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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第肆話 キツネ姫と一途なオオカミ
34/84

2 百緑


 途中で合流した紅とともに夜の闇を駆け抜けていた灰と潤は淡路島を越え、黒い波のように山が連なる大陸へと到達した。それまで山を飛び越えるように走ってきた3匹は四国の地を踏み、足を止める。


「この感じ。久しぶりだな」

「ここは昔から変わってないネ」

 空気は澄み、背筋が自然と伸びる。それは多くの神々がいる証拠だった。

「神々もふたりを歓迎しておいでです」

「本州では神がいなくなった山が多いが、ここでは小さな山にも神が残っているんだな」

「四国は不思議な地です。海という結界があり、人間たちは四国の中をお遍路します。その影響で神々の力も衰えないのでしょう」

 

 灰は神のいる山のすぐそばで星よりも輝きを放つ町の明かりに目をやった。

「人間が消えたら神や俺たちはどうなるんだろうな?」

 灰や潤よりもずっと若い紅にその答えがわかるはずもない。それでも紅は考えを巡らせていた。

「自然を壊すのも人ですが、人の心が神々の力になるのも事実です。神々が姿を消したのは人の心が離れたからだと聞きました。もしその力がなくなったら、それは――」

 突然、話の途中で目の前に潤が飛びだして来たので紅は驚いて話を止めた。

「潤様?」

「紅ちゃんは灰のくだらない質問に答えて優しいネ。でも人間は消えないヨ。そのために九重会に人間を入れているんだからネ☆」

「ああ、潤の言う通りだな。変なことを言って悪かった。先を急ごう」

「はい」

 神のいる山の頂上は飛び越えることはできない。山の間を縫うように3匹は駆けていく。

「ところで、土佐支所はどんな人間がいるノ? 男の子? 女の子?」

「それがまだ適合者が見つかっていないんです。ご存知と思いますが、うちは特殊ですから……」

 百緑のいる土佐支所まではあとわずかの距離だった。


 土佐支所は横須賀支所のように深い山間にそびえたっていた。取り囲む山のシルエットが異なるだけで、横須賀のマンションと何も変わらない。その最上階にはやはり事務所がある。


「また増えたんじゃないか?」

「花菖蒲のとこは少なすぎだけど、ここは多すぎだよネ」

 事務所の中では九重会の仕事を手伝う狐たちでごった返していた。その狐たちのほとんどが色が変わっていたり、前足が3本あるなど妖狐の中でも異形の形をしている。みんなそれぞれに仕事を分担し、せわしなく働いていた。


「みなさん、灰様潤様がご到着ですよ」

 紅が大声を出すと狐たちは一斉に手を止めて頭を下げた。

「ようこそ! 灰様! 潤様! お待ちしておりました!」

 狐たちは時が止まったかのように頭を下げたまま動こうとしない。

「ま、まぁ俺たちのことは気にせず仕事に戻ってくれよ」

 するとそれが合図のように狐たちは再び仕事に戻った。


「百緑様は?」

 紅が近くにいた狐に尋ねると狐の額が割れ大きな目が現れた。それは三つ目の狐だった。

「百緑様は今外出されております。もうすぐお戻りになりますよ」

 三つ目の狐は双子をまじまじと見つめるとにやりと笑った。

「灰様は将棋の名人と聞いております。私も是非手合わせして頂きたいものですね」

「俺は潤だけどネ」

「俺が灰だ」

 狐の姿の2匹は嫌そうに顔をしかめたがその動きもピタリと一緒だった。


「本当にそっくりでございますね。目がみっつあっても見分けがつきませぬ。ほっほっ」

 三つ目の狐が笑う。すると灰と潤は人間の姿に化けた。

「服が悪趣味で話し方のアホっぽいのが潤だ。間違えるなよ」

「失礼しちゃう。服が地味で話し方がえらそうなのが灰ネ」

 2匹はアヤメのところでもそうだったようにわが物顔でソファへと座った。しかしここではみんなが動き回って働いているので落ち着かない。


「これだけいれば百緑は将棋の相手にことかかないな」

 灰の言葉にテーブルに茶を置いていた紅の手が止まった。

「百緑様は将棋をさしません」

 それに驚いたのは灰だけではなかった。潤も驚き目を丸くしている。

「あんなに強かったのにィ? やらないノ?」

「何でだ?」

「お時間がないというのもあるのですが、百緑様はどんな形であれ戦うことがお好きではないのです。特に将棋に関しては誰も百緑様には勝てません。優しい百緑様は勝って喜ぶどころか負けた相手の心の痛みを背負ってしまうのです」

 灰は「ばかばかしい」とため息をついた。紅の瞳に熱がこもる。

「ええ、ばかばかしいことかもしれません。でもだからこそ百緑様は我々のような小さい存在の痛みも自分のことのように考えて下さる。ここにいる狐はみな百緑様のお近くにいたいがために礼節を重んじ、自らにできることを探して働き続けているのです」


 すると事務所のドアが開き狐たちは一斉にドアを向いた。

「百緑様お帰りなさいませ」

 狐たちの声がそろう。「ただいま」そう言った女性はアヤメより少し若い女の姿をしていた。緑と黄のオッドアイが双子を映して輝く。

「灰様、潤様。お久しぶりでございます」

 懐かしい顔に飛び上がったのは潤だった。嬉しそうに百緑の手を取る。

「久しぶりィ! 百緑は変わってないネェ☆」

「潤様こそ現代のお召し物がよく似合っておりますね! さすがです!」

 

 盛り上がるふたりを尻目に灰はケッと悪態をついていた。

「灰様は黒で統一されているのですね。灰様らしくて素敵です!」

「ふん、お前は随分地味な着物を着ているんだな。似合ってないぞ」

 百緑は大きな目をくりくりと動かして自分の着物を見た。確かにそれは見た目の年齢には落ち着いている色味だった。

「灰は昔みたいにかわいい着物を着てほしいんじゃない?」

「そういうわけじゃねぇよ!!」

 焦る灰に百緑は笑った。

「私ももう若い娘ではありませんから。それにこういったものの方が本当は落ち着くんです」

 百緑の齢はアヤメとそう変わらない。つまり800年以上を生きる妖狐だった。

「花菖蒲がかわいい着物を着ようとしないから、母さんは百緑にかわいいものばかり着ろって無理強いしていたよネェ。百緑が断れないのをいいことにさ」

 百緑は困ったように笑う。灰は目を背けた。幼い頃から何度も見てきたその笑顔が灰は好きではなかった。

「鳩羽様に従うのは当然です。鳩羽様は私の師ですから」


 妖怪は通常、長い年月をかけて妖怪化するか、妖怪の親から生まれるかのいずれの方法しかない。しかし、百緑は普通の狐の間に生まれた突然変異の妖怪だった。めずらしいオッドアイは仲間の狐からも気味悪がられて忌み子として避けられていた。

 彼女の救いは百緑を産んだ両親が普通の子と変わらない愛情を注いだことだった。ただし彼女が成長すると妖狐として修行するために2尾の妖狐鳩羽の元に預けられることになった。鳩羽は自分の子である灰潤と乳母子であるアヤメと遊ばせながら、百緑に妖狐として教育を施したのだった。


 アオアオ―ン

 窓の外に広がる暗闇の奥から獣の鳴き声がした。事務所にいる狐たちの空気が張り詰め、一気に緊張感が高まる。

「ゆっくり思い出話をしたいところですが、そういうわけにもいきませんね。狼たちがそろそろやってくる頃合いです」

「毎日やってくるのか?」

「ええ、必ず」

「そもそも助けてやるはずの狼と何で険悪になってるんだよ」

 百緑は目をつぶり耳を澄ますそぶりをした。いくつもの遠吠えが呼応しながら消えていく。

「何か気づきませんか?」

 灰と潤も耳を澄まし、遠吠えを聞くとハッとして目を合わせた。

「夜雀がいない」

 目を開き静かに頷く。黄色い瞳が金の粉をふったようにキラキラと輝いた。夜雀は狼が現れる前に姿を現し「チッチッチッ」と鳴く鳥の妖だ。

「夜雀は狼たちの住む山の守り神でした。夜雀がいたから彼らは人間に見つかることなく生き延びてこられたのです。しかし、夜雀はもういません。私たちは人間に見つかる前に狼たちを異次元の森へと行くよう説得しましたが、彼らはそれを拒否しました。そして、とうとう人間にその姿を見られ、興味本位で狼を探す登山者が増えてしまったのです。ここまでくるともう狼だけの問題ではありません」

 百緑は着物の袂から銀色の包を出した。乱暴に食いちぎった跡のあるそれは食べかけのチョコレートだった。非常食として登山者が携帯することも多いチョコレートだが、動物には毒になる。


「ことは急を要します。狼たちの動向を握っているのは群れのリーダーである弧光ここうです。この弧光さえ説得できれば狼たちは異次元の森へと行くでしょう。だから私は弧光に勝負を持ち掛けたのです。大将を生け捕りにできた方が言うことをきくと。そして戦いが始まったのです」

 百緑は双子の出方を伺った。灰は鼻で笑う。

「まるで将棋だな。俺たちにはお前の駒になってほしいってわけか――」

「俺将棋は好きじゃないんだけどォ☆」

「失礼なお願いだとはわかっております。でも狼たちを傷つけずに解決するにはどうしてもおふたりの力が必要なのです」

 百緑がふたりに頼み事をするのは初めてのことだった。潤は不安そうな百緑ににっこりと笑う。

「ここまで来て断るわけがないデショ☆ ね、灰」

 灰は「ああ」とだけ返事をした。ふたりの返事に百緑はホッと胸をなでおろす。


「協力はしてやる。でも気に入らねぇ。こいつから聞いたぞ、お前将棋やらないんじゃなかったのかよ。それなのにお前が大将とはずいぶん楽しい遊びをみつけたもんだな」

「灰様、百緑様は――」

 焦る紅に潤がウィンクをする。それは弁解の必要がないことを告げていた。百緑は穏やかに微笑む。

「すみません。これで最後にします」

「ああ、将棋は盤の上だけにしてくれ」

 潤はやれやれと肩をすくめる。狼の遠吠えはもうすぐそこまで来ていた。

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