15 番 (つがい)
「うーん、こっちが灰」
「せいかーい☆」
くるっと一回りすると黒い服は蛍光色のTシャツに変わった。嬉しそうな潤に反して灰は不機嫌に腕を組みむくれている。
「すごいヨ☆ 駒ちゃん、どうしてわかるの?」
「え、なんとなくあて勘で。本当は全然分かんないんだけど」
「でも100発100中だヨ☆ これは才能かもしれない!」
潤があまりに褒めるので駒は照れながら頭をかいた。潤の隣では紅がじっとりと潤のことを見ている。
「そうでしょうか。私にはおふたりが全くの別人に見えますがっ!」
怒りをにじませている紅に潤はデレデレとにやける。
「そりゃあ、紅ちゃんは別格だもん☆ 俺のことを分かってくれるのは紅ちゃんだけだヨ☆」
「もう、潤様はしょうがないですね」
紅は呆れながらも機嫌を直していた。
狐たちは以前と変わらずに働き、一人だけ人間の駒もうまくやっていた。平和な支所の中で灰だけが難しい顔をしていた。
「灰、まだ百緑のこと引きずっているのかよ」
アヤメたちが引き上げた後も土佐支所に残っていたトロトロが呆れながら言う。トロトロは三つ目と勝負がつくまで帰らないと事務所で将棋をさしていた。
「ちげーよ。花菖蒲のことだ。眼鏡を背に乗せるなんてあんな挑発しておいてただで済むはずがない。それに8人の人間が揃ったんだ。そろそろ動きがあるのかもしれないと思ってな」
プルルルル
普段はほとんど鳴ることのない電話が鳴り、駒が受話器を取る。すると電話先の声の主に気づいた駒は嬉しそうに声を上げた。
「健ちゃん! やっぱり健ちゃんも九重会だったんだね! どこかで聞いた気がしていたんだよね! うん、私も九重会の一員だよ! すごい偶然だよね」
駒の話を聞きながら灰と潤は顔を見合わせた。それに気付かない駒は楽しそうに電話で話を続けている。
「はーい。じゃあねぇ~」
駒は電話を切ると明るく振り返った。
「ねぇ今度健ちゃんのいる支所と合同で仕事するんだって! 健ちゃんに会うの久しぶりだから楽しみだなぁ」
灰がため息をつくとそれを見た駒がにやりと笑う。
「灰ってばやきもちやいてるの? 健ちゃんは彼氏じゃないって言ったじゃん。ただのいとこだよ」
ソファに戻って来た駒の隣で潤が頬杖をつき顔をのぞき込む。
「怪しいナァ。向こうは駒ちゃんを狙っているんじゃない? いとこだって結婚できるんだヨ☆」
駒は目を丸くした。
「け、結婚?! 潤までやめてよ! 健ちゃんはお兄ちゃんみたいなものだから!」
「まぁ、気がなければ電話なんてしてこないですよね」
「ちょっと紅まで変なこと言わないでよ」
面白がって冷やかす潤と紅に駒は「もう」っと膨れ面をした。
トロトロは小さな丸い目で灰を見上げる。
「始まったな」
「ああ」
灰は三つ目とトロトロが勝負する将棋盤に目を落とした。すると念力で将棋の駒を動かしていく。駒はまるで意思を持っているかのように動き、トロトロと三つ目は黙ってそれを見守っていた。
「王手だ」
トロトロの駒が三つ目の王将を取る。
「おお!」
自然と三つ目とトロトロから感嘆の声がが洩れた。
「勝負はついた。トロトロそろそろ花菖蒲のところに帰れ」
「わかったよ」
トロトロは茶色い体でひとつ伸びをすると紅や駒とはしゃいでいる潤を見た。
「俺たちなら大丈夫だ」
灰の言葉にトロトロはやれやれという顔をした。
「お前変わったな」
「あいつを頼む」
「狐姫は狼以上に一途で頑固だからなぁ。荷が重いぜ」
トロトロはため息まじりに笑うと小さな茶色の手をあげて「じゃあな」と言った。そして次の瞬間、その姿はただの溶けたチョコレートになっていた。
「え! トロトロさん! 溶けちゃったの?! いや、待てよ。はじめから溶けてた! おーい! トロトロさーん!」
駒は溶けたチョコレートを前にトロトロの名を呼ぶ。
「落ち着け駒、トロトロは憑依型の妖怪だからとろとろしているところを用意すれば、ここから横須賀でも瞬時に移動できるんだよ」
「すごい! 羨ましい!」
灰は興奮している駒を珍しい物でも見るように見た。
「じろじろ見て何? 化粧してないと目が小さいって言いたいの? 気にしてるんだからやめてよね」
「目が小さい? 何を言っているんだ? 俺は人間のくせになんでもすんなり受け入れてしまうお前の方が信じられないと思ってただけだ。九重会だって普通の人間には理解し難いだろう」
すると駒はニカッと笑った。
「運命ってのはね、受け入れちゃった方が楽なんだよ。どんな運命でも、いったん自分のものにしちゃえば後は自分で駒を進められるでしょ!」
灰は呆気に取られていたがすぐに吹き出した。子どもみたいに笑う灰に駒の胸がどきりと反応する。
「さすがだな。それなら自分の容姿も受け入れろよ。お前みたいな目はつぶらな瞳って言うんだぜ」
「駒ちゃん、こっちで人生体験ゲームしようよ!」
声の方では潤が紅とゲームを広げていた。
「う、うん」
「おい、潤、1回だけだぞ。それが終わったら見回りだ」
灰が言うと「はいはい」と返事する。
「駒、無理して付き合う必要ないからな」
「無理なんてしないよ」
ぷいと顔を背けた駒が火照る頬を隠していたのを灰は気づかなかった。
「灰様は将棋がお強かったのですねぇ。あそこで勝負がついていたとは気づきませんでしたよ、ホッホッホッ」
三つ目は全く悔しくなさそうにぼやいた。額の目と視線が合うと瞳は月のように変化する。
「そういえばお前、名前がなかったよな」
「特段必要もなかったですからね。私は三つ目狐。それでいいんですよ」
「三つ目っていうのは特徴であって名前じゃないだろ。そうだな……盈月っていうのはどうだ?」
「ほほう、新月から満月へと向かう月のことですね。私にはもったいないほどの名ですな。ホッホッ」
灰は将棋の駒を並べ直すと三つ目と向き合う。
「盈月、俺が相手になってやるよ」
「望むところですよ」
そうして土佐支所は支所長に灰と潤を迎え、狐たちと新たなスタートを切った。
横須賀支所では相変わらずアヤメがほぼひとりきりで仕事をこなしていた。奏斗もできることは手伝っていたが、ただ一つ気がかりなことがあった。それはアヤメの机に飾られた梅の花だった。
奏斗にはその花に心当たりがある。それは蘇芳からアヤメのために送られてくるもので、いつもなら彼女は手に取ることもなくそれを捨てていた。しかし今回は大事に花瓶に入れてそれを活けている。その理由を奏斗は聞けずにいた。
「あの……アヤメさん」
「何?」
名前を呼ばれたアヤメは上目遣いで奏斗のことをちらりと見ただけですぐに視線を書類に戻した。
「百緑さん、幸せになれてよかったよね。妖狐と狼でも夫婦になれるんだね」
百緑と弧光のことは、アヤメに恋をする奏斗にとって励ましとなった。しかしアヤメから返って来た言葉はそんな奏斗の心を打ち砕いた。
「百緑と弧光は特殊よ。異種間の恋がいかに壁が多いか、奏斗だってわかったでしょう。異種の恋は悲劇ばかりを産む。だから私は人間なら人間、妖狐なら妖狐と夫婦になるべきだと思うわ」
アヤメはそう言うと梅の花を見つめた。奏斗のことを映そうとしないアヤメの瞳に彼の心は苦しく悲鳴を上げる。
「アヤメさん、それでも僕は……」
「奏斗、ごめんなさいね。今は忙しいの」
彼女は冷たく奏斗の言葉を遮った。彼女の顔は書類で隠れ見えない。
『アヤメさん、泣いているの?』
奏斗がそう言おうとしたその時、彼のズボンに入っていた携帯電話が鳴った。それは舞からの着信だった。電話に出ると明るい舞の声がすぐに響く。
『もしもし奏斗君? 蘇芳様からの梅、届いた? アヤメちゃん捨ててないよね?』
「うん、花瓶に活けてあるよ」
『本当に? やっと蘇芳様の想いが通じたんだね! それで、アヤメちゃんからもう聞いたかもしれないけどまた協力して事件を解決するんだって。会えるのが楽しみで電話しちゃった!』
その後の舞の話が奏斗の耳には入ってこなかった。アヤメと蘇芳の関係、それだけがモヤモヤと彼の思考を支配していた。
「……うん、またね」
電話を切るとアヤメはまだ書類をずっと眺めていた。
「アヤメさん、今度舞ちゃんたちと仕事するんだね」
「ええ、土佐支所に駒が入ってこれで九重会の人間が揃ったの。これからは舞たちとの仕事が増えるわ」
「舞ちゃんたちとの仕事が?」
奏斗は聞き返したがアヤメは返事をしなかった。彼女は何かの気配を察したのかふいに書類から顔を離すと奏斗の部屋がある壁を向き、少しだけ唇の端を上げた。
「奏斗、トロトロが帰って来たわよ」
「トロトロが?」
いつも胸ポケットにいたトロトロがおらず、彼も寂しかったのだろう。トロトロを迎えに事務所を出ていく奏斗の後ろ姿は嬉しそうだった。
奏斗が部屋へ行くと日の当たる窓辺にトロトロの姿があった。トロトロがいつでも移動できるように奏斗の部屋には溶けたチョコレートがある。小さな丸い目が奏斗をみるとトロトロは「よう! 帰ったぞ」と声を上げた。
「お兄さんたちのお仕事どうだった?」
「まぁ、仕事は大体他の狐がやるからな。土佐支所の狐たちも百緑の時には百緑の力になりたい一心で仕事をしていたんだろうが、あいつらの場合は自分たちがしっかりしなきゃって面倒みてやっている感じよ。まぁ、それも部下を引っ張る力にはちがいないけどな」
「そっか」
トロトロは横須賀支所の様子も聞こうと思ったが奏斗の表情を見てやめた。
「狐姫は相変わらずみたいだな」
「うん。でも前までとは何か違う気がするんだ。アヤメさんは相変わらず優しいよ。でも時々僕を突き放す。それなのにどこか寂しそうで……まるで助けを求めているみたいに見えるんだよ」
トロトロは目をキョロキョロと動かした。
「まぁ、狐姫を助けられるとしたらお前だけだろうな」
奏斗はトロトロの言葉にごそごそと服のポケットをあさった。トロトロは不思議そうに奏斗のことを見ていたが彼がポケットから取り出したものをみると皿の中で小さな体を前のめりにして驚いていた。
「お前それどうしたんだよ」
それは白い狐の刺繍が入った小さなお守り袋だった。
「百緑さんが僕にくれたんだ」
「幻影でか。いつのまに……」
百緑は弧光と共に去る時、奏斗にだけ幻影の術をかけた。百緑と奏斗しかいない空間の中で彼女はこのお守りを彼に渡した。
『これは白磁様より預かったものです。助けが必要な時にはこれに念じてください。そうすれば白磁様がきっとあなたを助けてくれるでしょう』
『なんで白磁さんはこれを僕に?』
百緑は微笑み答える。
『あなたを助けるということはアヤメ様を助けるということ。どうかあなたの力でアヤメ様を助けてください』
そして奏斗が気づいた時には百緑の姿はなく、元の世界へと戻っていた。ただポケットにはこのお守りが入っていた。
「白磁はむやみに力を使えないんだ。大切にしろよ」
奏斗は頷くとそれを再びポケットへとしまった。
「みんなアヤメさんを大切に想っているんだね」
それでもアヤメを想う気持ちは誰にも負けていない自信があった。一緒にいればいるほどに彼女への想いは強くなるばかりだった。
その頃、誰もいなくなった事務所でアヤメは梅の花びらとにらみ合っていた。花びらに浮かぶ吊り上がった瞳が彼女に突き刺すように鋭い眼差しを向ける。
「わかっています、母上様。私の役目は奏斗と舞が番となるように導くこと。私は母上様を決して裏切りません」
すると浮かんでいた目はすっと消えていく。アヤメは手にしていた書類をそっと机に置いた。それは何も書いていないただの白い紙だった。
お読み頂きありがとうございました。これで第 肆話「狐姫と一途なオオカミ」は完結です。第伍話は「狐姫と雪の雄鹿」です。6月30日投稿予定です。