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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第肆話 キツネ姫と一途なオオカミ
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12 昔の約束

 アヤメは地面に降り立つと、奏斗を下ろし、人間の姿となった。

「夢みたいだよ! こんなにたくさんの狼がいるなんて」

 狼に囲まれて嬉しそうにしている奏斗を見てアヤメは優しい微笑みを浮かべる。その姿に灰は声を荒げずにはいられなかった。


「お前、自分のしたことが分かっているのか!」

 アヤメは長い髪を耳にかけてめんどくさそうにため息をついた。奏斗は灰の怒っている理由が分からずに、険悪な雰囲気のふたりの顔を交互に見る。

「僕たち何か悪いことをしてしまったんですか?」

 奏斗の問いに答えたのは呆れ顔の潤だった。

「眼鏡君たら知らずに乗ってたの? 僕たち妖狐は気高い生き物だからネ。そう易々と誰かを背には乗せないんだヨ。ましてや仙人でもないタダの人間なんてもっての他☆」

「そんな……。僕が狼に会いたいなんて言ったから」

 奏斗は先ほどまでの興奮が嘘のようにしょんぼりとしていた。


「奏斗は気にすることないわ。私が誰を背に乗せようと私の勝手なのよ」

「お前はいつもそうだ! 九尾や桐生に喧嘩を売っているのか!? そんなことをすればお前だってただじゃ済まされないぞ」

 灰はアヤメに掴みかかる勢いだった。アヤメは腕を組んだまま背の高い灰を睨み上げる。

「余計なお世話よ」

「俺たちは家族だ。家族を心配するのに余計もクソもあるか!」

 灰の言葉にアヤメは顔を歪ませる。

「そういうのがムカツクから家を出たのが分かんないの」

「ああ、分かんねぇな。ムカついたって家族は家族だ。なぁ! 潤」

「そうだヨ☆ 離れてたって俺たちが花菖蒲のお兄ちゃんってことには変わりはないよネ」

 よほど気に障ったのかアヤメの身体からは黒い霧が出始めていた。

「やるのか? 受けて立ってやるよ」


 灰と潤が身構えるとアヤメに負けないほどの覇気がその場を包む。百緑は何も言わずにその様子を見ていた。しかし、灰はその視界の端に映ったものに喧嘩する気持ちを失った。

「ちょっと灰どうしたの? ってあれ? 駒ちゃん☆」

 灰の視線の先にいたのは駒の姿だった。腕にはトロトロの入ったビニール袋をぶら下げて必死にメモを取っている。駒は少し顔を上げるとにかっと笑った。

「あ、私のことはお気になさらず、続けて続けて」

「続けてって……」

 灰が唖然としているとトロトロが駒に説明を始める。

「こいつらはな、百緑の門出だろうが構いやしない。いつもこうやって所かまわず喧嘩するんだ。特に狐姫のことになるとなおさらだ。でも根が単純だから興味の対象が変わるとすぐに喧嘩をやめるんだよ」

「へぇ! 勉強になります、トロトロ先生! 頭に血が上った時は興味を他にうつす……と」

 真剣な顔つきでメモを走らせる駒に灰の顔が引きつる。


「お前、何やってんだよ」

「何って? これから灰たちと働くことになるからトロトロさんに色々聞いているんだけど」

「働くって、お前はそれでいいのかよ? 俺たちは人間じゃないんだぞ」

「だからだよ。灰って人間関係つくるの下手でしょ? だから人間の私が助けてあげようと思って。私、そういうの得意だから役に立つと思うよ」

 言葉を失う灰にアヤメはクスクスと笑いだす。

「とっても心強いじゃない。彼女がいればあんたたちでも大丈夫だわ」

 駒はアヤメと奏斗の前に走り寄る。

「初めまして、楠駒です。これから土佐支所で働くことになりました。っていうか、狐姫さんってめっちゃ美人さんですね! 顔ちっさい! 羨ましいー」

「はじめまして。アヤメでいいわ」

 アヤメが微笑むと駒も明るく笑う。

「あなたは私と同じ人間ね! これから一緒に働くことがあるかもしれないんでしょ? よろしくね」

「僕は橘奏斗、よろしくお願いします」

奏斗は笑顔で返事をした。見た目こそ派手ではあるが真面目でしっかりしている駒が仲間になるのは同じ人間として心強かった。

 


「駒、受け入れてくれたのですね」

 駒は狐姿の百緑に驚くこともなくその顔を引き締めて向き合う。

「はい。百緑さん、話は全部聞きました。今度は私が母の代わりに恩返しをする番です。そのために母は私をここへ導いたのだと思います」

 そう言い切る駒に百緑は夜雀の姿を重ねていた。駒は人間へと姿を変えた夜雀の若い頃に瓜二つだった。ただ母は愛する男のため、娘はその母のために新しい世界へと踏み出す。百緑は哀し気に微笑む。

「あなたがここへ導かれたのは私への恩返しのためではないですよ。夜雀との約束なのです」

「約束? お母さんとの?」

 聞き返すと百緑は弧光と目を合わせ頷いた。

「はい。夜雀と交わした最期の約束です。これは私と弧光しか知らないこと。夜雀の……あなたの母が選んだ運命を聞く覚悟はありますか?」

 大きく首を縦に振る駒に迷いはない。それを見た百緑はゆっくりと語り始める。


「あの日、男のために山を離れた夜雀は、男のためにまた山へと戻ってきました。事務所で夜雀の歌を聞いた私はいてもたってもいられずに山へと向かったのです。夜雀はその歌で私と弧光の群れを呼びました。彼女は狼を求める男のために夜雀の歌を歌ったのです。

 狼たちを見た男は歓喜の涙を流しました。しかし、同時に夜雀の心にある思いが浮かんだのです。愛する男を幸せにするのは自分ではなく狼たち。本当に男を幸せにしたいのなら自分は山を守るべきなのかもしれないと。だから夜雀は再び山を守ろうと人間の姿を捨てたのです」

「そんなことない……お父さんはお母さんがいなくなって山にも行かなくなったのに」


 青ざめる駒に百緑は同情のまなざしを向ける。

「誰しも自分の手の中にある奇跡には気づきにくいものです。夜雀が彼の隣にいたことは奇跡でした。そして夜雀もまたすでに自分が彼の一部となっていたことに気づかなかったのでしょう。夜雀を失った彼はもう元の彼ではありませんでした。そして彼が辿った末路は夜雀が望んでいたものとは違うものになりました。しかし、山そのものになった夜雀にはそれを知る由はもうないのです」

「山そのものになるって? 意味が分からないよ」

 頭を抱え震える駒の肩を灰が支えた。

「そういうことか。夜雀は自分を捨てて、自らのエネルギー、すなわち魂を山に捧げた。そういうことだろ?」

 百緑は頷くと瞳を閉じた。そして再び目を開いた時、彼女の瞳から飛び出して来たのは1羽の小さな鳥だった。


「夜雀?」

 灰が頭上を舞う鳥を見つめつぶやくと駒も小鳥を目で追った。小鳥の身体は透け、翼からは光の尾か伸びている。それは幻想的な光景だった。

「お母さん、お母さんなの?」

 叫ぶ駒に百緑は首を振る。

「残念ですが語り掛けても応えることはないでしょう。夜雀は山となるために自我を捨てました。この小鳥は夜雀ではなく夜雀の一部と言った方が正しいのかもしれません」

「自我を? 何でそんなこと?」

「姿を持つ限り感情や欲が生まれてしまう。彼女は誰よりも、自我に支配される自分の弱さを知っていましたから」


 小鳥はくるくると旋回した後に駒の手の中へと止まった。それはひだまりのように温かく、柔らかな『光』そのものだった。自然と駒の目から涙がつたい落ちてゆく。

「この小鳥は私が彼女から預かっていた彼女が捨てきれなかった想いです。これは生まれながらにして夜雀の娘という運命を背負い、人間の世界の中で必死に居場所を探し続けていた愛娘を心配する気持ち。そして溢れるほどのあなたへの愛。あなたにこれを渡すことが夜雀と私が交わした約束なのです」

 駒が小鳥を抱きしめると小鳥は溶けるように駒の身体へと吸い込まれていった。細胞のひとつひとつに染みわたっていく光が彼女に母の存在を感じさせる。

「夜雀は魂を捨て山とそしてあなたの中に生き続けることを選んだのです」

「お母さん」

 駒は泣きながら自分の身体を抱いていた。


 灰はそんな駒を見ながらやれやれと大きなため息をつく。

「だからお前は夜雀の娘である駒を探していたってわけか」

「はい。人間の世界に溶け込む駒を探すのは容易なことではありませんでした。手がかりを見つけても鳥のように逃げてしまう。そんな駒を見つけてくださったのは灰様でしたね。これも不思議な運命の巡りあわせなのかもしれません」

「運命か。そうまで言われたら引き受けるしかないな。全部まとめて守ってやるよ。駒もお前を慕う狐たちも。なぁ潤」

「オッケー☆ 俺たちにどどーんと任せてヨ」

 潤は親指を立てて百緑にウィンクした。


「お前の母親がいる山も俺が守ってやる。だから泣くな、駒」

 涙をこらえ小さく頷く駒を灰はポンポンと撫でる。

「かっこつけちゃってさー、俺だって駒ちゃんや紅ちゃんを守ってみせるヨ☆」

 紅は瞳を潤ませながら笑う。

「我らも守られるだけではなく、おふたりを支えます。だからどうか、百緑様は安心して自分の道を生きて下さい」

「紅、あなたと初めて出会った時、あなたは小さく私がいなければ生きていけないのだと思っていました。でもそれは間違いだったのかもしれません。今思えば山から私を連れ出したのも、弧光の元へと生けるのもあなたのおかげです。あなたがいなければ私は生きていけませんでした。本当にありがとう。皆も本当にありがとう」

 俯く紅の足元にポタポタとしずくが絶えず落ちていく。他の狐たちもまた涙を流し、口々に百緑の名を呼んだ。

「花菖蒲様、これ以上は我らも別れがたくなってしまう。どうぞ彩取あやとりの儀を――」


 三つ目狐が言うとアヤメは頷き、狐の姿で舞い上がる。灰と潤も合体し灰潤になると百緑と対峙した。

 2匹を見守るように空中に浮かぶ白狐は暗闇の中で金色の光を放ち、大きな6本の尾をゆったりと揺らす。その姿に奏斗は「きれい」とつぶやいていた。


「花菖蒲様、お願いいたします」

 百緑は目をつぶり頭を下げた。

「何が始まるんだかわかんねぇけどわくわくするな!」

「いよいよ支所長だヨォ☆」

 浮かれる灰潤をアヤメは睨む。

「喜ぶのはまだ早いわよ。九尾に認められなければ支所長にはなれない。あんたたちはこれから見定められるのよ」

 すると山の木々が震えつむじ風のように葉を巻き込みながら3匹を取り囲む。そしてその形はいつしか吊り上がった瞳の形となった。ビリビリと痛いほどの視線が灰潤をなめ回す。毛が逆立つ異様な空気にいつしか脂汗もにじみ出ていた。百緑もまた目をつぶったまま息苦しい視線に耐えている。



「花菖蒲、お前が見届け人の意味がわかったぜ」

「俺、九尾の気は苦手なんだよネ」

 その強い視線は九尾特有のものだった。アヤメはふっと鼻で笑う。

「得意な奴なんているもんですか。支所長に進んでなりたい変わり者はあんたたちくらいよ。それでもやるの?」

 アヤメの問いに灰潤は真っ赤な口をのぞかせて笑う。

「のぞむところだ(ヨ)」

 灰と潤の声が揃う。するとつむじ風が2匹を飲み込むようにぶつかっっていく。その激しさに百緑と灰潤は目を閉じた。風がすっかり止んだ時、狐たちから安堵の声が洩れた。百緑と灰潤もまたお互いの顔を見合わせ息をのむ。百緑の瞳を囲う銀色の模様は消え、代わりに灰潤の瞳のまわりに緑色の紋様が現れ始める。複雑なその形はまるで指で丁寧に描かれるように滑らかに色づいていく。百緑の模様が完全に消え、灰潤の紋様が描き終わるとアヤメは安堵の息を漏らした。

「認められたみたいね」

 緊張が解けよろめく百緑を弧光が支え、見つめ合う2匹は幸せを噛みしめた。


「見事な彩取ですな、ホッホッホッ」

「当たり前だ!」

「ええ~!俺的にはもうちょっと派手な色が良かったんだけど」

 はしゃぐ灰潤を遠巻きに見ていたアヤメは複雑な面持ちをしていた。辛そうなアヤメの姿を奏斗は心配そうに見上げる。するとそれに気付いたアヤメが微笑み奏斗の元へと降り立った。アヤメの瞳を囲う金色の紋様がキラキラと輝く。


「みんなちがう色なんだね。アヤメさんの金色の紋様、すっごくきれいだなって思ってた」

 しかしアヤメが嫌そうに顔を歪めたので奏斗は焦っていた。

「ご、ごめん。僕、気に障ること言っちゃった?」

「ううん、ちがうの。これは彩取と言って支所長に選ばれた妖狐がつけられるものなの。そんなきれいなものじゃないのよ。これは私たちを縛る呪いの印だから」

「アヤメさん、呪いって? アヤメさんも本当は九重会を辞めたいの?」

 アヤメは人間の姿になると笑みを見せた。しかしそれは諦めを含んだ皮肉な微笑みだった。

「安心して、奏斗がいる限り辞めないわ」

「それってどういう――」

 言いかけると、ふたりの会話を聞いていた百緑に奏斗の言葉は遮られた。


「橘様、花菖蒲様を想うのなら今深追いするべきではありません。いずれ時がくれば分かること」

「でも僕は……」

 百緑は首を振り、アヤメもまた答えてくれそうにはなかった。もどかしさに唇を噛む奏斗に百緑は優しい眼差しを向ける。

「では私から一つだけお教えしましょう。私が花菖蒲様を見届け人としてお呼びしたのは花菖蒲様が常に監視されているのを知っていたからです。九尾様と桐生は側近である青鈍あおにびの能力を使い、花菖蒲様を常に監視されています。その監視の目を利用して灰潤様の彩取が施されたのです」

 奏斗ははっとしてアヤメを見た。

「ということは今も?」

「はい、そういうことです。青鈍は植物を通して何でも見ることができます。それが葉一枚であっても。だからあなたも言動に気を付けた方がいい。花菖蒲様をお守りできるのはあなただけなのですから」

 舞い落ちる葉が百緑にまとわりついていく。それはまるで見えない何かが彼女の言動を戒めているようだった。


「変わったわね、百緑」

「認めたわけではありませんよ。ただ昔の約束を思い出しただけです」

 百緑の言葉にアヤメは笑みを浮かべた。それは彼女が心を許したものだけに見せる柔らかな顔だった。

「やっと思い出してくれたの? 私はちゃんと覚えていたわ。だからこうして来たのよ」

 その言葉に百緑もまた微笑みを返す。

「ありがとうございます。アヤメ様のおかげで私はやっとなりたかった姿になれる」

 百緑がそう言いながら7本の尾で身を隠すとその姿は立派な狼へと変化していた。薄い緑色のたてがみが風になびくと自然と群れの狼たちは百緑にひれふす。

「アヤメ様、私はこれより先、名を百葉ももはとして改め、オオカミとして生きていきます」

 その目は生き生きと輝きに満ちていた。そのエネルギーに百緑にまとわりついていた葉がパチンパチンと音を立てて砕けていく。百緑が目を光らせると辺りは一面、紅色の楓に包まれ楓の中に百緑と弧光の姿が消えて見えなくなっていった。


「どうかお幸せに」

 寂し気に見送る紅の隣には潤、そして灰や狐たちがいた。

「百緑さん、楓が好きなんだね」

 奏斗が言うとアヤメは瞬きもせずに真っ赤な景色を見つめたまま答えた。

「楓が意味するのは『美しい思い出』。百緑にとってキツネだったことはもう過去になったのよ」

「美しい思い出……」

 奏斗は楓の中にもう一度百緑の姿を探した。するとさわさわと揺れる葉の中に、キラリと赤と青の光が彼の瞳へと飛び込んできたのだった.


挿絵(By みてみん)

支所長には何か目印と思い『目を囲む隈取のような紋様=彩取』という設定を追加しました。過去の話でも支所長には彩取を施してあります。


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