ミステリー作家の憂鬱
設楽が帰ってから数日が過ぎ、ミステリー作家は窓の外をぼんやりとした眼差しで見つめていた。
もう何十年も経った今、昔の絵本の続きなんて書けるはずがない。
絵本はなにかの希望を持たなければ、書けるものではないのだ。
しかし、あのころ垣間見ようとした希望も、今では指の間をすり抜けるように、どこかへ消えてしまっていた。
そもそも世間に毒を吐くために書いていたような作家の本は、あまりにも絵本のイメージとはかけ離れていた。
だからこそ好奇の目が集まって、あの絵本は売れたのだろう。
そんなものの続きを書いて、得るものなどなにもない。
妻の代わりに書いただけの、子供だましの文章が評価されているなんて、彼は信じたくもなかった。
なのに、遠くに咲く桃の花を見ていると、作家は友人の言葉を思い出してしまっていた。
俺もあの絵本は好きだ、と言っていた言葉に嘘はないのだろう。
昔から人の良かった友人は、いつも自分の小説を読んでは、真剣に意見をしていてくれた。
そして、俺はお前のファン一号だと、胸を張って言っていた。
「バカバカしい」
作家はベッドへ歩くと、まだ明るいのに布団を頭まですっぽり被ってしまった。
そのベッドの横には本棚があり、作家が書いた小説がずらりと並べてある。
どれも皮肉と自虐が混じったような、暗いタイトルばかりだ。
内容もそれに見合ったものが多く、本当のことを言えば、作家の本はあまり人気はなかった。
しかし、人々の心に残った物が一つだけある。
それが、あの大して悩みもせず適当に書いた絵本だった。
絵も幼稚なら内容もお粗末で、片手間に書いたくだらないもの。
作家自身はそう思っているのに、世間の評判は正反対だ。
逆に、絵本を読んで期待してミステリー小説を買ったのに、期待はずれだと言う声まで届くほどだった。
おかしなことだが、あの絵本はミステリー作家にとって、営業妨害になるほどだ。
しかし、誰に文句を言ったらいいか分からず、愚痴を言える相手も友人の設楽ぐらいしかいない。
その設楽でさえ絵本の製作を勧めるのだから、唯一の逃げ場を奪われたような、そんな気分だった。
やはり断ろうか。
頭のなかはそればかりで、先に進もうとしない。
絵本に手をつけることも出来なければ、本業のミステリーさえ書けない日々が続いていた。
もう、作家を名乗るのはやめた方がいいのだろう。
やはり設楽に断りの電話を入れよう、やっとそう決めたが、電話は明日かけることにした。
そして作家は布団で全身を包み込み、腕で目を塞ぐような形で強引に目を閉じた。
暗闇にはぼんやりと絵本のアイデアが浮かび、形になる前に消えていった。
まどろんでいる間に、妻や設楽の顔も浮かんでは消えていく。
そのまま、作家は深い眠りへと落ちていった。