サハイさんの過去
その時、部屋に静かなノックの音が響いた。
シラカワは返事を返し、扉はゆっくりと開く。
「こんにちは。ご気分はどうですか?」
てっきり扉を開けて入ってくるのはあの青年だと思っていたが、その予想に反して、目の前に現れたのは女性だった。
女性はまだ若く、青年よりも年下のようで、髪を小綺麗にまとめていた。
顔は青年とどこか似ていて、穏やかな顔つきだったが、その底の方にはなにか、暗いものが流れているようにも感じた。
「サハイさんのお陰で、もうすっかり良くなりましたよ。
お礼をしたいのですが、サハイさんとはお会いできますか?」
「……サハイは、兄はここにはいません」
「そうですか」
しばらく沈黙が続き、サハイの妹が身に付けた暗い色のスカートが、体の動きに遅れて揺れた。
この部屋の物は、彼女もシラカワ達も含めて、すべてため息を染み込ませたような気だるさを発散していた。
固い表情を続ける妹に、シラカワはもう少し深く聞いてみることにした。
「お兄さんは、今はどちらにいらっしゃるんですか?」
「兄は死にました。濡れ衣をかけられて、アーバルノで処刑されたはずです」
「ど、どういうことですか?私たちは昨日、お兄さんに助けて頂いたのですが」
「だから、そんなことはありえないんです。
もし兄が生きているなら、私に会いに来るだろうし、アナタ達だけを置いて居なくなってしまう理由がありません」
「確かにそれはそうだとは思いますが……それならなぜ私たちを泊めてくれたんですか?」
「アナタは怪我をしてましたし、ペンタ君がアナタのことを賢者様だと教えてくれたので。
それだけのことです。誰がどんなイタズラで兄の名を名乗ったのか知りませんが、怪我した賢者様を追い出すわけにはいきませんからね」
妹は大きな不満を抱えて、猫達と接していた。
シラカワとペンタは居心地の悪さを感じていたが、すぐに家を出ていけるほどに回復している訳ではない。
もう少し休ませてもらわないといけなかったので、とりあえず間を持たせるように、妹に聞いた。
「お兄さんの話を聞いてもいいですか?」
「ええ……」
サハイの妹は木の椅子に腰かけて、二人と話しはじめた。
ペンタはよじ登るように椅子に座って、シラカワもなんとか体を起こし妹と目線を合わせる。
だが、彼女は自分から視線をそらしてしまった。
そしてうつむき気味な目を床に固定して、うつろな声で語った。
「兄はここから遠くない、サムラーダという街の教会の神父を務めていました。
昔から兄は賢く、人々に慕われる清らかな心の持ち主でした。
そんな兄に心をひかれる女性も、少なくなかったのかもしれません。
王の娘もまた、その一人でした」
「王の娘って、お姫さま?」
「ええ、そうです。一度その姫が命を狙われたことがあり、サムラーダに逃れてきたことがあります。
その時、姫に親切に世話を焼いた兄へ、恋心を抱いたのでしょう。
実際は、恋心などと言う綺麗な物ではありませんでしたが」
「なにがあったんですか?」
「兄が気持ちに答えないことを知ると、その姫は教会にやってきて服を脱ぎました。
そして下着姿で外へ走りだし、兄に襲われたと騒いだのです。
兄は弁解も出来ずに、王が差し向けた追っ手から逃げるしかありませんでした。
私と兄は二人でこの小屋に逃げて、途方にくれました。
しかし、そんな日々も続かずに、追っ手は私たちを見つけ出しました。
サムラーダの民が、兄の居場所の情報を金で売ったのです」
聞けば聞くほどゾッとするような話で、シラカワは眉間にシワを寄せた。
ペンタはあまり分かっていないなりに、不愉快そうな顔をしていた。
「兄は魔法で姫を惑わせて、その上姫を辱しめたとして、アーバルノで裁かれ死刑になりました。
その通知の紙だけがウチに届き、私が兄の無実を誰に訴えても、死刑を止めることは出来ませんでした。
いまだに兄がどこに埋葬されたのかも知りませんし、知る術もありません」
「酷い話ですね……」
どう慰めたらいいかも分からず、シラカワは息を重苦しく吐き出した。
過去を語った彼女はシラカワの言葉を待たず、乾燥した声で二人に昼食をすすめた。
その立ち振舞いから、出来れば今すぐに出ていって欲しい、一人にして欲しいという思いが伝わってくる。
シラカワ達も昼食を食べ終えたら、この小屋を出ていくことに決めた。
猫と子供に出来ることなど、なにも無いように思えた。
「あり合わせの料理ですが、どうぞ」
三人は木のテーブルと木の椅子と、木で出来た流し台がある部屋に移動した。
まだふらつくシラカワはペンタに支えられて、なんとか椅子の上に座る。
女性はなめらかな木の器に盛られたシチューを配った。
もう何日も、まともなものにありついていなかったシラカワは素直に喜んだ。
ペンタもシチューを見てニコニコしている。
香りのよさはもちろんのこと、一口頬張ると、ミルクと野菜のかすかな甘味が口の中に広がった。
その味はどこか懐かしく、シラカワはふっと泣いてしまいそうになり、慌てて誤魔化した。
「あの、このホクホクした野菜はなんというんですか?」
「多分ラグシャのことでしょう」
女性がラグシャと呼んだ野菜は、じゃがいもによく似た食感と、ほどよい粘りけを舌の上に残した。
シラカワはちょっと得意そうな顔をして、ペンタに声をかけた。
「なぁ、ペンタ。前にポテチの話したろ?」
「うん。すっごく美味しい食べ物でしょ?」
「ああ。実はな、その時に説明したじゃがいもって、ラグシャと結構似てるんだよ」
「えっ!本当に?」
「多分、ラグシャを薄切りにして油であげて塩ふれば、同じようになると思うぞ」
「へぇー!」
女性は初めは訝しげな顔つきでシラカワ達の方を見ていたが、ペンタが太陽のように笑いだすと、顔がいくらか緩んで、懐かしそうな目に変わった。
きっと街での賑やかな日々を思い出しているのか、そのおかげで空気が少しだけ和らいだようだった。
しかし、そんなつかの間の穏やかさは、ノックの音に破られた。




