5 キリ クモ ハレ
眠るムジナの子と子守のトロトロを置いて一行は山の中を駆けていた。キツネたちはどんどんと茂みの中を突き進んでいく。奏斗も獣道にはだいぶ慣れたがそれでもついていくのがやっとだった。
「本当にこっちなの? 私には分からないんだけど」
アヤメにはハクビシンの気が分からないようだった。しかし、双子は迷いなくどんどんと突き進む。
「ハクビシンは進化しているってさっき潤が言っていただろ。奴らを追えるのは俺たちくらいさ」
「俺ら関西ではハクビシン対策のエキスパートって言われているんだヨ。だから花菖蒲ももっと早く相談してくれれば良かったのにネ」
灰と潤は身体にぶつかる草木を念力で横に倒していく。そのおかげで奏斗はだいぶ歩きやすかった。誰もいない奏斗の後ろには草木が元通りに起き上がっている。
アヤメは昔からいつもこうしてもらっていたのだろう。それが当然のように双子の後ろを歩いていた。
「ハクビシンの兄弟の噂は聞いたことあるわ。でも妹がいるなんて知らなかったのよ」
「ハクビシンの兄妹は双子の『キリ』と『クモ』。そして妹の『ハレ』だ。両親を亡くしたのをきっかけに兄たちは妖怪化して兄妹は離散している。キリとクモは全国でムジナ狩りをしていたが、ハレは妖怪化しなかったからノーマークだったのさ」
「キリとクモは人間とつがいになったムジナばかりを狙ってムジナ狩りをするんだヨ。ムジナの多い奈良は特にキリとクモの被害が多くてネ。俺らが担当しているんだけど、なかなか手強いヨ」
奏斗はムジナの子がマンションの下に置かれていたことがどうしても気にかかっていた。灰はそんな奏斗のことを察して話す。
「奴らは相手が一番苦しむ方法で復讐をするんだ。ムジナの子が生きていたことで一度喜ばせてから、母親が危険な目にあっていることを知らしめる。そしてハレの存在でさらに花菖蒲を苦しませるのさ」
アヤメは口をキュッと結んだが、その目はハクビシンに屈しない強い眼差しだった。
しかし、それでも奏斗はしっくりこなかった。
「ハクビシンたちは本当に妹の復讐を助けに来たんですかね?」
奏斗が聞くと双子は同時に振り返る。
「愚問だな。かわいい妹だ。助けるに決まっているだろう」
「花菖蒲に復讐して来てって言われたら喜んで復讐しにいくよネェ☆」
恥ずかしげもなく言う兄たちにアヤメは吐きそうな顔をした。
「やめてよ。本当の兄妹じゃないんだから」
アヤメはそう言ったが後ろを歩いていた奏斗は十分息の合った兄妹のように感じていた。しばらく進むと、兄妹たちは急に黙り空気がピリピリとしてきた。
「いるな(ネ)」
双子の声が揃う。
「奏斗、ハクビシンたちに近づいているから私から離れないでね」
アヤメは奏斗に近づくと辺りを警戒しながら少しずつ前に進む。先ほどまであんなに騒がしかったのに、辺りに響くのは踏みしめた小枝がポキポキと折れる音くらいのものだ。
「ムジナの母親がいるかはわからないな」
「向こうもこっちを警戒しているみたいだネ。すごい威嚇しているヨ」
足元の小枝がプルプルと震えだし、次の瞬間、奏斗めがけて飛んできた。アヤメは手を伸ばすと手から出た瘴気に包まれた小枝がぽろりと落ちる。
「アヤメさん、今のって……」
それは兄妹喧嘩のときに双子が書類を念力で飛ばしていたのと、よく似ていた。
「威嚇射撃みたいなものね。本当に攻撃するつもりなら、小枝も落ち葉もすべてを武器に変えて襲ってくるわ」
飛んできた小枝のスピードはまるで弾丸のように早く目で追うのは難しい。あれをまともに受けていたらと思うと奏斗はゾッとした。
灰と潤は一緒に同じ場所を見た。まるで鏡のように同じタイミングでふたりは大きく目を見開く。すると背の高い草が道を開けるように一直線に倒れ、その先に3匹のハクビシンの姿があった。
ハクビシンは動じることもなく、こちらを見ている。前に立つひと回り大きな2匹とちがい、後ろにいる1匹は地面に伏せていて、元気がないようだった。
「おやおや、キツネの兄弟。こんなところまで追ってくるとは執念深い。なぁクモ」
「ああ、兄さん。執念深さもここまでくると呆れてしまうよ」
先に話し出したのはハクビシンの方だった。
「復讐にムジナの親子を使うお前らに言われたくないな」
「ムジナの母親を返さないと今度こそただじゃ済まさないヨ!」
2匹のハクビシンは視線を合わせるとその丸い目が歪み、怪しい笑みを浮かべた。
「まぁ、そう焦るな。ハレはキツネ姫にだいぶお世話になったそうじゃないか」
「世話になったからには礼はさせてもらうぞ」
ハレはアヤメと目が合うと瞳を潤ませて顔を背けた。
「あなた……」
アヤメが声をかけようとするとキリとクモがハレを隠すように立ちふさがる。
「かわいそうに。この通り妹は子を失った悲しみに満ちている。なぁ、クモ」
「ああ、兄さん、我々も怒っている。そう易々と母親を返すわけがない」
ハレは絞り出すような声で「坊や」とつぶやくと肩を震わせて泣き出した。その泣き声はあまりに悲しく聞く者の心を締め付けるものだった。
「母親は無事なんでしょうね?」
キリとクモが再び視線を合わせる。
「ああ、今のところはな。だが明日には生きていない」
キリが笑いながら言う。
「どうする気?」
アヤメの身体のまわりには瘴気が滲み、怒りを露わにしていた。しかしそれさえもキリは楽しんでいるようだった。
「母親を助けたければ招待状を持ってここへと来い」
「招待状?」
アヤメが聞き返すとキリがクモに合図する。
「ムジナの子が招待状だ。ムジナの子が来なければ母親の命はない」
アヤメの瘴気が一層、濃く大きくなっていた。
「嫌なら連れてこなくてもいいんだぞ。ムジナの子の母親はお前がなるといい。なぁ、クモ」
「ああ、キツネがムジナの母親とは笑えるな。兄さん」
キリとクモが意地悪く笑うと、灰と潤は喉をぐるぐると鳴らし今にも襲い掛かりそうだった。
「お前たちをここで倒してゆっくりムジナの母親を探すという手もあるぞ」
「賛成。その方がてっとり早いよネェ☆」
それにはアヤメも賛同したのか、彼女を包む瘴気が大きくなっていく。しかし、ムジナは余裕の表情で笑っていた。ムジナは明らかにキツネを挑発していた。
「戦うのは待ってください」
緊迫した空気を変えたのは奏斗だった。
「なんだ眼鏡、巻き込まれたくないのなら帰れ」
灰が低い声で脅したが奏斗は負けなかった。
「冷静になってください。あれはハクビシンの挑発ですよ。母親なんていないのかもしれない」
奏斗は小声で言ったがキリがねっとりと絡みつくような視線で奏斗を見つめていた。
「いい加減なことを言うなよ、人間」
クモが腹を立て、兄のキリより前に出るとキリが唸った。
「勝手なことをするな、クモ」
クモは耳を下げて兄の後ろに下がる。
「なかなか面白いことを言う人間じゃないか。ならば母親がいるのかどうか、その目で確かめるといい」
キリが笑うと赤い口がのぞいて見えた。
「――では今晩、月が真上に上るころ。ムジナの子を連れてここに来い」
言い終わると同時に灰と潤が開けた草の道が閉じられていき、ハクビシンの気配も消えていた。
「あんたたち……」
アヤメは呆れた顔で兄たちを見た。ハクビシンの兄弟はアヤメが思っていた以上に強敵だった。同じものに念をかけた場合、力が強い方の意思通りに動く。双子が念で横倒していた草はハクビシンの手であっけなく閉じられていた。
「なんだよ、力なら互角だろ」
「そうそう! 本気出せば互角だよネ~」
緊張感のない兄たちにアヤメはため息をついた。
「奏斗が止めていなかったら負けていたわね。奴らは私たちがすぐにカッなるのを利用したのよ。あんたたちは手の内が知れているし、私は念力が苦手。時間を稼いだところで人質もいるからこの戦いは不利だわ」
冴えない顔をするアヤメとは対照的に奏斗の顔には自信がみなぎっていた。
「不利な戦いでもちゃんと作戦を立てれば勝てるはずだよ」
「お前のその自信どこからくるの?」
灰は不思議な生物をみるように奏斗を見る。
「僕にはどうしてもハクビシンの兄弟が妹の復讐を手伝っているようには思えなかったんです。ハクビシンの兄弟は妹が辛い思いをしているのにこの状況を楽しんでいました。灰さん潤さんだったらあり得ないことです。それに兄のキリは弟のクモに強い態度を取っていました。力で押さえつける協力関係は必ずほころびが出るはず」
奏斗の意見に灰と潤は素直に感心していた。
「お前、甘ちゃんなのかと思ったら意外と分かっているじゃねーか」
「やだー! 地味眼鏡がインテリイケメンに見えてきたァ~☆」
それでもアヤメは俯き考え込んでいた。
「アヤメさん、きっと大丈夫だよ」
元気のないアヤメに奏斗はそう声をかけると、彼女の長い髪に手を伸ばす。頭を撫でられるのかと思ったアヤメだったが、奏斗は彼女の髪の毛についた落ち葉を取るとそれを差し出しながら笑った。
灰が空を見上げると陽はすっかり傾いていた。
「よし、時間はないぞ。帰って作戦会議だ!」
「エイエイオー☆」
はしゃいで腕を組んで来た潤に困り顔をしながら奏斗は前をアヤメの前を歩いて行く。アヤメの胸はざわざわして止まらない。
「……嫌な予感ってあたるのよ……」
アヤメは受け取った落ち葉に息を吹きかけると葉は風に乗ってひらひらと飛んで行った。