11 夜明け
瘴気は黒く渦を巻きながらアヤメの身体へと戻っていく。2匹のハクビシンがぐったりとそこには横たわっていた。
「キリ兄さん! クモ兄さん!」
ハレが呼びかけるが返事はない。しかし、一匹はむくりと起き上がるとそのままハレを見た。首元には血が滲んでいる。
「ムジナの子と生きていきたいなら俺をもう二度と兄と呼ぶな」
キリはよろめいていたがその口調ははっきりとしていた。
「でも……」
「かあちゃんはぼくがまもるんだ!!」
ムジナは困惑する母の前に出ると檻越しに「ウーウー」と威嚇した。懸命なムジナの子を見てキリは笑う。それは今までの卑屈な笑みではなかった。
「キリ兄さ……」
ハレはそう言いかけたが、目の前で自分を守ろうとしている小さなムジナの子は恐怖で震えていることに気付くとムジナの子を抱き寄せた。
「ぼうや、大丈夫よ。おいで」
穏やかな母の顔を見てムジナは安心したのか、ハレから離れないようぎゅっとしがみつく。寄り添う2匹にキリは優しい母を思い出した。
「母さんに似たな、ハレ」
キリはその言葉を最後に暗い山の中へと消えて行ったのだった。
「待て!」
合体を解いていた灰と潤は揃って後を追おうとしたがその前に立ちはだかったのはクモだった。キリと同様、アヤメに力を奪われたクモに勝ち目はない。それでもクモは双子を睨みつけ威嚇している。
「どけ! 奴を放っておいたらまたムジナ狩りの被害が出るんだ!」
「兄を見限ったんデショ? それともまだやる気?」
灰と潤がうなりながら言うがクモはそこをどかなかった。
「見限っただと……お前たちに何がわかる? 死んでも俺はここをどきはしない」
クモの決意は本物だった。ピリピリとする空気の間に入ったのは鳩羽だった。
「そうね、私たちには分からないわね。分かるように説明しないのならキリの命はないものと思いなさい」
クモはわずらわしそうに顔をゆがめ鳩羽を見た。
「クモ兄さん、キリ兄さんは昔の優しい兄さんに戻ったのよね? だからムジナ狩りなんてもうしないのよね?」
ハレは兄を庇おうと声を上げた。しかし、クモは首を横に振る。
「兄さんはムジナ狩りをやめない。もちろん俺もだ」
「そんな……」
ハレは絶句したがキリは哀しく笑った。
「ハレ、お前は勘違いをしている。キリ兄さんは昔から変わっていない。今も妹思いの優しい兄さんだ」
「勘違い?」
それにはハレだけでなく奏斗や狐たちも耳を疑った。
「お前がムジナの子を自分の子として育てていると聞いた時、兄さんが一番に心配したのはお前の身だった。お前がムジナを育てるということは同じハクビシンはおろか、ムジナからも命を狙われる危険がある。しかも、自分の子をなくし、そのことで狐とも確執があったお前に味方はいない。
兄さんはお前とそのチビを助けるために、俺たちが悪者になって情に訴える方法を考えたんだ」
ハレは兄が自分にした仕打ちを思い出していた。暴言を吐き、檻に入れた兄の冷たさを考えるとクモの言葉はとても信じ難い。
「でも兄さんは確かに私たちの命を狙っていたわ。鳩羽さんが来なければ助からなかった」
「鳩羽が助っ人にくるのも想定内だ。俺たちにとって奈良の狐たちの気は嫌と言うほど知り尽くしている。だから鳩羽が来たタイミングで兄さんはお前の命を狙うフリをしていたんだよ」
「何でそんなこと?」
ハレの声は震えていた。
「仲間を守るためとはいえ、俺たちがやっていることは残忍であることに違いはない。ムジナの母親として生きて行くお前と縁を切り、周囲にもお前が俺たちとは違うと思わせるためだ」
それに反応したのは鳩羽だった。
「仲間を守る? それはどういうこと?」
クモは狐に語るつもりはなかったのだろう。チッと舌打ちをした。
「いいさ、お前たちにも教えてやる。ムジナは人間を使ってハクビシンを駆除していたのさ。自分たちの手は汚さずに、山にいるハクビシンたちに言いがかりをつけ人間に駆除させていたんだ。兄さんはそうした奴らから妖怪化していない弱いハクビシンたちを守っていたんだ」
灰と潤は顔を見合わせた。
「そんな話聞いたことないな」
「初耳だよネ」
クモは鼻で笑う。
「狐どもはムジナを弱いと決めつけているから騙されるんだ。ムジナの本当の能力は人間に化けることじゃない。情で強い相手に取り入ることだ」
クモに対して誰も反論はできなかった。知らなかったとはいえ、九重会がムジナから寄せられる被害だけを見て、一方的にハクビシンを悪者と決めつけていたことに変わりはない。
クモはそこまで話すと檻に向かって目を光らせた。すると檻はガシャンと音を立てて扉が開く。ハレはムジナの子と共に檻の外へ出ると兄妹は懐かしく視線を合わせた。
「悪かったな、ハレ。お前を檻に入れたのは、中に妖怪が入っていることに驚いた人間が九重会に頼ることを見込んでのことだ。奴らはお前たちを異次元に送るだろう。それがムジナの子と幸せに暮らせる唯一の道だと兄さんは考えたんだ」
奏斗は先ほどまで固く閉ざされていた扉を見た。それはどうやっても開けることができなかった。
「念で閉じられた檻はどうやって開けるつもりだったの?」
奏斗の質問にアヤメが顔を歪ませて嫌悪感を露わにした。
「アヤメさん?」
すると鳩羽がその質問に答えた。
「開けられる男が九重会にはいるのよ。九尾狐の封印を解けるほどの男がね」
「そうさ、ここにいる狐がどうなろうとハレが九重会へ引き取られれば俺たちには何の問題もない。お前たちを倒すのはついでに過ぎなかったのさ」
それを聞いていた灰がふーっとため息をついた。
「それで本気でやり合ってきたわけか。面倒な奴らだ」
「初めから話してくれればよかったのにネ~」
クモは双子を睨んだ。
「ふん、狐との馴れ合いなどごめんだ。俺たちは狐の兄弟を倒し、この場を去る予定だった。合体は最終手段だ。それがあれば勝てるはずだった。だがお前たちまで合体するのは想定外だったよ。お前たちとは因縁だ。これから先もな」
そう言うと口の端に笑みを浮かべる。
「次に会うときは容赦しないぜ」
双子はキリの後を追うのを止めて、その場に腰を下ろした。
クモはキリの消えて行った方を見る。ハレは別れの時が近いことを感じていた。
「クモ兄さんも行くのね」
「ああ、俺はこれからもキリ兄さんについて行く」
ハレは寂しそうに俯いていたが、覚悟を決めると顔を上げ笑顔を作った。
「私はずっと兄さんたちの妹よ。そうキリ兄さんにも伝えて」
クモは頷き、兄らしい優しい笑みで返した。
「達者でな、ハレ」
そうしてキリの後を追い、あっという間に姿は見えなくなったのだった。東の空は白みだし徐々に景色がはっきりとしていく。もうすぐ夜明けだ。
気付くと狐たちは人間の姿に化けていた。鳩羽がいたところには50歳くらいの落ち着いた女性がいた。濃灰色の着物に身を包む女性は狐の時と同じ力強い目元をしている。
「もっと若作りしてもいいんだけどね。子どもの大きさを考えるとこれくらいの容姿が落ち着くのよ」
奏斗の視線に気付いた鳩羽は着ている着物の袖で口元を隠して笑った。
「やっぱり自分の服がいいな」
灰は黒づくめの自分の服を見て満足気に言った。
「えー! 前から言おうと思っていたけど灰の服ってテンションサゲサゲだからもうちょとテンション上がる服着た方がいいよ」
「なんだと。お前はもう少し落ち着いた色にしろよ。チカチカして目障りなんだよ」
「何なの? やるノ?」
喧嘩を始めそうな双子に鳩羽は割って入るとパンパンと手を叩いた。
「さぁ、私たちもひとまず事務所へ行きましょう。日が昇れば人間が罠を回収にくるわよ」
徐々に明るくなっていく空に落ちたままのムジナのワンピースが照らし出されていく。ワンピースはハンカチのように薄汚れてくたくたになっていた。
アヤメはムジナのワンピースを拾い上げるとため息を漏らす。奏斗は黙ってアヤメの側に寄り添う。
「結局、ムジナを助けることはできなかったわ」
そうつぶやいたアヤメにハレは言った。
「それは分かりません」
ハレだけがムジナの真実を知っていた。ハレはワンピースに目をやる。
「私は彼女の最期をみていないのです」
憂いに沈むハレの側で何も知らないムジナの子が目を輝かせている。
「おかあちゃん、見て! きれいだよ!」
それは燃えるように真っ赤な朝日だった。