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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第壱話 キツネ姫とイタチ先生
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3 大松山のイタチ

 次の日、シャワーを浴びてトロトロにせかされるように事務所へ行くと、昨晩と同じようにパリっとスーツを着こなしたアヤメがもう待っていた。

「遅い! もう行くよ」

 そう言うと到着したばかりの奏斗を引っ張って、地下の駐車場まで連れて行く。広い駐車場には車は1台しか止まっていなかった。しかも黒く光るその車は奏斗が乗ったこともないような高級車だ。

 アヤメは車に乗りこむと慣れた手付きでエンジンをかける。その助手席では奏斗が膝に手を置いて固まったまま、車は音もなく静かに走り出した。


「奏斗、緊張しているの?」

 アヤメは前を向いたまま聞いた。

「だってこんないい車乗るの初めてだし」

「初めての仕事で緊張してるわけじゃないんだ?」

 思わず吹き出して笑うアヤメに奏斗の緊張はほぐれていく。

「別に車なんてなんでもいいんだけど、動物を乗せることもあるし振動や音が少ない方がいいから、この車を選んだだけよ」

 アヤメの言葉に奏斗はこの組織が自然保護団体であることを思い出した。

「運転中ごめんね、あの、ここって具体的にどういうことをするのかな?」

「え? 部屋でトロトロから説明がなかったの?」

 アヤメは少し驚いたように言うと、奏斗の胸ポケットからビニール袋に入ったトロトロが顔を出した。

「だってこいつソファで寝ちゃったんだぜ」

「ごめんなさい」

 しょぼくれる奏斗をアヤメはちらりと横目で見たが、その視線は怒っていない。

「いいわよ、初日だもん。それに人間は疲れやすいからね。今簡単に説明するわよ」

 そう言うとアヤメはハンドルを大きく左に切った。それでも高級車だからか、運転技術がすごいのか、彼女の運転はとても心地が良い。


「ごめんね、アヤメさん。求人には詳しいこと書いてなかったから」

「謝ってばかりいないの。本当に昔から変わらないんだから」

 アヤメにそう言われてまた謝ろうとした口を押える。

「あなたももう感じているように、この九重会は他の自然保護団体とはちょっとちがうの。人間だけでは解決できない、自然と人間の間で生じる問題を解決するのが私たちの仕事よ。 

とは言っても一番多いのは、昨日のように人間に住む場所を追われた動物の保護なんだけどね。でも私たちは一方的な保護はしないの。昨晩の狸のように動物たちが自ら助けてほしいと言えば、力になる。そういう仕組みよ」

 奏斗はアヤメが狸と話しているのを思い出して羨ましく思った。しかし同時に昨晩見た『異次元の森』の存在が考えれば考えるほどに不可解だった。

「昨日も不思議だったけどあのドアのむこうはどこなの?」

「ーーそうね、この次元が表だとすれば、異次元の森は裏ってとこかしら。表で何かが生まれれば裏では何かがなくなる。その逆も然りね。常に表と裏の世界は連動しているのよ」


 奏斗の頭の中は混乱でめまいがした。アヤメはそんな奏斗にふっとほほ笑む。

「まぁ、深く考えることないわよ。そんなこと知らなくても生きていけるし。世の中には分からなくてもいいことなんてたくさんあるのよ」

 奏斗は胸ポケットのトロトロを見ながら、トロトロのことも分からなくていいことの一つなんだろうなと思った。

「でも横須賀にあるマンションだけで動物たちを保護するってなるとすごく限定的になるんじゃない?」

 その質問にはトロトロが答えた。

「九重会は全国にうちみたいな拠点が9か所あって、その拠点のひとつひとつに複数の出張所もある。お前が思っているよりもずっと大きな組織なんだよ」

「そんなに大きなところだって知らなかった。僕あんまりインターネットとかしないし、情報に疎いんだ。あ、でも舞ちゃんなら知っているかな? アヤメさんは覚えてる? 僕の幼馴染の舞ちゃん。舞ちゃんも傷ついた野生動物を保護するNPOの職員をやっているんだよ。舞ちゃんに聞いてみようかな」

 奏斗の明るい表情とは逆にアヤメの顔はこわばっていた。

「それはダメよ! うちは特殊な組織だから人間に口外することは許されないのよ!」

 その厳しい口調に奏斗は思わず身体を引いて肩にかかったシートベルトをギュッと掴む。

「で、でも図書館で見つけた求人だったよ?」

「それはアンタがここへ来るのを決められていたからよ。他の人間の目にその求人が映ることはないわ」

「おいおい、しっかりしてくれよ、奏斗が九重会で初めての人間なんだから」

 トロトロは軽く言ったが、奏斗は耳を疑った。

「え? アヤメさんだって人でしょ?」

 しかし、アヤメは何も答えない。代わりにトロトロが呆れてため息をつく。

「いちいち面倒くせぇな。キツネと思ってよく見てみろよ。どう見たってキツネだろ?」

 そう言われてアヤメを見ると、アヤメの顔は細くなり鼻が伸びて毛に覆われた頬が姿を現した。そして丸い瞳の中には人間のものではない細い瞳孔が奏斗のことを捕らえていた。


「!!!!」


 奏斗が声にならない声を上げると次の瞬間にはいつものアヤメになっていた。

「べつにキツネだからって噛みつかないわよ」

「キツネ姫は九尾狐が封印される前に生み落とした化け狐で800年以上人間に化けながら生きているんだぜ。若作りだろ?」

 トロトロが言うとアヤメはジロっと奏斗の胸ポケットを睨みつけた。

「これでも九重会の中じゃ若いのよ」

 不思議なことに奏斗は驚きこそすれ怖くはない。一瞬の出来事だったが、とてもきれいな獣がそこにいたように思えたのだ。もう一度、アヤメの真の姿をみようと食い入るように彼女を見ると、すっと整った横顔がこちらを向いた。

「さぁ、そろそろ大松山に着くわよ」

 アヤメが目線で示した小さな山の頂には樹齢250年という立派な松が鎮座していた。



¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 大松山は山と言っても30分かからずに頂上までいけるような小さな山だった。この辺りには似たような山が複数隣接しているが、町が近いこともあって周辺の山にはちらほらと民家も見える。また、海まで見通しがよく、山頂からの眺めがいいことも住宅地として開発される理由の一つだった。 


 山の斜面には切られて散らばる木々と、これから伐採されるであろう森林が入り乱れている。素人目にも工事が途中であることがわかるが作業はしていない。


 力強く空に向かって枝を伸ばす大松は、場所が場所ならご神木として大切にされていてもおかしくはないほど立派な松の木だった。しかし、伐採されて横倒しになっている木々の中に、1本だけたたずむ姿はどこか寂し気に見えた。

 

「あの大松だけ残すの?」

「ええ、新興住宅地のシンボルとして残すらしいわよ。地主の希望なんですって。で、他は全部伐採予定なんだけど作業員の服が突然切り付けられる事件が多発して作業が中断しているらしいの。

その原因を突き止めるように上からお達しがきていたところに、昨晩、狸が『イタチ先生』の名を出したから犯人はイタチなんでしょうけどね」


 アヤメは山のふもとに車を止めた。ブルドーザーや掘削機などたくさんの重機が並んでいたがそこにも人の気配はない。


「イタチ先生って何者なの?」

「イタチ先生は妖怪化した野生のイタチよ。狸の話だと山を守るためにカマイタチというつむじ風を起こして人間を懲らしめているらしいわ。どうやら地主がそれに勘付いてイタチを捕まえようとしているみたいなのよ」

「……妖怪化……」

 奏斗は小さな声でつぶやいた。

「来たばっかりで頭が追い付かないかもしれないけど、今回のイタチ先生のように妖怪化している動物と人間との間に入ることは重要な任務よ。イタチが現れても奏斗は見ているだけでいいから」

 車を降りたふたりに山の方から男が近づいてきた。固そうな髪が山から吹くそよ風にゆれている。TシャツにGパンというラフな格好をした40代くらいの男は手に鼠捕りのカゴを持っていた。

「おい、勝手に入って何をしている?」

 威圧感のあるその口調にもアヤメは動じずに笑顔を作っていた。

「こちらの責任者の方ですか? 私は市から委託を受けて生態調査に参りました稲荷と申します」

 そう言いながらカバンから書類を出すと、それを男に見せた。

「俺は地主の菅原だ。そんな話は聞いていないが」

「さようでございますか。では何か手違いがあったのかもしれませんね。あら、鼠でも捕るのですか?」

 アヤメは地主が持っていた鼠捕りを手で示した。すると菅原はその質問に答えたくないとでもいうように顔をゆがめる。

「そんなところだ。生態調査に問題でも出るのか?」

「いいえ、鼠を駆除してはいけないなどという法律はございませんから。人様に迷惑をかける鼠は駆除するにかぎりますものね」

 怪しく笑うアヤメに菅原はぞっと背筋が冷たくなる思いがした。


 ゴゴゴゴゴ……


 その時、地鳴りのように風が低くうなりを上げたかと思うと、山の方から空気の塊が渦を巻きながら菅原の胸めがけて激しくぶつかった。菅原にぶつかり弱まった風は渦を巻きながら空へと抜けていく。

 突然のことに立っているのがやっとの菅原だったが、自分の服を見て青ざめた。菅原のTシャツは腰から肩にかけて一直線に切れている。その切れた布の間からは肌が見えていた。


「うわあ! 大丈夫ですか?!」


 奏斗は思わず叫んだが、これだけ見事に切られていながら、菅原の身体には少しも傷がついていない。服が切れている以外は彼の額に汗が一筋流れただけだった。

「あら、やっぱりカマイタチ」

 アヤメは冷静に言った。

 菅原はアヤメの声など聞こえていないのか、暗がりに何かをみつけて固まっていた。そこは伐採途中の木が乱雑に置かれている場所だったが、横倒しになっている木の上に明らかに異質なモノがこちらを見ている。それは銀色の毛並みを持つ大きなイタチの姿だった。

「お前……」

 その小さな声をアヤメは聞き逃さなかった。

「菅原さん、あなたあのイタチを知っているんですか?」


 アヤメに話しかけれて我に返った菅原は破れたTシャツを片手でかくした。

「あれはお前たちの手に負えるようなイタチじゃない。怪我をしたくなかったら早く帰るんだ」

そう言うと逃げるようにこの場を去って行った。



 菅原の姿が見えなくなってもイタチはそこにたたずんでいた。

「キツネ姫か。来るとは思っていましたが」

「あなたがイタチ先生ね?」

 アヤメとイタチが話し始めたのを奏斗は感じたが、言葉が分からない奏斗は邪魔をしないよう黙ってみているしかない。

「動物たちが勝手にそう呼んでいるだけです。私にとって呼び名などどうでもいいこと。飼い主のために名前をころころと変えるどこかのお姫様とはちがってね」

 ふたりの話を聞きとろうと神経を集中させていた奏斗はふいにイタチと目が合う。厳しいその視線はどこか憂いを帯びていた。


「動物の言葉もわからないなんて、役立たずもいいところですね。おどおどとしているばかりで切ってしまいたくなりますよ」

 イタチは吐き捨てるように言った。


「奏斗に手を出したら許さないから」

 アヤメを取り巻く空気がぐらりと重くなり、黒い靄が身体からにじみ出ていた。

「おお、こわい。瘴気を出すとは、さすが九尾の狐を母に持つお姫様ですね。でも先に私の山に手を出そうとしているのはあなたがたですよ」

「人間が山を崩すと決めた以上、もうあんたの山じゃないわ」

「なんて人間寄りの考え方なんでしょうね。自然保護団体が聞いてあきれますよ。だから私はキツネという生き物がうさん臭くて嫌いなんです。出て行かないと言うならば、自分の飼い主はしっかり守ることですね」

 銀色のイタチはそう言うと身を翻して山の中へと消えて行った。アヤメからにじみ出ていた黒い霧も彼女の身体の中へと戻り、ふうと小さく息を吐く。


「やっぱりカマイタチはイタチ先生か?」

 トロトロがアヤメに聞いた。

「あの風は確かにイタチの匂いがしていたけど、なんだか腑に落ちないのよね」

 アヤメは口元に手を当てて思考をめぐらしているようだった。

「イタチとアヤメさんはどんな会話をしていたの?」

 奏斗が聞くとトロトロは目をくるくる動かした。

「何があってもキツネ姫がお前を守るってさ」

 奏斗にだってそれが、その場しのぎの答えだというくらいわかる。動物の言葉がわからない奏斗には真実を知る術がない。何か力になりたいのに自分の無力さが情けなくてはがゆかった。


挿絵(By みてみん)


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