Ⅱ
カーン、カーンと調子のいい音が、森じゅうにひびいてゆく。
なかなか倒れる様子をみせないやっかいな木を前に、ガロウは力をこめて斧を叩きつけた。
カーン、カーン。
(よし、ここが最後の正念場...!)
もうすぐ倒れてしまいそうな、傾きかけた木をまえに、ぐっと強く斧をにぎってガロウは傷口へ打ち込んだ。
メキメキメキ...ドッドーン。
ガロウの狙ったとおりに、傾いた木の重さがのこりの幹を割りさいていく。
地面に衝撃をつたえながら、きれいにまっすぐな一本道を作った木を見て、ガロウのこどうは達成感に高まった。
たくさんのマメがつぶれていった手をにぎにぎとして、ガロウは汗をぬぐう。
はじめはこれらの行為すべてに抵抗があったガロウもいまではとても慣れたもので。小さいころはとにかく労働からにげたくって、酸素の消滅だーー!環境破壊なんてやっちゃあだめなんだからなーー!などと騒いでは困らせていたものの、だんだん年老いてゆく祖父を前に、孫ひとりだけが楽をしているわけにもいかない。
そうやって重ねていった労働も、いつしか当たり前の日課となって、ガロウのなかに根付いていた。
ガロウは、決して少なくはない自分の汗の量に顔をしかめて、すぐそばにある水筒を手に取った。
前世ではペットボトルひとつで塩分までもを簡単に摂取することができた。けれど、この世界では動物の内蔵や革などに限られただけの水をいれて、つねにそれを持ち歩かなくてはならない。
中身はひんやりとした、ワンコインでもOKな箱形のものなんかが、そこらへんにホイホイ設置されているわけでもないのである。
快適な環境に味をしめたものとしては、なんとも生きにくい世界だ。
こくりこくりとふたくちみくちでのどを潤わせたガロウは、ふたたび斧の柄をにぎった。次にねらう動かぬ獲物の狙いをさだめて、ガロウは垂直に斧をふろうとおおきくそれを振りかぶった。
そのときだった。
ゴォォォオン...ゴォォォオン...。
とつぜん、重苦しい鐘のような音が、大気中をゆさぶった。
その音はまるで、自分の頭のなかからひびいてくるようで、その不思議な感覚に、ガロウは困惑をうかべた。そして、まさにそれと同時に。いく晩か前におぼえたばかりのようなあの、激しいいたみが全身にかけまわり、ガロウはそのいたみに斧から手を離した。
軽い音をたてて、その音はガロウの足の小指から数センチのところへ突きささったが、いまのガロウにはそれを確認できるだけの余裕もなにもなかった。
目玉をくりぬかれ、からだのすべてを切り裂かれたあと、まだ命の残っているまま内蔵をかき回される感覚。
もうマグマにからだを沈めてしまったように、とてもあつくって、すべてが焼けただれ、そうして骨のずいまでもをふくむすべてすべてがドロドロに溶かされたかのような壮絶ないたみ。
ガンガンと痛むあたまは、状況を判断するだけのちからも根気も、なにもかもを知ることができないままきしみつづけた。
想像を絶する、や死んだほうがまし、とはなんと優しいことばであったのだろうか。
ガロウに起きているものは、そんなものをかるく凌駕してしまうほどの、現実的であって現実でない、そんないたみだった。
「アァアァァア!ッガァ...アァアーー!」
絶叫が風をふるわせて、しかしその声もガロウの耳には届かなかった。
いま、森の小屋にはガロウ以外のだれもいない。祖父である老人は、村の収集で家を出てしまっており、森のなかにある不便なこの小屋のちかくにすむ物好きなどいるはずもない。
運のわるいことに、現在ガロウはひとりだった。
助けもなにもないまま、やむことなくその絶叫は頂点をつきつづける。
そのあいだにも、鐘の音はなりつづけていた。
1回...2回...3回...。えんえんと終わらないかのように思えたそれは、だが12回目でなりおえた。そして、その音の余韻が終わるとともに、とつぜんガロウからいたみがひいていく。
激痛からの一転に体はついていけずに、ガロウの体はカクリとちからなくうなだれた。
ぼんやりとしたガロウは、じんじんとしびれたみたいに疼くからだのすべてに、いまの状況を理解することができなくて、虚ろなひとみで視線を地へ向けた。それは、自然と行った動作で、そもそもからだのおかしいいまに、ガロウの思考がまともに考えるちからをのこしているはずもなくて。だから、しかたのないものだった。もし、ここで彼が気づいていたのなら...?なんてことは、どうしたって言っても仕方のないものなのだ。
...でも、だからこそこのときのガロウは気づけなかった。森から出てきた愛らしいリスが、言葉を紡ぎだしていることに。
そして、カタカタとゆれるそのくちが、機械でつくられていることに。
ニヒルにニタリと笑いをもらして、リスは目の前の情報を主へ転送する。すると、リスの目から地面へと、光かがやく文字がうつしだされていった。
「カウントハジュウニ、ジュウ、キュウ、ハチ、ナナ、ロク、ゴ、ヨン、サン、ニィ...ソシテ、イチ。」
硬質な金属音がカウントをおえたとき、運命はその歯車をまわしはじめた。
カラカラと音をたててまわる機械は、鈍くあやしげに...そして、なにかを背負ったかのように、重く重くすすみはじめた。
それを見て、男はひとりものさびしげに...そうして絶望的に顔を歪めさせる。
「すべてが正しく、もとに戻ることを...。そして...っ!」
苦しげに息をすった彼は、手元の機械にむけて、音となったそれを、精いっぱい伝えてゆく。
『みんな、聴いてくれ!』
ガロウは、突如ふたたび頭のなかからひびいてきた声に、失いかけた意識を浮上させた。
少々まだ息切れは残るものの、いたみは消え去ったからだをむりやり起こしてみれば、そのまわりにはだれもいない。
おかしい、とさすがにあたりをうかがうガロウの心をはかったのか、男の声はその答えを示してくる。
『とつぜんで、信じられないと思うだろうことは分かっている。けれど、これは現実だ。誓って言おう。これは紛れもない、現実なんだ!』
せっぱ詰まった男の声に耳をうたがって、ガロウはほおをつねった。しかし、当然のことながらほおがいたくなるだけであって、ガロウはますます困惑をふかめる。
けれど...男の声があまりにもただ事でない様子を物語っていて、自然とガロウのあたまはこれは現実だと受け入れた。
でも、これがほんとうに現実だとしたら、いったいいまなにが起こっているのだろうか?どうしてこの声は、こんなにも焦っているのだろうか?
信じようとしたいまにも疑問はどんどんと生じてきて、だんだんとガロウは疑いを深めてしまう。
けれど。男のだした次のことばはあまりにも衝撃的すぎて、ガロウのあたまはオーバーヒートした。
『...いま、疑いが大きいことは分かっている。けれど。もう、時間がないんだ。もう、すべてが始まった。命は天秤に、かけられたんだ。いまとなってはもう、必ず犠牲が必要なんだ。だから...。犠牲を減らすために、俺は伝えよう!
この世界に運命は、存在する!
理不尽な破滅から逃れたいのならば、我々人類にとって方法はひとつだけしかない。
それは...手に宝石を宿した、時の紡ぎ手を消し去ること。
たった、それだけだ!』
ふいにふらりと力をうしなった、ガロウのからだを支えるものなど、なんにもなくて、ガロウのからだは音をたてて崩れ落ちた。
「は...?」




