猫と少年
そんなことがあってから三日めの朝。
作家は約束通り魔女に働かされ、魔女の家の近くで山菜や変な色のキノコを集めていた。
この頃になると、さすがにおかしいと思い始め、作家は自分の頬を繰り返しつねっていた。
けれど、夢は一向に覚める気配を見せない。
きっと、よっぽど自分は疲れていたんだと、だからこんな変な夢から目を覚まさないんだと、そう思って自分を納得させるしかなかった。
そうでなければ、こんなけばけばしい色で光るキノコを、素手で採集しているはずがなかった。
だが、素手と言っても猫の手である。
よく全身を見てみると、腕にもオレンジの縞模様があり、背中の方には尻尾も生えていた。
手のひらは肉球もあるし、頭を触ると尖った柔らかい耳も生えているし、ひげも確認できた。
笑えもしないこの有り様で、唯一の救いは、裸でもそんなに気にならないということぐらいだった。
体は毛だらけで、なにより住んでるのはばあさんだけだし、顔を合わせるのもばあさんだけ。
食事の時もばあさんと食うんだから、気にすることもないだろう。
こんな森の奥の薄汚れた小屋には誰も来ない。
そう思っていたのに、作家は枯葉を踏む小さな足音を聞いた。
自分の耳がぴくんと動いたことに気が滅入る。
「おい、誰かいるのか?」
すると、茂みの向こうから怯えた様子の男の子が現れた。
年は5歳くらい。体に柔らかいシャツをゆったりと纏わせ、靴はつま先が丸まって渦を巻いていた。
腰には艶のある茶色のベルトをつけて、手になにかを包んだ布袋を持っている。
年のわりには利口そうだが、少し影のある顔をしていた。
そしてなにを思ったのか、少年は作家を指差しながら震える声で言った。
「け、賢者様?」
「はぁ?」
作家は首を傾げた。
「なに言ってんだ、お前」
「や、やっぱり賢者様だ!なんでこんなところにいるの?」
「俺は賢者なんかじゃ……まぁ、職業柄な」
なんだか分からないまま、作家は話をあわせてみることにした。
賢者だということにしておけば、男の子が助けてくれるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎったからだ。
「それよりボウズは、なんでこんなところに来たんだ」
「僕、可愛くなりたいの。だから魔女にお願いしようと思って」
「可愛くって、女の子みたいにか?」
「うん。まつげがくるんとしてるといいな」
「あっそう……」
作家は新人賞のパーティーの時に顔を合わせた、女装したおっさんの作家を思い出した。
一見して男だとは分からず、おっとりした中年の女性と言う感じで、名を名乗られたときは面食らったものだ。
こういう顔の良い子供が大人になったら、ああなるんだろう。
こんな複雑な問題は、深く立ち入らない方がいい。
「ボウズ、可愛くなりたいのはいいが、魔女なんか頼るのはやめろ」
「どうして?」
「あのばあさんは、どうかしてるぞ。
俺はアイツに殺されかけた」
「ええー!賢者様が!?」
「ああ、しかも魔法の実験台にされてる。
今日も魔法で火をつけられて尻尾がこげちまった」
男の子は恐る恐る尻尾を覗きこんで、はっと口に手を当てた。
そこまで大げさな火傷はないが、幼い子供が見たらショックかもしれない。
作家は惨めったらしく男の子へ訴えた。
「この首輪さえなければ逃げ出せるんだがな」
ちりんと悲しげに鈴を鳴らすと、男の子はさっと首輪に手をかけた。
「待ってて!今とってあげる!」
「イテテテ!緩めなきゃとれるはずないだろ!」
男の子は子供らしい判断力しかなく、作家の言葉を無視して首輪を力一杯引っ張った。
首がもげそうになった一瞬、激痛が顔全体に走り、作家は引っ張られるまま前に倒れた。
男の子も後ろにしりもちをついて、片手をチリチリと鳴らしている。
びっくりして、作家は自分の首に手をあてたが、やはりそこに首輪はなく、男の子の手の中で鈴が鳴り続けていた。
「こんなことって、あるか?」
「うん。とれた」
しばらく二人で顔を見合わせて、作家たちは笑った。
あまりにも拍子抜けして、驚いた分ケラケラと笑った。
しかし、悪いことにその声を魔女が聞き付けたようだ。
雷のような声が、森へ響き渡る。
「このガキ!首輪を外したなぁ!」
手には斧を振りかざし、恐ろしい形相でこちらへ歩いてくる。
作家と男の子は一瞬で笑うのをやめて、二人で走り出した。
運良く魔女は足が悪かったため、二人に追い付くことは出来なかった。
考え込むような目で、魔女は森の出口の方を見つめ続けた。




