6 メッセージ
事務所に戻るとムジナの子は起きてトロトロと遊んでいた。トロトロは変幻自在な身体を活かして、皿の上でチョコレートファウンテンのように噴水をつくるとムジナの子がコロコロと笑う。
「お! おかえり、何かわかったか?」
ムジナの子はアヤメたちを見ると怯えてハンカチにくるまった。
「『コワイノ』がきた!!」
「大丈夫。こいつらはお前を守ろうとしているんだ」
トロトロがなだめるがムジナの子は震えてハンカチから出てこない。
「『コワイノ』ってハクビシンのこと?」
アヤメが聞くとトロトロは口元をとろとろと動かした。
「それが……こいつも『コワイノ』が何かよくわかっていないみたいなんだ」
灰と潤がベビーベッドをのぞき込むとムジナの子は余計に怯えて丸くなった。トロトロはムジナの子から聞いた話を話しだす。
「こいつはずっと母親と一緒にいたらしいぜ。山にある小さな洞穴で母親と身をひそめていたそうだ。母親は『コワイノ』がこいつのことを狙っているから絶対に出ては駄目だと言って、そこから出たことはないらしい」
「やっぱりムジナは気を消す能力を使って身を隠していたのね。だからいくら探しても見つからなかったんだわ」
アヤメは捜索していた3カ月間を思い出していた。この間、アヤメの力をもってしても手掛かりすら掴めなかった。
「このハンカチはお守りだそうだ。これがムジナの子を守ってくれるって。それでいつものようにこれにくるまって昼寝をしていたら気付いた時にはここにいたって話だ」
ムジナのハンカチの血痕は黒く固まり古い。
「――ということはムジナは監禁されていなかったってことよね。ムジナに何があったのかしら……」
考え込むアヤメの肩を灰がポンと叩く。
「それより今はどう戦うか考えないと勝てないぞ」
「そうそう。ムジナのことは後で嫌でもわかるヨ。まずは勝たないとネ」
双子たちがソファに腰を下ろすとアヤメは向かい合うように座り足を組んだ。奏斗もアヤメの隣へと座る。
「で、いつもどう戦ってきたのよ?」
「いつもは俺が攻撃で潤が援護射撃、向こうはキリが攻撃でクモがその援護だな」
灰が言うと潤が身を乗り出した。
「じゃあ攻守交替すればいいジャン! 俺も攻撃したいって言っているのにサ! 灰ばっかりずるいんだヨ!」
「ばかやろう! お前は守備が得意で、俺は攻撃が得意、それだけのことだ」
「得意っていっても大して変わらないジャン」
食い下がる潤に灰は厳しく言い放つ。
「その少しの差が命取りになるんだ。お前だって分かっているだろ!」
潤はそれ以上言い返さない。しかしその顔は不満をあらわにしていた。
「なんだ? 文句あるのかよ」
「文句ならあるヨ! いつも兄貴面して勝手に決めてサ!」
この調子では話が進まないのは誰が見ても明らかだった。アヤメは双子との間にある机をバンっと叩く。
「そうやって喧嘩ばかりしているから勝てる相手にも勝てないのよ。母さんから受け継いだ力を分け合っているんだから、力を合わせれば大きなひとつの力になるじゃない!」
潤は鼻で笑ってアヤメを見る。
「フン、そんなのごめんだネ~。ふたり合わせても尾が6つ。誰かさんと同じじゃ九重会の支所長にはなれないからネ! 俺はひとりで3尾の支所長になるんだヨッ!」
「そんなのなれるわけがないだろ。俺にも勝てないのに」
アヤメはイライラしているのか床についている足をパタパタと鳴らしていた。
「こうなるからアンタたちと一緒にいるのが嫌なのよ。昔から1ミリも成長していないじゃない。あんたたちじゃいつまでたっても支所長になんてなれっこないわ」
灰と潤はアヤメのことを睨みつける。兄妹はまたも不穏な空気に包まれていた。
奏斗は兄妹喧嘩をみつめながら、キツネとハクビシン、二組の兄妹の違いを感じていた。
「お兄さんたち、喧嘩をしている場合じゃないですよ」
兄妹は喧嘩をやめて奏斗を見た。灰は奏斗のことを鋭い目つきで見る。
「なんだ眼鏡? 今、俺たち兄妹は大事な話をしているんだ」
奏斗は灰の言葉に確信をした。
「それです。ハクビシンの兄妹にはそれがないんです。お兄さんたちに出来てハクビシンにはできないこと。それを利用すれば勝機はあります」
灰と潤は顔を見合わせてから奏斗へと身を乗り出す。
「どういうことだ?」
潤とアヤメも奏斗の話に耳を傾けた。
「それは……」
奏斗が作戦を話すと双子は揃って笑みを浮かべた。
「おい! 見てみろよ」
トロトロが大きな声を出した。見るとハンカチの染みは哀し気な獣の顔になっている。鼻が長くムジナの顔と似たその模様はアヤメが触れると声を発した。
「オネガ……タスケテ……テ」
とぎれとぎれの悲痛な声が事務所に響く。
ムジナの子はハンカチの中でひっくひっくと泣いていた。
「かあちゃん『コワイノ』に連れていかれちゃったの?」
アヤメはハンカチごとムジナの子を優しく抱き上げるとぎゅっとその腕で抱きしめる。
「私がきっとあなたのお母さんを助けてみせるから」
困惑していたムジナもいつしかその温かさに目を閉じてアヤメに身を預ける。
母親のような優しい眼差しでムジナの子を見つめるアヤメは女神のように美しかった。いつもの凛としたアヤメもかっこいいが、柔らかいその雰囲気に奏斗は見とれていた。
「お前、言おうと思っていたんだが『お兄さん』って呼ぶにはまだ早いぞ」
「えー俺は弟欲しかったケドォ☆」
双子に小突かれて奏斗はふらふらとよろける。
窓の外には事故の時と同じ赤い満月が浮かんでいる。約束の時間までは、あとわずかだった。