2 灰と潤
「よぉ! 妹よ、久しぶりだな」
「ヤッホー! 人間を見にきたヨォ☆」
ふたりは服装と話し方はちがうが声や動きは全く同じだった。ひとりは革ジャン革パンツという黒づくめの恰好をし、もうひとりは原宿系のファッションで大きな目玉が描かれた蛍光緑のシャツを身にまとっている。アヤメはまるで頭痛でもしているように頭をおさえていた。
「普通に入って来れないの? 普通に!」
そう言って睨みつけても、ふたりは全く気にしない。
「普通ってなんだよ。人間基準の普通? キツネ基準の普通? それとも時代基準の普通?」
黒づくめの男が指を折りながら、ひとつひとつ確認するように言う。
「お前、超めんどくさくてうけるー! 絶対モテナーイ!」
派手な男はそう言ってキャッキャッと笑っている。見た目もさることながら、ふたりの強烈なキャラクターに地味な奏斗は押されていた。
「キツネ姫の乳兄弟の灰と潤だ。見ての通り双子の兄弟で見分け方はえらそうなのが灰、馴れ馴れしいのが潤だよ」
トロトロも呆れながらふたりを紹介する。
「そこの汚らわしい妖怪! 失礼だぞ!」
「そうそう! 髪の毛のアッシュ具合が濃いのが灰で、薄いのが潤って覚えてネェ!」
そう言われてもふたりの髪の色はほとんど違いがない。
「一卵性双生児は気も似通っているからわかりにくいの。だから兄ぶってえらそうなことを言ったり、悪趣味なTシャツを着たりして個性を主張するようになっちゃたのよ」
潤はオネエの気質もあるのか奏斗を舐めまわすように見た。
「超カワイイ~☆」
耳元で囁くと、眼鏡をツンツンとつつく。奏斗は全身に鳥肌が立つのを感じた。
「やめなさいよ!」
アヤメは奏斗に引っ付いた潤を無理矢理引きはがす。
「花菖蒲のケチー!」
「花菖蒲?」
潤がアヤメのことをそう呼んだので奏斗は思わずそう聞き返した。
「花菖蒲はこいつの名だ。こいつは昔から名前をコロコロ変えやがる。今は『アヤメ』だったか? 最初の名は『花菖蒲』だ。こいつは他の妖怪に『キツネ姫』だの呼ばれているようだが兄である俺からすればバカらしい。花菖蒲は花菖蒲だ」
「花菖蒲、花菖蒲ってうるさいわね。私はその名前が嫌いなのよ。呼ばないっでって言っているでしょ!」
アヤメはイライラした様子で言い捨てた。
しかし奏斗は彼女が狐の姿になったときのことを思い出すと『花菖蒲』という名は彼女にぴったりだと思った。
「狐の姿のアヤメさんを見たらその名前で呼びたくなる気持ちも分かるなぁ。本当に花菖蒲みたいにきれいだから」
奏斗が言うと、潤はニタニタと笑い、アヤメは頬をほんのり赤くした。
灰はくすぐったそうに身をよじらす。
「灰、何その動き。気持ちワルーイ」
すると灰は黒い革ジャンの内側から小さな毛の塊を差し出した。
「いや、こいつが寝返りをうってくすぐったかったんだ」
毛の塊はもぞもぞと動き、すーすーと小さな寝息を立てている。
「ムジナの子じゃない!! どこで見つけたのよ!」
アヤメは驚いて大きな声を出した。
「マンションの下に寝ころんでいたヨォ☆」
奏斗は急いでムジナの子をガーゼでくるむと、ベビーベッドの上に寝かせる。
「なんだあのベッドは! お前子どもができたのか! けしからん!!」
「そんなわけないでしょ! 少しは黙りなさいよ!」
灰が怒鳴るとアヤメも怒って犬歯をのぞかせる。ふたりの兄に翻弄されるアヤメの姿は普段の彼女とは違って見えた。
「そんなことよりも早くムジナの母親を探しに行かなきゃ!」
慌てて探しに行こうとしたアヤメを灰は止めた。
「やめておけ。もう俺らで探したが母親はいなかった。何か事情があるんだろう」
アヤメはぐっと手を握りしめる。
「ムジナの子が生きていて良かった」
奏斗が嬉しそうにいうとアヤメの顔も和いでムジナの子を見る。
「そうね、本当によかったわ」
まるで夫婦のようにムジナの子を見守るふたりを双子は面白くないとでもいった顔で見ていた。
「で、お前らは何しに来たの?」
トロトロは小さな腕で頬杖をしながら言った。するとそれに応えたのは双子ではなくアヤメだった。
「聞くだけ無駄よ。暇つぶしでしょ。本当にいい迷惑だわ」
「おい! 兄上に向かって何といういい様だ!」
「だからー、人間見に来たっていったジャン」
そう言って潤は奏斗を指さす。奏斗は大声で話すキツネたちの声にムジナが起きてしまうのではないかとヒヤヒヤしていた。
「灰さんと潤さんはどちらがお兄さんなの?」
何気なくトロトロに聞いた奏斗だったが、トロトロは何か必死にジェスチャーをしている。そのジェスチャーがとろとろしているだけでよくわからないので奏斗が近づくとトロトロは声をひそめる。
「こいつらの前ではどっちが兄かと、自分たちは九重会の支所長に選ばれなかったことは禁句なんだよ」
その瞬間、ゾクッと寒気がして顔を上げるとアヤメと夢中で話していたはずの灰と潤がうつろな瞳でこちらを見ている。それは今までのふたりとはまるで別人のようだった。
「あ、いけね」
トロトロがつぶやいた。たちまち事務所の中は重苦しい空気になり、事務机の上にある書類がひとりでにバサバサと飛んでいく。書類はグルグルと縁を描きながら鳥のように奏斗たちの上を飛び回っていた。
「あんたたちやめなさいよ! そんなくだらないことで事務所を散らかさないで!」
アヤメが言うと怒りの矛先はすぐにアヤメに切り替わった。
「くだらないことだと? 俺が絶対にお前らの兄だ! 支所長だからっていい気になるなよ!」
「灰! 先に腹から出ただけで兄貴面しないでヨ! それに花菖蒲も妹のくせにホント生意気ッ!」
灰と潤の顔は半分狐に戻りかけ、喉の奥ではグルグルと低い音が鳴っている。
「私は兄妹だなんて思ったことないわよ」
その言葉に灰と潤の怒りは頂点に達し目が赤く光り出す。
「俺はお前の兄だ(ダ)ッ!!」
双子の声が揃い、それを合図に飛んでいた書類がアヤメに向かっていく。神速で操られる書類は紙ではなく薄い刃物のようにアヤメを襲う。
しかしアヤメは微動だにしない。その代わり黒い瘴気を出すと書類はまるで力を吸い取られたかのようにペラペラと床に散らばっていく。
すると双子はペンやコップなどありとあらゆるものを凶器に変えてアヤメに飛ばし始めた。
電話の近くに置かれたメモ帳は一枚ずつめくられるたびにアヤメめがけて飛んで行く。小さなメモ紙はアヤメの瘴気をすり抜けて、彼女の長い髪を通過していくと、艶やかな髪がパラパラと落ちた。
「兄妹げんかは外でやれよ! おい奏斗!」
身の危険を感じたトロトロが叫んだので奏斗はすぐにビニールに入れて胸ポケットへとしまった。
その間にも事務所の中はめちゃくちゃになっていく。
その力はとうとう寝ているムジナへと及び、ベッドがきしみながら動き出す。
「あ! 駄目だよ! ムジナの子が!」
奏斗は必死でベッドを押さえつけるが、動こうとするその強さに敵わない。それでもムジナはぐっすりと眠っている。
「奏斗をみたならもう満足でしょ! 早く母さんのところに帰りなさいよ!!」
アヤメの声に反応をしてムジナがピクリと動く。
「……かあちゃん……」
ほとんど聞こえないような小さな声でそうつぶやくと閉じていた瞳をゆっくりと開けて、くるまれていたガーゼをクンクンと嗅いだ。すると小さなつぶらな瞳がうるうると潤み出す。ベッドを抑えることに必死な奏斗は気付いていなかった。
「イヤアアアアアアアアアア!! かあちゃん!!!!」
耳をつんざくようなその悲鳴にキツネたちは喧嘩をやめて耳を抑えた。ベビーベッドは武器になる手前でドスンと床に落ち、ベッドにしがみついていた奏斗は尻もちをついた。
「かあちゃーーん!!!!」
奏斗はムジナの子をなだめようと胸に抱いてあやしてみるが、ムジナの子は泣き止むどころか声を張り上げて母親を呼び続けた。
「お母さんを探しているんだね? お母さんはどこにいるのかな?」
あやしながら母親のことを聞くがムジナの子は泣いているばかりで全く答えない。
「ほら、邪魔なのよ。さっさと帰りなさいよ」
アヤメはムジナの子のひどい泣き声に兄たちが逃げ出すと思っていたが、冷静さを取り戻した双子はお互いの顔を見合わせた。
「じゃあ、泣き止むまで観光でも行くか」
「いいネ~!」
ワンワンと大声で泣き叫ぶ声が響く中、まるで泣き声など聞こえていないように軽く言う。
「何で帰らないのよ!」
アヤメはまた頭を抱えながら書類の散らかったソファにもたれこむ。
「お前、さっき母さんのところに帰れって言っていたけどその母さんにお前の様子をしばらく見てこいって言われたんだよ」
灰の言葉にアヤメは固まった。
「え? なんですって?」
「人間の男が転がり込んできたんだモン。娘が心配なんだヨォ☆」
潤はアヤメの隣に腰かけてウィンクをした。
「どうせ、邪魔だから追い出されたんでしょ?」
「それはない。本当は母さんもその眼鏡に会いたがっていたが忙しくて来られなかったのさ」
ムジナの子をあやしながら兄妹たちの会話を聞いていた奏斗は内心緊張していた。誤解しているとはいえ、アヤメにふさわしい男かどうか見定められているということだ。
「じゃあ、行こうぜ。おい、眼鏡。俺たちが帰ってくるまでにムジナを泣き止ませろよ」
「ねぇねぇ米軍基地があるってことは外国狐いるんじゃない? かわいこちゃんいるかナァ!」
そう言って出て行こうとする双子の服をアヤメは両手でつかんだ。黒と蛍光色の生地は彼女の手に向かって放射状に皺が入る。
「待ちなさいよ、アンタたち。帰らないならやることがあるでしょ!」
事務所の中は先ほどのケンカでひっちゃかめっちゃかになっていた。
「そんなの眼鏡と手伝いのキツネにでもやらせればいいだろ!」
「ソーダ! ソーダ!」
駄々をこねる双子をアヤメはギロリと睨む。
「私たちがやったんだから私たちで片付けるのよ! あと念力で片付けるのもなしよ! アンタたちすごく適当なんだから!」
「えーー!!」
双子はあからさまに不満の声を上げた。
「母さんに言いつけるわよ」
アヤメの一言にふたり同時に姿勢を正し、落ちている書類を拾い出す。
「奏斗、トロトロ、そういうことだから少しの間ムジナの子を外であやしてきてくれる? ハクビシンに勘付かれるといけないからマンションの近くから離れないようにね」
アヤメはそう言うと笑顔で奏斗たちを送り出した。




