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狐姫 ~生きとし生けるモノガタリ~  作者: 鴨カモメ
第弐話 キツネ姫とらいの鳥
15/84

7 海神と雷鳥

※2016/9/17加筆しました

「蘇芳なぜ、キツネ姫を助けない?」

 海神は87人の妻と別れて選んだ女がやられているのを、黙って見ている蘇芳に違和感を覚えた。

「何故、助ける必要があるんだい? 戦うことを選んだのは姫さ」

 蘇芳は薄い唇に笑みを浮かべて言う。海神はその冷ややかな表情を見たことがあった。それは彼女が87番目の妻として蘇芳の屋敷で暮らしていた時のことだった。



 それは800年は前のこと。広い海を優雅に泳ぐ海神に蘇芳は一目で恋に落ちた。女の心を熟知する蘇芳が海神の心を奪うのは簡単なことだった。

 しかし、海に住む海神は陸には住めない。そこで蘇芳は自分の屋敷に海水のため池をつくり、海水を引き入れると、言葉巧みにそこへ彼女を閉じ込めた。蘇芳を愛していた彼女は広い海から離れても愛した男の側にいられるのならばそれで満足だった。海水は毎日蘇芳の従者によって替えられ、大事にされているという実感が何より彼女を幸福にさせた。


 ただひとつ気がかりなのは蘇芳の広い屋敷には自分が彼の妻だと言い張る女が86人もいた。ただひとりの夫をめぐって、女たちは互いにいがみ、嫌い合った。蘇芳の妻は妖怪、神、天女と様々だったが皆一様に気が強く嫉妬深い。新入りの海神には特に当たりが強く、ため池にゴミを投げ入れたり、彼女がため池から出られないのをいいことに耳を塞ぎたくなるような暴言を浴びせた。


(好きにすればよい。蘇芳はわらわを愛しているのじゃ。だからわらわを閉じ込めるのじゃ)


 海神は誰よりも愛されていると自負していた。神の中でも自尊心の高い海神は、そう思い込まなければ心が壊れていてもおかしくない。夫だけが彼女の心の支えだったのだ。


 そんなある日のこと、86番目の妻が海神のため池に向かって言った。

「88番目の妻が来るわよ。あなたの時代も終わりね」

 ここが海ならば高波を浴びせてやるのに。憤る気持ちをぐっと抑え、相手に余裕の表情を見せつけた。

「ふん、誰が来ても一番はわらわに決まっておる」

 海神がそう言うと86番目の妻は鼻で笑った。

「みんなそう言うのよ。今度のお相手は九尾狐の娘ですって。気が強いのもそうだけど母親ゆずりの美貌と力を持っているんですってよ。九尾狐はあの方が最初に入れあげたお方。それを知っても同じことをいえるのかしら」

 海神は拳を握りしめた。小さなため池が海のようにうねりを上げる。蘇芳が九尾狐に惚れ込んでいたのは有名な話だった。


 そしてとうとう屋敷は新しい花嫁を迎えるため慌ただしくなり、ため池の海水も毎日取り換えられていたものが2日に一度、3日に一度とその頻度が減っていく。それとは逆にため池から出られない海神の元には不機嫌な妻たちの八つ当たりが増えていた。それでも海神は蘇芳のことを信じていた。


(わらわがここにいるということは、まだ蘇芳の気持ちはわらわのものじゃ)


 新しい花嫁が嫁入りをする当日、屋敷は妻たちの嫉妬でピリピリとしていた。それは海神が嫁入りしたときも同じだ。花嫁行列が来ているのか外は賑やかだった。海神は身体が水であることを活かし、グッと伸びて花嫁を盗み見た。狐の嫁入りは派手だ。しかし、その派手さに負けず劣らず花嫁は美しかった。行列を見送ると海神の心に嫉妬の炎が揺らめくのを感じた。


 しかし、しばらくたっても従者たちが慌てて駆け回るばかりで花嫁の気配がない。そしてしばらくして聞こえてきたのは普段は仲の悪い妻たちが仲良く話す声だった。

「花嫁が逃げたらしいわよ」

「怖気ついたんじゃない? 九尾の狐の娘といえど所詮、小娘。蘇芳の妻がつとまるわけないもの」

 海神は正直安堵していた。これで今まで通り自分が一番だ。しかし、蘇芳は妻たちを集めると淡々と言った。


「姫君は一人の夫にたくさんの妻がいることが気に食わないらしいんだ。だから今日から私は君たちの夫をやめるよ」


 屋敷は一瞬にして混沌と化した。身体から火を噴き怒る者、泣いてすがる者、互いを貶め合い争う者。海神はただ茫然とため池の中からその様子を見ていた。蘇芳は自分のまわりに結界を張り、発狂する妻たちを眺めている。


「蘇芳様止めなくていいのですか?」

「何故止める必要がある? 争うも嘆くも彼女らが自分で決めたことさ」

 そう言って薄ら笑いを浮かべる。従者は何も言えず黙ってしまった。

「旦那様」

その呼ぶ声に蘇芳の目がため池にいる海色の目と合う。

「旦那様はよしてくれないか。聞いていただろう? 私はもう君の旦那じゃない」

「海の神であるわらわはどんな辱めもそなたのために耐えてきた。今さら海に戻れぬ」

海神が言うと見放すような冷たい視線を蘇芳は向ける。

「確かに、こんなせまい池にいる海神は海の神とは言えないね。すぐに自由にしてあげるよ」

 そう言うと手をかざし、指をクイッと上にあげた。するとため池からはどんどん海水がなくなっていく。


「何をするのじゃ! 」

「私のためにどんな辱めも耐えてきたのだろう? ならまた耐えればいい」

「旦那様! お止めくだされ! わらわはそなたから離れたくない!」

 海神の泣き叫ぶ声が響く、しかし、その悲痛な叫びも空しく、海水は栓を抜いたように減っていく。見かねた従者が蘇芳に耳打ちをした。

「蘇芳様、他の奥様方との話し合いが終わってからでよいのでは?」

「いいんだよ、それに彼女は87番目だからね」

そう言って欠伸をしながら蘇芳は背を向けた。

 誰よりも愛されていると思っていた自分が誰よりも先に屋敷を出される。それは耐えがたい屈辱だった。混乱の中、彼女に嫌がらせをしていた妻たちがこちらを見て嗤った。


(くやしい。九尾狐の娘というだけのあの女がいなければ)

 海神の身体は透き通った青い海水から黒に近い深い青へとみるみるうちに変わっていく。

 「おのれ、キツネ姫……許さぬ」

 海へと返されるまいと必死でもがくうちに美しい海神は恐ろしい形相の化け物に姿を変えていた。最後の一滴が消える時、蘇芳が振り返った。海神が最後にみたのは心底愛した夫の薄情な微笑みだった。


 海神は彼の非情を思い出した。彼は自分を愛してなどいなかった。彼にとって恋愛は欲しい物を手に入れる狩りに過ぎず、結婚は捕らえたものをその手に収めておく手段にすぎなかったのだ。そう思うと怒りは蘇芳に向けられていく。

「蘇芳。やはりお前もキツネ姫とともに消えるべきじゃ」

 雷鳴が海神の手の中で鳴り響き、蘇芳の結界には絶え間なく波が打ち付ける。そのあまりの強さに結界には少しずつヒビが入っていた。

 ヒビからは海水が入り、結界が解けるのも時間の問題だった。舞とさくらは抱きしめ合い目をつぶる。奏斗は放り投げた眼鏡をかけると俯いていた。

「なんだい? 君は怖くなって泣いているのかい?」

 蘇芳は嘲るように笑う。すると奏斗は首をブンブンと横に振った。

 

「ちがいます。僕は海神さんの起こす嵐の海の中に入ったから分かるんです。海神さんの寂しさ、悲しさ、惨めさが」

 海神の青い目が奏斗に向けれる。

「僕はあなたを助けたいんです。あなたが今の姿になったのは蘇芳さんを愛していたからじゃない。自尊心を守るための執着に過ぎません。だから惨めな思いなんてしなくてもいいんです。そしてこの広い海であなたの自尊心を傷つけるひとは誰もいない。本当の美しい海神さんに戻ってください」


「私は彼を愛していない?」

 海神の独り言のような疑問に答えたのはアヤメだった。

「そうよ! こんな奴を愛しているなんて思うのは気の間違いか、錯覚よ」

「気のまちがい?」

 蘇芳を取ったと思っていたアヤメがあまりにはっきりと言うので海神は心が揺れた。さくらは蘇芳の結界を抜けて海神に手を広げた。

「あなたはもう苦しまなくていい。本当のあなたは情の深い優しい女性だから今も愛していると思い込んでいるだけです」

海神は差し伸べらた手に触れる。すると 海神の気持ちは引き潮のように蘇芳の元から離れていった。

「ひとりきり苦しむのは辛かったですね」

海神の目から透明な水が泉のように湧き出す。それは涙のようにも見えた。海神は誰かにそう言ってもらいたかった。透明な水は濁りを洗い流すように全身に行き渡る。海は次第に穏やかになり、晴れ間も見えて海神が来る前と同じ静かな姿を取り戻していた。さくらの目の前にいた巨大な怪物は華奢な美女へとその姿を変えた。

「そなたも辛かったのだろう」

美しい海神はさくらに優しく微笑む。ふたりはお互いの傷を労わるように抱きしめあった。



「アヤメさん!」

 穏やかな波間をぬって、奏斗はアヤメを迎えに行く。奏斗に支えられたアヤメは砂浜に上がると相当疲れたのか濡れた毛の海水も落とさず腰を下ろした。白く艶やかな毛束からポツポツと水滴が落ちていく。

「大丈夫? アヤメさん」

「大丈夫よ、ありがとう」

海神はふたりの姿を見ると目を見開いた。

「信じておらなんだが噂は本当だったのか」

「ふん、何のことだか」

 しらばっくれるアヤメに海神は笑みをこぼした。

「九尾の娘とはもっと高慢な嫌な女だと思っていたが思い違いだったようだな。お前は蘇芳と違って不器用で情が深い」

「あんな奴と比べないでよ。それにあなたの雷に撃たれたライチョウはもっと情が深いわよ。自らの命を盾にしたんだから」

 海神はまだ結界の中にいる蘇芳たちを見た。

「ライチョウさん……」

 さっきまで抱いていたライチョウのぬくもりは、まだ舞の腕に残っている。


「らいの鳥。雷を避けるという迷信を自らの命で真実に変えたか。その心、ただの鳥ではない」


 海神は水面に手をのばすと光り輝くものが水中から現れた。光は大きな鳥の姿へと変わっていく。雲でできているような柔らかで白いその鳥は、羽を広げるとピカっと閃光を放った。それは羽の中に帯電している雷の光だ。


「お前はこれから神獣雷鳥だ。この空はお前のもの。自由に空を飛ぶといい」


「うわぁ。きれいだなぁ」

 奏斗が空を見上げると彼の眼鏡は空の青色を映しサングラスのように反射した。すると雷鳥は誰かを呼ぶように「クゥ―クゥ―」と切ない声で鳴く。そして2,3度空を旋回すると光り輝きながら天上へと飛んで行った。

「さようなら、ありがとう」

さくらの声に答えるように雷鳥は鳴く。雷鳥の温かな光はさくらの心を癒していった。

「きっとまたいつか会える時がくるわ」

人間に戻ったアヤメがそっとさくらの肩に手を添えると、彼女はすーっと穏やかな眠りについた。


蘇芳もまた人間の姿に戻り海神へと近づく。

「さすがは海の神。自尊心を取り戻した君はやはり美しい。どうだい、やりなおさないかい?」

口説く蘇芳の後ろで舞が呆れた顔をする。海神は自信に満ちた笑みを浮かべた。

「戯言を。わらわには見えるぞ、いつかお前もひとりの女に苦しめられる」

 海神はそう言うと海の底へと消えて行った。


「呪いの言葉だわね」

 アヤメが蔑み笑う。しかし蘇芳は全く気にしない。

「女の気が変わるのはなんて早いんだろうな。まるでさっきとは別物のこの海のようだ」

 蘇芳は穏やかな海をみつめながら、かわいた髪をかきあげた。


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