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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第肆話 キツネ姫と一途なオオカミ
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10 一途なオオカミ 上

 百緑が双子を誘ったのは彼女が夜雀を自由にした後の記憶だった。 


 荒々しく豪然たる若い狼と神秘的な美しい淡緑うすみどりの狐がにらみ合う。本来ならば出会うはずのなかった獣と妖は数奇な運命により出会い、お互いに嫌悪感を抱いた。


「取り返しのつかないことをしてくれたな」

 百緑は弧光に睨まれようとも狐面のように表情を変えない。それが余計に弧光の気に障った。

「ここにはたくさんの狼の群れがあるんだ。山の守りがなくなったと分かればすぐに争いが始まり、人間に見つからずとも狼は消えるだろう。お前が余計なことをしたせいでな」

 夜雀の気配がなくなったことを察知したのだろう、遠くでは絶えず他の狼の群れが遠吠えをしていた。

「狼は消えません。私が夜雀の代わりにこの山と狼たちを守ります」

 夜雀の神下ろしを手助けした時に彼女の覚悟はもう決まっていた。弧光は嘲笑を浮かべる。

「ふざけたことを。何千という時をこの山ですごした夜雀ですら山を守り切れなかったんだぞ。できない約束などするな。お前が夜雀を今すぐ山に戻せば済む話だ」

「それはできません。しかし、この山から神を奪ったことは事実。その責任は私にあります」

「そうか、ならばその命に代えても狼とこの山を守ってもらおう」

 弧光と群れの狼たちは怒りをにじませながらじりじりと百緑に近づいていく。百緑は弧光を冷たい目で見た。その気迫に弧光は思わず足を止める。


「何だその目は」

「私には夜雀の気持ちがわかります。そうやってあなたはずっと夜雀に責任を押し付けてきた。だから彼女は人間の男の元へ逃げたのですよ」

「なんだと!」

「あなたたちがつけた心の傷をあの男が癒したということです。あなたは『守れ』と偉そうに吠えるばかりで夜雀を守ることを怠ったのです」

「お前に何が分かる!」

  百緑の瞳は狼の怒声を跳ね返すような強い輝きを放っていた。

「少なくともあなたが頭領の素質のない薄情な者だということはわかりました」

 弧光の鼻がぴくりと動く。

「お前が何と言おうと狼の頭領は私だ。神の使いが『神』と認めない限りお前が山の生き物たちから認められることはない」

 弧光はそう言うと群れを率いてその場を去っていった。


「百緑様本当に山を守るのですか?」

 紅は突然に山の神と同等の重責を担うことになった百緑のことが心配でたまらなかった。

「ええ、この山には守る者が必要です。紅、あなたは今まで通り旅を続けなさい」

「しかし、私は百緑様が夜雀様の二の舞になってしまわないかと不安でなりません。それに私だけで狐助けが務まるかどうか……私も残ってはいけませんか?」

 百緑は暗い顔をする紅を見て困ったように笑う。

「私は妖狐として誰よりもあなたを信頼しています。だからこそあなたに狐たちのことを頼みたいのです。私なら大丈夫ですよ。今までは狐のためと思い生きて来たのを、この山のためと変えて生きていくだけですから」

 それから百緑の孤独な日々は始まった。


 山にはたくさんの狼の群れが人間に見つからないよう息をひそめながら住んでいた。百緑は約束通り、能力を使って人間たちから狼を守った。そのおかげで山は守られ、再び狼たちは山で心安らかに過ごすことができた。しかし、すべての群れの動向を気にしながら、山に侵入する人間の気配も察知しなければならない百緑に休まる時間はない。

「百緑様、私が無理なことを言ったばかりに……」

「いいえ、これでいいのですよ。私が自分で選んだ道です」

 三つ目狐は責任を感じていたがどうすることもできない。山の生き物たちは弧光に気を使い百緑を避けていた。


 百緑は山の神と認められなくともひたすらに山を守り続けた。人間が近づけば彼女は幻影を見せて狼たちから遠ざけ、弧光の群れも幾度となく百緑に助けられた。

「礼は言わないぞ」

「これは私の役目ですからお気になさらず」

 そう言うと百緑は飛び立つようにその場を立ち去る。弧光は彼女に守られるたび、人間の元へ飛び去っていく夜雀の姿を思い出した。


 そんなある日、弧光は赤く染まる楓の下に淡く浮かび上がる百緑の姿を見た。長く柔らかな7本の尾を揺らし、楓に反射する光を浴びてその瞳は輝きを放つ。そして恐怖すら感じるほど張り詰めた空気の中、山の隅々まで神経をとがらせている。その姿は強く美しく、まさに『神』そのものだった。

「何か用ですか?」

 ふいに百緑が目線を向けたので見とれていた弧光は慌てて目を逸らした。

「いや、なんでもない……」

「そうですか」

 百緑はまた視線を戻す。しかし、弧光は落ち着かない様子でその場から離れようとしない。百緑が先に去ろうと腰を上げると弧光はたまらず声をかけた。


「待て、少し休んだらどうだ。そう飲まず食わずじゃ力が出ないだろう」

 百緑は自分を嫌っているはずの弧光から出た言葉に驚きを隠せなかった。

「私は妖怪なので休まなくても大丈夫です」

 何か狙いがあるのかと警戒する百緑に弧光はため息をついた。

「そう警戒するな。お前がどれだけすごい妖怪なのかは知らないが、それでも気を緩める時間はあった方がいい」

 それは弧光の本心だと百緑には感じて取れた。弧光は言いにくそうに続ける。

「お前が休んでいる間、群れは私が一か所にまとめておく。そうすればお前が山の隅々まで気を張ることもないだろう」

 弧光はとても不器用な男だった。そして百緑は弧光とよく似た不器用な幼馴染を思い出した。

「ありがとうございます」

 そう微笑むと弧光は気まずそうにそっぽを向いた。


 それから百緑と弧光の群れは一緒にいることが多くなった。それは弧光が百緑を山の神として認めたということだった。狼の頭領が認めたことで、山の生き物たちも百緑を山の神として慕うようになった。そして百緑には弧光と共にいることで気づくことがあった。

 それは狼の頭領がとても孤独だといことだった。気の荒い狼のリーダーを束ねるのはそう簡単なことではない。弧光が絶対的王者として存在しているからこそ狼たちは彼に従う。それは仲間を守る重責を1匹で担っているということだった。彼が過ちを犯せば頭領としての座はすぐに、はく奪され争いがはじまる。

 弧光は狼を守る一番の方法は争いを起こさないことだと知っていた。それ故に彼は感情を押し殺し、仲間を最優先に行動しなければならなかった。それが上に立つ者として当たり前だと思っていたからこそ、人間のために山を捨てた夜雀が許せなかったのだ。


「気を緩める必要があったのは、あなたの方ですね」

 見回りに出た弧光が帰ってくるとその身体に争いの痕跡があることも少なくない。弧光は群れ同士の諍いを身体を張って止めていた。

「緩めているさ。お前のそばではな」

 弧光はそう言うと百緑の隣に腰を下ろし休んだ。百緑は柔らかく微笑む。孤独な者同士、心を通わせ惹かれ合うのは時間の問題だった。


 夜雀が山から去り、2年目の秋を迎えたある日、百緑と弧光の元に紅がある知らせを届けにやってきた。それは夜雀が女の赤ちゃんを産んだというものだった。

「名前は駒というそうです」

 紅が言うと三つ目狐は目を細めた。

「駒……夜雀様は将棋がお好きでしたからね。ホッホッホッ」

「なんでも、運命に流されず自らの意思で突き進む強い駒になってほしいという願いが込められているそうですよ」

「夜雀様は自分の意思だけではどうにもならないような運命をお持ちの方でしたからねぇ」

 紅と三つ目狐の会話を聞いていた弧光はその場を立った。百緑は弧光の後を追う。


「大丈夫ですか?」

 百緑が聞くと弧光は足元を流れる川を見つめた。苔むした岩の間を流れる小川に浮かぶ楓の葉はその流れに抗うことはない。

「君の言う通りだったよ。夜雀に勝手な運命を押し付け、苦しめた私は薄情者だ。君が夜雀の運命を変えなければ今も彼女はどこまでも続く運命に流されていたままだった」

「夜雀はきっとあなたを許していますよ。あの時のことがなければ彼女は新しい命を紡ぐことはできませんでしたから」

 弧光は憂いを帯びた瞳で小川に流れる葉を眺めた。

「だが代わりに君がその運命に流されることになってしまった」

 百緑は微笑む。

「でもこうしてあなたに出会えた。あの時私はあなたを薄情者だと思っていました。でもそれは間違っていました。誰よりも山を、そして仲間を想うあなたは薄情者なんかじゃありませんよ」

 見つめ合うと弧光も笑みを返す。それは出会った時には考えられない表情だった。


「いや、やはり私は薄情者だよ」

 不思議そうに見上げる百緑に弧光は優しく語り掛ける。

「今の私は何よりも君が大事なんだ。あんなに守りたかった仲間よりも君を幸せにしたい」

 百緑の心の中に今までに感じたことのないほどの喜びが満ちていく。いつしか百緑も夜雀の代わりとしてではなく、弧光を守りたい、密かにそう思うようになっていた。百緑の瞳から涙がこぼれる。それは彼女が弧光の前で初めて見せた涙だった。

「嫌かい?」

「いいえ、嬉しくて……。私はあなたに大切に想われる狼がずっと羨ましかったのです」

 弧光はそっと百緑へと寄り添う。

「百緑、私の命が続く限り君を想うと誓うよ」

「私のすべてはあなたと共に」

 いつの間にか川を流れる葉の横にはもう一枚の葉が並び流れている。形も色も違う葉は仲良く流れ見えなくなった。



 それから何年が経った後、平和に暮らしていた百緑の前に突然現れたのは九尾の夫、桐生だった。

「百緑、久しいね」

「桐生様……」

「時は来た。今こそ妖狐たちは彼女のために力を差し出す時だ」

 それは『九重会』の始まりだった。百緑には7尾のトップとして支所長を任された。それは要請ではなく命令だった。九尾には誰も抗えない。話を聞きつけた紅はすぐに鳩羽と白磁に助けを求めた。

「どうか百緑様をお助けください。狼と引き離されれば百緑様はきっと夜雀様のようになってしまいます」

 事実、まだ山を離れられずにいた百緑は目に見えて衰弱していた。


「大丈夫、必ず元気になる」

 力なく横たわる百緑のそばにはいつも弧光がいた。

「はい、あなたさえいれば」

 キツネの世界に戻れば、山と弧光を見捨てることになる。そう思うと彼女は弧光に打ち明けられなかった。

(このまま彼のそばで消えてなくなってしまいたい)

 心配そうに寄り添う弧光の隣で百緑はそう思うようになっていた。


 そして、紅に呼ばれた鳩羽と白磁が山へとやってきた。まるで駒狐のように灰と白の狐が空中に並ぶと狼たちはその迫力に息をのんだ。弧光だけがひるまずに前へと出る。

「何をしにきた?」

「百緑を迎えに来ました」

 その言葉に狼たちは憤り、遠吠えを始めると続々と他の群れも集まってきた。しかし、どんなに集まろうと大きな力を持つ妖狐2匹に敵うはずもない。

 狼たちは念力で押さえつけられ、呆気なく百緑は鳩羽の背へと乗せられた。


「百緑を返せ!」

 押さえつけられた弧光は怒り狂い咆哮をあげた。他の狼たちも山の神を守ろうと必死にあがいていた。百緑は鳩羽の背の上で力を振り絞り弧光へとその手を伸ばす。

「弧光、どうか弧光の元に……鳩羽様お願いです」

「百緑、ここは辛抱しなさい。あなたが行かなければ狼が狙われるのよ」

「でも私が狼を守らなければ……」

 するとひらりと軽やかに舞い降りたのは白磁だった。4尾の白磁は稲荷の眷属らしく立ち振る舞いに品があり、その毛並みはキラキラと輝きを放っている。

「狼のことならば心配には及ばぬ。稲荷神が他の山の神々と話をつけた。そこでなら加護を受けることができる。今のように一つの山にいくつもの群れが住むこともなくなるだろう」

「白磁様……」

 百緑の瞳が哀し気に揺れた。


「そんなことはいい。百緑を、私の妻を返せ!」

 弧光が叫ぶと白磁が視線を向けた。

「百緑はキツネだ。オオカミではない」

 そう言うと鳩羽と共にその場を去った。身体の自由が戻った狼たちは悔しさと憤りで荒れていた。

「必ず取り返すぞ」

 弧光が言うと狼たちが一斉に遠吠えを始める。狼たちにとって百緑は守るべき神であり、弧光にとってはかけがえのない妻だった。


 真新しい事務所には百緑を心配してかけつけた狐たちが彼女のことを待っていた。鳩羽は百緑をソファに寝かせるとその頭を撫でた。白磁は黙ってその様子を見ている。

「百緑、あなたは昔から他者を想い、よく耐える子だったわね。そのあなたがここまでになってしまうとは……。でもあなたの一途な想いを叶える方法がひとつだけあるわ」

 百緑は微かに瞳を開けた。

「私が灰と潤を妊娠しているとき、私たちはお腹の中にいる子どもが双子だとは思っていなかったのよ」

 そこまで言うと鳩羽は白磁を見る。白磁は静かに頷いた。

「ああ、私たちの子は7尾の狐だった」

「7尾の?」

「ええ、でも生まれたのは3尾の狐が2匹。何故7尾が2匹に分かれたのか理由はわからない。支所長は7尾の中で一番強い者がなる決まりよ。だからあの子たちが覚醒をすれば、あなたは支所長をする必要がなくなるわ」

「それまで私は……」

 百緑は力なくつぶやいた。

「百緑、分かって頂戴。これが最善の道なのよ。彼らが早く覚醒できるよう私も努めるわ」

 九尾に歯向かえば恐ろしいことになる。それは百緑にも分かっていた。


「百緑様、仕事は我らにお任せください。今度は我らがあなた様を支える番です」

 三つ目狐をはじめ他の狐たちは百緑を助けようとやる気に満ちていた。

 アオーンアオーン アオーン

 狼たちの遠吠えが響く。百緑は弧光の声を探し、そっと瞳を閉じた。




 *******

 灰潤が気づくと目の前には寄り添う弧光と百緑の姿があった。

「お分かり頂けましたか? 私はこの時を待っていました」

 黙って見つめている狐たちは悲壮感に満ちていた。灰潤は前足の爪を深く土へと食い込ませる。

「分かるわけないだろ! こんなもの見せられたからって引き下がれるかよ!」

「私はすべてを捨てる覚悟です。彼と共にあるのなら狐も人間も使えるものは使い、捨てて行く。それが今の私です」

 そう言い狼たちに合図をすると出て来たのはぐったりと横たわる駒の姿だった。服はボロボロに食いちぎられ、のぞいた肌は血に染まっている。

「お前!」

「灰様潤様、本気で私と戦ってください。将棋などで支所長の座を受け渡せるほど九尾様は甘くはないのですよ。手加減をされては意味がないのです」

 百緑は茂みの奥へと灰潤を誘い込む。

「百緑……」

 暗闇の中、走っていく百緑を灰潤は追いかけて行った。


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