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青色コンプレックス  作者: KIANT
第二章 イジメと貴女と友達と
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8



本日の特別授業、2限目は演技。


大きなダンスフロアで芸能科は演劇指導を受けていた。ジャージを着た彼らは、それぞれ与えられた役柄を演じる。主人公の少年、その友達、その親、詐欺師に始まり村人A、Bなど。


今演じるは数人の女子と伸だ。女生徒が伸の腕を薙ぎ払い言い放った。



「"最低っ!!”」


「"なにが最低な――”」


「――カットカットカット!!!! なに、の“に”を強調するんじゃない、なに、って下がるんだ! 関西訛り直せ!」


「はい!! ……クッソ……」



相手役の女の子が伸を見ながらクスクス笑った。見下したような笑みに怯まず笑い返す。

睨み返しちゃいけない。睨んだら見くびられる、それはこの数日で学んだ。こちらが変な顔をすればする程喜ぶことを思い知った。


ちょうど鳴り響いたチャイムと共に、演技指導の先生が終了の合図を告げた。執り行われていた台本指導は1ページしか進まなかった。今に始まったことではないが、今日はまだ進んだ方だった。



「相変わらず直らないな、関西訛り」



首からかけていたタオルで顔を拭きながら、伸に話し掛ける空ことジョージ。彼は用意していた水を飲んでいる。ペットボトルの半分が一気に飲まれ、それを伸に渡せば彼も残りを一気に飲み干した。枯れていた喉を潤すには十分だ。

ただ、喉を潤しても尚先ほどの悔しさをバネにするようなモノに変えられるほど、強くはない。

喉を潤しても口を開かない彼に目をやれば、罰を悪そうに頭を掻きむしる。



「あぁ~、もうっ! しゃぁないやん。どうやったかて、訛りがでてまう。標準語てむずい」



そう言えばさっきまで笑っていた顔は一変して、悔しそうに唇を噛んだ。彼がこんな難しい顔をするのは珍しくはない。

極力2人の前だけでするようにはしているのだが。



「あれ。そういやなっちは?」


「休み。腹痛で腹から声出せる気力も体力もないってさ」


「あー……、しゃぁないか」



体操服のジャージをはためかす。更衣室に向かう足取りはいつもよりゆっくりだった。

那智の着替えを心配しなくてよい為だ。ロッカールームは逆に一段と心配にはなるが、今日の授業はもう終わりだし、制服が八つ裂きにされていたとしても差ほど問題にはならないだろう。

どんな状態になっていたとしても嫌ではあるけれど。



「……やったら、この後、保健室に迎えにいったるか」



空が色素の薄い髪の毛を揺らしながら軽くうなずいた。


ようやく、この学園での生活に慣れてきていた。慣れると言っても自分の事で手一杯で何か違うことができる余裕が出来た訳でもない。しかし、他学生にとっても同じことだ。変な嫌がらせが増えていた事も事実であった。


下駄箱に蛇やカッター付き手紙、泥まみれになった下靴、画びょうを山積みにされた靴などなど。小さな嫌がらせというよりか、日々のストレス解消のための場に近い。彼らの慣れというのは、勉強やらのストレスの捌け口見つけたという事かもしれない。


ただしそんな事で怯む二人では、いや三人ではない。男子更衣室に戻って自分専用のロッカーの鍵が壊れているなど毎度の事だ。逆にそれを見つけると、またかという日常的な物にも見えてくる。


そして、今日もだ。案の定というのか、二人のロッカーが荒らされていた。



「……金欠の心を知らないのか、壊した奴は。また買い直しだ、鍵」


「それを言うなら、貧乏性の心やな。あ……、次は鼠や」


「え、どぶねずみ? それとも、生きたモルモット?」


「アホ、ちゃうわ。おもちゃや、おもちゃ」



そう言いつつ入っていた妙にリアルな鼠の尻尾を掴みながら、空の前でブランブランと振り回される鼠。確かにおもちゃだ。ねずみの黒くつぶらな瞳がこちらを見てくる。僕に罪はないんだよ、と言わんばかりに。そりゃわかってる。

そのおもちゃは生きていなくても、目の前のネズミは先ほどまで生きていたのだろうな。空のロッカーに入っていたその一物を一瞥してからため息をついた。

後で埋めてやらなければ。こんな不憫な生き物を放っておくことはできなかった。



「なんだ、つまんない」


「生きてる蛇より、だいぶましやなー」



ごみ箱にぶち込まれる鼠は、生きているかのように音を立てて落ちていく。



「蛇は可愛いぞ? 青大将、時折俺の部屋の窓際に来るんだよね。餌やったら、体擦り寄せてくるし」


「どこの世界に、イジメに使われた蛇を飼いならすアホがおるんや」


「飼ってない」


「そういう問題ちゃう!」



そう言いつつ彼の方を見遣れば、ジョージの体が盗み見れた。白いタンクトップから出ている腕はしなやかな筋肉質だ。いい太さで何とも白くてきめ細やかな肌質の腕がコンニチハ。必要に応じてついたその筋肉はしなやかで綺麗である。正直、この肌を伝う胸板に女性特有のふくらみがあったとしても、それはそれで綺麗なのだろうなと想像してしまうほど。

普通の白いタンクトップよりも首元が狭いソレは、いつも制服からチラリと見えている白い布だ。彼は常それを着ていて、本当の胸板など見たことはなかった。

カッターシャツを羽織り、空が伸を超えてライオンを見た。



「あ。ライオン君」



彼は既に着替え終わっており急ぎ服を着ながら彼に近付く空は、やはり友達になることを諦めていない。とりあえず彼が視界に入れば一言二言話しかけることをモットーにしてる。その時のくだらない会話をそちらに振ってみたり、おはよう、バイバイの挨拶まで。

とりあえず話す機会を増やしている。



「ライオーンくーん。青大将って、可愛いよね?」


「うっせぇ」



だがしかし彼はサッと離れていく。どれだけ近づこうとしても彼は毛嫌いするかのように避けていく。二人の関係はなんら変わっていない。



「可愛いのに。頭小さくてチョコンとしてて」


「はいはい、わかったわかった。言うとき。なっちをはよ迎えに行こ!」


「伸、お前母ちゃんか?」


「ほらほら、なっちが悲しむやろぅ、はよっ!」



伸に完全スルーされた上、押される背中。やはり、毎日面白おかしくすぎてゆく事に空は何の不満もないように見えた。苛められていることなど全くなかったことのように。

ただそれは、空だけのことであって他の二人にはあまりあてはまるものではない。他二人はすぐに顔に出るし、リアクションが大きいからだろうか。反応を楽しませるには十分であった。


だからと言って那智が寝込んでいるわけではない。

女の子特有のあれだろう、きっと。


ホームルームを終えて迎えに行く保健室では、元気で騒がしい声が漏れ出ていた。



「……うるさっ………んな、かっこ……」


「……れたから……なって……」



聞こえてくる二人の声に、顔を見合わせ笑う。確実に、那智と大和こと保健医だ。

この保健室に近寄る人もまた少ない。中学高校の時の保健室なんて恰好のたまり場のようなものだ。しかしあの保健医、ほとんどが不在の事が多い。不在という名のオバサマを連れ込んでいるという専らの噂である。


このことがあるからだろうか。公認なのかこの保健室にめったのことがないと人は近寄らない。相当なもの好きでなければ。


伸が保健室のドアをガラリと音を立てて開けた。



「なっち~っ! 大丈夫かぁ、生きとるか?!」


「えっ?!」



いきなり来た二人に少々驚きながらも、二人を見て笑う彼女。

顔色は悪いけれど、気分的に落ち込んでいるわけではないようだ。彼女のベッドの脇に座っている保険医はこちらを見るなり、目をパチパチと瞬きしている。多分、彼女の口から事情は知らされているはずなのだが。なにを今更驚くことがあっただろうか。

そんな彼を他所に、彼女は笑顔で二人を出迎えた。



「うん、心配ご無用! ピンピンだよ、お迎えありがとね!」



いや、嫌いな特別授業を休めたのだ、むしろ嬉しかったかもしれない。

二人のやり取りを見てから、空はベッド横の椅子に座り大和と那智を交互にみやった。



「何の言い合い? 外にまで声漏れてたけど」



唐突に聞かれた那智が、頭をかしげて彼を見返す。本人達は言い合いをしていたつもりではなかったようだ。那智のベッドの端に座る大和を見て、空が一言付け加えた。



「……痴話喧嘩でもしてた?」


「はいっ?! 違うよっ、っていうか、ジョージ君の悩内変換は、どうして、そうなるのっ!」



焦る彼女を横目に、ジョージがクスリと笑う。伸もついでにニヤリと笑う。

二人の顔を見て、彼女は、思いっ切り首を振った。



「こんな人、絶対やだ!」


「なに、俺、全否定?!」


「当たり前! 僕は死んでもやだよっ!」


「いや、ベッドにさ、ね? 普通はそう考える」


「違うしっ、こんなオバハンキラーの餌食になんて、絶対なりたくないっ!」



まず、オバハンキラーだった事に驚きだ。見た目老けてるように見える上、好みも老けてるのか。

驚いた顔で保険医こと大和を見る二人の目は、明らか冷ややかなものだ。同じ性別をもつものとして、そういう趣味があるということは聞いたことがある。だが目の前にすると少し違う。

ここにオバサマでもいたらもっと引いていただろう。



「ひでぇっ! 十数年前の可愛らしさのカケラも残っちゃいねぇっ……!」


「当たり前でしょっ、僕だって成長するんだから!」



そう言う那智は、伸が持ってきてくれた自身の鞄を受け取り、中身を掘り返すように漁る。

整理整頓、それは彼女の頭の中にないのだろうか。かなりガサツというよりかズボラなようだ。



「何探してるの?」


「ん、一応、確認。教室に置いとくとろくな事無いから」



彼女もまた、イジメというストレス解消の的になっている一人だ。容姿が小さくて可愛らしさがあるためだろう。女子からの陰湿な物が多い。誰よりもカワイイ男の子だが、正直女子と知らされても尚、彼女が一番教室の中ではカワイイのではないか。勿論、実質中身が陰湿な彼らの中で、なので、1番になることなどいとも簡単なのだが。


教科書がボロボロだったときは、さすがに発狂していた彼女。そんなことで驚愕する彼女は、他の誰よりも純粋だといえよう。ズボラだとしても。



「今日はオモチャの鼠入ってたで、俺のロッカー」


「俺は鍵壊し」


「相変わらず、変な嫌がらせ多いね。どうにかなんないかなぁ、面倒なんだよね。一々買い直したり、気ぃ使ったりするの」



彼女は何かを見つけたのか探る手を止めた。

ホッと安堵の表情を見せる彼女は、今朝の貧血気味の顔からは一変血色のよい顔色に戻っていた。



「どうにかなるもんじゃねぇよ」



そんな安堵の表情を見せる彼女を他所に保険医が釘をさしてきた。



「俺がどれだけ、奴らの餌食になった奴を見てると思ってんだ? まだ、骨折させられないだけマシだぜ、おめぇら」



ベッドから降りた大和が、黒いボードに挟まる紙に必須事項を書き込んでゆく。担任宛ての体調不良届けである。大和の言葉にため息をついた那智は、重い体を起こしつつのっそりとベッドから降りた。

人が一安心しているというのに、わざわざ気を貶めるような事など言わなくてもよいではないか。もう少し若い人の気持ちも理解したほうがいいとおもう。

ムッと彼を睨むも、空はそのようには思っていないのか顔を難しくしてうなずいている。



「骨折か。まだ、殺人までしてないのが救いだな」


「アホッ、物騒な事いいな! 一応こんだけで済んでるけど、いつ何されるか解らんのやで?」


「いや、犯罪してるかしてないかは大きい」


「そういう問題ちゃうしやな、明らか器物損害は犯罪や!」


「あ、そうだっけ?」



適当にあしらう空は、何を考えているのか解らないことが多い。

今の彼もあまり何を考えているのか解らない。やはり、伸の言う事の方が至極まっとうだ。



「まぁ、それもライオンと仲良くなれば解消するよ」


「確かにそやけどもなぁ~」


「そうそう、簡単にいくはずないよ! ジョージ君!」



二人に責められても、なんら笑顔を崩さぬ彼に二人は盛大なため息をプレゼントした。何度このような説得を試みたかはわからないが、毎度同じように笑顔で大丈夫だと言わんばかりの返事をされる。正直、こちらが説得するのをあきらめるのを待ってるようにも見えた。


そのやり取りに少しだけ懐かしさを感じてしまう。いつかいたあの女性も、同じように説得しても無理だと言っても強く逞しく突き進んでいた。

三人のやり取りを小耳に挟みながら、大和の鉛筆を持つ手がスラスラと流れた。



「まぁ、目立つ行動は控えるこった。三年間、難無く過ごす奴なんていないけどよ」



書き終わった紙に、鉛筆をポンと当て那智に手渡す。“体調不良、過労による頭痛”と称された生理痛。

あながち間違ってはいない。



「もう手遅れだよ、大和兄ちゃん」



手に取りながら、紙をたたんで上履きを履いた。トントンと片足を付きながら、大和を見上げれば彼はすぐに顔をしかめる。それもそうだ、まだ一週間しか経っていないのにもう遅いとは。

短い間に何かしでかせるほど、大きなイベントなどはなかったはずだ。



「何でぃ? すでに、派手に何かやっちまったか?」


「あぁ、色々やってもうたよな、ジョージが」


「え。俺、普通に過ごしてるだけだけど」



どこが普通だ。どこが。

内心ツッコミながら、二人して顔を見合わせる。最近、伸君とはこんなやり取りが増えているような気がする。二人してため息をつくのも、お決まりの流れになっている。



「……ま、それなら、“再来”に期待するかな」


「“再来”?」



大和が発した言葉に全員が疑問を感じた。しかし、大和はその内容を教えてくれるでもなく、保健室を一旦閉めると言って三人を追い出した。勿論、閉めるわけではない。いまからオバサマを迎える用意だ。


外に追いやる三人は少しばかり不服そうである。



「まぁ、頑張ってくれや。えーっと、なんつー名前だったっけ?」


「あ、ジョージです」


「ちゃう、城島空やろ。アホ」



ペチンと叩かれた頭をさすりながら、小さな抵抗として伸を軽く蹴る。そうくるとは思わなかった伸が、見事にバランスを崩した。こけてしまいそうな彼を横目にフフンと笑ってしまう城嶋空とやらは、少しばかり性格が曲がっているようにも見えた。

うん、人を苛めて笑ってるのは他の奴らと変わらないのだけれど。



「……へぇ、城島。城島か……、うん、城島?」


「……え、あ、はい?」



意味の解らぬ相手の解釈に、戸惑いながら返事をすれば、大和がニヤリと顔を綻ばせた。顎髭を触りながら面白くなりそうな未来に期待する。目の前の彼は、かつての彼女と同じような役目を担ってくれるのだろうか。それならそうと見てみたい気がする。

あの凄まじい嵐を起こしていった彼女の再来を期待してしまう。



「ま、期待してるよ。ハハッ」


「……ハイ?」



なにを言っている、と言わんばかりの城嶋を他所に彼は顔を綻ばせるだけである。首をひねるも、彼はいっそう嬉しそうな顔をした。空にとっては、自分をみてニヤニヤ笑う男と対峙しているのだ。ただのホモか変態にしか見えていない。

熟女キラーかつゲイとかもう、凄いキャラだ。



「そういうこったぁ、じゃぁな!」



そう言って颯爽と部屋の中に消えていく彼はカッコイイわけではなかったが、置き去りにされた感じが凄くあった。何がなんだか解らぬ為ただ彼の消えたドアを見つめるが、なんら状況は変わらない。


ただ、大和が“再来”と呼ぶほどの何かが、この学校にいた。

その、“再来”と言われる誰かが、自分によく似ているそうゆうことなんだろう。それほど自分が凄いとは思えないが。ただただ、彼らのくだらないイジメを止めようとしているだけなのだから。



「……ま、帰ろか、俺らも」


「そうだね。僕、寝たい」



フラッと寄り掛かるようにして空の肩を持つ那智。彼の顔を見上げれば、珍しく難しい顔をしながら、大和の背中が消えたドアを見続けている。

そこまで、難しい顔など見せない彼に珍しい表情だった。物珍しそうに彼の顔を伺うも、それも束の間で一瞬にこちらに笑顔を向ける彼。



「どしたの、ジョージ君」


「……いや、何でもない。帰って飯食うか」


「そやっ、飯食いに帰ろ!」



彼らは気にしてないのだろうか。いや、那智は知っているのか。

なんて疑問が浮かぶが、まぁ、期待されることは悪いことじゃない。ならば、今は解らずともいずれ解ること。だったら、まぁ、今は気にせずにいよう。


そうすればまた、何かが見えてくるはずだ。

今は、彼らの考えを変える事だけを考えていればいい。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



所変わって高校一年生芸能科教室。

彼ら編入生組が帰ったその場所は、あまりよい雰囲気ではなかった。


苦虫をつぶしたような彼らの顔は歪んで、次々に言葉を発する。



「やっぱり、ビクともしませんよ、アイツら」


「ほんと。蛇なんかにおいては、飼い馴らし始めましたから」


「編入生がデカい顔してんじゃねぇよ……」


「ほんと、ありえねぇっ……!」



男子生徒たちが次々に吐き捨てていく。



「中でもあの城嶋とか言う奴はナニ? 何をしても顔色一つかえやしない」


「馬鹿にして! 全てなかった事にしちゃって……!」


「何のために、嫌なネズミ殺したと思ってるの…!」


「ほんと、あのキレイな顔を一思いにつぶしてやりたい……」


「あのチビみたいに、叫び声一つあげればいいのに」



女生徒たちも次々に言葉を吐き捨てていく。

酷くゆがんだ顔は、元の綺麗な顔の面影をすべて消し去ってしまう勢いだ。


それに一喜一憂するでない。ただ、聞き流す男子生徒が一人。

喋る事、いや、身動きさえしない。ただ、彼らの言う言葉をじっと聞いて受け流して何も反応しない。聞いているのか否かは定かではない。他の彼等と違うのは感情一つ写さずに冷たい表情を張り付けたままであるという事だ。


彼は絵になる。

白菊 陽太こと、ライオンである。


感情がないのか、それとも何も考えていないのかそれは解らない。



「ねぇ、白菊さんっ! アイツと戦うの一年後なんかにせずに、明日にして、手っ取り早く潰しましょうよっ!」


「そうだっ、目障りでならないっ!」



しかし、彼の感情を動かす言葉が一つだけある。それは



「市草さんが、帰ってくる前に!!」



市草。

その名前が出た瞬間、彼がピクリと動く。市草の名前を出した彼以外の人間が、名前を出した彼を叩いた。市草。それが今、ライオンにとっては禁句の言葉だった。


表情一つ変えなかったはずの彼の顔は、急に眉間に皺を寄せたかと思うとギリッとその言葉を放った彼を睨み上げる。怒りに満ちたその表情は、ひどく歪んでいた。



「……アイツが、何だって?」


「ひっ……、い、いや、な、何でもないですっ!!」



名前を出した彼が怖気づく。

理由がどんな事であれ、これ以上白菊の機嫌を損なうことはしない、いや、出来なかった。


今、彼と市草と呼ばれた彼とライオンはケンカ中であった。どれだけ下らない事でも、大きな事であっても、彼らの喧嘩に触れることは許されない。

それは、暗黙の了解だった。


彼ら二人の仲は他のクラスメイトとは違う何かがあった。

彼らのように上下関係もないなにかが。



「じゃ、じゃぁ、白菊さん! アイツらどうするんすかっ?」


「お前らの好きなようにすればいいじゃねぇか」



ご立腹の彼の機嫌を直す術など、クラスメイトは誰も知らない。

彼はむすりと機嫌を損ねたままで、静まり返るその教室から赤くなりつつある空を見る。


綺麗だとかそういう感情は沸き立ってこなかった。


この世界がすべて、歪んだ何かでできていると信じてやまないでいる。

誰も彼も全ての人間が歪んでいて、編入生の彼らの歪みを早く見てみたかった。


綺麗で美しくて、純粋なままな彼らを早く汚して歪んだ人間像を彼らの中に見出したかった。


早く、早く。彼らが崩れてしまうのを見たかった。


去年の、一昨年の、その前の先輩たちがやっていたように。

あの日に日に衰退しやせ細りイカレ狂ってしまうあの人間を様を、見てみたい。


目の前に与えられたオモチャを早く壊してしまいたかった。


そうすれば、自分の中の苦しさが先輩たちのように解き放たれて楽になれるような気がした。

あの境地へ早く、行きたい。


そして、早く、自分の素晴らしい才能を見出すのだ。あの先輩たちのように。



「お前らだって、あいつらが邪魔なんだろ? 早く、つぶしてしまえ」



ニヤリと笑う彼に、クラスメイト達が笑う。

狂ったようにニヤリと顔をゆがめて笑っている。



狂ってしまった彼らの心を止める術などだれも知らない。


わけの解らない境地へ目指す彼らを待つのが、ただの絶望だということなど誰も教えてくれないのに。



「あいつらが壊れていく様が早くみてみてぇな……」



ボソリとつぶやいたその言葉に、皆が賛同するかのように死んだ目を輝かせる。

飢えたハイエナ達は、モノを喰って壊してしまうことしか考えていないのか。


その様子に満足したハイエナ達のトップは立ち上がって静かに教室から出ていこうとする。

が、出ていくまで彼らの視線を集めることを悟った彼が振り返る。



「思う存分やれよ」



歪んだ心から出てきた、本心。

彼らの心は三年間で荒み切っていた。


理由は様々だ。伝統と言われるまでになってしまった編入生イジメが、原因の一つであることは間違いない。その芸能界の縮図というか、汚い大人社会の縮図は幼い中学生の心を潰すには十分すぎた。


なにも、この現象が芸能科だけで起こっているのではない。

他、体育科・理数科など競争の激しい場所では同じようなイジメがあった。




彼らは、それをやることが当たり前でありそれをすることが正しいと本当に思っているのだから性質(たち)が悪い。



そこから十数分歩いた場所にある寮へ戻れば二階の男子寮、つまりは高校一年生芸能科の男子寮は人気が全くない。部屋へと入るや否や、きたなく汚れてしまった心を溶かしたくて音楽を求める。

部屋に戻った白菊は、殺風景な白黒を基調とした自室をズカズカと歩き、一直線に置いてあるギターを取りに向かう。

ジャン、と少し鳴らした音が部屋を反響した。アコースティックギターといえども、鳴り響く音が外に聞こえないわけがない。


回りの部屋での騒音被害は今に始まった事ではなかった。

彼の荒んだ心をそのまま表したその音色を聴くことで、誰もが余計に荒みに拍車をかけていった。


ベッドに座り机を引き寄せ、シャーペンと白い紙を目の前にする。

深呼吸をして音を鳴らしはじめた。


掻き鳴らす音は激しいが、顔は無表情のまま、ただただ音を響かせる。


決して優しい物ではない。


張り詰めた音だけが、鳴り響く。

切り詰めるような音に、余裕など一欠けらも存在しなかった。


――綺麗なものをすべて壊してしまいたい――


彼らの心を支配するこの感情に名前が付けられればどれほどよいか。


毎日毎日、切り詰めるような勉学と辛い特別授業。やりこなしていく上で、なにもかもこなす上で、彼らが持つべき心は他人にも自分にも厳しい心。


人に負けちゃいけない。けれど、自分にも負けちゃいけない。


自他ともに厳しくなっていく中で、ソレをたった16、いやあるいは15歳の少年少女が乗り越えられていけるのか。乗り越えられる術を知っているのであれば、可能であろう。だが、彼らは先輩からも先生からも仲間からもソレを教えて貰うことはなかった。


むしろ、その感情を違う方法で発散する方法を先輩たちが教えてくれたのだ。


”イジメ”というどうしようもない方法を。


なのに、彼は飄々とそれをなかった事のように受け流した。イジメなどそこに存在していないかのように。



「クッソ……うぜぇっ……!」



いつも以上にいい音が鳴らなかった。ギターをベッドの上に投げ飛ばしてしまう。

頭の中であの綺麗で純粋な編入生の声が聞こえきた。友達になりたい、友達がいないのか、友達になろう、と詰め寄ってくるあの青い目を持った顔がちらつく。余計にイライラした。


早くあの綺麗で純粋な顔を潰してしまいたかった。憎しみや悲しみであふれた感情であふれさせた顔にしてしまいたい。


人間味がなくなってゆく自分達に対して、新しく入ってきた編入生達は人間味溢れた魅力がありすぎる。

誰にでもある欠点を平然と理解し、誰にでもある落とし穴にハマった事がある。そんな彼らがうらやましいと思うのと同時に、妬ましいと思う。自分達とは違う環境で恵まれた環境で巣立ってきた彼らが、憎らしい。


自分達がこの荒んだ世界でどれだけ苦労したかも知らないでヘラヘラと笑って、飄々と自分達よりも優れた部分を見せつけた時には我慢できない。それを焦りとして自分のバネにするという方法は教えて貰わず、それらを潰すことを先輩たちが教えてくれたのだ。


苦しむ他人の顔を見て自分も人間なんだと味わいたかった。苦しむ他人の顔が美味しい訳じゃない。


自分達を超えてしまいそうな彼らを早く、つぶしてしまいたかったのだ。

芸能界など今日の友が明日の敵。すぐに自分の居場所を取られしまう。取られる前につぶさなければ。


今まで完璧にすべてをこなしてきた彼にとって、それ以上の能力を持つ者など安定を崩すものでしかなく、完璧な自分を否定されているようにしか思えなかったのだ。




そんな心境で良い音など出せるはずがなかった。


荒みきった物がうれるかどうか、いや、ブラックミュージックとして売れたい訳ではなかったが、もうどうしようもない穴に嵌まった彼は、そこから抜けられなくなっている。


自然と助けを求めていた。

音を鳴らして、どうしようもないこの音を鳴らして。誰に求めるわけでもない、ただただ自分が苦しいということを言葉ではなく音で鳴らしていた。


また、完璧な彼は言葉で誰かに助けてとは言えなくなっていた。

悲しいその音色、助けてという悲痛な思いがのせられた音色を聴くのは、やはりまた彼が望む人ではない。



「……すごいな、ライオン君」



呟いた言葉は、誰もいない廊下に響いた。夕方4時すぎだ。

先に買い物へ出掛けた伸と那智に置いてきぼりを喰らった空は、とある部屋の前で立ち止まる。いや、立ち止まったのではない。音楽に立ち止まれと言われたのかもしれない。


鷲掴みにされた心と身体が、自分を捕まえて離そうとはしないのだ。

正直、これほどまでに音楽に心を奪われたことはなかった。


流れる音楽が心地好いのか。いや、ちがう。

ならば、心を激しく打ったのか。それもまた、違う。


聞いてほしいのだろう。誰とは言わない助けてくれる誰かに。

ただ、ソレは、自分に聞けと言わんばかりに、自分に何かを訴えかけるように鳴り響く。


聞こえてきた音楽は、自分の心へ勝手に訴えた。

苦しいんだって、助けて欲しいんだって。


完璧な彼は、苦しくなって、誰にもそんな姿見せれないのか。


気付けば鳴り響いた音楽は消えている。


今だ帰ってこない二人。追うつもりはなかったから、そこから立ち去る必要もなかった。


心は迷わず、自分を扉へ向かわせていた。



「入るぞ」



一声だけかけてドアを開けた。不用意にも半開きになっていた扉を開くのは、とてもたやすい物だった。同じ構造をした部屋の中で、どこに何があるのかは解りきった事。



「なっ?!」



ただライオンは入ってきた誰かを、青い目を持つ彼だとは思わなかったらしい。


こんな音を出すとき自然と鍵を開けてしまう。誰でもはいれるように。誰でも、自分を救えるようにしているのかもしれない。それはきっと無意識だ。


今の状況を把握するのに時間が掛かって、白菊陽太ことライオンは目を見開いて入ってきた人物を見る事しかできなかった。



「……もう、弾かないのか?」


「っ……、うるせ、何しにきたんだよっ……!」


「ん~、呼ばれた気がしただけ。呼んではない?」


「あったりめぇだろっ……! 誰がお前なんかっ……!」



今、一番目の前にいてほしくない人物だ。

彼奴を見てるだけで、自分の心の中はどんどん乱れていくのだから。この飄々とした態度をはじめ、完璧な容姿に程よい筋肉、自分にない優しさというオーラ。自分の持っていないものをすべて持っている彼。彼には何もかも負けてしまいそうなのだ。彼が居ると、自分が完璧だったのにそうではないと否定されているように思えるのだ。


自分がやってきたことが、すべて、無駄に思えてくる。



「なぁ、ライオン君」


「……ライオンじゃねぇっ!」



出ていく素振りを見せない彼に痺れを切らして自分の体をベッドへ投げた。入ってきた空に背を向けて、顔・姿を見ないようにした。

たのに、後ろに彼の何とも言えない空気感を感じる。



「なんで、俺の事そんな拒絶するの? 俺の事そんなに嫌い?」



すとんと自分の背後で彼が座る音がした。あぁ、もう出ていく素振りが全くない彼にため息が出てしまう。彼は全然自分の思い通りに動いてくれない。背中を向けた彼はこちらを見続けているのだろうか、やたら背中に熱い視線を感じる。



「……俺、君とは良いお友達になれると思うんだけどなー」



何故。どこがどうやって、いいお友達になどなれるのだ。そんなわけないだろう。

こいつは何を言っているのだ、と隠れて顔をゆがめてイライラしてしまう。彼の横にいると本当に数秒後にはイライラしている。



「……なれるわけねぇだろ」


「なんで?」


「俺とお前が釣り合うわけねぇ」


「おぉ、すごいね。自分に凄い自信もってんだ」



その言葉に反応してしまう。

何を言う。自分に自信がなければこの世界で生きていけないと普段の特別授業であれ程言われているというのに。


自信を持たない人間が光れるわけがない。そんな基本を知らないとでも言うのか。

それとも何か、自信がないというのにこの世界を選ぼうとしているのか。こいつはアホか。



「ハッ、あたりめぇだろ。自分に自信がなくてこの世界やっていけるとでも思ってるのか?」



こいつ馬鹿か、という風に背中を向けていたのを翻して言葉を返した自分に反して彼は押し黙った。

が自分の言うことが至極真っ当だと思ったのかもしれない。そりゃそうだ、芸能界という世界を教えてくる大人たちは口をそろえて言うのだから、自分に自信をもって光らせろと。

真っ当な事を言われて彼はひるんだのか。珍しく何も言い返してこない彼に眉間に皺を寄せていると、こちらを見返してくる彼の目はひどくコチラに同情を向けたようなものだった。


心地の悪いその眼に、余計に皺が寄る。



「あん? なんか、文句でもあるのなら言えよ!」


「……自信を持つことは大切だけど、さ。完璧で何もかもできて、凄い人なんていないよ」


「はぁ? てめぇ、何言ってんだ? 俺が完璧でねぇとでも言いたいのかよ」


「……少なくとも、ライオン君。君の姿勢はいただけない」


「はぁ? 俺の何が悪いっていうんだよ」



悪びれる様子もなく、彼は自分に非があるとは1mmも思っていないようだ。


悪いかどうかもわからない、自分の非を一つも分かっていない人がどこが完璧なのだ。

そもそも、この世の中に完璧主義者はいたとしても完璧に何もかも素晴らしい人間などいるはずがないだろう。自信を持つということと自分が完璧だと思う事がイコールになるわけがない。


目の前の勘違い野郎を一度でいいからブッてやりたいなどと思っていたが、殴る以前の問題だ。自分の手に反動を覚えさせることさえ勿体ない。こんな世の中何もわかっていない奴のために。



「完璧な人間なんているわけないし、完璧な音なんて出せるわけがない。今の音が完璧なモノだったとでも言うんだったら……俺は、君の音楽を好きにはなれない」


「はっ! てめぇに好きになってもらおうなんざ思ってねぇよ!」


「まぁね、俺の意見は、だから」



他の人はどうかは知らない。だが、助けてと言っている音楽を好きになれる人が世の中で差ほどいるとは到底思えない。

そんなものがウケたという話は中々聞いたことがない。


とまで言うと余計に彼を逆なでてしまいそうだ。



「うーん……なんていうのかな。君の音楽って救済するんじゃなくて救済されるの待ってるよね。

そういう点では人を惹きつけるのかもしれない。助けて欲しいなら、言葉で言えばいいのに。苦しいって」


「はぁ?! うっせぇよ!! お前に俺の何がわかるってんだよ……!」


「うん。なーんも解んない」



即答だったが、その返事に何故か傷ついてしまう彼がいる。

友達になりたいとかほざいている癖に、解らないの一言で片付けられた。


いや、違うだろう。友達になりたい訳でも無いのに何を思っているのだ、自分は。


自分の感情が解らなくなって、再び布団に倒れこむ。彼に再び目を背けると、今度は諦めたようだ。

溜息をついて立ち上がる彼。



「助けてって言ってるのに、無視はしたくなかったんだよ」


「っ、誰も助けてなんて、言ってねぇっ……!」



頭の中がパンクしそうだが、とりあえず反論した。


なんだよ。何も解らない、何もわかってもらえない事など今に始まった事じゃないだろう。なのに、言葉にされるだけでなんでこんなに傷ついているんだ。なんで、悲しくなっている。


眼から得体のしれないモノがあふれ出しそうだ。



「……素直じゃないなー。誰かと一緒で」



聞こえてきた声は、諦めも入っている。自分と会話するのを諦めたのだろう。自分に向けられる痛い視線がようやく消えたように感じた。


彼の言う誰かは誰なのかなんて言う疑問はわっと出てきてすぐに消えた。


どうでもいい。友達にもならないし、自分のことをまるで何も分かってないやつの事なんて、どうでもいいではないか。



「言葉で言わないと、気持ちも何も伝わらないよ。察してくれ、なんて、エスパーじゃないんだから」


「うるせっーって言ってんだろっ……!」


「はいはい。もう退散するから」



背後の彼は、そういうや否やスタスタと部屋の出口へと向かう。なんだよ、何しにきたんだよ、人の心を縦横無尽に踏みにじっていきやがって。


人の気も知らないで語って行くなよ。



「あぁ。忘れてた」



玄関口に差し掛かったところで彼は声を上げる。

早く出ていってしまえばいいのに、なんだ。最後の最後までうざい。



「全て完璧じゃなくていいと思う」



サラリと言われた言葉が静かに反響する。



「しんどいならしんどいって言え。辛いなら辛いって言えよ。楽になるから」



なにを知ってそんなことを言うのか。

何をわかってそんなことを。


手を握りしめた。



「また来る。助けて欲しいって時、鳴らしてよ」



一生来るな。


そう言い返そうとしたけれど、言葉ではなく目から溢れ出るものによってかき消された。反応のない自分と会話することを諦めた彼はパタンとドアを閉めて出ていってしまう。


大きな体を震わせる。出てくるものは止めどなく自分の感情にしたがって量をました。


悔しいのだろうか。

悲しいのだろうか。

辛いんだろうか。


ぐちゃぐちゃになった頭を整理できない。



けれど、凝り固まった心に軽くヒビを入れられたようだった。




パタンと閉めた部屋の中から、うめき声に似た泣き声のような、解らない何かが聞こえる。


戻って慰めようとはしなかった。ただ、その場に座って、聴き入った。


心に響くように。

いや、心に受け止めるように。





そして。大きな事件が起こったのは、差ほど日にちを重ねない内となる。




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