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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第伍話 キツネ姫と雪の雄鹿
53/84

6 呼ばれる者

 時折ログハウスが軋むほどの強い風が吹き、その晩は大雪となった。奏斗は眠ることができずに窓に打ちつける雪の音を聞いていた。夜が明け、外は少し明るくなったがそれでもまだ止むことを忘れたように雪が降り続けている。

 雪雲に遮られた朝日が部屋の中を銀色に照らす中、やっと訪れたまどろみに目を閉じた。そして奏斗は夢を見た。白無垢を着たアヤメがこちらを見て少し恥ずかしそうに微笑む。彼女は雪の中で見たアヤメとは別人のように幸せにあふれていた。

『あなた』

 そう呼ばれ奏斗の心に温かな感情が湧き上がる。しかし、見つめ合うふたりを引き裂くように黒い靄が現れアヤメを襲った。

『アヤメさん!!』

 奏斗が叫ぶと黒い靄は怪しげに目を光らせて奏斗を睨む。そして今度は奏斗へと襲い掛かった。

『花嫁……我の花嫁はどこだ?』

 おどろおどろしい声でそう言うと黒い靄は奏斗の胸の中に入り込む。するとそれは燃えるように熱い痛みとなって奏斗を襲った。熱は激しい咳とともに奏斗の口からこぼれ落ちる。奏斗の目の前に鮮やかな赤が広がり、アヤメの白無垢をも染め上げていく。それとともにアヤメの顔がみるみる絶望に変わっていった。

(そんな顔しないで……アヤメさん)

 声の代わりに零れ落ちていくのは生暖かい血の塊だった。アヤメは泣き崩れ、奏斗を抱きしめる。

『奏斗!!』

 悲鳴にも似たアヤメの声に奏斗は飛び起きた。あたりを見回すとどこにもアヤメの姿はなく、先ほどよりも明るくなった部屋のベッドで奏斗はハァハァと胸を押さえていた。胸に痛みなどなく自分の服を見てもどこも赤くなど染まっていない。かわりにべっとりと肌にまとわりついていたのは脂汗だった。

 顔を洗うために洗面台に行くと鏡にはひどい顔をした自分が映っていた。奏斗は鏡に映った顔が自分ではない他の誰かの顔のような違和感を覚えた。そうした感覚は初めてのことではない。

「きっと眼鏡がないからだ……」

 奏斗は自分が自分であるために視力が良くなった今も伊達眼鏡をかけていた。彼は鏡を見ないように顔を洗うと、胸に手を当てて静かに深呼吸をした。



「おはようございます」

「おはよう、奏斗君」

 食堂に行くと舞がもう席についていた。テーブルの上には空の茶碗と焼き魚と卵焼きが用意されている。蘇芳は壁にもたれ窓の外を見ていた。

「アヤメさんは?」

「さあ、来てないけど。奏斗君、昨日はアヤメちゃんのところに行ったんでしょ。何か聞いてないの?」

 舞は平然を装ってさらりと聞く。奏斗は昨晩を思い出し首を横に振った。

「アヤメさんには会えなかったんだ。ログハウスの中をくまなく探したけどどこにもいなかった」

 するとそれを聞いていた蘇芳は視線を動かすこともなく微かに笑みを浮かべる。


「会えるわけがないだろうね。彼女はここにいなかったんだから」

「もしかしてこの吹雪の中を外に?」

 食堂の窓には雪のつぶてが音を立てて打ち付け、昨晩よりも激しさを増している。

「姫君にとってこの程度の雪は小雨みたいなものだよ」

「アヤメさんは何で外にでたんですか? 何か理由があるはず。蘇芳さんは知っているんですよね?」

 詰め寄る奏斗を蘇芳はめんどくさそうに手でしっしっと払った。

「うるさいね、君は。何をしようと姫君の勝手だろう。それとも君も四六時中姫君を監視していないと気が済まないのかな?」

 蘇芳は食堂のテーブルに生けられた花を指さした。その小さな花ですらもアヤメにとっては彼女を監視する目となる。奏斗は首を振った。


「監視だなんて、ただ僕はアヤメさんが心配で」

「君は彼女の動向をいつも追い、行動を制限しようとしている。やっていることは同じじゃないか」

「それは――」

「姫君は君に何も言わないという選択をして吹雪の中を出て行った。それが彼女の意思ということだよ」

 奏斗はそれ以上何も言い返せなかった。舞は苛立った様子で小さなため息を漏らし立ち上がる。

「奏斗君、もういいでしょ。朝ごはんにしよう。ご飯と味噌汁を用意するから奏斗君も手伝って」

「……うん」

 お盆を渡された奏斗は黙って舞の後ろをついていく。


 炊飯器から立ち上がる蒸気を見つめながら奏斗は神妙な顔をしていた。舞は不機嫌にご飯をよそると奏斗へと手渡す。

「妖狐が薄情だって言った意味わかったでしょ。アヤメちゃんは私たちのことなんて考えてないのよ」

 奏斗は心配そうに窓の外に顔を向ける。

「でももし僕たちを危険に巻き込むまいと黙ってひとりで行ったのだったら……こんなに時間がかかるなんて何か危ない目に合っているのかもしれない」

「考えすぎだよ」

「でも嫌な予感がするんだ」

 奏斗は夢の中で花嫁を探す黒い靄を思い出すと胸騒ぎに襲われた。


「奏斗君、外に出るとか言わないでね。何かあったとしても人間の私たちは足手まといになるだけで力になんてなれないんだから」

「うん。そうだけど……あっ」

 何か思いついたように食堂の調理場をのぞき込む奏斗を見て舞は首を傾げた。

「どうしたの? 奏斗君」

「アヤメさんがいなかったら月美さんや菊江さんはおかしいと思うよね。もしかしたらアヤメさんは二人には何か伝えているかもしれない」

 だが奥まで見てもそこに人の気配はなかった。


「菊江さんならいないよ。今朝は月美さんがよく寝ていたから起こさなかったらしいんだけど、そろそろ起きてもいい時間だからって起こしに行ったの」

「そうなんだ」

 奏斗と舞は茶碗をテーブルに置き、席についた。ずっと窓を見ていた蘇芳がふと食堂の入り口に顔を向ける。すると間もなくして菊江が血相を変えて入って来た。


「どうしたんですか? 菊江さん!」

「月見が……月美が目をさまさないんだよ! 大声で呼んでもゆすってもぴくりともしないんだ。誰か、助けを呼ばないと月美が!」

 菊江はその場に座り込むと乾いた口で必死に助けを求めた。

「落ち着いて下さい! 菊江さん、今救急車を――」

 奏斗はポケットから携帯電話を取り出したが、圏外だった。

「ロビーのカウンターに電話が――」

 息を切らし倒れたままロビーへと身体を引きずる菊江を奏斗が止める。

「僕が行きます」

 奏斗が食堂を飛び出そうとすると入り口には橡尾が立ちふさがっていた。


「橡尾さん」

「無駄だよ。ここは山の頂上部で外はこの大雪。救急車もヘリコプターも来てはくれないさ」

 菊江はガクガクと身体を震わせ、青ざめていた。

「雪の精霊様の怒りに触れたんだ。早く山を降りていればこんなことには。ああ、精霊様、おれを身代わりに……。どうか連れて行くのならおれの命だけにしてくだされ」

 橡尾はひざまずくと菊江の肩を優しくさすった。

「大丈夫、私がなんとかするよ」

「オーナー……」

 奏斗は優しく微笑む橡尾の瞳の奥に真っ暗な闇を見た気がした。


「橡尾さん、どうするんですか?」

「私が助けを呼びに行くよ」

「オーナー、あの子の命がかかっているんだ。本当に本当に頼みますよ」

 念を押す菊江に橡尾はにこりと笑うとロビーの方へと向かった。


「よかった。橡尾さんを信じて今は待ちましょう」

 舞が身体を支えると菊江はよろよろと立ち上がる。

「月美のそばに……」

 おぼつかない足で歩きだすのを奏斗と舞は支えた。ブーンというスノーモービルのエンジン音が微かに響く。


「ふふふ」

 窓を見ていた蘇芳が笑うと3人は立ち止まり振り返った。

「蘇芳様、どうしたんですか?」

「彼はどこに助けを呼びに行くのだろうね」

 菊江は目を見開き蘇芳を見る。

「やっぱりそうか……」

 

 小さな声が洩れ、菊江は月美の部屋ではなくロビーの方へよろよろと歩き出した。

「菊江さん? どこに行くんですか?」

「おれが助けを呼びにいくんだよ!」

「でも今橡尾さんが――」

 舞が止めようとしても菊江の意思は変わらなかった。

「オーナーは信じられねぇ。おれはずっとそう思っていた。オーナーは月美を見殺しにするつもりなんだ! いつも笑顔で優しいふりをしてるけど心なんてない。おれは忘れねぇ。月美を心配してここで働きたいと言ったおれを凍て付くような冷たい目で見たんだ。そして月美が倒れる度に嬉しそうに陰で笑ってた。きっとこうなったのはオーナーの仕業だ」

 蘇芳は笑みを浮かべながら興奮する菊江へと近づく。


「さすが菊江だ。だが惜しい。君の考えは完全な正解ではないよ」

 蘇芳が菊江の身体に手をかざすと、赤い血のような光が包み、曲がった腰がぴんとまっすぐになった。年老いて動きの悪くなった関節が油をさしたように動くと菊江は驚きあちこちと身体を動かした。

「ついておいで、菊江。君の言う通り助けはあてにならない。まずは彼女のところへ行こう」

 颯爽と先頭を歩く蘇芳の後ろを菊江がついて行く。菊江は奏斗や舞の支えがなくても小走りで後を追った。


 月美はベッドの上で静かに眠っていた。まるで息をしていないようなその寝顔に菊江は不安になり胸に耳を当てる。鼓動は弱いがトクントクンと規則的に脈を打っていた。

「月美! 目を覚ますんだよ! 月美!」

 一生懸命に呼びかけても月美は反応しない。

「どうやら彼女の魂はこの身体にほとんど残っていないようだ」

 蘇芳が淡々と言う。

「蘇芳様、魂が残っていないってどういうことなんですか? このままだと月美さんは……」

「死ぬだろうね。魂とは身体を動かす源。いわば生きるエネルギーそのものだ。魂がなくなった身体は滅びるのみだ」

「そんな!!」

 菊江はなおも月美の身体をゆするが、彼女の顔はどんどんと白くなるばかりだった。


「生きるエネルギー……」

 奏斗はポケットからアヤメにもらった梅の実を取り出した。舞はそれを不思議そうに見ている。

「それはアヤメちゃんからもらった梅?」

「うん、もしかしたらこれで良くなるかもしれない」

 袋から梅を取り出すとそれを月美の口の中へと含ませた。すると月美の頬にみるみる赤みがさしていく。

「私の梅で憎らしいことをしてくれるじゃないか」

 蘇芳はそう言いながらもどこか満足気に笑っていた。


 菊江は生気の戻った彼女に安堵の表情を見せたが、呼びかけてもまだ目覚めない。

「彼女の魂が戻ったわけじゃないからね。梅の力が切れるのも時間の問題さ」

「蘇芳さん、月美さんの魂は今どこにあるんですか?」

「彼女の魂は雪の精霊の元さ。力を得た雪の精霊に引っ張られたんだろうね」

「雪の精霊……もしかしてアヤメさんは月美さんの魂を取り戻しに?」

 蘇芳は何も答えずただニヤニヤと笑っていた。


 部屋を飛び出そうとする奏斗の腕を舞が掴む。

「舞ちゃん離して! アヤメさんを助けにいかなきゃ!」

「だめ! 行かないで! そばにいるって約束したじゃない!」

 懇願するように舞が見上げる。奏斗は冷静になろうと目を閉じた。

「奏斗君?」

 奏斗はゆっくりと目を開く。

「ごめんね、舞ちゃん、やっぱりその約束はできないよ。ここにいても僕は月美さんと同じ、魂のない抜け殻だ。今、僕の魂はアヤメさんのそばにいる。だから僕は僕と月美さんの魂を取り返してくるよ」


 引き留めていた舞の手の力が緩むと奏斗はそっと腕を離した。だが代わりに奏斗の手をしっかりと掴む者があった。それは菊江だった。


「おれも同じ気持ちだ。おれも連れて行ってくれ。月美の魂はおれが迎えにいく」

「菊江さん、でも……」

 年老いた菊江を連れていくのは無理だ、奏斗はそう思っていた。しかし、そこでやれやれと動いたのは意外にも蘇芳だった。

「菊江の頼みなら仕方がないね」

「蘇芳様? 菊江さんを連れていく気ですか?」

 蘇芳は舞をベッドサイドの椅子に座らせ、肩を抱いた。

「舞、私たちはこれから頂上へ行ってくる。君には留守を頼むよ。目覚めた時に誰もいなかったら心細いだろうからね」

「でも、蘇芳様――」

 何か言いたそうな舞に蘇芳は冷たい目を投げかけると彼女は言葉を飲み込んだ。


「アヤメさん」

 奏斗は呼びかけるようにその名を呟き部屋を飛び出して行った。舞はその後姿を見送ると唇を噛む。二人を見ていた蘇芳は不敵な笑みを浮かべ舞に耳打ちをした。

「心配しなくても最後に微笑むのは君だよ」














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