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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第壱話 キツネ姫とイタチ先生
2/84

1 ようこそ九重会へ

 橘奏斗はその細い身体に不釣り合いな大きなリュックを背負ってとあるマンションにやってきた。

 汗でずり落ちた眼鏡を直し、腕時計を見ると2本の針は9時45分を指している。約束の時間は夜の10時。電話先の女性は耳に残る澄んだ高音で「朝ではないから間違えないように」確かにそう言っていた。


 マンションの入り口では照明に無数の虫たちが群がり、羽音を立てる。

(こんな自然が多い場所ならたくさんの野生動物に会えるぞ)

 そう思うだけで胸がワクワクと高鳴った。


 彼は小さなころから生き物が大好きだった。しかし、それ故に生き物に対するこだわりが強く、なかなか就職先が決まらないまま気付けばニートになっていた。それが、今日たまたま立ち寄った図書館の掲示板で運命の出会いをしたのである。


***求人***


職員を1名募集します。

☆非営利の自然保護団体です。

☆自然破壊などで生活に困っている野生動物などの手助けをします。

☆職員は寮に住み込みになります。


NPO法人 九重会  横須賀支所

TEL 046-8△○-△○◇△



 たったそれだけの情報に何故か強く心を惹かれた奏斗は、図書館を出てすぐに二つ折りの携帯電話を開いた。生まれてこの方、奏斗はスマートホンを持ったことがない。正直携帯電話の必要性もあまり感じていなかったが、この時ばかりは携帯電話を持っていてよかったと思ったのだった。


 電話をするとよっぽど人手が足りていないのか、面接なしで即採用が決まった。来られるなら今日から来てもいいというので、奏斗は急いで家に帰り、父親の登山用リュックに荷物をつめこんで、事務所のある神奈川県横須賀市にむかって家を飛び出したのだ。


 横須賀市といえば『海』だが、最寄り駅からバスに乗ると、バスはどんどん海から離れていく。そして降りたのは山に囲まれた小さなバス停だった。辺りは暗闇に包まれて家も電灯もない。そしてさらに山をひとつ越えたところにそのマンションは1棟だけポツンと建っていた。奏斗は月明かりだけを頼りに、まるで何かに誘い込まれるようにこの場所へと着いたのだった。


 ズボンのポケットからメモを取り出し、入り口の明かりで照らし出すと緊張で心臓がバクバクと音を立てる。


 ひげのないモチ肌の頬をペチペチと叩き、気合を入れるとエレベーターに乗り込んだ。最上階は7階。ボタンを押すとドアが閉まる瞬間に素早く何かが滑り込んできた。驚いた奏斗だったが、すぐにその愛くるしい姿に目を輝かせる。


 それは狸の親子だった。母狸と3匹の子狸がエレベーターに乗ってじっと扉が空くのを待っているのだ。


「こんばんは狸さん。ここで飼われているのかな?」


 奏斗の問いにちらりと目線を向けた母狸だったが、すぐに向き直って何も答えない。それでも奏斗は頬を緩ませて狸たちを見つめているとエレベーターは7階に到着した。

 扉が開くと狸たちに続いて奏斗もエレベーターを降りる。正面にみえる灰色のドアは人がひとり入ることができるくらい空いていた。


「ここだ」


 『九重会 横須賀支所』そう書かれた表札を見て唾を飲みこむ。狸たちはドアから漏れる柔らかい光の中に吸い込まれるように中へと入っていった。


(やっぱり狸さんたち飼われていたんだ。さすが自然保護団体だなぁ)


 奏斗は感心しながらも意を決して、そのドアの向こう側へと歩みを進めたのだった。


挿絵(By みてみん)



 部屋の中は改築をしてあるのか、キッチンはなく、1LDKの間取りがそのまま事務所になっていた。壁や床には木材が使われ、たくさん置かれた観葉植物がまるで森の中のウッドデッキにいるような不思議な感覚にさせる。緑で囲まれた部屋の真ん中には、木製の事務机と来客用のソファがあるだけだ。


事務机の椅子には若い女性がひとり座っていた。そして机の上には先ほどの母狸が女性と向き合って腰をおろしている。子狸たちはその下でじゃれあって遊んでいた。


「あの、すみません」

奏斗が声をかけると女性はキッと彼を睨みつけた。奏斗はそのきれいな丸みを帯びたつり目に見覚えがあった。


「え! アヤメさん?」

稲荷アヤメは奏斗が小学生の頃の同級生だ。5年生のときに転入してきたアヤメは6年生になる前には転校してしまい、短い間しか一緒にいなかったが奏斗は彼女のことをよく覚えている。


「ねぇ、僕だよ! 奏斗だよ! 小学生の頃、一緒に遊んだ橘奏斗だよ!」

急に懐かしさがこみ上げて話し出す奏斗をアヤメはさらに睨んだ。


「ちょっと待ってて」


久しぶりに会ったアヤメに怒られてシュンとしていると、1匹の子狸が奏斗の足元にまとわりつく。それはまるで遊びにでも誘っているみたいだった。じゃれる子狸と遊んでいるとしょぼくれていた気持ちも癒される。

「ありがとう。君は人が怖くないんだね」

子狸はひとしきり遊ぶと満足したのか他の子狸たちの元に戻っていった。


アヤメはまだ書類に目を通しているので時間がかかりそうだ。母狸はじっとアヤメの前で座り込んでいる。手持無沙汰な奏斗は無邪気に駆け回る子狸の方を見て微笑んでいたが、すぐにその微笑は消え首をかしげた。

子狸たちが楽しそうにジャンプしているのはフローリングの割れ目から出た木の根だった。見渡すと部屋を覆いつくす観葉植物には鉢がない。その代わり床に根を張っているのである。


『すごい凝った造りなんだな。どうなっているんだろう?』

そんなことを思っていた奏斗だったがふと視線を感じ、顔を上げるとアヤメの後ろにある大きな窓を見て後ずさりをした。窓の外には暗闇の中に無数の怪しく光る目が、みな奏斗のことを見つめていたのである。

 奏斗は背筋が冷たくなり、逃げようとしたが恐怖で足が動かない。すると今度は奏斗とアヤメしかいないはずの部屋に男の低い声が響いた。


「おい! 小僧! うちが狸を飼うとかいい加減なこと言っているんじゃないぞ! そういうのが一番クレームになるんだ」


 奏斗がキョロキョロと声の主を探していると、アヤメが自分の机をコンコンと叩いた。机の上には茶色いトロトロとした物体がガラスの皿の上でうごめいている。よくみるとそれには小さな目玉がふたつくっついていた。


「おまたせ奏斗、久しぶりね。私はここの支所長をしているの。こいつは妖怪『トロトロ』、元は奏斗がくれたチョコレートだったんだよ」

「そんな……妖怪って」

「なに? 怖いの? 奏斗の好きな動物と似たようなモンでしょ?」

さっきまで恐怖心で逃げようとまで思っていたのに、アヤメにそう言われると不思議なことに妖怪が新種の動物のように思えてきた。


するとアヤメはトロトロの乗った皿を持って、奏斗のところへと歩いてきた。短いスカートに細く長い脚がのぞき、高いハイヒールのパンプスがカツカツとリズムよく音をたてる。


「奏斗は動物たちの言葉が分からないでしょ? だからトロトロに通訳してもらって」

 差し出された皿を受け取るとトロトロはチョコの甘くて良い香りがした。


「久しぶりだなぁ! 奏斗! 相変わらず地味な顔しやがって元気そうじゃねぇか」

「僕ははじめましてだと思うんだけど……」

奏斗が恐る恐る言う。

「俺はお前のことよく知っているけどな。俺はお前のおかげで古い妖怪から新しい妖怪に若返ることができたんだ。感謝してるぜ」


そう言うと目玉をポコポコと動かす。トロトロは見た目によらず気さくな性格だった。すると後ろから母狸がクゥと鳴いた。


「この狸の奥さんはな、ここより10キロほど離れた大松山に住んでいたんだが、大松山が住宅地になるらしくてな。人間に住むところを追われて俺たちに助けを求めに来たんだ。子連れでたくさん歩いてヘトヘトだったからお前がエレベーターに乗せてくれて助かったって礼を言っているぜ」

狸は鼻をぴくぴくと動かした。


「大変だったんだね。でもここなら自然も多いし住むところならたくさんありそうだね」

 奏斗が狸に同情しながら言うとトロトロはため息をついた。

「これだから人間はいやだね。山ならどこでもいいと思っていやがる。お前だって突然、家も町も壊されて『でも住むところならたくさんありますよ』なんて言われたら頭にくるだろ?」

トロトロに言われ自分に置き換えるとそれは確かに無神経だった。奏斗はしゃがみこみ目線を合わせる。

「そっか、そうだよね。ごめんね、狸さん」

狸はキューンっと哀しそうな声を出した。


「しかもこの奥さんは旦那さんも車にひかれて亡くしたんだ。この子狸も人間が仕掛けた罠にはまったのを命からがら逃げだしたっていうぜ。だからもう人間のいないところへ行きたい。それが望みだ。そしてそれを叶えるのが俺たちの仕事だよ」

そう言われてもピンとくるはずもない。するとアヤメは机の棚から鍵を取り出した。


「言ったってわからないよね。ついてきて」

 昔と変わらない長い髪をなびかせてドアの外へと出て行く彼女を、奏斗は皿に乗ったトロトロを落とさないように気をつけながらついていくのだった。


挿絵(By みてみん)



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