6 ライオン
ブレザー型の制服を手にとって、ベッドの上に乗せた。
薄い褐色、クリーム色よりも茶色がかったブレザーがこの学校のトレードマークだ。男子も女子もこのブレザーを上に羽織って、下には緑がかった黒のチェック柄のズボンまたは、スカートを履く。
自分は男装してるのだから、履くのはズボンだが。
ナベシャツとか呼ばれる胸潰しのシャツを着てワイシャツを羽織りながら、自分の姿を等身大の鏡に写して溜息をついてしまった。そこに写る背の低く高校生の制服を着た自分は、どれだけ取り繕ったって見ようによっては女の子に見えている。
それは潜在意識の中で自分が女であることを知っているから余計な事なのだろうが。
「……やっぱり、女にみえるなぁ……」
自分の姿には、一向に自信が持てないのだ。昨日のジョージ君の言葉もあってか、余計に不安になっている。ワイシャツをだらんとしたまま、ネクタイを首にかけた、そんな朝のこと。
ピンポンという、自分の部屋の呼び鈴が鳴らされ響く。ちなみに、ここの寮は芸能科の人のみ鍵付きの部屋を与えられているため、むやみに先生も友達も入れない。というか、朝から自分に何の用事があるのだろう。こっちは乙女の着替え中だってのに。
軽く無視を貫いて着替えを進めていくと、何やらブツブツと聞こえてくる声と共に、再度呼び鈴が鳴らされた。それも、何度も何度も。
ピンポーンピンポーンピンポピンポピンポーンと、休むもなく鳴り響かされる呼び鈴に、思わず笑ってしまう。いや、こりゃ、確実に伸君だ。こんな馬鹿な事するのは彼以外いない。
ボタンをしめて、ズボンを締め直してから、ドアを開きにいけば、やはり、ニッコリ笑った伸君がいて。
「朝から何、伸君。うるさいんだけども」
「一言目から、それなんっ?!」
「当たり前じゃん、朝から呼び鈴鳴らしつづける馬鹿がどこにいるの!」
「なっちまで、俺の扱い酷なってる~」
ショックを受け、頭を押さえながら、扉にもたれ掛かる伸君。大袈裟だな、関西人のリアクションというものは、皆このようにオーバーなのだろうか。初めて見た人種なだけに解らないが、目の前の彼はかばんを肩にかけながらも、ネクタイが首からダラリと垂れ下がっている。朝からイロイロとだらしなかった。
ブレザーは着ずに、灰色のカーディガンを着ていたが、ボタンを食い違いにはめている。
「ハイハイ、シャキッとする。イロイロ目立つし」
開いたままのドアに手を掛ける彼は、自分よりもかなり大きい。しかし、彼は扉から少し前のめりに体を起こして部屋の空気をかいでくる。何をしているのだと怪訝な顔見上げた彼の目が、フニャリと曲がる。
「うん、やはり甘い香りがするんやな」
うわぁ、変態。思わず2、3歩引き下がり、彼をひきつった顔で見るしかない。一歩下がって彼をドアの外側へ追いやり、扉を閉めようとすれば、案の定その手を阻まれた。
「ちょっ、ひかんといてぇっ!!」
「いや、なんか気持ち悪くてついやっちゃった」
「ついちゃうわ!」
「ごめんごめん。んで? 朝っぱらから、どうしたの?」
笑い飛ばして彼へもう一度問うた。謝ればすっと明るくなる彼の顔。本当にコロコロ変わる表情をみているのが楽しい。
「あぁ! そや、ネクタイしめてほしーねん。俺、しめたことないから解らんのよ」
そんな事で、朝っぱらから騒ぎ立ててるのか、この人は。
なんだか、可愛くも思えるなと、少し隠れて笑いながら彼を見上げる。
「何処の子供さ~、ったく、ちょっと待ってて。僕も用意してくるから」
「え、中には入れてくれんの~?」
「入れる訳ないじゃん」
伸をドンッと押し出して、扉を一気に閉めた。
外からどんどんとたたく音が響いたが、それもすぐにやんだ。彼は朝から騒がしい人だということだけはよくわかった。
というより、男をここに入れるわけ無いじゃないか。それでなくとも、相手には自分の正体解られてるのに。中に入って、ブレザーを自分の肩にかけて、急いで鞄に必要なものを詰め込み、急いで鞄を閉めた。放り投げられている洗濯物の類を、全て玄関先にあるシャワー室のカゴへ入れて、ようやく玄関へ。
「あ、ジョージまだやから迎えに行かへんか?」
「そうだね、行こう!」
入学式を終えた次の日も、元気よく始まる。
所変わって、城嶋空の自室。
外のドタバタ劇や二人の会話がずっと聞こえていた。
「だぁかぁらっ! ジッとしててよ、馬鹿!!」
「なっ、馬鹿って酷っ!」
「やってもらってるのに、ヒドイも糞も無いでしょ!!」
聞こえてくる二人の馬鹿騒ぎに、空は思わず笑みをこぼした。自室の外から聞こえて来る二人は、暴れ回っているようだ。手に持っていたジャージなどの洗濯物を、自室の洗濯機へ投げ入れる。一度締めた首元のネクタイを緩める。
昨日の入学式は苦痛でならなかった。
首は閉まるし、眠たいし、なんか視線痛かったし。
理由は判りきっていたが、校長や担任が煩かったのだ。びしっと決めていたネクタイを緩めることもできず、コンタクトもなかったため、あのビン底を掛ける他、仕様がなかったのだ。
鏡の前に立ち、昨日とはガラリと変わった自分の姿を見る。
昨日は言葉を読むがために、色々キチッとしていたのも事実。やたらとヲタクのようだった事は、否定できない。もとより目が悪い自分にとってあのビン底は手放せない。コンタクトさえあればよいのだが。
普段日常生活を送る時にはこのビン底をかけている。めったに人前では掛けないが機能だけは異例だった。
ブレザーは着ておらず、長い灰色のセーターを着用し、緩められた青いチェックのネクタイが、ダラリと垂れ下がっている。ついでに酷く撫で肩だ。なで肩なのは母親の遺伝らしく、母親もなで肩でよく着物の似合う女性だった。
生きていた双子の片割れはどうだったか。残っている写真からではまだ成長途中で解らなかった。
きっと父親ににて普通の肩をしているのだろうな。自分の撫で肩を見てそして全体を見た。
髪の毛は、昨日のようなストレートではなく、ワックスをつけられた髪が跳ねている。色素の薄いソレは、揺るやかに風に波打っている。
まぁ、こんなもんだろう。昨日とは全く違う容姿になっているが。
眼鏡をクィッとあげてから洗面所へ向かい、昨日、保健室から持ち帰った青い箱を取り上げた。
中には、特注のコンタクトレンズが入っている。
眼鏡を外して、洗面所の棚に置いた、そんな折に、けたたましく呼び鈴が鳴り響いた。
「……やっぱりアホだ、アイツ……」
犯人なんてわかりきっていた。
彼以外、こういう事はしないはずだ。昨日、イジメにきた奴が、朝から仕返しに来るとは思えない。ならば、やはり暴れていた二人の中の一人、伸に違いない。とりあえず無視を決め込むことにした。
嵌められたコンタクトレンズは、鏡に映ってキラリと青く光った。
空色に光る瞳は、やはり、眼鏡の方が視野がはっきりしている。乱視の矯正も入れられたらよかったのだけれどコンタクトにはそれは入れられないと言われた。
ただまぁ、このコンタクトが必須だったし、あのビン底をかけて芸能界へ行こうとは毛頭思ってないのだけど。
「おい、ジョージィっ! はよ用意しぃ、置いてくで~っ!」
「ジョージ君? 入るよ~」
あぁ、そういや、鍵閉めてなかったかな。開けっ放しにしたまんまだ。
無視を決め込んでいたのに勝手に扉を開いて、勝手に入室する二人。ドタバタと、自分の後ろ側にある廊下を通り過ぎていった。洗面所に居る自分に、気付いていないようだ。
「アレ、ジョージおらんやん。鞄も放置して、何処行ったんや?」
「ほんと。どうしたんだろ……」
「って、あぁ、洗面所ちゃう? 電気ついとるし」
洗面所の電気にようやく気づいたのか、二人がやって来る。なんとなく出れずに困っていただけに、気付いた伸に感謝した。
「あぁっ、いた……、ん……?」
が、二人は自分を見るなり揃って頭を捻る。
彼等は、空を下から上まで見た上で、何も言わず、何度も目をパチクリさせている。
「……え、なに? どうした」
戸惑う空を再度十分見てから、鬼とも見える形相をし始めてしまう二人。
いや、自分は、どこの不審者なんだ。自分は、怒られるような事しただろうか。何か、悪いことしたんだろうか。同じように顔を歪ませれば、何が気に入らないのか、伸が怒り任せに口を開く。
「お前、人の部屋で何やってんねん! ビン底眼鏡のアイツ、どこやったんやっ!!」
いや、自分の部屋なんだけれども。
「そうだそうだ! 昨日に引き続き、酷いよ、君たち! ビン底眼鏡かけたジョージ君をどこやったっ!」
いや、自分はココに居る。
「アイツん事イジメるんやったら、俺ら越えてけ、アホウっ!!」
いや、越えたくもない。
「そうだそうだ! 一応、僕少林寺やってたんだからなっ!!」
いやいや、何を言っているのか。それを聞いて、今度は空が驚いていた。
なんだ、俺は再び拉致られた上で部屋まで乗っ取られてる設定なのか。それに、少林寺って護身術中心じゃなかったか。
何がなんだか解らないのは、空の方であった。
とりあえず他人に間違えられていることは、間違いない。余計に眉間に皺を寄せる。
「ってか、あぁ見えて、ジョージ……やなくて、ビン底眼鏡はえぇ奴なんやぞ!」
「うん、僕らの事凄い理解してくれてたんだから!」
ありがとうと言いたいけど、違和感が有りすぎて、ありがとうとか言えない。
昨日の時点で空の事ビン底眼鏡って決め付けて疑わないでいる事は理解した。ビン底外して、こんな顔があるはずないと、確信しているに違いない。一応、母親譲りの綺麗な顔があるし、これまでの人生、女で不自由しなかった、いろんな意味で。まぁ、あくまでチェリーだが。
「あんた、誰や!」
指差して言うから伸は真剣そのもの。自分を、自分の誘拐犯と決め付けているのだから、可笑しすぎる状態だった。笑いを耐え切れなくなり、思わず笑いだしてしまった。横に首をふって那智を見る。
「いやいや、俺だよ、ジョージだってば。馬鹿言うな、伸。那智、わかるだろ」
声を出せば解ると思ったのだ。だがしかし、現実はそんなに甘くはなかった。
「いやいや、あんた誰。嘘つかないで。ジョージ君はビン底眼鏡なんだから!」
「……いやもう、君もか」
二人揃って、自信満々に自身の容姿を変に捕らえられていることは、よくよく解った。
第一印象って本当に大事なのだな。あの様な容姿を今更ながらにしなければよかったと後悔してしまう。二人でこれなら学校に行った時の周りの反応が怖い。
「ってか、ジョージがそんなに、カッコイイ訳ない!!」
そうだ、なにげに酷い印象だって事も理解した。
呆れて溜息をつくも、今回ばかりは ジョージVS伸&那智、という形になっており、信じて疑わない彼等は、腕を組み睨んでくる。彼らを説得する材料を他に持っていなかったため、ため息をついて洗面所へ顔を向け、髪を少し押さえ付けながら、ビン底眼鏡を手に取った。
「だから、俺だって。目の前にいるのが、ジョージだ。……ほら」
後ろを振り向き、眼鏡をかけるが、その瞬間、頭がクラリと揺らいだ。コンタクトに眼鏡をかけたのだから、目にはだいぶ悪いし、目を開けてられるはずもなく、すぐに眼鏡を外す。しかし、ふと目を開ければ、そこには口を開けて塞げないでいる二人の姿がいて、顎がはずれそうな二人が居るではないか。
正に先ほどまでとは全く違う生物になっている、二人が。
「解ったか。俺がジョージだって」
ビン底眼鏡を洗面所に戻して、撫で付けた髪を整え直し、彼等を再度見遣るが、やはり、魂はぬけたまま。これでは、逆に自分が彼等を置いていく事になる。勝手に別の世界に飛んでいる二人の前で、手をパンパンと、叩いけば、ようやく意識を取り戻したようだ。
パチパチと目を瞬きしながらも、再び空を穴が開くほど見始めた。
「あ、あぁっ?! えっ、いや、あの、貴方、城島、空?」
いきなり他人行儀になった那智は、あわてふためき、まじまじと見てくる。おろおろしたまま聞くものだから笑いながら頷けば、那智はまた、酷く驚いた顔をしていた。
「あぁ、うん。昨日、新入生代表の答辞喋った後で苛められてビン底かけてた城嶋君だよ」
「目、青くて大きいのに? こんなに肌白くてきれいでカッコイイのに?!」
確かに、目は空色。そして、大きい。目力があるからこそ、大きくも見えるらしいのだが。
「鼻高いし、小顔だし、唇薄い、のに?!」
伸も、同じくまじまじと見てくる。確かに、鼻は高めだ。多少は外国人の血が流れているからだろう。
もう一度再確認する。本当に彼らの第一印象が悪すぎる。自分の昨日の容姿を呪いたくなる。
何が違うというのだ、そんな風に叫びたかったが、彼等はこの事態を把握しきる事に精一杯のようだ。コレ以上のリアクションは求められないだろう。何が違うというより、雰囲気という全部が違うと答えられそうだ。やはり、昨日のヲタクルックは、さすがにやり過ぎたのか。
二人がこうなら、今日は周りの反応が怖い。眼鏡は常備だな。
「ってか、目のやり場に困るんやが……」
「確かに。見目麗しすぎて、対応に困る……」
「ってか、だれやねん、アイツ」
「わかんない、僕もあんな人、知らないよ、うん。知らない、知らない」
いや、前言撤回。自分から目を離した二人は、そう言ってイジけだすものだから、溜息をつくしかない。
那智だって、目が大きくて十分可愛いし、伸とて喋らない限り、クールガイとして通せるのに。
自分自身の事はさておいて、見目麗しいとか言われても。バレンタインなど、ホモ疑惑で一切もらえなかった経験がないから言えるんだろう。全く、彼らの認識を変えるのも一苦労である。
そう思いつつ、ふと腕時計を見遣ると、正直驚愕の時間帯が腕にあった。
「ヤバイ、朝礼10分前だ」
「え、えぇっ?!」
「はぁっ?!」
「ったく、走ろう!」
急いでかばんを持ち、玄関から三人が飛び出していく。寮から学校までが、まだ、近いからいいものの、遠ければ、確実に遅刻である。走りだした彼ら以外に生徒がほぼいないのが証拠であろう。この真面目な学校ならでは、皆もう先に学校へと向かっていたのだ。
「言われんでも走るわ、ドアホッ!! お前がいきなり正体バラすからやんっ!!」
「正体って、元からコレだし、正体も何も、隠した覚えがないよ」
「いや、それは犯罪だね、ジョージ君」
「犯罪?!」
「ほんまや、犯罪、犯罪!!」
「伸には言われたくない。朝から呼び鈴鳴らしまくる方が犯罪だろうに」
「なっ、酷っ!!」
そう言いながら走り抜ける三人は、最初からドタバタしすぎている。チャイムがなりかけている校舎内で、騒ぎながら走ってゆく彼等を先生が注意するものの、三人は無視をして、走り抜けていった。
案の定、息切れした状態で現れた三人を、芸能科一年のクラスメート達は、顔を歪めながら出迎えた。しかも、知らない顔が一つ。撫で肩で、空色の瞳を持ち、色素の薄い髪の毛を軽く遊ばせ、綺麗な男性が増えていた。そのような顔を知らない彼らは、ただひたすら注目を集めている。
直後、朝礼が始まってしまっただけに、誰なのかを問い詰める事は出来なかったが、彼は城島空の席に座ってしまい皆が余計に頭を混乱させた。朝礼後、体重測定等の身体測定があるため、クラスの順番待ちをしており、教室の中はざわつく。
所謂、無法地帯になっていた。
「つ、疲れた……、死にそ……、ジョージ君のバカ!!」
「俺のせいじゃないよ?」
担任は出て行った途端、彼等はうなだれた。那智は机の上にへたれこむが、斜め前の空は平然と那智を見ながら、持っていた下敷きで風を扇いでいる。
「じょ、ジョージっ……、お前、魔王ちゃうんか……?!」
「……いや、変な能力ないし、そんな訳ない」
伸が、那智の右隣りの席で倒れ、下敷きを扇いでいるが疲労が色濃く見て取れる。しかし、ジョージは、多少の汗は見えているが、差ほど疲れた様子は無いようで、涼しい顔をして座っていたのだ。伸にとれば、信じられない、その一言に尽きる。
「じゃぁ、何者やねん。俺より細いやんけ、明らか」
「……一般人かな」
平然と椅子に座っている彼が、一般人な訳無いだろうとしか思えなかった。清々しい程の涼しげな様子に、イケメン補正って凄いと実感する那智であった。汗をそれなりにかいている癖に、息を乱して、机の上にへたりこんでいる那智と伸を見ながら、今度は二人を下敷きを扇ぎはじめる空。
なんだろうコレが男女の差、なのだろうか。いや、伸君倒れてるから、そういうわけでもなさそうだ。
「つか、よくも、昨日の今日で、その姿で来ようと思ったね、ジョージ君」
「先生が悪いんだよ。俺は悪かない」
誰も悪いとはいってない。けれども、無表情のままの顔だって、何もしなくたって、整ってる顔って素晴らしい。綺麗な横顔が、不意にコチラを向く。太陽に照らされた薄い色素を持つ髪の毛が、フワフワしてそうで、触りたくなる。
意識が飛び始めていた。
「那智、魂飛んでる。生きてる?」
「えっ?! いや、うん……」
目を逸らして、黒ぶち眼鏡をかけ直した。なんだか昨日から、ジョージには驚かされる事が多くて、どきまぎしてしまう。
いきなりイケメンになられても、望んでいたとは言え、対応しがたいものがあった。いきなりイケメンになどならないでくれ。正直、ドキドキがやまない。走った後だからといいう事もあるだろうけど。
「……眼鏡、かけてた方がイイか、俺」
「え、なんで? 今の方が断然かっこいいよ?」
「いや、那智が眼鏡外した途端さ、目、合わせてくれないし」
その言葉を聞いて、ジョージが少し可愛く見えた。寂しいとかこの人でも思うんだ、と。
キュンと鳴った胸を押さえながら、彼を見て笑う。
「ううん、いきなり色々ありすぎて驚いてるだけ。今の方が絶対いい!」
「……当たり前だろうに」
ニヤッと笑う顔さえ、彼は整っているではないか。凄いな、と思いつつ、那智も一緒に笑う。色素の薄い髪の毛が、送り風によってフラフラ揺れている。使ってるワックスもいいんだろうけど、やっぱり柔らかそうだ。
やはり、勝てない。
本当に、完璧ではないか、非の打ち所がないイケメン。望んでいたものが本当にあるとは思わなかったけど、イケメンに囲まれる生活なんて、自分が凄く望んでた事だ。形は違えど、何となく幸せな今の状況に、心の中だけでほくそ笑んだ。
そう思いながらも、体の状態が整ってきた所で、溜息をついてしまう。
周りの様子に違和感を覚え続けている。今までは何分無視して着ていたが、息が整いまわりが見えて来たらそうもいかない。自分達に刺さる視線には敵意しか感じられないのだ。
「視線がグッサグサやな」
「……確かに」
やはり編入生というだけで、変な目で見られている。
芸能科特有の色とりどりの髪の色を持ち見目麗しい人々が、固まって自分達を睨んでいるのだ。
いや、特にジョージ君こと城嶋空を。
「ココまで酷かったんやなぁ、イジメ」
横からボソリと呟く伸に、思わず頷いてしまう。ざわめく教室の中で、一塊になった在校生達から離れている生徒は、自分達三人しかいないのだ。自由時間と言えど、ここまではっきりとした態度を取られると、気づかざる負えない。
「今更」
ボソリと呟くジョージこと空は、興味がないのか、一切彼等を見ようとはせず、明後日の方向を向いている。那智と伸は、気になって仕方がなくて、彼等をチラチラ見る事をやめられなかった。
「気づかないフリしてる方がいいと思うけど」
彼は本気で相手にする気はないらしく、自分達の殺気立ち始める様子を宥めてきた。
が、どのような姿勢をしたとしても、彼等は自分達を睨み、いや蔑むように見てくるのだ。睨まれているだけとは言えど、鼻につくような見方に、苛立たずにはいれなかった。
「……不愉快やんか」
伸も負けじというものの空は軽く頭をふる。明後日の方向に向いていた視線をゆっくりと伸へ向けたが、その視線がキツい訳ではなく、柔らかくて、胸が変にドキリとする。
「こっちから乗らなくたってさ。来るもんだよ?」
「なにがや?」
イライラしている伸を他所に、空は優雅にゆったりと笑う。彼は再度明後日の方向――教室の後ろのドアに目をやって、そちらにやってくるだれかを待つ。そして、下敷きを持たない右腕が振り上げられ、手で銃の形を作る。
何をしているのか全く分からぬ周囲にとって、彼は変な人にしか見えていない。
しかし、彼は目的をもってソレをしたのは明白で。
「ほら、きたよ」
後ろのドアに影が入る。扉の前に立って社長出勤してきたその人は、扉を当たり前のように開く。
いや、それは誰もが同じことをするのだろうが。その人物に対して空が狙いを定めた。
「――……バンッ!」
扉を開いたその人物は、勿論、何が起こっているのか解らず茫然と立っている。
勿論、彼の指から弾丸などは発射するわけがないのだが、教室に入ってきて一番最初に見知らぬ誰かに大阪人の真似事をされても、反応できる人など大阪人ぐらいだ。
「お……、殺れたか?」
何もしていない彼をみやってニヤリと笑うその反応に、たった今ドアから入ってきた金髪男は目をぱちくりとさせている。目の前の人物が何をしたいのか全く理解しきれていないのだろう。いきなりやられた男は、状況把握が出来ていないのか、その場に立ち止まったままだ。
その顔には那智も見覚えがあったが、それ以上に違う意味で慌てだしたのは、伸だ。
「……いや、今、自ら行ったやんか! 人んこと、止めといて、バーンってなんや、バーンって!」
「オハヨウの挨拶?」
「あほか! あれが通じるんは、大阪人だけであってやなぁっ! って、そういう問題ちゃうねん! あほか、自分?!」
「いやいや、アホアホって連呼されても俺、嬉しくない」
「そりゃ嬉しい奴なんざおらんわ! ちゃうねん、そういう問題ちゃうやろ?」
「じゃ、どういう問題?」
聞かれても解らない、という風に返してくる彼にとりあえず頭を抱える伸。その内心は、空以外のすべての人が理解していたのだろうが、彼一人理解できてはいない。それどころか、彼の劇はまだ続いていたのだろう。撃った手の銃を懐にしまいこむようにしながら、ニヤリと笑う空に皆が唖然としている。
何をおかしいことをしているのだ、と。
「……はぁ? てめぇ、何してやがんだ」
ようやく声を発したのは社長出勤してきた金髪男である。
勿論、この金髪男、昨日城嶋空ことビン底眼鏡に返り討ちを受けてしまったライオンである。それには気づいている那智にとっても、目の前の彼の行動は理解しがたかった。朝から訳の分からない行動をしているのは間違いないのだが、今度は自らイジメ相手に向かっていった。
返り討ちにしたから形勢逆転していると言えども、これからイジメてくるであろう相手なのに、自ら乗り込むとは、なんという馬鹿だ、そう思ってしまったのだ。
「だから、挨拶だってば。えーっと……ライオン君?」
「はぁ? おまえ、俺をなんだと思ってんだよ」
彼がそういうのも間違いない。彼はライオンのように一人だけ違うオーラを持っていた。
一人だけ、見目麗しいという要素の上に、何かしらの“芸能人オーラ”が放たれている。それは昨日も感じていたが、それ以上に自身に満ち溢れたかれのオーラはまばゆい限りである。
いつでも人に見られているからこその、キラキラした、何かだろう。
ギラギラと鋭く光る目は、見たことがない空を見つけるや否や、ただ疑い深げに睨み続けている。
その様子に焦りしか見せていない伸がこの状況を打開すべく、空に駆け寄り責め立てた。
「ちゃうちゃう! ジョージ! お前、なんであんな奴に声かけたんや!」
「一人くらい、在校生の友達、欲しいし」
「はい?! ソレで、アイツ選ぶ馬鹿が何処におんねん!」
叫ぶ伸の姿に、ただ頭を傾けた空は伸のいうことを理解する気は毛頭ない様だ。焦る伸を他所に、空は相手の事を覚えているのだろう、金髪頭のライオン君の方を向いてニッコリと微笑んだ。
「昨日の怪我、大丈夫?」
「……は?」
眉間に皺を寄せたライオンは、今だ状況把握が出来ていない。それはそうだ。
勿論、昨日、イジめていたはずのビン底眼鏡が、キラキラ光った男に変身している、だなんて解る訳がない。誰が把握できようか。いや、できるはずがない。
誰も理解できていないからこそ、皆、彼に注目して彼が本当に昨日のヲタルックだった彼かを思案していたのだから。
「あー……やっぱり、わからない?」
「ハッ? てめぇ、誰だ?」
遅刻してきた彼は、平然と言ってのけ、ジョージの――城島空の後ろの席へとたどり着く。
まさかの彼との席が近くて空にとっては彼から近づいてきてくれたように見える。しかし、その状況は周囲にしてみれば戦々恐々である。一番この状況におびえているのは伸だが、静まり返った教室では、二人しか話さなかった。
「ライオン君、君もか」
「何言ってんだ、てめぇ。シめられてぇのか?」
「……いやいや、だからさ。どうしてこうも皆、俺の事認識してくれないのかな。やっぱりもってきといてよかった」
ジョージ君は自分のポケットを探り出し、眼鏡を取り出し、またビン底眼鏡を装着した。
案の定、見える視界にクラクラと来てしまうも、こうでしか証明できないのだ。仕方ない。目の前にいる彼の顔をはっきり見ることはできないけれど、とりあえず彼が居るであろう方向に目を向けた。
「ほら、解る? 君の右肘ひねった、俺だよ」
「……っ?!」
彼は目の前にいる、不可思議な生物に驚きおののく事しかできない。
当たり前だ。目の前にいるのは、昨日イジメかけて反抗された上で、腕をねじった張本人だったのだから。誰が驚かないでいられようか。
やはり、驚愕罪として犯罪となしても問題はないはずである。そんな罪などないが、この衝撃の大きさは年老いた人ならショック死する程だと思う。
そんな周りの様子を他所に、視界がクラクラするのが耐え切れなかった空は眼鏡を外して彼に向き直る。椅子に座ったまま彼の方に手を差し伸べる空。その様子にまだまだ皆が驚かされている。
「って事で、友達になろうじゃないか、ライオン君」
それもまた、平然と言ってのけるジョージに、那智は頭を抑えた。
なぜそうなる。仮にも昨日苛めてきた相手ではないか。その相手に友達になろうだと。それもこれから苛めてくるのが解っているのに、その相手に友達になろうだと。彼の頭は本当に大丈夫なのか。
那智が思わず溜息をつくも、伸が尽かさず言葉を代弁した。
「いや、なんでそうなんねん、アホジョージ! それも、相手はあのSIの白菊 陽太やでっ?!」
「……え、何、伸、彼と友達なんだ?」
ジョージが聞けば、伸は言葉が出てこないのか、口をパクパクしながら、ジョージを指差し震え上がっている。
「……伸、君は魚にでもなったのか」
「っあ、あ、アホちゃうのっ?! お前、マジで言うてんのかっ?!」
「え、いや、だから、何が?」
しかし、彼の言葉に一番唖然としているのは、ライオン君本人だった。付け加えて、那智とジョージ以外の人間が、何かしらショックを受けた顔をしているのだ。彼の存在を知らないだけで、これほどの衝撃を受けることになるとは思わなかったのか、空は空で平然と周りの様子を見ている。
「おまっ、おまっ……」
「おま? おまって、どこの方言」
平然と言ってのるジョージに対して、ライオン君が戸惑う。
「ちげぇよっ!! 俺の事、本気でしらねぇのかっ?!」
「……なぁ、伸。俺は、新手のナンパに引っ掛かっている気分だ。俺がさ、前世から君の事知ってたら気持ち悪い以外何物でもないでしょうよ」
そこまで言ってしまう彼に、もう何も言えなくなってしまった伸が、椅子に腰を落としてしまう。
それもそのはず。この頃売り出し始め、人気の出ている有名人を知らない芸能科の人間なんて、彼等にとっては信じられなかったのだ。
しかし、本当にジョージ君は、彼の事を知らないのだろうか。自分の事を勝手に察知していた彼が、本当に、知らないのか。ただ、相手が、初対面としての対応をしていないから、普通の対応を求めている。
それだけでは無いのか。
那智の頭の中で考えだけがぐるぐると回る。そんな考えを他所に、目の前の彼はニコニコと笑っているだけだ。しかし、昨日でもそうだった。自分達の行動や、自身――那智の正体、伸の性格を全て読み取った彼が、本当にライオンの事を知らないとは思えなかった。
「いや、お前が知らない方がオカシイの!」
そういう伸に、那智は思わず笑ってしまう。もう、説明する気も失せた伸は、口答えも横槍すら入れる気が失せたようだ。
いや、多分さ、伸君。彼、そんな、薄っぺらい人間じゃ無いと思うな。
内心忠告する那智だが、何かを言う訳でもなく、状況を見つめていた。
「……てんめぇっ……」
「何、ライオン君、怒ってる? 俺、悪い事したのか」
空は平然と相手の言葉を受け流した。いつまでたっても握られない手をひっこめた空は、心配そうにライオンを見つめるも、額に青筋を浮かべつつ両拳をにぎりしめているライオン。
目の前の酷く撫で肩をもったジョージは、柔らかく微笑んだ。
「あーぁー、カッコイイ顔が台無し」
「はぁ?! クッソっ……!」
その微笑みだって美しかったりするから、仕方ない。
両者とも、容姿はそれぞれにイイ部分がある。ライオンは、正にライオンのような鋭く力強い目が、やけに印象的で、威圧感がある。しかし、ジョージはなにもかもが柔らかくて、すべてが優しかった。そのなで肩然り、彼の持つ雰囲気やみのこなしすべてが優しい雰囲気を持っていた。
どっちにも、自分が無いものを持っている同士。
同じ土俵に立たない二人に、何かしら勝つも負けるも無いように思えた。
痺れを切らしたライオンが、踏ん反り返って、大きく音を立てて椅子に座る。
「ダチになんか、ぜってーなんねーっ!!」
相手の力量を知った上で、彼はそう断言した。イジメるに値する対象でないことも、薄々感知したのだろう。そう言い切った言葉に、ジョージはつまらなそうに、口を尖らせる。
「じゃ、ライバル?」
「てめぇなんか、俺のライバルに値する訳ねぇだろ!!」
「つまんないなぁ……」
フンッと言い切る彼は、そっぽを向いてしまう。その様子にしょぼくれてしまったのか、空は渋々前を向いた。偉そうに態度を大きく座るライオンと、グダリと机にうなだれるジョージ。
「ちょっ、ジョージ! お前、なんて馬鹿なことしてんねん!」
「ん? えっと、どこらへんが? 馬鹿なこと?」
さっぱり、何のことやらと言わんばかりの空。
グダりとうなだれていた体を少し起こして、その色素の薄い茶色の髪の毛をフワフワと揺らしながら伸にニコリと微笑んだ。その仕草でさえ周りを引きつけるものがある。
どうやったら、ここまでの変化が出せるようになるのか。
いや、仕草などは昨日とは変わっていないのだろう。メガネを外しただけでここまでかわるとは。
「だって、友達作った方が手っ取り早いし」
「……やっぱり、そういう事なの?」
「はっ!? ちょ、わからんのやけど!」
那智が何か納得したのか空の方に視線を送る。自分の考えを理解してくれた那智に満足したのかにこやかに笑う空。解ってないのは伸だけなのだろう。蚊帳の外にされてしまった伸が一人拗ねるようにして口を尖らせた。
きっと空の中では、ここで平穏無事に過ごすための手っ取り早い方法というのがコレだったのだろう。明らか他とは異才を放つそのライオンと友達になってしまえば、ここでの生活も少しはマシになると思ったのだ。
昨日の登場と言い、今日の社長出勤といい、彼がこの教室―――高校一年生芸能科の中でも一目置かれているのはわかる。
今なお、入ってきたライオンに対して一定の距離を取り、彼が喋り出せば誰もが黙ってしまった辺りを踏まえれば、彼はリーダーか何かなのだろう。
ただ、彼はそんなことを一瞬にして見抜いたのだろうか。
そうとも思えず、彼が誰かを解っていて今のような行動をしたのだとしか思えなかった。
やはり、侮れないというか敵には回したくない人物だとも思ってしまった。
こちらの考えとは裏腹に、空は伸がわかっていない事をいい事に弄っていた。
「ちょ、教えてーやー! なんなん? どーゆーこと?」
「どーゆーことでしょー?」
ふふんっと笑ってみせる彼は得意げだった。
そんな様子に、周りも少しは落ち着きを取り戻したのか、静まり返っていた教室が騒がしい空気を取り戻しはじめた。皆が、動き出す。
事態は、収拾がついた。
皆が皆、そう思ったのだ。
「なんだよ、あの編入生。気に食わねーやつ……」
「まぁ、どーせ辞めてくんだからよ。存分にいたぶってやりゃいいだろーよ」
「ほんと。他も邪魔よね。理事長の息子だか知らないけどとりあえず邪魔よ」
「早く辞めささないと」
「なんで、3人もいるの? ほんと邪魔」
聞こえてくる声が、あまりにも一方的で身勝手だ。
編入性だというだけで目をつけられて、入ってきて最初から追い出す前提だとは。なんという伝統なのだ。馬鹿げている。
そこまで邪魔か。編入生は。
彼らは何10倍という倍率を勝ち抜いた者達で生え抜きの者達ばかりではないか。良くもこんなにヒドイ扱いができるな。
ため息しかでない状況に、何もない晴れた空を見上げるも、なんだかどんより見えてしまう。こんなに晴れているのに。
まだ、晴れているだけましか。
初日に何か仕掛けてくるとは思っていないので、特段彼らの言動にだけは耳を傾けながら、戯れている二人をみやる。これで余計な雑音さえなければ、望んでいた日本の高校生活なのにな。2人ともカッコイイから絵になるんだもの。間違いない。
少しだけの幸せを噛み締めていた。
しかし、それもつかの間。
「オイ」
空の後ろに座っていたライオンが、ガンッと目の前の椅子を蹴った。勿論、驚いた空が勢いよく振り向いた。周りは再び、動きを止めざる終えない。
何かグチャグチャ言っていた外野も一瞬にして彼らの方へ目を向けた。
皆が、二人に注目する。
「え、友達になる決心でもついた?」
「ちげぇよ!」
椅子にもたれて座るライオンは、まるで楽しいおもちゃを見つけたかのように、にやけている。逆に悪い予感しかしない。
初日に仕掛けてくるとは思っていなかったのに、なんだ、何をしてくるつもりだ。
目を見開くのは那智だけではなく、伸もそちらを見て空を見てキョロキョロオドオドしている。挙動不審なのは彼だけだから逆に目立っている。
なんだろう、こういう所で空気読めないんだな、彼は。
そんな彼をよそに、ライオンは向き直る優しい風貌を持つ空に、悪い笑みを浮かべたまま、口を開く。
「勝負、しようぜ」
「……勝負?」
「あぁ。勝負だ」
周りがざわつくも、彼らは各々違う笑みを浮かべたまま、顔を合わせていた。
二人が睨み合ったまま、教室の時間は刻々と過ぎていった――