4 隠し事
ふたりのやりとりを見ていた双子はアヤメの両側から報告書をのぞき込む。灰はその内容を読み上げた。
「えー依頼内容は『○○山の付近で夜になると不気味な女の泣き声がするとの報告あり。その泣き声は害獣駆除後から始まり『子を返せ』という内容であることから、駆除用の檻に捕らえたハクビシンの子の母親とみられる。
そこは畑への道が続いており、近隣住民の苦情も増えている。人間と協力し早急にハクビシンを駆除、または退去させ解決すること』」
続けて潤が報告欄を読む。
「『人里付近に結界を立て強制的にハクビシンの侵入を防ぐことで現象を止めた。それ以降、この付近で泣き声による騒音被害はない』—-まぁ、ありがちな内容ダケド……。結界でハクビシンを追い出しただけっていうのは手ぬるかったんじゃナイ? それじゃあ何の解決にもならないジャン」
アヤメは報告書を裏返して机の上に置いた。
「ここには書いていないけれど、状況説明をしに来た人間は、捕らえたハクビシンの子を連れてきていたのよ。もちろんその子を母親に返すためじゃない。囮として子を使っておびき寄せ、親子ごと駆除すればいいと笑って言ったわ」
灰は呆れた顔をして腕を組む。
「それでお前は結界を張ってわざとハクビシンを逃がしたのか」
「ハクビシンはまだ妖怪化していなかった。だから子どもを助けられないなら母親だけでもと思ったのよ」
「ハクビシンは子を見たのか?」
アヤメは頷いた。灰は鼻で笑う。
「お前はハクビシンを舐めているな。恨みを持ったハクビシンは仲間を呼び一番相手が苦しむ方法で復讐するんだ。このハクビシンが恨んでいるのは人間じゃない。ハクビシンの子を目の前で見捨て、その一方でムジナの親子を助けようとしたお前だ」
潤もまたため息交じりに言う。
「外来種のハクビシンは日本の妖怪の想像を超えて日々進化しているんだよ。『ハクビシンを侮るな』それはムジナ狩りの被害が多い地域なら常識だヨ」
アヤメはベビーベッドで眠るムジナの子を見ると重いため息をついた。
「わかっているわ。全部私のせいよ」
すると今まで黙って聞いていた奏斗が口を開いた。
「本当にアヤメさんはひどいよ」
その言葉に腹を立てたのは先ほどまでアヤメを責めていたふたりの兄だった。
「わかったようなこと言うなよ、眼鏡」
「何も知らなかったクセに。知らなければ許されると思っているノ?」
それでも奏斗はふてくされたままだった。いつもの奏斗らしくない振る舞いに胸ポケットのトロトロも慌てている。
「奏斗、お前の気持ちは分かる。ハクビシンの子を助けていればこんなことにはならなかったんだ。でも駆除で捕まった動物を助けるのは難しいんだよ。キツネ姫が人間を裏切れば九重会全体の裏切りになる。お前ならわかるよな、奏斗」
キツネが運営する九重会は自然保護団体として他の団体よりも大きな権限を与えられていた。しかし、それには人間とそれ以外のモノとに生じる問題を解決することが条件だった。
それ故に小さな問題はどうしても人間本位に解決せざるを得ない。アヤメはそれが奏斗の心を苦しめると知っていた。
「いいのよ、トロトロ。私が弱い動物たちを苦しめていたのは事実なんだから」
アヤメが言うと奏斗は悔しそうな顔をした。
「だからひどいって言っているんだよ」
そらしていた目線がアヤメの瞳を捕らえる。
「アヤメさん、僕が何で怒っているんだと思う? 対応がひどかったから怒っているんじゃないよ。僕はそうやって嫌な仕事をひとりで抱え込むアヤメさんが許せないんだ。本当はアヤメさんだってハクビシンの子を助けたかったはずだ。それなのにムジナの子までこんなことになって……。アヤメさん、ずっとひとりで悩んでいたんでしょ。どうしてもっと早くに言ってくれなかったの?」
アヤメは少し間を置いてからゆっくりと言った。
「生き物たちを救いたくてここに来たあなたを失望させたくなかったのよ」
奏斗はいつになく真剣な顔でアヤメを見つめていた。しかし、そこにもう怒りはない。
「僕はちゃんと覚悟してきているつもりだよ。前にも僕は言ったよね、アヤメさんの力になりたいって。僕はそんなに頼りない?」
奏斗はアヤメの手を取る。奏斗の手はあまり大きくはないが、それでもアヤメの手を包み込むには十分だった。
アヤメは首を振り、小さな声で「ごめんね」と言った。
「僕こそ気付いてあげられなくてごめんね。これからは隠し事はなしだよ」
握られた手を見つめながらアヤメはうっすらと涙を浮かべていた。
「オイ! 兄の前だぞ! 慎め!」
「灰! いいところなんだから邪魔しないでヨ!」
双子の大声に奏斗はパッと手を離し顔を赤くする。
「す、すみません」
アヤメは軽く鼻をすするといつもの自信にあふれた姿に戻った。
「ムジナの母親は必ず取り返してみせるわ。今なら追えるかもしれない。行きましょう! 奏斗!」
アヤメがふたりの兄を無視して奏斗と一緒に探しに行こうとすると、双子たちはアヤメを片腕ずつを引っ張った。
「何よ!」
「俺たちも行くぞ。お前たちだけではダメだ」
「そうだよー、罠だってわかっているのに危ないデショ」
アヤメはふたりをキッと睨みつけた。
「いつまでも子ども扱いしないでよ! 私がハクビシンに負けるわけがないでしょ!」
噛みつくように言うと双子は同時に首を振る。
「それがいけないって言っているだろう。ハクビシンは俺たちと同じ念力系の力だ。お前が最も苦手とするタイプだ。さっきの軽い喧嘩でもお前は1枚のメモ紙を避けることができなかったんだぞ」
灰は一か所だけ不揃いになったアヤメの髪を差して言った。瘴気の霧で相手を倒すアヤメの力は霧の合間を縫って物理的に攻撃をされるのが弱点だった。
「それは手加減をしていたからよ!」
「でも人質がいたら花菖蒲だってまともに戦えないデショ? それに相手はこのハクビシン1匹じゃないヨ」
アヤメは眉間に皺を寄せた。
「やっぱりここに来たのは奏斗を見にきたのが理由じゃないわね。あんたたち何を知っているのよ?」
双子は掴んでいたアヤメの腕を同時にパッと離す。
「奈良でムジナ狩りを繰り返す凶悪なハクビシンの兄弟を追ってきたらここに辿り着いたんだよ」
「花菖蒲を恨んでいるハクビシンはその兄弟の妹ダヨ。無関係だとは思えないデショ?」
奏斗は驚いてアヤメを見ると彼女もまた奏斗のことを見ていた。アヤメの顔には焦りが浮かんでいる。それは想像以上に最悪な事態だった。