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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第参話 キツネ姫とムジナの子
18/84

1 消えたムジナ

 トントントントン

 一定のリズムで軽快にハンコは押されていく。

 トントントントン……

 しかし、その手を止めると、アヤメは一枚の紙を目の前に持った。


「アヤメさん、どうかしたの?」

 奏斗が尋ねるとアヤメは紙の上からつり目を出してじっと見つめた。奏斗は最近この瞳で見られると胸がぎゅっとしめ付けられて、思わず目をそらしてしまう。それはきっと人ではないアヤメの不思議な力だ、奏斗はそう思い込んでいた。


「本当にどこにいるのかしら」

 アヤメは手に持っていた書類を奏斗に渡すと彼の表情は途端に暗くなった。アヤメもまた憂鬱な顔で事務所の端にあるベビーベッドを見る。一度も赤ん坊を寝かせたことのないベビーベッドは埃除けのカバーがかけられてこの3カ月の間、じっと赤ん坊を待っていた。


 そのベビーベッドが用意されたのはライチョウの一件が終わり、奏斗の風邪が治った頃のことだった。

 隣の部屋から出勤してきた奏斗はドアを開けると事務所の雰囲気がガラリと変わっていることに驚いた。事務机の隣にはベビーベッドが置かれ、哺乳瓶やオムツも用意されている。他にもぬいぐるみやガーゼなど物が増えて、落ち着いた雰囲気の事務所が柔らかいパステルカラーで溢れていた。


「アヤメさん、これって?」

 奏斗は眼鏡の奥で目をパチクリとさせながら聞くと、アヤメは嬉しそうに笑った。

「赤ちゃんが生まれるのよ」

「え?!」

 動揺しながらアヤメのお腹を見たが、その細くてぺたんこの腹に赤ちゃんがいるとは思えない。


「キツネ姫の子なわけないだろ。ムジナが子を産むんだよ」

 トロトロが言うと顔を赤くしてアヤメのお腹から視線を外す。

「ム、ムジナって穴熊のこと?」

 奏斗の質問にアヤメは頷いた。

「さすが奏斗。よく知っているわね。そうよ、穴熊の中でも狐や狸のように人間に変化できる妖怪の穴熊を『ムジナ』というの。このムジナは人間との間に子ができてね、母親の要望で人間として育てたいから九重会で出産を助けることにしたのよ」


「なんか聞いたような気もするなぁ」

 奏斗はその話を聞いたのは初めてではない気がした。しかし、それがいつのことなのかわからない。

「奏斗、風邪を引いていたからうろ覚えなんじゃない」

 アヤメは赤ん坊が来るのがよほどうれしいのか、上機嫌でベビーベッドの傍らに立つと、その上に飾られた、メリーを指でくるっと回した。布でできた動物たちがクルクルと回りながら笑っている。


 奏斗は妖怪の子どもについて前にアヤメから教えてもらったことを思い出していた。それによると動物が妖怪になるには大きく二つの方法があり、大松山のイタチのように長生きして妖怪になるものと妖怪の子どもとして生まれるもがあるという。しかし、妖怪と人間のように異種間の場合、子どもがどうなるのか奏斗は知らなかった。


「ムジナの子どもは人間として生きていくことができるの?」

 奏斗が聞くとアヤメは頷いた。

「ええ、できるわ。異種間の子は母親がどんな姿で産むかでその運命が分かれるのよ。ムジナが人間を産めないように、人間もムジナを産むことはできない。だから人間に化けて人間の姿で産めば、父親の体質を濃く受け継いで人間になるし、妖怪の姿で産めば母親の体質を受け継いで妖怪になる。でも変化した状態で子どもを産むのは母親にとってかなりの負担なの。それでもムジナは人間の姿で人間の子を産みたいから私たちを頼ることにしたのよ」

 

「そっか。人間として産めば父親とも一緒に暮らせるものね」

 奏斗の言葉にアヤメとトロトロは顔を見合わせて、何やら難しい表情をした。トロトロは胸ポケットから奏斗のことを見上げる。

「父親はムジナが身籠っていると知らないんだよ。ムジナは妊娠が分かってすぐに人間と縁を切ったそうだ。ムジナが人間にこだわるのは別の理由だよ」

「別の理由って?」


 アヤメはベビーベッドに寄りかかり、腕を組んだ。

「ムジナは『ムジナ』の子を産みたくないのよ」

「え? それってどういう……」

 奏斗が言いかけたその時、ドォンという何かが爆発したような大きな衝撃音がした。


「嫌な音。すぐに調べてきて」

 アヤメは窓の外で待機していた見習いのキツネたちに言った。キツネたちは7階と言う高さにも関わらずひゅるりと身を翻し音の方へと向かう。

「まさかとは思うけど。こういう時の悪い予感って当たるのよね」

 アヤメはひとり言のように呟いた。


「キツネ姫さま! 大変です! ムジナの乗った車が木にぶつかって炎上しています!」

 ほどなくして音の原因を探りに行ったキツネが帰ってきた。

 アヤメたちは急いで事故の現場へと向かった。暗い夜空に赤い満月が浮かぶ。臨月を迎えたムジナは人間の姿で車を運転し、横須賀支所まで来る予定だった。しかし、あともう少しというところで事故は起きたのだ。車の前方は潰れ、燃える車内にムジナが残っているのかさえも分からない。


「奴らの仕業か?」

 もうもうと上がる煙の中、アヤメは首を横に振った。

「火と煙のせいで気も匂いも感じ取れないわ」

「奴らって?」

 奏斗は煙を吸わないよう腕で口を押えた。


「ハクビシンたちよ」

「ハクビシンってあのハクビシン?」

「ただのハクビシンじゃないわ。妖怪化したハクビシンよ。彼らも日本に住み着いて長いから妖怪化している個体も多いの」


 ハクビシンはその顔に入った白いラインが特徴的な動物だ。彼らは外国から持ち込まれた外来種だがいつ持ち込まれたのか詳しいことは分かっていない。

 ここ横須賀でも繁殖していて、奏斗は山で何回か野生のハクビシンに会ったことがある。獣タラシと言われる彼でもハクビシンがなついたことはなく、牙を剥かれたこともあった。その猫のようにしなやかな身体とかわいらしい顔とは反対に気性が激しいというのが奏斗のイメージだった。


「でもなんでハクビシンがムジナを狙うの?」

「ムジナが弱いからよ。ハクビシンは妖怪化すると強力な念力を使えるようになるの。でもムジナができることは人間に化けることと、まるで死んだかのように気を消すことだけ。敵を攻撃する力はないわ。だからその弱さに目をつけたハクビシンは古い妖怪であるムジナを消して、その座にとって代わろうと『ムジナ狩り』をしているのよ」


 トロトロは奏斗の胸ポケットから身を乗り出してタイヤの跡を確認していた。

「まっすぐな道でこれだけ不自然にハンドルを切っているんだ。ハクビシンが念力で車を操作したっていうのが濃厚だろうな」

 炎に映し出されたアヤメの表情は、トロトロの見解に納得がいかないのか眉間に皺をよせていた。

「ここは私の縄張りよ。警戒して気を消していたムジナならともかく、念力を使うほどのハクビシンがいれば気付いたはずよ」

「まぁ、事故の原因はどうあれ、肝心のムジナがいないんだ。早く見つけないと母親も子どもも助からないぞ」

 見習いの狐たちが必死に消火活動をしているが火はなかなか消えそうにない。奏斗は大きなお腹を抱えたまま事故にあったムジナを思うと胸が詰まり言葉を失った。そんな奏斗の肩をアヤメはポンと叩く。


「奏斗、そんな顔しないで。ムジナだって妖怪よ、ただで命を落とすとは限らない。あきらめずにムジナの行方を探してみましょう」


 

 しかし、火の消えた車からは何も出て来ず、その後の捜索でもムジナと産まれているはずの子どもは見つからなかった。そうしてムジナの行方も事故の原因もわからないまま3カ月もたってしまったのだ。


 アヤメは大きなため息をつく。日が経つにつれ、ムジナが見つからないことを気に病んでいったのは奏斗よりもアヤメの方だった。

「私のせいだわ」

「そんな、アヤメさんが悪いわけじゃないよ」

 奏斗がそう言うと元気になるどころかさらにその表情は曇っていく。


「もう諦めろよ。あの火の勢いだ。変化の解けた小さなムジナなら燃え尽きてもおかしくないぜ。ほらまだまだ報告書がたまっているぞ! 上から催促されているんだろ?」

 久しぶりに机の上のガラス皿の中でくつろいでいたトロトロが山積みの書類を差して言った。

「うわぁ、いっぱいあるね」

 それは事務机の上だけでなく、椅子の後ろにも積まれていた。


「私、どうも書類って苦手なのよね。妖怪同士ならイメージでわかり合えるのに、いちいち言葉にしてまどろっこしいのよ。でも奏斗や舞以外にも人間が続々と入るから、これからはちゃんと書類にして整理するんですって」

 そうして溜まったのが3カ月分の書類だった。そのほとんどは保護して異次元の森へと送った動物の事後報告書だ。妖狐であるアヤメは24時間眠ることなく九重会の仕事と書類の整理に追われていた。


「でもあの事故以来、そんなに大変な事件ってなかったね。人間と動物って意外とうまくいっているのかな?」

「……そうね」

 そう返事をするアヤメのことをトロトロは呆れ顔で見たが、彼女はトロトロに目もくれずに作業に戻る。浮かない表情のままアヤメは判子にインクをつけるとそれを紙に向かって下ろした。しかし、判は押される寸前で止まり、アヤメは顔を上げた。

「サイアク。あいつらが来た」

 奏斗は事務所の入り口を見たが、動物たちのために少し開けてあるドアの向こうに誰かがいるようには見えない。


「ああ、来たな」

 トロトロも感じたのか、ぐでーっと溶けて嫌悪感を露わにした。奏斗だけが「あいつら」に心当たりがない。

「あいつらって誰?」

「あいつらっていうのは、キツネ姫の――」

 トロトロが言いかけたその時、事務所のドアが勢いよく開くと同じ顔をした二人の男が飛び込んで来たのだった。

 挿絵(By みてみん)


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