「あ、奏斗っちてば、あたしみたいな奴を姐さんと一緒にすんなって思ってんでしょ!」

 奏斗は首を振る。

「そんなこと思ってないよ。僕は愛美さんと会ってまだ間もないからどんな性格とかは分からないけど妖狐も人間も感じる心は同じだと思うから」

「奏斗っちマジいい人。でも誤解しないで。一緒っていうのは気持ちが一緒っていう意味だから。妖狐の頂点にいる姐さんと人間の底辺にいるあたしとじゃ真逆だよ。でもさ、好きな人の前でくらい普通の女の子でいたいって気持ちが同じなんだよ」

「人間の底辺?」

 奏斗が聞き返すとトロトロが呆れながら頬杖をつく。

「まだそんなこと言っているのか? 九重会に入る人間は選ばれた奴だ。人間の底辺なんて奴が入れる場所じゃないぞ」

「いやいや、姐さんと先輩がいなかったらあたしなんてただのストーカーっすから」


 愛美は少し寂しそうに笑った。ストーカーという言葉は愛美の明るい雰囲気には不似合いな気がした。

「愛美さんが来た時から気になっていたんだけどふたりは愛美さんと面識があったの?」

「まあな。お前が九重会に入ってから続々と人間たちも九重会に入ったんだが、月白の支所の人間に愛美を推薦したのは姫だ」

「アヤメさんが?」

「月白は寝っぱなしだからな。こいつがくる前は姫が鹿児島支所のこともやっていたのさ。昼は横須賀、夜は鹿児島って具合にな」

「横須賀と鹿児島の往復を?!」

「奏斗だって知っているだろう? 姫が飛べば距離なんてたいした問題じゃない。姫は月白とは反対に眠らないからな。二つの支所の仕事をこなしていたわけさ」


 奏斗はアヤメが夜も仕事をしていることを知っていた。しかしそれが鹿児島にまで及んでいたとは知らなかった。

「そんな折りに鹿児島支所に根性でたどり着いた人間がこいつだよ」

「根性で?」

「九重会の支所は普通の人間はたどり着くことができない。支所に行くことができるのは奏斗のように九重会に呼ばれた者だけだ。だがこいつは2週間山をさまよいながら執念と根性で支所にたどり着いたのさ」

「先輩大げさっすよ〜。あたしがたまたま体力バカだっただけで」

 愛美はあははと笑うと頭をかいた。

「なんでそうまでして九重会に?」

「九重会には私の幼馴染がいるんだよね。コミュ障で根暗でどうしようもない奴なんだけど放っておけなくて。そいつが引きこもりじゃなくなって自然保護団体に就職したって言うからめっちゃ驚いて……だって動物はおろか自分の家族だってどうでもいいって奴だったのに。あいつの親も『山奥にある自然保護団体』ってことしか知らなかったからとりあえず遠くには行ってないだろうと思ってさ。近くの山奥に潜入捜査したら月白師匠の支所にたどり着いたってわけだよ」

「そう、その根性を見込んで姫もこいつを推薦したわけだが、姫が鹿児島へ行けるのは夜だけで夜はこいつが寝る時間だろ。だから俺が昼間に教育係をしていたってわけさ。俺はトロトロした物があればどこでも瞬間移動できるからな」

「初めて先輩に会った時の衝撃は忘れられないっす。だって溶けたチョコが喋ってるんだもん」

 愛美はそう言うとケラケラと笑った。だがまだ奏斗には分からなかった。


「幼馴染を心配して追って来たなら人間の底辺だとは思えないけど」

「やっぱり奏斗ッちは人がいいなぁ。言っておくけどあたしに自然を守りたいなんて気持ちは一切ないからね。あいつに近づくために仕事しているだけ。あたしはあいつが救われるなら世界が滅んでもかまわない。だから弱いあいつの心を利用している妖狐が許せないんだよ。絶対に引き離してやるんだ、あの青鈍から!」

 奏斗は青鈍という名にぴくりと反応する。青鈍の近くにいる人間は彼しかいない。

「愛美さんの幼馴染って……」

「青森支所の桂川零だよ」

 奏斗は雪の精霊の山で出会った零を思い出し複雑な気持ちになった。零と愛美はまるで真逆のような気がした。トロトロはめずらしく難しい顔を浮かべている。

「零を青鈍から引き離すのは難しいだろうな。零は青鈍の信者だから選ばれた奴だ。九尾の最側近の青鈍にとってその方が都合がいいからな」

「だから許せないんすよ。あたしの幼馴染を洗脳して利用しようとしていることが」

「まぁ各支所の妖狐がやりやすい人間が選ばれているからな。利用されているといったらそれまでだが」


 どことなく分かってはいたが奏斗は複雑だった。

「そういうものなんだね」

「そういうもんさ。零の支所だけじゃない。例えばわかりやすいのは姫の育ての親の白磁と鳩羽のところだ。白磁が支所長の京都支所の人間は樒蛍介。こいつは家が代々稲荷神を祀る神社の神主だ。そして奈良支所の榊和泉も稲荷神社の巫女をしていた。2人は由緒ある神社の生まれで許嫁なんだ。白磁と鳩羽が夫婦だからそのふたりの補佐をする人間も夫婦と同じ関係性のがやりやすいのさ」

「へえ〜知らなかった!」

「適材適所ってやつさ。お前さんが選ばれたのもほとんど寝ている月白の下で働くにはどこへでも月白を担いで行く体力と行動力のある奴が必要だったってことだ」


「先輩、チョコなのに誰より九重会に詳しいっすよね。なんでそんなに詳しいんすか?」

「チョコなのには余計だろ。狐姫も難しい性格だからな。姫の少ない友人の1人の俺様がそれくらい知ってて当然だ」

 黙ってふたりの話を聞いていた奏斗は黙ってうつむく。

『アヤメさんには何で僕だったんだろう』

 奏斗はいつも感じていた疑問をトロトロに投げかけられずにいた。しかしそんなことを知らない愛美が軽い口調でトロトロに聞いた。

「じゃあ奏斗っちは何で選ばれたんすか?」

「そりゃあ姫がーー」

 トロトロが答えようとするとぶるっと寒気がするような視線に言葉を詰まらせた。奏斗と愛美は気づいていないが瞳孔が細くなった金色の瞳がトロトロを捕らえていた。

「ひ、姫はこいつが生き物たらしだから推薦したんだよ。姫は近寄りがたいがこいつならどんな奴も心を開いちまうだろ?」


 愛美はハッとして奏斗を見た。

「確かに! あたしもいつのまにか手なづけられてストーカーをしていることを暴露しちゃってた! 奏斗っちパねぇ〜!」

「あーそれは恥ずかしいな! 奏斗責任とれよ」

「え! 責任取ってくれるの? でもごめん、あたしストーカー中だから脈ないわ」

「もう。ふたりともやめてよ」

 奏斗はどこか腑に落ちない気持ちを抑えてふざけて合っているふたりに言った。

「そういえば鳥取支所の人間はどんな人なんすか? 曲者と噂の橡と働いているんだからやっぱり癖が強いんすかね?」

「ああ、柚原健太郎か。健太郎はまっすぐな男だよ。真っ直ぐ過ぎるというか。あのひねくれた橡も健太郎のまっすぐさが心地悪いらしく支所に寄り付かないらしい。健太郎の求めるものは生き物たちがみんな幸せに暮らせる世界。それは具現化できないだろう」

「スケールが違いますね」

「健太郎なら橡に惑わされることはない。あいつも橡のために九重会に引き入れられた男だってことだな」

「あたしならリアル零人形とか作ってほしいって思いますけどね」

「うわ~悪趣味だな」


 新幹線はまもなく姫路に到着しようとしていた。鳥取までは姫路で列車を乗り換えてまだしばしかかる。アヤメはうっすらと瞳を開けて奏斗たちの話声を聞いていた。



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