5
保健室に入った、がり勉ビン底眼鏡ジョージ、こと城島空。
彼は、なりふり構わず一直線に、奥にあるベッドへ向かった。そこへ行くのが当たり前で、そこにしか行く当てがない、そんな風な彼の行動に呆気に取られながら、那智も後に続いた。保健室内に保険医はいないのか、人気がなかった。その向かった先のカーテンの奥を除いて。
保健室の一番おくにあるベッドの周りはカーテンで仕切られており、窓も開けていないのにカーテンが揺れ動いている。明らか人がいる証拠であろう。ビン底眼鏡こと城嶋空が囲っているカーテンを薙ぎ払うように開けっ広げた。
勢いよく広げるにも、彼の目つきは冷たいものであった。
「……オイ、青年」
彼は少々怒った風に、ベッド上のこんもり太った布団に呼び掛ける。
顔が見えなければ体も見えない程の丸まり方で、人がいる事だけは確かだ。ただ、その丸まった体は明らかに女子供ほど小さいものではなく、明らかに大きな男の物であった。
だがしかし、先程のイジメ現場からここに来るまでの間、何も説明されていない挙句、怒った風にしている彼。何が何だかわからない那智は、気を取り直して口を開いた。
「ちょっ……、ジョージ君、どうして」
「少年は黙っとけ」
せっかく口を開いたのに、一発で制され言い放たれた言葉にたじろいだ。さっきまで、ありがとうとかなんとかほざいていたクセに、どういうことだ。確かに今まで思考が止まっていた自分も悪いかとは思うが、もう少し説明があってしかるべきだろう。
制されて少し不服とした顔をするも、彼はそんなことを気にせることもなく、ずっと目の前の丸まった物体を睨みつけている。
「とりあえず青年、起きろ」
持っていたビデオカメラなんてどうでも良くなり、ごみ箱へ投げ入れて再び彼の様子をうかがった。ごみ箱に散らばるピンクの破片を一瞥することもなく、彼を見ていれば、とりあえず怒っている様子で、布団をバッとめくり上げた。しびれを切らしたのだろう。
「あっ!」
聞こえてきたのは男の低い声で、那智は目を見開いた。
驚いた、青年とは、同じ男子生徒ではないか。青年と言われているのだ、保健医なにかかと思ったのだ。いや待てよ、目の前にいる彼は確かに自分と同じく男子生徒の風貌をしているけれど、背格好は確実に彼の方が大きい。もしかして、彼が青年で高校生であるとでも思われているのであれば、自分は少年と言われたのだ、中坊にでも間違われているのではないか。
気付いてしまったけれども、黙っておけと言われた手前、何も言えずに彼らの様子を伺うしかできなかった。気付いたとて、何も出来ないのだ。自分とはうって代わって、ベッドの上に居る青年は、確かに、高校生っぽい風体をしている。布団の上からでも大きな体は、縦に長く横には少し細身の身なりをしていた。細いが筋肉らしきものは付いているし、これぞ細マッチョ、という感じか。
布団をめくられてしまった青年は、丸まっていた体を起こすも城嶋空に対して降参したのか、手を頭の後ろへ回してベッドにゴロンと寝転んだ。
短く切られた黒い髪に、形のいい輪郭、高い鼻を持った目の細い男が、ニッコリ笑いながら城嶋空を見ていた。
「へへっ、ジョージ君、お・は――いぃっ?!」
「黙れ、嘘つき」
そう言いながら彼のオデコに一発大きいデコピンを食らわすジョージ。
「お前のせいだ」
クィッとあげるビン底眼鏡の奥で、明らか怒っている事がわかる。
目が見える訳ではないが、雰囲気から、ジョージが青年を睨んでいることは明らかだった。声色といい雰囲気といいオーラといい、彼の放つすべてが怒りに満ちている。
「どこが、殴る蹴るは編入生への挨拶なんだ。え? やっぱり、イジメだったじゃないか」
ジョージは苛立ちながら青年の頬を思いっ切り伸ばす。伸ばされた頬と同時に、青年の細い目が余計に細くなるが、青年は笑顔を絶やさない。怒っている人に対してここまでにこやかに笑えるのも、相当なココロの持ち主だと思う。
「ひんびた、ひょーひふんは、はるひんひゃろ~?」
(訳:信じた、ジョージ君が悪いんやろ~?)
「ジョージって言うな、全く……」
ハァッと溜息をついた彼は履いていた上履きを地面に捨てるように投げた。彼は青年が寝ていたベッドに腰かけるのかと思えば、青年の腹の上にドカッと座った。その上で、明らか痛そうな顔をした青年の口を塞ぐ城嶋空は、正に鬼である。
彼は、ニヤリと口を歪ませながら、青年の喘ぎ苦しむ様子を楽しんだのだ。那智は、ジョージと青年を見比べながら、信じられないという顔をする。先ほどまで苛められていても何も言わずにただやられていただけの彼は、本当にどこに行ってしまったのか。さっき、人が変わってしまったのではないか、そして普通なら、立場は逆じゃなかろうかなどと思いながら彼の行動をひたすら見つめていた。
それに気づいた城嶋空が、満面の笑みでこちらをみやり、彼の口をふさぎながら言う。
「……あ、マネするなよ、少年」
「いや、しないし!」
「おぉ、よい子はマネしちゃダメだもんな」
「なっ?!」
あぁ、やっぱり、自分の事を勘違いしているではないか。
相手は自分を中坊に思っているに違いない。それに、中坊相手でも失礼ではないか、よいこはマネしちゃだめよ、など小学生相手に言うような言葉だ。そんな風に心で反抗しても、すでに那智から目を逸らした彼は、自分には興味がないようで、ようやく青年から手を離して彼から降りた。
ようやく新鮮な空気を吸えた彼は、ゲホゲホとせき込んだ。
「うぅっ、鬼畜ジョージっ! 酷いわっ、貴方そんな人だったなんてっ!」
青年が、まるで捨てられた女のように体をくねらせジョージを見る。しかし、ジョージは完全無視だ。
ベッドから降り立つ彼は上履きを履かずに、治療道具が置いている場所に向かっていく。その様子に無視された青年は、かまってもらいたそうにジョージを見て、もう一言付け足した。
「私は愛しとったのにっ……」
「誤解されるような物言いをするな。誰がおまえの愛人だよ」
「そんなっ、私信じてたのにっ!」
よよよとまるで着物の裾野で涙を拭くかのように泣く青年を、チラリと見て、大きく溜息をつくジョージ。
片手にシップを持ちながら、そばにあったハサミを青年に投げつける彼は、正に殺人鬼。いやまて、それ、当たったらシャレにならない。
「黙れ、気持ち悪い」
ハサミは、青年にこそ刺さらなかったが、青年の手のすぐ横に刺さった。コントロールが良かったからいいものの、本当にそれが彼の心臓にでもささっていたら、ただの傷害事件ではないか。血の気が引く思いで青年を見るも、その心境は那智よりも倍増であったのだろう。青年の顔からは一気に血の気が引き、いそいそとハサミをベッドから抜き取りながら、再度布団に潜り込んでしまった。
「……って、ジョージ君。湿布持って、何かあったの?」
「少年は、さっき見てたでしょ?」
白いYシャツをめくりあげるジョージ。そこには赤くなった痣の跡がある。那智は、頭を少し後送りさせた。廊下を歩く前に、助けられる前に。あぁ、そうか、彼は苛められていたではないか。綺麗に反撃し返していたが。
「……あぁっ! さっき、殴られたっ!」
「そう、あの青年に騙されて、なっ!」
シップを外して片方の手にゴミを持った彼は、再度青年にゴミを投げつけた。ゴミは虚しく彼の布団を跳ねたものの、潜り込んでいた青年にとっては、何が飛んできたかも解らぬ状態。青年は布団の中で、跳びはねた。それだけで滑稽であり、ジョージと目を合わせてクスクスと笑いあう。
湿布をはった彼の腹は、すでに青くなり始めている。痛むのか、少し顔をしかめるジョージに、問い掛けた。
「……大丈夫なの?」
「これぐらい。少年のビデオカメラに比べりゃ、すぐに治るよ」
「……あれは再起不能だよ」
目線を落とした先のごみ箱の中には粉々になってしまったビデオカメラも落ちている。むなしく壊れたそれに、溜息しかつけない。シャツを下ろして立ち上がる彼は“ご愁傷様”とだけ言い、出口へ歩きだしていく。もう戻るのか、なら着いて行こう。自身の中坊疑惑も訂正しなければ、そう思って着いて行こうとした、その時だった。
「あれ、客が増えてやんの」
誰かが出口をふさぐ。また厄介事かとため息をついてしまいそうな気持ちだったが、とりあえずはそちらに立つ者を見やった。長い白衣をヒラヒラとはためかせ、茶色い髪の毛を後ろで束ねた30ぐらいの髭面のオッサンである。明らか生徒ではないようだ。
「……あ、湿布貰ったから、せんせ」
「おぉ、早速怪我かい。はぇーなー、奴らは」
低い位置でくくられた長い髪は、少し癖っ気があってパーマを当てたようなクルクル感を持っている。そんな30のオッサンの髭を隠して、頭をひねる那智。その顔に見覚えがあるのだ。頭をひねるも、中々思い出せそうにない。会話を続ける二人を他所に、彼の顔をまじまじと見つめた。
「……あんたも知ってたのか」
「あったりめぇだ。おりゃ、ここの卒業生でもあるんだからよ~。って、やつはまだ、寝てやがんのか?」
そして、この江戸っ子のような口調。上から目線の言葉遣い。確かに覚えがある。
あれはまだ自分が幼稚園か小学生のころであったはず。見覚えのある顔に頭をひねることしかできない。
「嘘ついたからな。少しいじめたら、いじけたんだ」
「……いや、ありゃ、イジメたっつうか、弄んだんじゃねぇの?」
「俺は悪かないし」
「そうかぁ?」
そう言って、頭をガシガシとかきながら、持っていた青い箱を机の上において、青年の寝ているベッドへ近付く彼。ついでに、あの足の長さに、がに股と言えば。
那智は目を見開いた。思いだたのだ。
その風貌は、あの頃から変わらない老けた若者。あの頃だって高校生なのに、20代後半に見られながらも、奥様キラーだったから、喜んでいたっていうあの有名な若者ではないか。
「やっ、やっ……」
「……何が、嫌?」
後ろを振り向いたジョージの顔を見て、思いっきり頭をふって、まず、白衣を着た奴を指差す。
「せんせがどうした?」
「や、や、やまっ」
ジョージは、那智と彼を見比べながら、しばらく考えた挙げ句、あぁっと手を打った。
「疚しいことでもされたか」
「違うわっ!!」
なんでやねんっ! という風に、彼の前に腕を振る。彼は、驚くこともなく、かわいくも無いのに少し口を尖らせた。そのビン底眼鏡を外してカッコイイ風貌をしてからそういうことをしてくれ。
そういうことじゃない。そうじゃなくて。
「カワイイ顔してるのに。じゃぁ、なんだ?」
いきなりカワイイと言われて慌てる那智は、少し頬を赤らめながらも、彼奴の事は忘れなかった。いや、忘れもしない。昔、一番面倒くさかった性格を持つ彼の事を、忘れることがないのだ。あの風貌にして奥様キラーで学園を騒がせていた彼を。
「大和兄ちゃんだよっ!!」
「……いや、誰」
早い突っ込みに、すぐにたじろいだ。そりゃそうだ、大和兄ちゃんって言っても、この目の前のがり勉ビン底眼鏡は、那智と今日初めて会っただけなのだ。そんなことは、忘れていた那智。目の端に、おかしな大和兄ちゃんと叫ばれた彼がコチラを向いて、固まっている事など露知らず、ジョージに彼の説明をしだす。
「昔のココの生徒で、知り合いなんだっ、一時期可愛がって貰ってたしっ!!」
「顔なじみ、そうゆう事か?」
「うん! あぁ見えてまだ25なんだ!」
そういえばと言うふうに、彼はチラリと大和兄ちゃんを見て、一度頷く。
「……うん、老けて見えるな。軽く30は越えてる」
「でしょう?!」
心が跳びはねるぐらい喜んだ。まさか、こんな場所で知り合いがいるなんて、いや、知り合いというより、自分を女だと解っている人がいる、それだけで喜べたのだ。しかし、それはつかの間だった。事情もなにも知らないのに、昔の、女の自分を知っている人がいるという事がどれだけ危険であるかを思い知ったのである。
その喜ぶ気持ちをブチ壊したのは、その大和兄ちゃん本人だったのだから。
「……待て待て待て」
「どうしたの、大和兄ちゃん」
「いや、お前、なんて恰好してんだ?」
そういう彼の意図がよめなくて、那智は首を傾げた。
いや、ココヘ通うためにココの制服を着てここにいるだけではないか。なんらおかしな話しでは無い。彼は自分が理事長の娘だということは解っているはずなのだから、その娘が学校に入っても可笑しくない事ぐらいわかるだろう。何言ってんだコイツ、みたいな感じで顔を歪ませる。
「いや、おめぇは女だろ。何で男の制服着てんの?」
「……え? だって父様に言われ……て……、」
その二人の言葉に、その場が氷ついたのは言うまでもない。那智は思わず口を塞いだが、開いた口は塞がらない。顎が外れて、覆い隠しきれないぐらい、開いた。青年は布団をバッとめくりあげ、背筋をピンッと伸ばして、細い目を、これでもかという程見開いて、自分を見ている。
そして、ジョージは、普通にあぁと言うだけ言って、納得しているのだ。
「いやっ、ちょっ?! ち、違うって、違うって!! 私男だよっ?!」
そう言う那智に、ジョージがフッと笑う。なにがおかしい? 那智は、焦ってジョージを穴が空くほど見た。彼は、それに気づいて近くの丸椅子に座りながら言う。
「……私って言ってるぞ、少年」
「……あ、あぁっ?! いや、それは、そのっ……」
焦って否定しようにも、否定しようがない。とりあえず、頭を押さえた。あぁ、この際、オカマって言うべきなのか。え、日本の学校にきて楽しみにしていたのに自分がオカマ設定なのか。私の高校生活はオカマで始まりオカマで終わるだと。いや、嫌だけど、これ以外、やりようがないではないか。いやもう、最終的にはバレてもいい雰囲気だったけど、最初からバレるとか、だめだ。
すぐに女の子だって知れ渡ってしまう。
父親にバレないようにしてくれと言われた手前、最初からばれることはいただけない。
決死の覚悟で、結論をだした那智は、ゴクリと唾を飲む。
「わ、ワタシ、オカマだもんっ! ね、ねぇ、大和兄ちゃん? ワタシ、性格オンナだから、何で制服が男物なのか、驚いたのよねっ!!」
そう叫んで、那智の身の上を察してくれる、そう信じた。きっと、あの中じゃ一番頭が偉かった大和兄ちゃんだもの、私の話しに合わせてくれる。彼に目で訴えた。
察してくれ、私は今、男なのだ。男になれと言われてなっておけばよかったと初めて後悔してしまったではないか。今、証拠の品を見せます、とでも言えていたのではないか。あぁ、父親の言うことを聞いておけば。今のピンチにとりあえず焦る。
目の前の大人は解ってくれるだろうか。昔もバカだったが、今もバカだとは限らない。大丈夫、気づいてくれる。一心の思いで彼を見つめ続けた。
が、彼は那智の期待を綺麗さっぱり裏切ってくれたのである。
「はぁ? おまえ、大丈夫か? アメリカ行って、頭までおかしくなっちまったのかよ」
大和兄ちゃんこと25才のオッサンは、那智の目の前へ走ってやって来たかと思えば、彼女の両肩をガシッと掴んだ。そして、肩を思いっきり揺らした。
「お前は女だろっ!」
「ちょっ……、はぁっ?!」
揺らされて何も言えない那智に気付いたが、動きを止めるも、押さえた手を離す事はせず、おでこに手を当てた。
「うん、熱はねぇな。頭に障害でもできたみてぇだな……とりあえず、知り合いのイイ医者でも紹介してやる」
手を離しながら、平然と言ってのける彼に、もう、開いた口が塞がらなくて、白目を向いてしまう他、対処のしようがなかった。
「うん、仕方ないよな。アメリカって同性愛者とか、いーっぱい居て、そういうのオープンだって聞いたしな。うん、仕方ないんだよなぁ。
お前がオカマな訳ねぇよ。お前はれっきとした女だって、俺が保証してやるから、な? うんうん、俺が、そのイカれた頭治してやらぁ。心配するんじゃねぇ、な?」
自分の肩を何度も叩く彼に、ゆっくり、ニッコリ微笑んだ。彼は、自分が狂ったのだと勘違いし、信じて止まないでいる。昔馬鹿だったものは、何年たってもバカである。三つ子の魂百までというが、もう少しマシになっていると信じてやまなかった自分もバカである。
ただ、もう、我慢ならない。何を言ってるんだろう、コイツは。
ありえない、ありえない、ありえない。決死の覚悟は何だったんだ。オカマとかまで言った覚悟は。
「大和兄ちゃん」
彼を笑顔で呼びけ、ついでに肩に乗っていた彼の手を払いのける。まるで、埃が乗っていたかのように、そこをパッパッと払い、思いっきり右手拳を握り締めた。
「どうした、余計に、おかしくなっ――」
「――黙れ、糞野郎っ!!」
彼の顎に、下から上へ、殴りを入れたのだ。
何も察知してくれない、馬鹿野郎に、制裁をくわえた。無残にも、顎を押さえながら、近くのベッドへダイブした彼は、しばらく悶える形となったのである。
「……あーもうっ……、ジョージ君と、そこの青年」
事態の可笑しさに、腹を抱えて笑い出すビン底眼鏡ことジョージ君。
あぁもう、自分だって当事者じゃなければ笑いたい。こんなおかしな状況、笑わずに居られるか。ジョージに釣られ、青年が笑い出す。あぁ、完全に、バレたのだ。自分が女だと、バレてしまったのだろう。
「あーぁっ、おもろっ! で? お前は女、それでえぇんやな?」
「ちょっ! そんな大声で言わないでよっ! ジョージ君、アレにハサミ投げて」
「了解」
彼が、普通に二本目のはさみを青年に投げつける。今度は、彼の頬を掠った後に、壁にぶつかり、ベッドへ刺さる。野球でもしてたのかと思われるぐらい、コントロールがヤケにいい。びびった青年は、正座しながら、その場に固まる。タラリと出てきた頬からの血は、やけに鮮やかで、彼の白い肌をつたう。
顔が微妙に整ってるから、変に綺麗だが、そんなことを気にしている暇はない。急いで窓とドアを閉めにかかった。
2人が自分の話を聞いてくれる体勢を整えてくれたので、椅子に座り話し出した。
「青年も、ジョージ君も。私は女。オカマなんかじゃないよ、ったく……」
いらついて、再度近くにあった紙屑をもみくちゃにして倒れた大和に投げ付けた。瀕死状態の彼は勿論、ビクともしない。きっと、この後、父親に訴えれば、彼を理事長室に呼び出し説教してくれるはずだろう。そこらへんは父親に任せるつもりだ。
それを期待して、彼の処理は任せるとして、今は目の前の二人だ。どうすべきか、難しい顔をしながら思案するも、イイ案など、思い付かないのが現状だった。
「ハハッ、オカマやないことぐらい解っとる。今の話で大体解ったし、そんな難しい顔しなや。俺は、バラすつもりあらへんよー」
そう受け答えする青年が、少し笑う。馬鹿にするでなく、大変だな、と同情をくれるかのようにいう彼が、心優しい気の持ち主だと判り、ひとまず安堵する。ならば、ビン底眼鏡のがり勉君ことジョージ君はどうだろか。彼を心配そうに見やった。
「じ、ジョージ君は……?」
「ん? いや、最初から解ってたから別に驚きも何もなかったよ、少年。動きが女っぽいから、薄々解ってたしね」
そういうと、彼はまた、眼鏡をクイッとあげてから、ニヤリと笑った。那智と青年は唖然とするしかない。解っていただなんて嘘だ。彼の容姿や動きにはずっと驚かせられるものがあるが、そのうえ、言動にも驚かされるとは思わず、思ったことがそのまま出てしまう。
「う、嘘っ……」
「女を知り尽くしてたら、誰でもわかるよ」
彼は立ち上がって、ガーゼと消毒液を手に、青年の座っているベッドへ向かった。青年はその行動に驚きを隠せ無いようで、ただあたふたする。今度は何をされるのかと戦々恐々のようだ。そんな心配をよそに彼が持っていたものは青年を消毒するための物だけだったが。
「な、なに? ジョージ、そんな風貌やのに、女は片手以上いるって事か?!」
驚いた青年が、近づいてくる彼をからかい混じりで聞いた。が、彼はそんな青年の頭を平手打ちしてから、ベッド脇へ座る。
「俺はチェリーボーイだよ」
「ち、チェリー?! 普通に童貞なんか! やのに、見破ったんか?! お前、宇宙人やろ」
「うるさいうるさい。黙っておとなしくしといてくれないかな。消毒できないでしょ」
ジョージ君、そんな事いう子だったのか、という驚きも混じって、那智は何も言えない状況となってしまう。それをしってか知らずか、彼は那智を見て、微妙にため息をつき、少しだけ、優しく笑った。
「……別に、誰かに言うとかはしないよ、少年」
「……え?」
手に持つ消毒液を乱暴に、青年の頬にぶちまける。痛くて暴れる青年を、無表情で押さえ付けながら、自分のほうを向く彼は、手元のガーゼを持ち上げた。
「俺が口外したって、何の利益もない。その前に、編入生ってだけで、目付けられてるしね。だったら、編入生三人は固まって動いた方がいいだろ、少年」
彼は青年の頬にガーゼを当てて、那智から目を移した。青年は、半分以上、痛みなど忘れて、目の前の訳のわからない生き物を見ながら、目をパチクリしている。那智も同様、ジョージの人となりが全く掴みきれないでいた。今の言動には驚く点がいくつもあったのだ。
余計に頭が混乱した。
「……わ、私達三人が、芸能科の編入生って知ってたの……?」
「当たり前。寮が横並びに、三人だけ新しいプレートが入ってるんだ。大体予測はつくし、ここの事情だって、ちゃんと下調べしてきてるよ」
青年の頬にテープを貼る。青年も那智も口が塞がらないのは、当たり前だった。
このジョージ君は、何も知らない人だと思い込んでいたのだ。だからこそ、青年の言葉を信じていじめを違うモノだと信じて疑わなかったのだと。何も知らない、ただのチェリーボーイ、いや、がり勉野郎ビン底眼鏡だと、信じて疑わなかったのだ。
それは、青年も同じで、ガーゼの貼られた頬を押さえながら、無い細い目で、彼をじっと見るしかできなかった。
「で? どうする、少年。俺達は、お前が俺達と組むなら、口外しないが?」
「……く、組む?」
治療しおわった彼は、消毒液等を持ちながら、元いた場所へ戻ってゆく。
「うん。だって君、ココの理事長の息子だろう?」
「そ、それも、解ってたっていうのっ?!」
ただ、驚く事しかできなくて、その場を立ち上がり、椅子を見事にこかしてしまう。ガタンという音が虚しく鳴り響く中で、ジョージはまた、優しく口元を笑わせながら、椅子近づけて座りなおした。
「苗字一緒だし、周りが普通に少年の噂をしてた。入学式は寝てたが最初のホームルームは起きてたんだよ、俺」
「……私、寝てた……」
立て直された椅子に、力が抜けたように座る自分とは打って変わって、ジョージは終始楽しそうに優しく笑っている。なんだ、完敗しているではないか。少し前まで、彼は、自分よりか凄い下の人間だと思っていた。何も周りが見えていない、そう信じて疑わなかった。
なのに、逆に自分のすべてを理解されているような、自分よりかは大人で、大人の余裕を振りかざれてる気がするのだ。この感覚はあのモチダにされている物に似ていたけれど、完敗だという事が解り切っていて、何も反抗できなかった。その通りすぎて。
「で、どうする。あの青年の意見は無視で、少年の意見が聞きたいんだけどな?」
「俺は無視かいなっ!」
「だって、青年は有無も言わさずともついてくると思って」
言い返せないのか、青年はただ黙って、ガーゼの上から頬をこすりながら目線を反らした。見透かされていた気持ちが、恥ずかしいようだ。彼は青年の、どこか優しい部分を見抜いているようだった。そうであって、青年が自分について来ることも、理解している。
あぁ、やはり、完敗って、この事だ。
「……解った。組むっていうか、友達として、仲間として……一緒に動いたり、私にできる――」
「――私じゃないだろう、少年。本気でオカマになる気か?」
そうやって、目の前で私の意見を訂正する彼に、私――……いや、僕は苦笑した。
「僕、それならまだ、慣れるのに、早いだろ」
僕か、うん、僕なんだ。
頷きながら負けてしまった相手に、もう苦笑は零さず、目の前の彼を見据えた。
「僕に出来ることは、何でもする」
「よし、それでこそ男だ」
彼は笑って、自分の頭を優しくポンポンと撫でてきた。彼なりのイエスの答えだろうか。その様子を見ていた青年が、バッと走り寄ってくる。全く持って元気なようだ。
「ちょっ、俺もいれてやっ、寂しいやんっ!!」
そういって走ってやって来た青年は、那智とジョージの肩を無理矢理組んできた。真ん中に入る彼は、ニヤニヤ笑いながら、ジョージを見る。
「……青年、暑苦しい」
「なっ、暑苦しいって酷っ!!」
肩を組まれながら、少しのけ反るジョージ。
「本当の事。それに、お前、腹が痛くて寝てたんだろう」
「んなもん、仮病に決まってるやろ!」
「……そうか、腹は殴っても大丈夫なんだな」
ニヤリと笑う彼は、青年の脇腹に肘をいれた。腹が痛いと言っていた彼の腹に乗っていたのか、究極の鬼畜野郎だ。ただ、痛いと言いつつ笑う青年は心根の優しい奴なのかもしれないとも、理解した。
「あ。名前は、青年」
「自分から名乗りーや、ジョージ」
大和が倒れたベッドに座る青年に、ジョージは、少し思案してからサラリと答えた。
「ジョージ」
いや、なにが気に入ったんだ。ジョージを使い通す彼・城島空に、笑ってしまう。まぁ、ジョージってのも、面白みがあっていいのかもしれない。芸能人の偽名としたって、何ら問題はなさそうだ。まるで芸人の名前のようにも思えるが。
彼はそれを至極普通だと言わんばかりの答え方であった。
「ジョージ? まじで、ジョージなんっ?!」
「んな訳ないだろ、バカ」
「はぁっ?! 馬鹿って、ひどっ!!」
ジョージと一緒になって腹を抱えて笑い出せば、青年は拗ねるようにして、体育座りをし始めた。それにも笑えて青年の肩を叩いてやり、慰めるが笑いはしばらく止まらなかった。その様子に余計に拗ねてしまったのだが。
そんな、二人をさしおいて、ジョージは近くにあった大和が持ってきた青い箱を手に持つ。箱には、何も書いていないため、何が入っているかは解らない。
「あーぁっ、踏んだり蹴ったりやないか」
「仕方がない、青年はそうゆう役所だね」
ジョージ君は、フッと笑いながら箱を傍に置いて、何かのメモ書き置いた。
「で、名前は?」
「泡田 伸や」
「ふーん……そうか、伸か。俺は、城島 空。ジョージで構わない。ジョージっていう響きがいい」
「かわっとんな、兄ちゃん」
「今さら」
箱を持ちながら立ち上がるジョージは、伸君に手を指し伸ばして握手を求めた。
伸君は満足げに、その手をとりながら立ち上がろうとした。が。
「ん、よろしゅっ――痛い痛い痛い!!!」
「挨拶だ、挨拶」
フッと笑って握り締めた手を離すジョージ君は、やはり鬼だった。そんな伸君を放置して、出口へ歩いていく彼も。
まぁ、予想通りおもいっきり伸君の手を握ったのだ。赤くなった伸君の手、いや、体は、本当に踏んだり蹴ったりだ。
そういえば、彼は先程まっさきに私の話を聞くために、この部屋に留まってくれたような気が、いや、気のせいかもしれない。これだけ人を弄ぶことが好きな人なのだ、やさしさなど垣間見れない。
薄々気づいたモノを何となくしまい込んで、那智はジョージに続いて、保健室を出ていく。
「ちょっ、待ってぇなっ! 君の名前は?!」
「あぁ、僕は黒崎 那智だよ、伸君」
「なっちゃんか!」
そういって、再び楽しそうに私達の肩を組む彼は、意外と身長が高く、軽くジョージ君を抜いて180前後の背丈を持っていた。
「それじゃ、那智の性別がばれる。なっち、ぐらいにした方がいい」
「あぁっ、ほんまやわ!」
「ほら、馬鹿だ」
そう言いながら、伸の腕を剥がしながら、先をゆくジョージ。それを追い掛ける伸は何度も払われるがそれでも、ジョージに絡もうとする。それを後ろから見守りながら、笑った。
この三人で、これから過ごしていくのか。
最初はどうなるかと思ったけれど、意外となんとかなるもんだ。
ジョージ君も、伸君も、カッコイイとは言えないけれど、人はいいから、心配することない。あの芸能科の奴らが持ってない優しさや人間味は持ってる。
ならば。彼等には彼等なりの芸能界入りが、できるのかもしれない。
足取りは、当初考えていたとおり、何だか軽かった。
明日から起こるどんな不測の事態にだって、立ち向かわなければならないが、今だけは幸せになれる。
前をゆく言い合いをする男二人を、面白おかしく観察しながら、ゆっくりアイツらを変えていくのも、いいのかもしれない。
「うん、やっぱり、伸君馬鹿だよ」
「ちょっ、なっちまで、酷いわぁぁっ!!」
彼らを芸能人にする為には、やはりこういう人間味がないと。
1人ではなかなか難しいけれど、彼らとであれば自分のやりたいことは達成できる気がした。