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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第伍話 キツネ姫と雪の雄鹿
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1  梅の実3つ

 優雅にしなる白い尾が金粉を散らしたかのように輝く。眩しいほどの銀世界の中で浮き立つその妖狐に奏斗の瞳は釘付けになった。妖狐には瞳を囲うように金色の紋様がついている。隈取のようなその紋様は『彩取』といって数多の妖狐を統べる九重会支所長の証であり、そして九尾の『呪縛』であると彼女は言った。奏斗はずっとその言葉が引っかかっていた。


「蘇芳たちはまだ来ていないみたいね」

 妖狐はそう言うとたちまち人間の姿に化けた。雪原に立つ彼女はいつものスーツの上に真っ白なコートを羽織っている。雪国仕様に変化した彼女が茶色がかった大きな瞳で彼を見上げると奏斗の心臓はドキドキとせわしなく脈を打つ。


「奏斗、どうしたの?」

「な、なんでもないよ、アヤメさん」

 熱くなる顔を隠すようにマフラーへうずめるとアヤメが心配そうに彼の顔をのぞき込む。

「顔がずいぶん赤いわ。急に寒いところへ来たから風邪を引いちゃったかしら」

 アヤメの手が奏斗の額に優しく触れると彼女の指先はほんのりと温かく柔らかかった。

「熱はないみたいね。でも体調が悪かったらすぐに言うのよ」

「そんな心配しなくて大丈夫だよ」

「いいえ、用心するに越したことはないわ。あなたは人間なんだから身体は大事にしないと」

 アヤメは奏斗に対していつも心配性だ。それは彼女が不老不死で800年以上を生きているのだから仕方がない。しかし奏斗もまた彼女の身を案じていた。


「アヤメさん、アヤメさんこそ自分のことを大事にしなきゃダメだよ。アヤメさんのことを心配しているのは僕だけじゃないんだからね」

 ポケットに手を入れて滑らかな布の感触を確かめる。それは彼女を守るためにと彼女の養父である白磁から託されたお守りだ。

「私はいいのよ。それより蘇芳に会う前にこれを渡しておくわ。あいつの前だと面倒だから」

 アヤメは自分のこととなるとすぐに話を変えてしまう。彼女は奏斗の手を取ると小さな包みを3つ、奏斗の手のひらに置いた。

「これは?」

「梅の実よ。間に合ってよかった」

 アヤメは白い息を吐きながらにっこりと笑った。


 それはふたりがここへとやってくる数日前のこと。アヤメは蘇芳から送られてきた梅の枝を花瓶に活け、世話をしていた。蘇芳はアヤメを妻にしようと狙っている。その蘇芳から届いた花を大事にしているアヤメに奏斗の心中は穏やかではなかった。しかし、彼女はただ花を愛でていたわけではなかった。

 花が落ちると不思議なことに梅の枝は小さな実を3つつけた。実は瞬く間に大きくなって熟し、彼女は事務机の上で生ったそれを収穫した。


「アヤメさん、梅の実を育てていたの?」

「ええ、次の仕事はこれが役に立ちそうだから」

「梅の実が?」

 アヤメは枝だけとなった寂しい梅の枝を見つめる。

「ええ、これはただの梅じゃないわ。蘇芳の力が込められた梅なの。普通の妖狐は百緑のように他の木に変化の術をかけることしかできない。でも蘇芳は本当の梅の枝に力を与えて成長を早めているのよ。蘇芳の力は他者に生命力を与えること、その力は半端じゃないわ。だから枝は切られても実をつけることができるのよ」

「でもこの梅の実をどう使うの?」

 奏斗は興味深くその黄色がかった実をのぞき込む。実はほんのりと爽やかな香りがした。


「この梅の実を口にすると弱った生き物は蘇芳の力で再び生命力を取り戻すのよ。今度の仕事は雪山、人間のあなたたちだけでは心配だもの」

 今回の仕事は長野支所と協力をしてスキー場開拓のために住む場所を追われた動物たちを異次元の森へ保護することだった。しかもスキルアップのために人間の職員だけで仕事をしなければいけないという条件付きで妖狐のアヤメは有事に備えての付き添いに過ぎない。


 アヤメは一つ一つ手に納め、手の平から瘴気を出すと梅の実を包み込む。奏斗はアヤメの手元に見入った。

「梅の実には毒があるこうやって瘴気で消すの。それから食べやすいように加工するのよ。」

 奏斗の脳裏に梅干しが浮かぶと自然と唾もでて酸っぱい顔つきになった。それを見たアヤメがクスリと笑う。黒い瘴気は梅の毒とともに彼女の身体へと戻っていく。アヤメは毒や邪気をいつも自分の身体へと受け入れていた。

「出発までに食べられるようにしておくわね」

 アヤメはそう微笑んだ。



「これがあの時の梅なんだね」

 手毬や小花、菊が描かれた美しい千代紙で一つ一つ大事に包まれたそれを触れば、その中に立派な梅の実が入っていることが分かる。

「今回の仕事は人間であるあなたたちの仕事、私は守ってあげられない。だからあなたと舞にはせめてこれを持っていってほしいの」

 いつも誰かを守ることばかり考えているアヤメを想うと奏斗の胸は切なく痛む。いつしかそんな彼女の心の支えになりたい、奏斗はそう思っていた。しかし、アヤメの心にはもうすでに奏斗の知らない『誰か』がいる。自分の恋心が邪魔になるとわかっていても気持ちは止められなかった。


「アヤメさん」

 奏斗は彼女の手を取った。すると合わさる手の平の中で千代紙がしゃりと音を立てる。アヤメは奏斗の行動の意味が分からずに首を傾げた。

「奏斗?」

「ひとつはアヤメさんが持っていてほしいんだ。僕にはアヤメさんみたいにすごい力なんてないけど守りたい気持ちは同じだから」

 きっと大妖怪である彼女には不要なものだろう。それでもアヤメは嬉しそうにその包を握りしめ、その上から奏斗の手が彼女の手を包み込む。


 ボトリ

 静かな雪山に低い音が響く。それはふたりの近くに生えた白樺の枝から雪の塊が落ちる音だった。ボトリボトリと雪は次々とふたりのそばをかすめ落ちていく。

「これは……」

 奏斗が見上げると風もないのに枝がはじかれ雪を落としていた。アヤメは頭上を睨むと自分の手と重なる奏斗の手をゆっくりと離した。

「青鈍よ」

 彼はアヤメが九重会の長である九尾に監視されていることを思い出した。九尾の側近である青鈍は植物のあるところならば植物を通して千里眼を使える。九重会のトップは彼女の実の両親である九尾とそのパートナーの桐生だ。奏斗は桐生とは一度電話をしただけだが、電話を切った後の後味を思い起こすだけで胸の内がざわざわと不快になった。


「監視なんて悪趣味すぎるよ。実の娘なのに。アヤメさんが可哀そうだ」

 怒りをにじませ暗い顔をする奏斗にアヤメの表情は和らぐ。

「奏斗、ありがとう。でもあなたが気に病むことはないわ。親子関係なんて初めからないのよ」

 そう言って手をかざすと手から出た黒い靄が白樺を包み込む。瘴気に力を奪われた白樺の木は雪を落とすことを止めた。アヤメはまだ瘴気のにじむ手の平を見つめる。


「彼らに必要なのは私の力だけ。九尾の力を受け継ぐ私に逃げられたら困るのよ」

『アヤメさん、やっぱり九重会をやめたいの?』

 言いかけた言葉を飲み込む。この会話も九尾たちに聞かれているならば、それはアヤメに迷惑をかけるだけだった。アヤメはそんな彼の思いを知ってか知らずか微笑みを浮かべている。


「誰もが自分の産んだ子を愛せるとは限らないのよ。あなたは両親を大切にしてね」

 それはいつもの優しいアヤメの声だった。しかしどこか儚げで奏斗の心を不安にさせた。思わず離した手を再び掴もうと伸ばすとそれを邪魔するクラクションが鳴った。


「やっと来たわね」

 雪の中になじむ真っ白な高級車、それは蘇芳の車だった。後部座席からは舞が手を振っているのが見えた。ふたりの近くで車を停めると出て来た蘇芳は陰鬱な表情を浮かべる。

「本当に人間を背に乗せて来たのかい? 君はどうかしているよ」

「何と言われてもいいわ」

 冷たいアヤメの反応にも蘇芳は嬉しそうに笑う。

「ふっ、相変わらず気が強い。そんな姫を妻にしたい私もどうかしているんだろうね」

「あんたは昔からどうかしてるわよ」


 アヤメと蘇芳に気を取られているうちに舞は奏斗の隣を陣取っていた。

「奏斗君久しぶり。あれ? トロトロちゃんは?」

 舞は彼のコートのポケットをのぞき込み自然と距離を縮める。

「トロトロは寒いところだと固まっちゃうから留守番だよ」

 ベージュ色のコートの袖からちょこんと出た指が自然に奏斗の腕を掴み寄り添うような形になる。それに気付いたアヤメはふっと目をそらした。


「奏斗君、ポケットに何を入れているの?」

 舞はトロトロのいないポケットに色鮮やかな包を発見すると上目遣いで見上げる。

「あ、これアヤメさんが作ってくれたんだ。舞ちゃんの分もあげるよ」

「へぇ! ありがとう、アヤメちゃん」

 舞は意味深な笑みを浮かべてアヤメの方を見ると、アヤメは「いいのよ」とだけ返した。


「さぁここからは君たちの仕事だ。頑張ってきたまえ」

 蘇芳は白樺の林の先に見えるログハウスを指さした。その近くからは1本のリフトが頂上へ向けて伸びている。客の姿は見当たらないがリフトはゆっくりと動いていた。

「たしかリフトに乗って異次元の森に行く生き物を探すんだよね。スキーのレンタルもしなくちゃ! 奏斗くん行こうよ」

「ま、舞ちゃん待って、僕スキーは……」

 舞が奏斗を引っ張り、なだらかな坂の先にあるログハウスへと歩いていく。蘇芳はその様子を満足気に眺めていた。


「よっぽど彼に会えたのが嬉しいみたいだね。気が弱くて大人しい彼女があんなにもはしゃいでいるよ」

 アヤメは腕を組み呆れていた。舞は決して『気が弱くて大人しい』女性ではなかったが、その控えめな雰囲気から誤解されることも多い。特に男性は舞の本性を気づかない場合が多いが、それは女たらしの蘇芳をもってしても見抜けないようだった。


「そんなことより舞を送りにきたならとっとと帰りなさいよ。どうせ仕事なんてしないんでしょ」

 アヤメに邪険にされると蘇芳は恍惚の表情を浮かべた。

「ああ、流石将来の私の妻だ。私のことを良く分かっている。仕事なんてする方がおかしいのさ。九重会で馬鹿真面目に仕事をしているのは君と鳩羽くらいだ。あ、あと双子の息子たちも支所長になったんだったね。君も事務所で見習いを遊ばせるだけではなく、ちゃんとした妖狐を使役すればいいんだよ。まぁ君がそうしない理由を私は知っているんだけどね」

 アヤメはハァと大きなため息をつく。

「相変わらずベラベラとよくしゃべるわね。その調子じゃ舞はすべてを知った上でここに来たみたいね」

「そうさ、だから姫は邪魔しちゃダメだよ」

 蘇芳はにやりと笑う。ふたりの視線の先には小さくなっていく奏斗と舞の背中があった。仲の良い二人を見つめるアヤメの前にボトリと雪の塊が落ちる。いつの間にか白樺には無数の鋭い目が浮かび彼女を凝視していた。


「ふふ、君はよほど信頼されていないらしい。青鈍も真面目なキツネのひとりだね。休むことなく君を監視する目となっている。諦めて私の妻になったらどうだい? そうすれば君を監視し続ける哀れな青鈍も救えるんだよ」

 蘇芳はそう言うとアヤメの肩に手を添えた。

「私は誰の妻にもならないわ」

「健気だね。それに引き換え彼は前世で永遠を誓い合ったのに何も覚えていない。昔の自分に嫉妬する始末だ。ああ、懐かしいね、君と夫婦になってすぐに死んでしまった脆く弱いあの男が」


 その瞬間、アヤメの身体から放たれた瘴気が黒い炎となって蘇芳の腕を伝い身体を激しく覆いつくす。しかし炎はすぐにくすぶりながら小さくなって消えて行く。

「あの男にも今の君を見せてあげたいよ」

「彼のことを口にしたら許さない」

 彼女の顔は変化が解け、怒り狂う恐ろしい狐の顔になっていた。蘇芳は先ほどまで炎に包まれていた自分の腕を見て愉快そうに笑う。

「ふふ、姫君はやはり強い。君が謀反すれば相当な痛手だろうね」

 白樺の無数の目はまだ厳しい目でアヤメのことを捉えていた。枝が一斉に奏斗と舞に向けてその鋭い枝先を向ける。

「九重会が約束を守る限り私は謀反などしない。でももし彼を傷つけるのなら、この身が滅びるまで抗い続けるわ」

 すると白樺の目は消え去り、白樺はただの木に戻った。しかしアヤメは収まりきらない感情にグルルとその喉を鳴らす。


「囚われの身である君が逆に彼らを脅すとはね。君は彼を守るためなら手段を選ばないようだ」

 目の周りの彩取がきらりと金色に光る。

「奏斗……」

 アヤメはコートのポケットに手を添えるとそこにある梅の実の感触を確かめた。奏斗の優しい気持ちが荒ぶる心を落ち着かせる。すると彼女の顔はみるみる狐から人間になっていった。金色の彩取も人間の顔になるにつれ消えて行く。アヤメは平常心を取り戻すと蘇芳へと視線をやる。


「ええ、彼を守るために利用させてもらうわ。九重会もあんたもね」

 凍てつくような冷たい瞳で言い放つ彼女は、思わず息が止まるほどに美しかった。

「いい顔だね。私は君の姿を見にきたんだよ。哀れなほどに強い姫君が嫉妬と絶望に苦しむ様を私に見せてくれ」

 蘇芳は背中に走るゾクゾクとした感覚に悦びを感じ、狂気じみた笑みを浮かべていた。



 挿絵(By みてみん)






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