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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第壱話 キツネ姫とイタチ先生
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5 まぼろし

 奏斗は身体がふわふわと浮いているような不思議な感覚の中にいた。例えるならば、眠りから目覚めるまでのまどろみの中、夢と現実の間を漂っている感じだ。

 目の前ではスライドショーのように映像が現れては消えていく。それを見つめる奏斗の思考ははっきりとしていた。

「そんなに走らなくても逃げないってば」

 小学5年生のアヤメが奏斗に言う。あの頃は走って行かなければ彼女に置いて行かれてしまう。そんな気がしていた。でもそれは今も変わらないのかもしれない。

「これが走馬灯ってやつかな」

 奏斗は自分が見せられている映像を冷静に分析した。

 するとスライドショーの中のアヤメが奏斗の前に飛び出してきた。今のアヤメをそのまま小さくしたような彼女がじっと奏斗のことを見つめている。そして両手を奏斗へ伸ばしたかと思うと幼い声を出した。

「わからないのは詰まっているからよ」

 すると奏斗の身体が何かがスーっと抜けて彼女の手へと集まっていく。それはアヤメの瘴気にも似た暗い色のモヤモヤだった。


「それは?」

「これはあなたの中にある『動物が話すはずがない』という概念よ」

 奏斗はふとトロトロのことを思い出した。するとアヤメはそれを見抜いていたかのように言う。

「チョコレートが話すなんて考え自体がなかったでしょ? だからトロトロの声は聞こえたのよ。だけどあなたは動物とずっと話したかった。でも『そんなことできるはずない』と自分で蓋をしていたのよ」

 モヤモヤはアヤメの小さな手のひらの中へと消えていく。

「これでもう、あなたは分かるはずよ。思い出してみて。動物たちの言葉を」

 彼女の言葉を合図にスライドショーはまた動き出し、昨晩の記憶が映し出された。時折止まっては動画を見るように過去の出来事が流れていく。

 エレベーターで会った狸は奏斗に事務所で飼われれいるのかきかれると「そんなわけないでしょ!」と憤慨しながらドアを出て行った。

「オイラが一番乗りだい!」

「ずるいよオイラだ!」

 子狸たちは事務所のドアまで誰が一番早く着くか、競争をしながらじゃれあっている。

(すごい。人が話しているみたいだ!)

 奏斗はまるで映画でも見るように昨日の出来事を見返していた。


 事務所の机の上で狸は延々と身の上話を語り、奏斗の足には子狸がすり寄ってきた。子狸はつぶらな黒い目で奏斗を見上げる。

「オイラ、大事なことを人間に伝えなきゃいけないんだ。イタチ先生に頼まれているんだよ。これはお母ちゃんにも秘密なんだ」

(イタチが? 僕に?)

 記憶を見る奏斗は聞き逃さないよう、子狸の声に集中した。

「カマイタチを止めたければ頂上の大松を切りなさいって。ここにもし人間がいたら、その人間は動物の言葉がわかるだろうからって」

 何も知らない昨晩の奏斗の声が響く。

「ありがとう。君は人間が怖くないんだね」

 それは子狸が遊びに誘っていると勘違いして出た言葉だったが、子狸は言葉を理解してくれたと信じている。

「そうだよ。僕は人間なんて怖くない。だってイタチ先生が人間の罠から助けてくれた時に教えてくれたんだ! 『人間は時々間違いも犯すけど、本当は優しい生き物なんだ』って!」

 そう言うと喜んで兄妹たちの元へと戻っていった。


「そんな……」

 愕然とする奏斗の耳にイタチの声が響いた。

「動物の言葉が分からないなんて役立たずもいいところですね」

 イタチの失望の瞳は子狸の言葉がわからなかった奏斗に向けられていた。

 奏斗は気付いた。イタチは人間のことを恨んでなどいない。むしろ人間を守ろうとしていたのだ。

「誤解を解かなきゃ!」

 そう強く思った時、スライドショーは消えて再びアヤメの姿が現れた。

 そのアヤメは小学生のアヤメではない。今度は髪を結い上げて、着物を着ている大人の姿だった。まるで時代劇の女優のように美しいアヤメは寂しそうに微笑む。

 その姿はやけに懐かしく、奏斗の胸をぎゅっと締め付けた。するとどこからか聞き覚えのない男の声が響く。

「次は隠し事はなしだよ。また必ず私をみつけてくれるね?」

 そう言われると彼女は目に涙を溜めて小さく頷いた。その悲し気な表情に思わず奏斗はに手を伸ばしたが、彼の手がアヤメに触れることはない。アヤメの姿はまぼろしが消えていくように儚く消えていく。


「待って! アヤメさん!」

 大きな声で呼び止めたが、気付いた時には伸ばした手の先に大空を飛ぶトンビの姿が見えていた。


挿絵(By みてみん)



 アヤメとイタチは睨みあっていた。お互いの動きを探り、ピンと見えない糸が張られているように、ふたりは微動だにしない。

 その糸をぷつりと切ったのは奏斗だった。


「やめてふたりとも!」

 奏斗はアヤメとイタチの間に割って入った。

「下がっていなさい。奏斗」

 アヤメは静かに威圧したが奏斗も負けない。

「ちがうんだよ。僕がいけないんだ。僕が最初から分かっていればアヤメさんが切られることはなかったんだ!」

 アヤメの胸元は先ほどよりも濃い血に染まり、奏斗の心が痛む。

「生死をさまよって目覚めましたか」

 イタチが言うと奏斗がうなずいた。奏斗にはもうイタチの言葉がまるで人と話しているように分かる。ふたりの様子を見てアヤメは殺気を和らげたが、まだイタチへの警戒は解いていない。


「奏斗、何が分かったの?」

 アヤメが聞くと奏斗はイタチを見て答えた。

「イタチ先生はカマイタチから人間を守っていたんだ」

 哀しみに満ちたイタチの瞳はそれが真実であることを物語っていた。

 アヤメはふーっとひとつ息を吐くと腕を組んだ。

「どういうことか説明してもらいましょうか」

「ふん、狐になんて話したくもないです」

 そう言われて再び険悪になるかと思えば、アヤメは小さく肩をすくめただけだった。

「話してもらわないと埒があかないでしょ。私に話すのが嫌なら奏斗に話せばいいじゃない」

 イタチは心配そうにみつめる奏斗を見た。

「しょうがないですね。ではあなたに話しましょう。動物の言葉が聞こえるようになったお祝いです」

 奏斗にはイタチがそう言って微笑んだように見えた。



「そもそもカマイタチというのはイタチだけで起こせるものではありません。カマイタチには親風が必要なのです」 

 山からは絶えず強い風や弱い風が吹き降りる。イタチは形のないその風を目で追った。

「海からの風が山にぶつかり、下へと流れた風は木々にぶつかりながら鋭いつむじ風となります。そのつむじ風が親風なのです。イタチはその親風に自らの風を当てて舵をとります。私たちは小さな風なら作ることができますから。長く生きたイタチほど風を操るのが上手く、親風を強くするのも弱くするのもイタチ次第なのです」

 そう言うとイタチはくるっと回って見せた。すると小さな風の渦ができ山へと消えていく。


「しかし、あの強大な親風の舵を取るには私は若すぎました。だから私は自分の起こした風でほんの少し親風の威力を弱めることしかできなかったのです」

 イタチは大松を見上げる。大松は今も風をうけて大きく揺れていた。

「でも、それがどうして大松を切ることにつながるの? 」

 奏斗の質問にはことの成り行きを理解したアヤメが答えた。

「大松が親風を作っているのよ。大きい大松は風をたくさん受けることができるから威力も増すんだわ」

「その通りです。今までは大松が作ったつむじ風はここに生えていた木々たちにぶつかることで小さく分散していました。ですがその木を人間が切ることで風の流れが変わり、親風だけで強力なカマイタチを起こすようになったのです」

 材木置き場には切られた木々が横たわっている。それはまるで木の墓場にも見えた。

「あの強大なカマイタチは、私ではなく人間が自ら作り出したものなんですよ」


 強い風が3人を包み、アヤメは顔にかかる髪を耳にかけた。

「最初からそう言っていればすぐに解決したのに」

 アヤメが呆れたように言うとイタチは彼女を睨みつけた。

「キツネに言ってどうなりますか? ただ木を切って終わりでしょう? 何故そうなったかを人間は考えなければいけません。人間ならばきっと考えるはずです。そうしなければこの山がなくなる意味がありません」

 イタチの言葉は奏斗の心に突き刺さった。

「それでも、ことは早い方がいい。風は弱いものや大きなものが波のように押し寄せてくる。大きな風はそれだけ大きなカマイタチを作ります。だからいつまたカマイタチが起きてもおかしくはありません」


 言葉を失う奏斗とは対照的にアヤメは冷静だった。

「いつ起こるか分からないのに、わざわざ全部威力を弱めて来たんだから、あなたよっぽど人間が好きか暇人かのどっちかね」

「そんなこと言わないでよ。アヤメさん」

 奏斗は泣きそうな声で言った。するとイタチは奏斗に聞く。

「あなたはどうして九重会の職員になったのですか?」

「僕は動物たちの暮らす自然を守りたかったんだ。でも結局、大松も切られてしまうんだね。ごめんね……イタチさん」

 奏斗がそう答えるとイタチは懐かしいものでも見るように、穏やかな視線を奏斗に向けた。


「あなたの瞳は純粋で、お人よしで、昔の彼にそっくりです」

「彼って菅原さんのこと? イタチさんは菅原さんを守りたかったの?」

 イタチは土の上に倒れている菅原に視線をうつした。菅原の指がピクピクと動き、まぶたを開けようと小さく瞬きをしている。

「彼が起きたようですね。その質問にはあなただけに伝えましょう」

 そう言うとイタチは先ほどと同じように小さな風を作り、奏斗にそれを送り込む。奏斗の猫っ毛が風で上がり、形の良いおでこが顔をのぞかせた。突然の風に目をつぶった奏斗だったが、その風は柔らかくイタチの遠い日の記憶を彼に運んだのだった。




「大丈夫? 奏斗」

 アヤメの声で気が付くと奏斗の頬を温かい涙が伝っていた。

「大丈夫。僕がしっかりしなきゃ」

 奏斗はゴシゴシと目をこする。

「彼のことはあなたに任せます」

 奏斗はイタチに向かって大きく頷く。

「おせっかいかもしれませんが、あなたにひとつ助言をしましょう。あなたは『どうして自然をまもりたいのか』を今一度考えた方がいいかもしれません。そうすれば本当に守りたいものが見えてくるでしょう」

 奏斗にはイタチが言いたいことがよくわからなかったが、菅原が起き上がったのですぐにそちらに向かった。


「私と同じで哀れなイタチね」

 アヤメはイタチにだけ聞こえるように言った。

「あなたと一緒にしないでください。私は見返りは求めませんから」

 土の上に横たわる鼠獲りが風でカチャカチャと音を立てた。イタチは奏斗に介抱されている菅原を確認すると、アヤメに言う。

「九重会が何を考えて自然保護なんて動物の味方みたいなことをしているのか分かりませんが、どうせあなたは彼のことしか考えていないんでしょう? 守りたいだけでは彼を幸せにはできませんよ」

「私に説教なんて、さすがはイタチ先生ね」

 アヤメはふっと笑った。

「つい、癖が出るんですよ」

 イタチはそう言うとアヤメに葉を折ったものを投げつけて、風が吹いて行くように茂みの奥へと消えていく。アヤメが葉を開くとそこには傷を治す薬が入っていた。


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