8 捕らわれた心は誰のモノ
灰と潤は合体して大きくなった霧雲に対抗するため狐の姿になった。2匹の狐はそれぞれ3本の尾を持ち、薄い灰色の毛並みをしていた。狐たちは巨大なハクビシンをうなりながら威嚇する。
「ふん、見掛け倒しだ」
「合体したからって強くなるとは限らないもんネ」
狐たちは口々に言ったが感じる力は自分たちを上回っていた。霧雲は余裕の笑みを浮かべている。
「弱い犬ほどよく吠えるとはよく言ったもんだ」
「なんだと(ッ)!!」
霧雲の挑発に灰と潤は攻撃を始めた。しかし、霧雲は易々とそれをかわしていく。霧雲はハレを守るように立っているアヤメを見た。
「霧雲になった俺が操るのは物だけではない。お前たちに面白いものを見せてやる」
霧雲はそう言うと紫色の瞳でアヤメの瞳を捕らえた。身体を襲う違和感にアヤメは抵抗したが、霧雲から瞳が離せない。
「何を!?」
のがれようともがくほどにアヤメの金色の瞳は曇っていく。そしてアヤメの瞳から輝きが消えると彼女は狐の姿になっていた。
6尾の狐は黒い瘴気を全身から放ち、白い身体がまるで黒狐のようにくすんでいた。
「こいつの心はもう俺のものだ」
灰と潤は手出しできずに後ずさった。妹とはいえども相手は九尾狐の娘、本気を出したアヤメに敵うわけもない。
「行け」
霧雲が言うとアヤメが飛びかかる。双子も対抗しようと念力を放つが彼女の瘴気が双子の力を奪っていく。
「おいお前! 目を覚ませ!」
「花菖蒲! このままじゃムジナを助けるどころか共倒れになっちゃうヨ!!」
双子の叫びも空しく、アヤメは灰と潤を追いつめた。霧雲は満足気に目を細めると念力を使い木のつるで疲弊している双子を縛り上げる。
「やめて! アヤメさん!!」
霧雲は叫ぶ奏斗を見た。その後ろにはハレとムジナの子の姿もある。
「面白いことを考えたぞ。先に姫にはあいつらを始末してもらおう。守ろうとしていたものを自分の手で消したと知ったら姫はさぞかし嘆き苦しむだろうな。お前たちはその後だ。姫の苦しむ姿をお前たちには地獄から見せてやる」
灰と潤は目を血走らせ口を大きく開けて霧雲に食らいつこうともがくが、ツルは身体に食い込み霧雲には届かない。
霧雲が合図をすると6尾の狐は瘴気を漂わせながら檻に近づいていく。
「ダメだよ! アヤメさん! そんなことしたら瘴気で小さなムジナの子は――」
アヤメに奏斗の声は届かない。アヤメが檻に飛びかかろうとしたその時、ムジナのハンカチがアヤメの顔へとひらひら舞い降りて来た。ハンカチは目を塞ぎ、足で取ろうとしてもぴったりと張り付いて取ることができない。
その隙に奏斗は大きなアヤメの背中へと飛びついた。黒いアヤメの瘴気が容赦なく奏斗の力を奪っていく。それでも奏斗はその手を離さなかった。
「バカなことするな! 眼鏡! 死ぬぞ!」
「花菖蒲! 何やってんだヨ!」
見ていた灰と潤が大声で叫ぶが、アヤメは激しく身体を振って奏斗を地面に打ちつけようとしていた。気が遠くなりながらも奏斗は必死でしがみつく。
「アヤメさん!! アヤメさんの心は霧雲のものなんかじゃない!!」
それでも狐の姿のアヤメは容赦なく彼を瘴気で包み込む。気付くと奏斗は黒い世界へと誘われていた。
暗闇の中、はっきりとする意識の中でいつもの男の声が響き渡る。
「私は君の心を縛り付けるつもりはないよ」
その声に呼応するかのように淡く光る着物姿のアヤメが浮かび上がると彼女は俯き小さく首を振った。
「君には家族を作って僕の分も幸せになってほしいんだ」
男が言うとアヤメは悲しくほほ笑む。
「私は子を産めないのよ。それに私の心を手放そうとしても、もう遅いわ」
奏斗は胸が締め付けられて思わず幻影のアヤメを抱きしめようとした。しかし、触れた瞬間、彼女は霧のように消えて行く。再び暗闇に包まれると聞こえて来たのはアヤメの寂し気な声だった。
「……ワタシノココロ……」
「……ワタシノココロ……」
「……ワタシノココロ……」
まるで探し求めているように何度もその声は聞こえてくる。
「僕の心をアヤメさんにあげるよ。だからもう僕の心はアヤメさんの心だ」
奏斗がそう言った瞬間、霧が晴れ、白くフワフワとした白い狐の姿が現れた。アヤメの大きな瞳が奏斗を見つめる。紫色だった瞳は金色に輝いていた。
「まさか、念力が解けるなど!」
霧雲が声を上げる。
「奏斗、助けてくれてありがとう」
アヤメはしがみついていた奏斗を下ろすと身を翻し、霧雲に飛びかかった。
霧雲はもう一度、アヤメに念力をかけようとするが、金の瞳はそれをはじいいてキラキラと輝く。6本の美しい尾がぴんと立つ様は、まるで漆黒の森に咲く一輪の白い花菖蒲のようだった。
「なめんじゃないわ。私の心を捕らえようなんて800年早いのよ」
アヤメは圧倒的な力で霧雲を押さえつける。とどめを刺そうとしたその時、霧雲の目が光った。
「なめてなんかないさ」
「アヤメさん! ムジナが!!」
奏斗が叫ぶ。見ると檻のまわりに落ちていた小枝や葉が浮かびあがり檻を取り囲んでいた。それを見ていた双子たちも念力を使おうとするが、アヤメに吸い取られ力が残っていない。
「お前は結局守れなかったのだ」
その言葉を合図に念力で操られた小枝や落ち葉が檻に向かって飛んでいく。
「やめなさい!!」
アヤメが叫んだ瞬間、それはピタっと止まり一斉に落ちた。
「何っ?」
霧雲の顔が歪む。
「ああ、間にあってよかった」
そう言いながら檻の前に現れたのは尾が二つの銀狐だった。青い隈取が銀色の毛に引き立つその顔つきは厳しさも感じられる。
「母さん!」
アヤメの言葉に灰と潤も顔を上げる。双子の表情は引きつっていた。
「アヤメさんのお母さん?」
「はじめまして……というべきかしらね。私は花菖蒲の育ての親であり、奈良支所長の鳩羽です」
銀狐は驚いている奏斗に微笑むとそう自己紹介をした。
「ふっ、鳩羽か。何故来た? 力で息子たちに劣るお前が来ても何の役にも立たないだろう。それとも息子たちの死に様を見に来たか」
アヤメがムジナに気を取られているうちに霧雲は彼女から逃れていた。鳩羽は霧雲に冷たい視線を投げかける。
「私がそこのおバカな息子たちのように挑発に乗るとでも? 確かに私は力では及ばない。でもあなたの念力を防御するくらいならできるわよ」
潤の防御力は母親ゆずりだった。しかし灰と潤は鳩羽が助けに来たことに喜ぶどころか動揺を隠せなかった。
「ど、どうして母さんが……」
「母さん忙しいんじゃなかったの?」
余裕がないのか潤の話し方も素に戻っていた。
「私が助っ人に呼んだのよ」
鳩羽は小さな落ち葉を毛の中から出すとふっと息で飛ばして見せた。それは夕暮れの中、アヤメの髪についたものを奏斗が取ってあげた落ち葉だった。