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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第参話 キツネ姫とムジナの子
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15 わがままな夢

 奏斗が目を覚ますとアヤメの姿はなかった。奏斗はアヤメの手を握ったまま眠りについてしまったのだ。肩にかかっているブランケットからは微かに甘い香りがした。キラリと何かが反射し、そのまぶしさに目を細める。光っていたのは窓際に置かれた家族写真のフレームだった。その傍らには眼鏡が置いてあった。伊達眼鏡でもそれをかけると奏斗はなんだか落ち着く。眼鏡越しにアヤメが寝ていたベッドを見ると奏斗は一つため息をついた。


 身支度をして事務所に行くとそこにはいつものように事務机で仕事をするアヤメの姿があった。アヤメは顔を上げると人懐こく笑う。

「おはよう」

「おはよう」

 それはいつもと変わらないやりとりだった。しかし奏斗はなんだか恥ずかしくて目をそらす。奏斗の足元をムジナの子が楽しそうにかけていき、それをハレは見守っていた。

「あれ? 鳩羽さんは?」

「奈良に帰ったわよ」


 ソファで灰と将棋を指していたトロトロが「指す手がない」と小さな目をぐるぐる動かしていた。

「はっはっはっ! 俺に勝とうなんて1000年早いな」

「灰は百緑に認められたくて勉強したんだもんネ~☆」

「そうじゃない! 俺は将棋が好きなだけだ!」

 大声を出した灰にムジナの子は驚いて飛び上がる。事務所はいつになく賑やかだった。


「灰と潤も連れて帰ってほしかったんだけどね。いない方が仕事もはかどるって押し付けられたのよ。なんでも新しく来た人間の方がよっぽど仕事ができるみたい」

 アヤメの言いぐさにカチンときた双子が同時にアヤメの方を向く。

「おい! 俺たちがここを片付けてやったんだぞ」

「そうだヨ~! ふたりが仲良く寝ている時にネ☆」

 確かに事務所はきれいに片付けられていた。奏斗は寝ているアヤメの姿を思い出すと顔が熱くなる。しかしアヤメは動じることもなく机の引き出しから鍵を取り出していた。


「さぁ、そろそろハレとムジナの子を異次元の森に送り出しましょうか」

 事務所のドアを出ていくアヤメの後ろをハレとムジナの子がついて行く。ハレはその口にムジナのハンカチを咥えていた。先頭を歩くアヤメは振り向かない。

 301号室の鍵を開けると緑のそよ風とともにハレを待ち受けているものがいた。

「お母ちゃん」

 そう駆け寄る生き物はハレと同じ姿をしている。アヤメは目を疑った。それは人間に捕らえられたはずのハレの子どもだった。

 ハレもまた目の前のことが信じられずに立ち止まったままだったが、鼻を合わせるとそれが夢ではないことを確信した。

「坊や、坊やなのね!」

 2匹は互いに体をすり合わせ再開を喜ぶ。ムジナの子はハクビシンの子をハレの背中に隠れてみていた。

「あなたのお兄さんよ」

 ハレにそう言われムジナの子も恐る恐るハレの子と鼻を合わせる。

「狐から話は聞いているよ。仲良くしよう」

 すると2匹はすぐに本当の兄弟のようにじゃれあった。


「あの子を助けてくれたんですね、ありがとうございます」

 ハレは感激のあまり瞳に涙を溜めていた。

「そんなはずは……」

 アヤメは怪訝な顔でハレの子を見た。しかし、ハレの子の口ぶりからしても狐の元にいたことに間違いはない。奏斗は桐生の言葉を思い出す。

「桐生さんがアヤメさんにプレゼントを用意したって言ってたんだ。そのプレゼントってもしかして……」

「桐生が?」

 アヤメは瘴気をにじませ嫌悪感を露わにした。しかし、後ろからついてきていた灰と潤はハレの子を見ても驚かなかった。

「そんなことだろうと思ったぜ」

「アイツがハクビシン以上に悪趣味だってこと忘れていたよネ☆」

 奏斗は双子の言っていることがよく分からない。ハレの子が生きていたならば喜ぶべきではないのか。困惑する奏斗に灰は耳打ちをする。

「桐生は今回の一件を最初から笑って見ていたのさ」

「なんでそんなことを?」

「大切なモノを生かすも殺すも花菖蒲次第……ってとこじゃナイ☆」

 潤は灰に小突かれると気まずい顔をした。聞き返そうとした奏斗を避けるように「あーあ」と灰は伸びをする。


「無事に見送ったことだし。潤、戻って将棋しようぜ」

「えー、将棋じゃないのがイイ~」

 双子は逃げるように事務所へと戻って行った。


 ハレは2匹の子どもたちとともに異次元の森へと消えていく。ドアがゆっくりと閉まり、アヤメの髪をなでていた風は止まった。


 アヤメはガチャリとドアに鍵をかける。鍵を抜くと彼女はその鍵を物思いに見つめていた。

「奏斗、あなたの部屋の鍵はちゃんと持ってる?」

 突然アヤメが聞いてきたので慌ててズボンのポケットに入った鍵を触って確認する。冷たい金属のギザギザした感触が指に触れた。

「うん、でもほとんど使ってないけど」

 よそ者が侵入することのないこのマンションで奏斗が部屋に鍵をかけることはない。奏斗はアヤメが寝ている間に自分の部屋に眠らされていたことが嫌だったのかと思った。

「あ、ごめんね。鍵かけてないからアヤメさん僕の部屋に……」

 しかし、アヤメは首を振る。

「ちがうの。それは奏斗だけの鍵だから大事にしてね」

「?、うん」


 不思議に思いながら鍵を取り出してみたが、それは何の変哲もない銀色の小さな鍵だった。マンションから見える山の木々たちはざわざわと葉を揺らし、風にもぎ取られた木の葉が上空を舞っていた。アヤメは葉をにらみつける。


『心配しなくても私は裏切らないわ』

 すると木の葉は砕け散り、その残骸が風に乗って遥か彼方へと消えていった。

「アヤメさん何か言った?」

 アヤメは振り返り微笑む。

「ううん。寝ている時、手をつないでいてくれてありがとう。おかげでとてもいい夢が見れたわ」

「えっ!」

 赤くなる奏斗を置いてひとりアヤメは歩き出す。やはり何かか前とちがう。奏斗は彼女に違和感を覚えていた。


トン

 判子を下すと、きれいな花菖蒲紋が紙につく。アヤメはそれを見習い狐に渡すと、狐は窓から飛び出て行った。

「だいぶ片付いたけど仕事は次から次へとやってくるのよね」

 事務机には新たにできた書類の山が積まれている。


「おい眼鏡! 俺と一局どうだ?」

「すみません、僕将棋はちょっと……」

「そうだヨ~将棋なんてもう飽き飽き! ボードゲームしようヨ~☆ 『人生体験ゲーム』! サイコロがプレイヤーの一生を決めるんだって♪ 面白そうじゃない?」

 灰と潤は相変わらずアヤメの事務所に入り浸っていた。アヤメはカツカツとヒールの音を響かせて近づくと、潤がどこからか入手したボードゲームを取り上げた。


「奏斗は今仕事中なの! 暇なのはあんたたちだけよ!!」

「キリとクモの件が解決したんだから、少しくらい休んだっていいだろう。眼鏡だって休みたいよなあ」

 灰は奏斗の肩に腕を回したがそれは仲がいいというより、チンピラが脅しているような図だった。

「僕は別に休みたいとは―—」

 言いかけた奏斗の腕に今度は潤が自分の腕を絡める。

「そんなこと言ってェ! 身も心も花菖蒲に捧げなくていいんだヨ☆」

 奏斗の顔は瞬時に真っ赤になった。アヤメが霧雲に心を奪われそうになったとき、自分が言った言葉を思い出したのだ。

『僕の心はアヤメさんのものだ』

 その気持ちは本物だ。例えアヤメが別の男を愛しているのだとしても、彼女に対する気持ちは日々大きくなるばかりだった。


「そうね、私は働かせ過ぎだったのかもしれない」

 そう言うとアヤメは自分の仕事へと戻った。意外にもあっさりと引き下がったので双子は呆気に取られていた。アヤメは新しく来たばかりの依頼書に目を通している。

「アヤメさん、僕は……」

「潤の言う通り、私に身も心も捧げる必要なんてないわ」

 奏斗は戸惑い、アヤメの瞳に答えを探そうとしたが怒っているというわけでもなかった。しかし、ふたりの視線は交わらない。どこか冷たいアヤメに気を落としながら奏斗は仕事へともどる。

 あの日、眠りから覚めた彼女の決意を彼は知る由もなかった。



―――――—

 目を開けると白い天井が見えた。こんな風に天井を寝ながら見るなんて記憶にないくらい久しぶりのことだ。

(ああ、母さんに寝かされたんだっけ)

 久しぶりの睡眠は気だるくも心地よく、次第に思考がはっきりとしていく。その手は優しいぬくもりに包まれていた。目を落とすと奏斗が手を握り、ベッドに頭だけ乗せて眠っていた。アヤメはもう片方の手でずれた眼鏡を外し、そっと髪をなでる。するとふわふわと柔らかい猫ッ毛に指が沈みこんでいく。


「これじゃあ昔と逆ね」

 アヤメは過去に連れ添った男を思い出した。男は肺の病だった。日々弱っていく男の傍らでアヤメはこうして手をつないでいたのだ。その男と時代を越えてこうしてまた触れ合っている。それは夢にまで見たことだった。


「ねえ、奏斗。この世界であなたと二人だけになりたいって言ったらあなたはどうする?」

 奏斗の長いまつ毛がぴくりと動いたが返事はなく、穏やかな呼吸のリズムが聞こえるだけだった。窓から差し込む光が奏斗を明るく照らす。窓辺に置かれた銀色のフレームの中には奏斗と両親が笑っていた。

「私にくれたあなたの心。やっぱり受け取れないわ」

 アヤメは奏斗の手を離し、肩にブランケットをかけた。


 アヤメが事務所に戻ると鳩羽が帰るところだった。鳩羽は双子に残るよう告げると、アヤメだけを外へ連れ出す。母子がふたりきりになるのは久しぶりだった。


「母さん、ありがとう」

 マンションの前で立ち止まるとアヤメは鳩羽の背中に向かって言った。鳩羽は振り返り微笑む。

「いいえ、あなたが私を頼ってくれて嬉しかったの。あの時以来、あなたは私と距離を取っていたから」

 母は間違ったことを言わない。アヤメはそう信じてきた。しかし、一度だけ母の言葉に反抗したことがあった。

「正直に言えば母さんを恨んだこともあったわ。でも母さんの言う通りだった。奏斗を守るためにこの力が必要だわ」

 鳩羽の顔から笑みが消え、自分のしたことを悔やんだ。

「私が間違っていたわ。子が欲しいと言ったあなたを私は咎めてしまった。でももしあの時、子を産んでいれば桐生に利用されることもなかったはず。何よりあなたが子を持つ幸せを知ることができたわ」


 まるで昨日のことのように思い出される感情をアヤメは胸に手を置いて抑え込む。

「母さんのせいじゃない。私たちに子はできなかったのよ」

 鳩羽はアヤメを抱きしめると彼女もその身をゆだねた。

「それは辛かったわね」

「私は母さんたちのおかげで家族がいる幸せを知ったわ。それで充分よ」

「あなた―—」

 何か言おうと口を開いた鳩羽からアヤメは身を引いた。その目は鳩羽が話すのを許さない。

「何も言わないで。私は彼が幸せになるのならそれでいいのよ」

「傍にいるのがあなたじゃなくても?」

 頷くアヤメに迷いはなかった。

「私は夢を見ていたのよ。いつまでも彼の傍にいたいというわがままな夢。でも夢を見るのは終わりよ」

 決意を固めるアヤメを鳩羽は憂いた。それは娘の幸せを願う鳩羽の想いとはかけ離れたものだった。







ここまでお読み頂きありがとうございます。

第参話「キツネ姫とムジナの子」が完結です。次話から物語も中盤に入ります。

第四話は「キツネ姫と一途なオオカミ」灰と潤が中心のお話です。

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